令嬢は怪人に成り損ねた

 昼休み。あの後エリーゼが講義室にやって来ることもなく、マリィとしては特に盛り上がりもない普通の授業を終えた後。そういえばどうやって落ち合うのか聞いていないことを思い出したのだ。


「ん~。とりあえず、ご飯ですね」


 食欲を優先させた。昨日までと違い、エリーゼは――エリザベス・マクスウェルはここにいるのだ。ならば、沈んでなどいられない。これまでと同じように、否、これまで以上に前を向くべきなのだ。

 そんなわけで腹ごしらえである。とはいえ、学院の建物内で食事をしては合流出来ない可能性もあるので、適当にパンを買い込むと中庭のベンチで頬張り始めた。


「はむはむもぐもぐ」


 食べながら、一応思考は行う。現在エリザベスを嵌めたであろう黒幕に一番近いと思われるのは彼女の実家である公爵家。だが証拠はなく、そのためにも自身への嫌がらせの真相を取っ掛かりにしたいというのが今の状況だ。


「ちょっと――」

「むしゃむしゃ」


 他の人がどう思っているかは知らないが、今の所自分の中で怪しいと思っているのはとある伯爵家の令嬢とその取り巻き。元々はエリザベスの、というよりも公爵家の派閥にいた者の一人だ。あの時ベスが言っていた予想にも合致する。


「聞いていますの!」

「はぐはぐむぐむぐ」


 問題は、そう思っているだけで証拠があるわけではないことだ。自身に嫌がらせをしている現場を目撃するなりすれば話は別だが、そういうこともない。教科書だって恐らく彼女の取り巻きの誰かがやったことで、そこまで辿り着かないようにされているだろう。


「聞きなさいよ! いえ、それ以前に貴女一体どれだけ食べるの!?」


 とはいえ、それはあくまで一介の学生だったらの話。フィリップ第一王子ならばこちらが出来ないようなことも伝手があるだろうし、エリーゼなら無理矢理証拠を掴み取れる。

 だから自分が出来ることは、そんな強者を援護するくらいで。


「いい加減にしなさい!」

「ふえ?」


 買ってきたパン十個を食べ終わった辺りで、マリィは目の前の人物にようやく気が付いた。あれ、と目を瞬かせたが、相手は怒髪天を衝いている。どうやら、随分と前からいたらしい。


「あの、どうかしました?」

「どうしたもこうしたも! 先程から声を掛けているのに上の空でひたすらパンを食べていたのよ!」

「あ、ごめんなさい。ご飯に夢中でした」

「ふざけているの!?」


 余計に怒りのボルテージが上がっていく。どうやら素直に謝っては駄目だったらしい。どうしたものかと頬を掻きながら、彼女は目の前の令嬢を見る。

 この人、さっき考えてた伯爵令嬢の取り巻きの一人だ。そのことに思い当たり、そうなると彼女の目的がなんとなく見えてきた気がした。


「申し訳ありませんでした」


 ペコリと頭を下げる。そんなマリィの態度を見ていた令嬢は、ふんと鼻を鳴らすと少しだけ冷静さを取り戻した。そうしながら、貴女は恥ずかしくないのと告げる。


「はい?」

「とぼけないで。突然メイドを連れてきたかと思ったら、まさか盗みを働かせるためだったなんて」

「はい?」

「知っているのよ。あなた、今日講義で使用した教本、他人から盗んだものでしょう?」

「はい?」


 何いってんだこいつ、と言わんばかりの表情で、マリィは目の前の令嬢を見詰めている。彼女の弁によれば自分は教科書をメイドに盗ませたらしいが、一体何がどうなってそういう結論に。

 ああ、と思わず手を叩いた。あの時にエリーゼが渡してくれた、彼女が使っていた教科書。それを見て、その結論に達したのだろう。それ以上に問題なことを話題にしていないことから、紋章自体は見ていないと思われた。

 そして。その結論に達したということは。


「どうして、教科書を盗んだって話になったんですか?」

「どうしてって、何を言っているの? そんなの当たり前でしょう」

「当たり前なんですか? そもそもあれは、寮に忘れた教科書を取りに行ってもらっただけだったんですけど」

「ほら、馬脚を現した。貴女があんなきれいな状態の教科書を持っているわけないでしょう? それこそが盗んだ証拠よ」

「……きれいな状態の教科書を持っているのが、そんなにおかしいですか?」


 確かに勉強で何度も使用すれば多少はボロくなるかもしれないが、明らかに目の前の令嬢の言い方はそういうものではない。そのことを問い掛けるようにマリィが述べると、令嬢は呆れたように肩を竦めた。


「ありえないわ。だって、貴女の教科書は」


 はっ、と口を噤む。目を見開いてマリィを見やると、彼女は笑みを浮かべながら令嬢をじっと見詰めていた。

 誤魔化すように咳払いを一つ。そうした後、急用を思い出したと令嬢は慌てて去っていった。


「……案外簡単に行きそうですねぇ」


 ポリポリと頬を掻いた。取り巻きがあれだと、先程思っていたような辿り着けないようにされている可能性は案外低いかもしれない。そんなことを思いながら、追加のパンを食べようとそこに手を伸ばし。


「いやどんだけ食うのさ」

「あれ?」


 背後にメイドが立っていたので動きを止めた。呆れたような表情と何とも言えない微妙なリアクションが混在しているそのメイドは、小さく溜息を吐くと遠慮なしにマリィの隣に腰掛けた。


「雌豚。あの後変わったことはなくて?」

「あ、はい。そうですね。今ボロを出しかけた人が来たくらいです」

「あれかぁ」


 エリーゼの問い掛けに答えると、ベスがどこか苦い顔を浮かべる。下がってろとエリーゼはベスの表情を自分の表情で上書きすると、しかし目を細めたまま令嬢が去っていった方向を見た。

 あの顔は確か、以前こちらに尻尾を振っていた面子の一人。この間のフィリップ達との作戦会議での分類で言えばエリザベス派閥だ。そこまでは分かっているので、エリーゼはマリィに問い掛けた。そうですね、という同意と、今は伯爵家の取り巻きをやっているという返事が来るのを聞いて、ふむと頷いた。


「伯爵家を」

「やめろ」

「……ベス、あなたわたくしに口答え出来る立場なの?」

「あたしの予想が違うんなら謝るよ。で? 強襲するの?」

「ちぃ」

「おおっぴらに動いたらそれこそ公爵家が勘付くでしょ」


 まあそうね、とエリーゼはあっさり引き下がる。マリィはそんなやりとりを微笑みながら聞いていたが、そういえばと指を顎に当てて小首を傾げた。さすが腐ってもヒロイン、そういうあざとい仕草も絵になるなぁ、とベスが余計なことを考えた。


「エリーゼさまは、公爵家が怪しいっていうのは疑わないんですか?」

「普通それは最初に聞くべきでは?」

「あはは。そう言われればそうなんですけど」


 あまりにもノーリアクションで流していたので。そんなことを言いながら頭を掻くマリィを見ながら、エリーゼはそうねと頷いた。何も特別な反応をしなかったのには、きちんと理由があると述べた。


「そもそも、わたくしは実家をあまり信用していなかったのだもの」

「え? そうなん?」

「いえ、勿論父さまも母さまも立派な人だし、信頼しているわ。でも、公爵家そのものは別」

「……前当主様ですか」


 マリィの言葉に、コクリと頷く。え、知ってんのというベスの反応に、彼女は苦笑しながら割と有名ですからと返した。

 マクスウェル公爵家は、かつて禁呪を扱う使命を帯びていた。そのために王家も無碍には出来ず、今も尚かの血筋は強力な権力と立場を保っているのだ。


「その割にはエリザベス処刑されてんだけど」

「だからこそ、よ。権力と立場を保つには、責任も伴う。身内の恥をそれで庇うようならば、その経緯も相まってあっという間に転げ落ちるわ」

「だからこそ、エリザベスさまは自分を高めていたんですよね」

「へー……。いや待て、マリィちゃん始末しに掛かるのはええんかい」

「婚約者にまとわりつく汚物よ。自身で片付けるのが筋でしょう?」


 きちんと始末出来ていれば問題ない。多分そういうことなのだろう。ホントかよ、と思わずベスがジト目になるが、生憎その目で見る対象は自分自身である。鏡がないと不可能なので、彼女は溜息と共に諦めた。


「後は、それを公にされたことも関係していると思います」

「秘密裏に片付けられれば問題ないってことね。……いや、あたしが言うのもなんだけど、それで始末されるのマリィちゃんだからね?」

「はい、そうですね」


 もうやだこの子。そんなことを思ったベスの口からエリーゼの補足が発せられる。ついでに言うのならば、そういう前置きで彼女は述べた。

 あの場で断罪を逆転させてマリィを処刑台に送っておけば問題なかった、と。


「そうなんですよねぇ……」

「そうなんですよねぇじゃねーよ! なんなの!? ここの令嬢みんな薩摩武士なの!?」

「わけの分からないことを叫ばないで頂戴」

「あたしが悪いの!?」


 せめて知っている乙女ゲームの世界と似ても似つかなければよかったのに。そんなことを思いながらベスは世の無常を儚んだ。そうしながら、だとしても美少女のお嬢様達の内臓がまろび出たり首がポンポン飛ぶような世界はどのみちノーサンキューだと気が付いた。

 いや、そこまでじゃないからマシか。謎の妥協を行い、彼女はどうにか気持ちを落ち着かせる。


「んで? その前当主様ってのが問題なの?」

「そうね。正確には、父さま達以前の公爵家が、と言った方がいいかしら」


 現在の当主であるマクスウェル公爵は、これまでとは違い禁呪の管理者という血筋を重視せず、己自身の力で公爵家の地位を固めようとする人物であった。それを支える妻の協力もあり、王家にもこれまでの公爵家にもその功績を認められ、新しい公爵家としての第一歩を踏み出した。という経緯を持っている。

 その過程で、宰相の息子であるグレアムと第一王子フィリップの二人とエリザベスは知り合うことになるのだが、それも回り回って新しい公爵家の取っ掛かりの一つとなっていた。


「……もっとも、お祖父様が認めたのは表面上だけだったのでしょうけど」

「蹴り落とそうと画策してたってこと? 息子相手に容赦ねぇなぁ……」

「マクスウェル公爵家にとっては、禁呪の管理は絶対だったもの。今は良くても、これからはそれがどうなるか分からない。そうなれば、不安要素は排除するに限る」

「エリーゼさまも身内相手に容赦ない物言いですね」

「ええ。だってわたくし、お祖父様嫌いですもの」

「ぶっちゃけた!?」


 一見すれば好々爺であるし、実際の性格もそれに近いものなのは孫であるエリザベスも認めるところであるが。その姿のまま、笑って外道の所業を行うこともまた、孫である彼女は知っていた。なんてことない様子で、笑いながら、自分の首を落とすであろうことも、分かっていた。

 だから、手練手管で陥れようが最終的には真正面からぶちのめすことを目標とするエリーゼとは、決定的にウマが合わない。


「まあ、そういうわけだから。わたくしとしては、お祖父様が黒幕だと言われればそうでしょうねと答えるわ」

「笑顔で孫ぶち殺すのか……」

「何を言っているの? ベス、あの爺はわたくしを殺すだけでは飽きたらなかったのよ?」

「はい?」

「……エリーゼさま、じゃあ」


 以前と違い、今度はマリィが察したらしい。そんな彼女を見ながらコクリと頷いたエリーゼは、自身の体を指差しながら口角を上げた。


「自分に逆らう孫を、自分の思い通りに動く可愛い死体に変貌させようとしていたのよ、あの糞爺」


 なんてことないように言うエリーゼのを言葉を聞いて、ベスは絶句する。それはつまり、黒幕にとってはこの一連の断罪の目的の一つは既に叶って。

 おや、と首を傾げた。どう考えても思い通りに動いていないぞ、と自分自身のボディでもあるエリーゼを見下ろした。


「そういうことよ」

「どういうことですか?」


 今度はマリィが首を傾げる。彼女はここに来る前のニコラスとの会話を知らない。だから、エリーゼが何故嬉しそうにしているのかが分からない。


「……あたし、結構役に立ってた……?」

「何を言っているの? ヒョロガリとの話の時にも言ったでしょうに。感謝してますわ、ベス」

「わたしも、ベスさんがいてくれてよかったと思います!」

「あ、ははは……」


 さっきまではよく分からなかったけれど。まあつまりそういうことなのだ。理由が分かれば、嬉しさも当然跳ね上がるわけで。


「よっしゃー! あたし頑張る! 絶対に黒幕ぶちのめしてやる!」

「その意気よ」

「頑張りましょう!」


 突然立ち上がり気合を入れる美人メイドを中庭にいた生徒達は何だ何だと見ていたが、当の本人達はだからどうしたとばかりに笑っていた。

 だから、何か入っていけそうにないなと諦めてすごすごその場を去るニコラスには、誰も気付かなかった。


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