96.アステカの墓地

 王都出発から十日後の朝、急ぎ足で目的地を目指した僕たちは、ついに山岳地帯に足を踏み入れていた。

 ここまで来ればアステカの墓地まで僅かだ。

 そして何よりわかりやすい。

 見上げる山の中腹には、黒く分厚い雷雲がかかっていた。

 アステカの墓地は一年を通して雷雲に覆われているという。

 おそらく千年前に雷の魔神と戦った影響なのだろう。

 ただ先に経験した火山や砂漠に比べれば、そこまで厳しい環境には見えなかった。

 噂に聞く雷の賢者様の聖地のほうが、よっぽど怖い場所のように思える。

 山の斜面を登りながら、セトさんが呟く。


「うん、思っていたより普通だな」

「今のところは……ですけどね。一応警戒しましょう」

「ああ。何もない場所だけど、何もなかった場所じゃないみたいだし」


 そう言ってセトさんは周囲を見渡す。

 彼の言葉の意味は、ここでかつて魔神との戦いが繰り広げられたことを示していた。

 山の斜面が不自然に抉れ、およそ山一つが吹き飛んだような跡すらある。

 師匠に聞いてみたら、当時はもっと大きな山だったそうだ。

 戦いの影響で削れに削れ、今の大きさになってしまったという。

 ある意味この場所がもっとも痛々しいな。


「それで、いい加減思い出したんですか?」

「ん?」

「ん、じゃないですよ。墓地の情報」

「ああ! 残念ながら思い出せていないよ。直接行ってみたら思い出すかもしれないね」


 それじゃあまり意味がないような……。

 たぶん道中も忘れていたことすら忘れていたんじゃないかな。


「やれやれ」

「まぁもう良いじゃないか! どうせすぐに着くんだ」

「二人とも緊張感が全然ないね。もしかしたら砂漠の時みたいに魔物が取り込んでいるかもしれないんだよ?」

「ですね。警戒しましょう」

「それはさっきも聞いたよ?」


 セトさんは時々一言多い。

 わざとじゃなくて純粋に思ったことを口にしているだけだから、怒っても仕方がない。

 それにセトさんのことは、なんだか嫌いになれないんだよな。

 生まれて初めて楽しい戦いを繰り広げた相手だからなのか。

 彼自身に人を引き付ける何かがあるのか。

 少なくとも僕は、この人と一緒にいる時間を楽しいと思っていた。


 アステカの墓地。

 そこは山岳地帯の中心、山の中腹に位置する正方形の壁に区切られた小さな都市だった。

 古い粘土作りで、ほとんどは砕け風化している。

 この地にあった王朝は、僕たちが知る現代の王都とは比べられないほど小さい。

 現代まで残された王宮は、王都の貴族の屋敷より遥かに狭かった。

 しかしここから、僕たち人類の文明は始まったんだ。

 そう思うと、小さな王宮がどこよりも立派で大きく見える。

 感慨深いものだ。

 もっとも、歴史の深さに思い更ける余裕はなかった。


「師匠」

「うん。気付いてるよ」

「これはまた、なかなかに重い魔力だね」


 王朝の跡地、今は墓地と呼ばれる場所に足を踏み入れた途端、鋭い刃のような魔力を全身に感じていた。

 魔力を感じる時点で自然ではない。

 空を覆う雷雲は不規則に雷を降り注いでいるが、怖いのはそこじゃなかった。

 あくまで雷は自然現象の範疇。

 僕たちなら防御も回避もそう難しいことじゃない。

 この程度の環境なら臆することもなかった。

 問題なのは、明らかに異質な魔力が漂っていること。

 それも禍々しさだけではなく、なぜか対照的な神々しさも感じるんだ。

 前者は魔神の心臓があることを意味している。しかし後者は?

 どうして魔神と一緒に、正反対の魔力を感じてしまうのか。

 この地に一体何があるのか。疑問と不安を感じた直後だった。

 一筋の雷撃が僕たちを襲う。

 三人とも咄嗟に気付き、大きく後方に跳び避けて回避した。

 地面には雷撃で抉れた跡が残り、煙が立ち昇る。


「フレイ大丈夫?」

「師匠こそ平気ですか?」

「うん。それより今の雷って」

「ええ。ただの雷じゃありませんでしたね」


 自然のものではなかった。

 ハッキリとわかるのは、その雷が濃い紫色をしていたことだ。

 そして明らかに、僕たちを狙っていた。

 つまり攻撃されたんだ。

 まだ敵の姿は見えない。

 僕たちが警戒を強める中、セトさんが何かを思い出したようだ。


「あっ! そうだった!」

「セトさん?」

「思い出したよ、この地に関する情報を! この地には神獣が住まうという噂があるんだ。その神獣の名は――」


 激しい雷撃が四方へ拡散する。

 僕たちはすぐに、その姿を視界に収めた。

 鹿に似た姿だが明らかに別物。

 顔はドラゴンのように恐ろしく、馬の蹄を持ち、額には鋭い一本の角を生やす。

 その身体は天の怒りを示す様に、激しい雷撃を纏っていた。

 伝説上の生物で、僕も実在するとは思っていなかった。

 神獣とは魔物でも精霊でもない別格の存在。

 この世に存在する生物の頂点である。


「――麒麟」


 まったくの予想外だった。

 魔神の心臓を探しにきて、伝説の生物と遭遇するなんて。

 いや、驚くべきことはそこじゃない。

 伝説上の麒麟は、白い雷撃を纏っているはずなんだ。

 しかし目の前にいる麒麟が纏っている雷撃は……紫。

 その理由は疑いたくなりながらも明白だった。


「麒麟が……魔神の心臓を取り込んでいるんだ」

「そう……みたいだね」


 僕と師匠、セトさんも麒麟と戦う覚悟を決めた。

 相手が伝説の神獣だろうと、魔神の心臓を回収するためには戦うしかない。

 その時、同じ考えを持つ黒い影が姿を現す。


「――おっと、これはまた」


 最初に反応したのは僕ではなく、師匠だった。


「エクトス!」

「面白いタイミングだ」

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