67.内心の試練
僕は師匠がいた場所を知っている。
あそこから知っていると、この場所は殺風景だ。
いや、仮に知らなかったとしても同じ感想を持つだろう。
ここには何もない。
ただ広い空間が広がっているだけ。
四方を囲む壁には、一つだけ扉がある。
フィアは僕たちを扉の前に案内した。
「この部屋の中で試練は受けてもらうわ!」
「部屋で何をすればいい? 入り口のように門番か何かと戦うのか?」
「何とも戦わないわ。というより何もしない」
「何もしない?」
グレー兄さんを含む僕たち全員が首を傾げる。
「試練なのだろう?」
「そう。あーでも普通に想像する試練とはちょっと違うかな? ファルム様が用意したのは、一言で言うなら『内心の試練』ね」
「内心、精神的な試練ってことか」
「正解よ」
僕がぼそりと口にした言葉に、フィアが指をさしてそう言った。
続けて彼女は試練の説明を続ける。
「ファルム様はよくおっしゃっていたわ。炎の魔術師に最も必要な才能は、不屈の精神力だって。この試練では精神力を試されるの」
「精神力の試練か。それなら兄上にピッタリだな」
「僕もそう思う」
ただ……
「体験してみればわかるわ。最初に言っておくけど、一度入ると一時間は出られないから。それと最後にもう一つ……失敗したらあんたの身体が炎に包まれ灰になる」
「――」
「何? やめておく?」
「……いいや、挑戦させてもらおう」
最後に一番大きなリスクを聞いても、グレー兄さんは扉に手をかける。
その程度の覚悟は持っていると、兄さんの真剣な表情から感じ取れる。
僕もシルバ兄さんも、これ以上野暮なことは聞かない。
あとはグレー兄さんを信じるだけだ。
「それじゃ開けるわよ」
「ああ」
「いってらっしゃい。できれば……死なないでほしいわ」
フィアは一瞬だけ悲しそうな表情で、中へ入っていくグレー兄さんを見送った。
僅かに見えた扉の奥の部屋は、今いる部屋と真逆の暗闇だった。
◇◇◇
炎の賢者の試練。
用意されたのはただの一室のみ。
壁と天井は暗く、地面に赤い炎のような文様が広がっている。
グレーは中央に立ち、左右を見渡し確認する。
「……何もないな」
グレーは無口なほうだが、そんな彼が思わず口に出してしまうほど何もない。
ある意味それだけで精神的には来るものがあるだろう。
すると、どこからか――
目を閉じて。
「何だ?」
真ん中に立ったら目を閉じて、十秒数えるんだよ。
「頭の中に……声が……」
さぁ早く目を閉じて。
俺も話すのはあんまり得意じゃないんだ。
その声は、グレーの頭に響いていく。
落ち着きのある大人びた声。
聞いているだけで平静へと誘われるような……不思議な声。
「まさか」
グレーは直感的に声の正体に気付いた。
しかし、その言葉の続きは口にしない。
彼は言われた通り、黙って目を閉じ心の中で十秒数える。
◇◇◇
グレー兄さんが入った部屋の前で、僕たちは試練が終わるまで待つことにした。
ただ待っているだけというのは暇だ。
僕は良くても、師匠は何かしたくてソワソワし始まる。
「ねぇフィア~ 私にだけこっそり教えてくれない?」
「駄目」
「えぇー」
「あんたに教えたらすぐに話すじゃない! 昔っからそうだったでしょ!」
それはフィアに同意する。
師匠は僕の知り合いの中でも断トツで口が軽い。
てっきり長年一人だった所為で、誰かと話したく仕方がないのかと思っていたけど。
どうやら昔からだったようだ。
ある意味師匠らしくてホットするけど。
「魔神のことは駄目でもさ~ 試練のことは教えてくれてもいいでしょ?」
「さっきも言ったじゃない。『内心の試練』よ」
「もっと詳しく! 中に入ったらどうなるの?」
「どうにもならないわ。目を瞑ってから十秒数える。次に目を開けた時……」
フィアはわかりやすく間を空ける。
含みのある言い方で、怖さを表現するように。
「見えるのは絶望だけよ」
◇◇◇
グレーは十を数え終わる。
直前には身体の変化はなく、精神も正常だった。
だが――
「なっ……」
目を開けた時、広がっていた光景はまさしく絶望だった。
彼の眼前が燃えている。
そこはよく知る場所。
グレーたちが生まれ育った屋敷だった。
「どういうことだ? 私はさっきまで」
混乱するグレーの視界に、一人の少年が姿を見せた。
それは懐かしい姿だった。
「フレイ?」
幼い頃に家を飛び出し、離れ離れになってしまった弟の一人。
最近になって成長した彼と再会した。
その記憶は新しい。
あどけない顔の弟が、燃え盛る屋敷に向って歩いていく。
「何をしているフレイ! こっちへ来るんだ!」
「……どうして?」
「どうして? 危ないからに決まっているだろう!」
「危なくないよ。だってみんな……ここにいるから」
そう言って振り返る幼きフレイは、両目が真っ黒に染まり血を流していた。
あまりの偉業さに思わずぞっとする。
「ねぇ兄さん、何で僕を助けてくれなかったの?」
「フレイ」
「ねぇどうして……僕を捨てたの?」
フレイがニヤリと笑い、口元からドロドロと血が流れる。
これらは全てまやかしで、真実ではない。
グレーにもそれは理解できている。
ただし理解できようとも、心が大きく揺さぶられる。
内心の試練。
その本質は、個がそれぞれうちに秘める後悔や絶望を浮き彫りにすること。
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