68.試練を越えて

 グレーにとっての最優先事項は、弟たちの幸せである。

 兄として弟たちの手本となり、時に厳しく、時に優しく導くこと。

 それを体現するためには力がいる。

 だから彼は、幼少の頃から父に言われるまでもなく魔術師を志す様になっていた。

 もしもの時、弟たちを守れるように。

 力がなければ戦うことは愚か、盾になることすらできない。

 弟たちを自分の半身のように思っていた彼は、守り導く強さを求めた。


 そんな彼に試練が訪れたのは数年前。

 二つ下の弟の失踪である。

 原因はハッキリしていた。

 こうなる可能性もあったし、むしろ高いほうだっただろう。

 しかし彼は間に合わなかった。

 最愛の弟はどこかへ消えてしまった。

 

 彼は怒った、

 現状となった父に反抗した。

 罵り、蔑み、悲しんだ。

 それでも彼は理解している。

 結局、それらは全て八つ当たりでしかないのだと。

 気付いていたはずなのに、手を差し伸べるべきだったのに。

 間に合わなかった不甲斐ない自分こそ、もっとも怒るべき相手なのだと。


「フレイ……すまなかった」


 賢者の試験に映し出される幻影は、彼が胸の内に秘めていた後悔を形にしたもの。

 彼はずっと、助けられなかったことを悔いていた。

 再会した瞬間、嬉しさと同時に申し訳なさが込み上げて来たことにも、彼は気づいていた。

 忘れていたわけでもない。

 忘れたことなど一度もない。

 ただ覚えていた所で、何もしてやれなかった。

 兄として、弟を守るどころか支えることすらできなかった。


「不甲斐ない兄だ……」


 燃え盛る炎が迫る。

 幻影の炎でも、受け入れてしまえば本物になる。

 後悔に呑まれ膝を突けば、触れた地面から熱が這い上がってくる。

 焼かれ痛みを感じようとも、抵抗する気力を失う。

 そうなれば肉体は灰となり、無に帰るだろう。


 全てを受け入れ、諦めてしまえば――


「だがそれでも、私はフレイの兄だ」


 グレーは立ち上がる。

 燃える炎を自らの炎で押し出し、両足の力で地面を踏みしめる。

 

 後悔はある。

 情けないとも思っている。

 それら全てを認めた上で、再び兄としての責務を果たそう。

 

「フレイは成長して、また私たちの前に現れてくれた。私を兄と呼んでくれた」


 ならばやっていける。

 それだけで良い。

 フレイが、シルバが、私を兄と呼んでくれるなら。


「私は兄として、彼らと共に歩み続けよう」


 グレーは後悔を受け入れた。

 それを糧として、再び立ち上がることを決意した。

 燃える屋敷や弟たちの心無い言葉も聞こえている。

 偽りだとしても心には刺さる。

 その言葉も受け入れて、己の魂に刻み込み、拳に力を込める。


「何を見せられても構わない。私はその全てを受け入れるし、否定も侮蔑も甘んじて受けよう。だがそれでも、彼らの兄としての立場は譲らない」


 内心の試練。

 己の内にある本心と向き合い、最悪の光景を乗り越える。

 達した者にこそ、本物の炎は宿る。

 

 ――合格だよ。


 その声を最後に、偽りの光景は消失した。

 幻影が消えた部屋は再び暗い部屋へと戻る。

 ふと足元を見れば、赤い炎ののような模様が、青い炎へと変わっていた。


 扉は開かれる。


  ◇◇◇


 グレー兄さんが試練を初めて一時間が経過しようよしていた。

 フィアの話では、早くて一時間で終わるという。

 あくまで時間は目安でしかなく、グレー兄さんの精神力次第だとか。

 最初は何かしら話していた僕たちも、今は床に腰を下ろし静かに待っている。

 師匠は僕の肩にもたれ掛かって眠っていた。

 シルバ兄さんんは胡坐をかいて瞑想している。


 ガチャリ。


 不意に扉から音がして、シルバ兄さんが立ち上がる。

 僕も思わず反応して、身体の揺れで師匠が目覚めた。


「兄上」

「グレー兄さん」


 僕とシルバ兄さんが扉を見つめる。

 師匠も目をこすりながら、試練の部屋へ視線を向けた。

 するとゆっくり、扉が開く。


「待たせてすまない」


 グレー兄さんは何事もなかったかのように戻ってきた。

 厳しい試練を受けた後とは思えない。

 落ち着いていて、普段通り。

 清々しい気分になっているようでも、疲れを露にしているわけでもない。

 当たり前のことを済ませてきたみたいに。


「試練は終わった。これで条件を満たしただろう?」

「……すごいね、兄さんは」

「何も凄くはない。当たり前のこと再確認させられた……それだけだ」

「ふぅーん、思ったより肝が据わってるのね」


 ふわりと宙に浮かぶフィアが、グレー兄さんの顔の前で止まる。

 くるっと頭を一周して、何かを確かめていた。


「良いわね! 気に入ったわ」

「お前に気に入られることが目的ではない。試練は終えたんだ。早く賢者の知恵と情報をくれないか?」

「うっ、正確はちょっと生意気だけど……まぁ良いわ。よくぞ試練を越えた! その証を授けましょう! 右手を前に出しなさい」


 グレー兄さんは言われた通りに差し出す。

 手のひらを上にして、物を受け取るように。

 するとそこに、フィアがちょこんと乗った。


「……」


 静寂。

 しばらく無言のまま時間が過ぎる。

 痺れを切らしたのはグレー兄さんが先だった。


「何のつもりだ?」

「何って、ファルム様が残した研究成果と知識よ」

「どこにある?」

「目の前にいるじゃない」


 グレー兄さんは首を傾げる。

 フィアは呆れたように首を振る。


「鈍い奴ね~ だーかーら! あたしがそうだって言ってるの!」

「……何だと?」

「あたしがファルム様の研究成果の全てであり、知識を合わせ持つ存在よ! あたしとの契約権を得られるなんて普通ありえないわ! 光栄に思いなさい!」


 僕はきっと、この時のグレー兄さんの顔を一生忘れない。

 まるでゴミを見るような目で彼女を見ていた。

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