第69話 学園祭リバース①



 時は、少し遡り。


 学校祭当日。


 それは一般公開が開始されてからしばらく経った頃。どこぞのお化け屋敷で、『美少女実習生とのドキドキタイム』の抽選が終了した、ちょうどそのとき。同時刻。



 ……き、来てしまいました。



 校門の前の派手なアーチ状の看板を前にして、日向ひなたの妹、花倉真中はなくらまなかは思わず身体をこわばらせていた。道々に並んでいる露店からは、フランクや焼きそば、チョコバナナなんかのいい香りが鼻孔をくすぐり、



「……こ、これが、お兄ちゃんの学校祭……ッ」



 噂には聞いていたが、自分の通っている隣町の田舎な中学校に比べると、校舎も規模もずいぶん立派に見える。今まで何かとさんざんバカにしてきた不器用な兄だったが、こんなに人がたくさんいる場所に毎日通っているなんて。真中はなぜか、悔しい気持ちになる。


「……パンフでーす! どうぞ!」


 受付の生徒につかまり、半ば強引に小冊子を手渡される。


 真中は何度も周囲をきょろきょろと窺ってから、何かに安堵してパンフレットに視線を落とす。



 いうまでもないことだが、今、真中が学校祭に来ている事実を日向は知らない。


 去年も、その前も、そして今年も『興味ないです』と一刀両断して来ないのが花倉家での常だった。



 ……でも。



 真中の脳裏に蘇る、何週間か前の出来事。


 兄と、そのカノジョと、元カノの怪しい関係。結局確かめないままになっていた、その関係の真実。



 学校祭という公の機会なら、その辺の真実を、実際に見て確かめるにはちょうどいい。


 そう思って、真中は初めて、兄の学校祭にやってきたのだった。




 ……確か、お兄ちゃんのクラスは二年C組だったから、……え、



 ふと、ある文字列が真中のセンサーにひっかかり。



 ――お、お化け屋敷、ですと!?



 その字を見つけた瞬間、若干人見知りしていた真中のテンションが一気に爆上がる。


 何を隠そう、真中はホラーが大好きだった。オカルトを信じているわけではないが、スリラーというかエキサイティングというか。普段は理屈っぽく考えがちな思考を、ホラーを見ている瞬間だけはフラットにできてスッキリするからだ。見た感じでは他にホラー系の出し物をしているクラスはないようで。



 ……ただ、お兄ちゃんのクラスの出し物なんて行ったら、絶対バレるに決まってます。もちろん言語道断です。なのですけど!



 ――でもでも、お化け屋敷、超楽しそう! 真中はどうすればいいんですか!?



 先ほどまで警戒マックスの小動物みたいだった様子とは打って変わり、道端で「ううーん」と唸りながら、一人で頭を悩ます真中。



 が、その時、



「こっちです! 次は3年A組の演劇なので、別棟の多目的ホール!」



 通路の先から、よく聞きなれた声がして、日向が姿を現した。ほとんど小走りみたいな速さで歩き、時計をちらちら。そのまま見上げた視線と、真中の視線がエンカウントしそうになり……、



「……ひ、ひなくん、待って!」



 続いた声のおかげで、真中は姿を隠し、気付かれずに済んだ。


 後ろから日向に声をかけたのは、彼の幼なじみであり教育実習生、叶戸花凪かのとかなぎ。しかし、真中は未だそのことを知らず、彼女の中では『平沢契花ひらさわけいか(カノジョ)』ということになっていた。



「な、なんですか? この忙しいときに?」


「……あの、言いにくいんだけど」


「……はい?」


「……あれ、買ってもいい?」



 叶戸が指さしたのは、通りに立ち並ぶ、鈴カステラの屋台。



「……こ、このタイミングで、ですか?」


「……だって、露店まわれるの、今しかないでしょ? スケジュール的に」


「そ、それはそうなんですが! このあと演劇なんですが! 現在五分押しなんですが!?」


「……だったら、なおさら」


「ええい! もう! はやく行ってきてください!」



 日向がやけになってそう言い、叶戸が走って会計に向かう。数分の後、叶戸が紙袋を抱えて戻ってきた。


「……お待たせしました」


「じゃあ、さっそく行きますよ! このままじゃおくれ……むぐ!?」



 言い終わらないうちに、日向の口が鈴カステラで埋まる。


「は、はんれふは!?」


「……あげる。……ひなくん、これ昔好きだったでしょ?」


「ほ、ほへは、ほうれふへど! へも、いまは!」


「……美味しい?」


 ごくん、と日向がカステラを飲み下して。


「……お、美味しいですけど」


「あ、待って」


 動揺する日向の口もとに、叶戸の指が触れて。


「……砂糖、ついてるよ?」


「……ッ、い、いいから! ……はやくいきましょう!」


「あ、……まだ私、食べてないのにー」


 途端に真っ赤になった日向が、叶戸の背中を押して歩き出す。叶戸は不満そうながらも、足を止めず、二人はあっという間に通りの向こうへ消えてしまった。


 嵐のように一瞬の出来事だったが、それはその場に残された人々になんとも言えない照れくさい空気だけを残していった。


 無論、隠れて見ていた真中も同様だ。その場を支配した、くどいほど甘ったるいその空気に、しかも当人の身内である恥ずかしさも加わって、ゆでだこのようになって立ち尽くす。


 そんな真中へ、一人の客引きの男子生徒が、声をかけた。



「あ、ちょっとそこのお嬢さん! 何してんすか、そんなとこで突っ立って。あ、もしかしてヒマなんすか? ……どうせヒマなら」



「うちの展示、いかがですかー?」






 『美術部展示コーナー』



 立て看板に書かれた文字に、真中は思わず眉をひそめる。

 よりにもよって、兄の部活の出し物に来てしまうなんて。しかも、美術――絵だ。かつて感じた淡い憧れと、それを上回るほどの強い嫌悪の気持ちが混ざりあう。


 そんな複雑な心情の真中に、客引きの生徒こと、三ケ嶋みがしまが声をかける。



「突っ立ってないで、どーぞどーぞ。……あ、これ投票用紙なんすけど、よかったら。一番気に入った作品と、一番理解できない作品を選んで、出口の投票箱に入れてもらえると嬉しいんで」


「……えと、一番になると、何が?」


「特にないっすね」


「ないの!?」


「……って、いうのはウソで! ……実はですね、美術部員全員で、二千円を担保に出し合ってて、それを総取りできるんすよ! 部員全員で九人だから、一万八千円! それが懐に入るんで!」


「……その企画、よく通りましたね」


「……もちろん反対もあったんすけど。……ふふん、根回しによる数の暴力っていうやつですね」


「そうですか……」


「ええ。……なんつーかですね、いつもコンテストで偉い人に評価されてきたけど、たまには人気投票みたいなのも面白いかなって思って」


 三ケ嶋がへら、と笑顔を見せる。

 

「ふうん……」


 そっけない返事だが、真中の内心は少し軽くなった。全く持って内輪の企画というか、人気を取ろうとする気が感じられないが、部員たちはその内容をしっかり楽しんでいるであろうことが伝わってきたからだ。


「……あの、ちなみになんですけど」


「?」


「一番理解できない作品に選ばれた人は、どうなるんですか?」


「ああ、それっすね。……もちろん、特に何も」


「えっ」


「……とはいかないから、一番人気を取った人からの補修になってます。これだけ公の人々に作品を酷評されて、ぶっちゃけメンタルやられるのが目に見えてるので、俺としてはもっと慰めになるような何かを、と思ったんですが。……残念ながら、美術部エースの気迫に押し切られまして」


「そうなんですか」


「はい。……まぁ、とはいえ何も考えずに、頭空っぽにして観ていってください。投票は、気が向いたらで全然いいんで」


 三ケ嶋が、真中に向けてひらひらと手を振り、


「じゃあ、いってらっしゃい」


 そう見送られると、真中は慣性のままに足を進める他はなかった。


 消して広いとは言えない教室の中を、順路にしたがって進む。


 背の高い仕切りがスペースを区切っていて、目の前の作品以外は視界に入らないようになっている。仕切りもその作品の世界観に合わせて装飾されており、実際の植物が飾られているかと思えば、次の作品では、ひたすら新聞の切り抜きで埋めつくされている、など作者の個性が各々見えて、興味をそそった。



「あ……」



 ある作品の前で、足が止まる。


 それは、硬筆で描かれた一枚の絵。


 白黒の濃淡だけで描かれた公園のベンチ。


 何気ない風景画のようだけど、不思議と優しく、温かいような気持ちにさせられる。そこで、真中はその理由に思い当たった。



 ……この公園……知ってる。



 これは、かつて。


 ……私が、お母さんと過ごした、近所の公園。


 記憶の端にこびりついていた微かな記憶が、目の前に浮き上がってくるようで。 


 なつかしさが急にこみあげてきて、心が、揺さぶられる。



 そして、同時に思う。


 ……私は、きっと、この作品を描いた人の絵を、以前に見たことがある。



 お兄ちゃん、の絵なんだろうか。……それとも。


「あ」


 その瞬間、後ろから声がして。


「あ」


 振り返った真中も、同じような声を出した。


 さらりと流れる綺麗な長髪。


 控え目だが思わず目を奪われる、端正な容姿。


 いつかの画材屋で遭遇した人物。



 平沢契花がそこにいた。

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