第68話 二人の密会②
「――お納めください!」
……。
突如響き渡る、場違いな言葉。
その言葉に、私は真っ暗になりかけた思考を、破られる。
見ると、真っ赤になったカナの手から、A4サイズくらいの小冊子がガブちゃんに手渡され、
「……ほう……」
受け取った長身の中年男が、眉一つ動かさない真顔のまま、その場でしばらく読みふけった後、
「……正直に言わせてもらおう」
そう言って、その小冊子を大事そうに抱きしめて。
「……先生と呼ばせてくれないか」
「えっ」
そんなカナの反応を遮るくらいに、
「――はああああーッ!?」
姿を隠すのも忘れて、私は思わず声を上げてしまう。
「……あ、マリちゃん。ひなくんも、どうしてここに?」
「どうしてもこうしてもないから! てっきり浮気の現場かと思って追ってきたのに! え、なに? 全然流れがつかめないんだけど、どゆこと?」
「……いや、浮気っていうか、同人……」
「おい、言うなよ!」
急に声を荒げ、余裕のない表情をするガブちゃん。これはなにか怪しいと、私は直感的に悟るが、
「……同人誌、描いてもらってたんですよね? 叶戸先生に?」
なぜかひなたしょうねんから、笑顔でその答えが返ってきた。
「……」
「……どうじん?」
「……」
「……同人誌ってなに?」
「自主的な創作のことですね。漫画とか」
「……ま、漫画?」
「……うん」
「……」
「……」
「とうっ!」
不意を突き、ガブちゃんの脇に手刀を入れる。一瞬力が抜けたその手から、『同人誌』とやらがストンと落ちる。「あ」と中年男が間の抜けた声を出した時には、もう遅い。
パラり、と一枚ページをめくり、
「……ガブちゃん、あのさ」
「……な、なんだ」
「ガブちゃん、って……ロリコン?」
「……そ、そんなわけあるか」
「……ほー。こんな際どいの、描かせておいて?」
「……」
「……や、まぁ、それはいいとして、さ」
そんなことよりも。
はるかに見過ごせない問題点がある。
それを、私は指摘する、……赤面して。
「……このコ、……な、なんで、あーしの昔にそっくりなんだよ……」
「……いや……それは……」
「……それは……?」
「……ッ」
「!」
急に走り出すガブちゃん。
しかし私はすぐさまその手を捉えて。
「ガブちゃん」
「!」
視線が交わる、近距離で。
「……もしかして、あーしが、すきなの?」
「……ッ」
昔から知っている、十歳上の従兄。
ずっとそれ以上も以下でもなかった存在を、私は改めて見つめなおす。
「……どう、なん?」
「……そ、そんなわけはない」
「でも……」
「まったくもって!」
彼は少しだけ声を荒げてから、
「……ふざけた話しだ。お前を、好きだ? ……は、思い上がりもいいとこだ。お前みたいなギャル、微塵も興味もない」
「……じゃあ、昔は? ちょうどここに描かれてるくらいの、あーしは、どう?」
「……」
「……どうして、黙るの?」
はぁ、と大きなため息が聞こえて。
「……そんなの、決まっているだろう」
ガブちゃんが、年上の従兄が、二十年ぶりくらいに私の目をちゃんと見て。
「――好きだ。今も、きっと、これからも」
「……ええ!」
言葉が、蒸発してしまう。
誰かに好きとか嫌いとか、そんなことを言われる日がもう一度来るとは、その相手が、よりにもよってガブちゃんだとは、微塵もこれっぽっちも思わなかったからだ。いい大人が恥ずかしいくらい顔を真っ赤にして、動揺も隠せない。
しかし、私以上に顔を真っ赤にした従兄が、
「か、勘違いするな!」
「俺が好いていたのは、あくまでもあのころの純粋な、まるで天使のようなお前だ。それが悲しいかな、なんでギャルなんかに……」
「……そ、そだよね! うん、ちゃんとわかってる!」
「そ、そうだ。さすが御厨の人間だな、は、はは……」
そのまま、しばらく言葉を失って。
「……でも、なんで?」
「……なんで、あーしを? ……あの頃、あーし、世間知らずで、能天気で。何もわかってないのに、おせっかいばっかりしてたのに……」
「そんなことは、ない」
はっきりとした、ガブちゃんの声が響く。
「何も、わかってなくても、おせっかいでもいい。そんなこと、気にならないくらい俺は、お前との時間に救われていた。……こんなにも無条件に、常に他人の幸せを疑いもなく、無条件で願えるヤツがいるんだ、って。そういうお前と会うだけで、俺は、思春期ですさんだ自分の心が、清らかになるような気がしていた。……それこそ、そう、天使にでも会ったみたいに」
少しだけ、遠くを見て。
「何かをする、とか、そんなこと、関係ないだろう。ただ、そこにいるだけでもいい」
「……幸せにしたんだよ、お前は。少なくとも、一人の少年を。……そしてそれは、どっかの療養明けの美大生も、きっと、同じなんじゃないか?」
「……」
その言葉は、まるで数刻前の自分に向けて言われているようで。
私の胸を、揺り動かす。
「………」
「ちょい待って……」
私は手を上げて制し、バックを漁ってから。
取り出したメイク落としシートで、メイクをふきふき。
「……どう?」
「……ッ、どう、とは……ッ?」
「……つまり、……て、天使?」
「……ふ、ふざけるな……ぜんぜん……ッ」
「……面影、ない系? ……すっぴんでも……」
「……」
「……さ、さっきよりは……」
「……」
「……」
……どうしよう、この空気。赤面が止まらないんですけど。
気まずさと、一抹の甘い雰囲気に、いい大人二人がもじもじと視線を逸らし合う。そんな時間の浪費に耐えられなくなった私は。
「……ってあれ?カナたちは?」
そこで、ようやく気付いた。
あの二人の姿が、消えていることに。
ちょうど、その時。
ピコンと、メッセージ音が鳴り、
『……マリア先生、俺たち、先に帰ります』
『お幸せに』
見上げると、どうやらガブちゃんの元にも同じようなメッセージが届いたらしく。
「まさか、あいつら……」
「――謀られた!?」
思い返すと、怪しいところがたくさんあった。
秘密の内容のわりに、筒抜けだった電話の内容。東京に来いと言われても、何の抵抗もなくすんなり来た、ひなたしょうねん。鉢合わせの時、私とガブちゃんを尻目に、まったく驚いた様子を見せなかった、あの余裕。
きっと二人はグルで、最初からこういうつもりで、わざと情報を流したのだろう。
私は、ため息をつく。
正直、有難迷惑なのは否めないし、もしかして、いつかの仕返し、なのかもしれない。
でも、私は同時に思う。
――人に幸せを願われるのって、案外悪くない、と。
「……で、どうする、ガブちゃん?」
「……どう、とは?」
「……結婚する?」
「……バカが!」
***
久しぶりの、都会の夕暮れ。
以前は一人で歩いた道を、今は、二人で並んで、歩く。
「……上手く、いったかな、あの二人……」
「……うん。……まぁ、でも」
隣を歩くなーちゃんが、指を絡めたその手をぎゅっと握り、
「……ひなくんと、会えたから、……どっちでも、いい」
頬を桜色にして、はにかんで笑う。
その目に余る可愛いらしさに誤魔化されないよう、俺は視線を逸らし、
「……それは、すこし、無責任です」
少し咎めるような形になる、俺の言葉。
しかし、なーちゃんは
「うん。そうだよ、だって……」
俺の顔を両手で包み込み、下から見上げるように、
「……責任は全部、ひなくんが、とって……?」
「……理不尽、です」
どちらからともなく、重なる唇。
周囲からの視線を感じるが、どうでもいい。
唇が離れた後の照れた顔を、見逃したくないから。
「……」
「……あの」
「……そんなに恥ずかしがるのなら、……最初から、誘惑しないでください」
「……してないもん」
「……そっちのがむしろ問題です。頼むから、はやく自覚を……」
「……わかってるもん……ただ、」
「?」
「……ひなくんが、かっこよすぎて」
「ッ」
「な、何言ってるんですか」
「……事実?」
「……そ、それは、どうも」
「……」
「……」
お互いに、そろそろ耐えられなくなったのだろう。
俺たちは、どちらからともなく、歩き出して。
手をつなぐ代わりに、片腕に重さと温もりを感じる。叶戸先生の柔らかな二の腕と、その隣にあるふくらみの感触が、じんわりと伝わってくる。
……。
とはいえ、俺は約束を守ると宣言した身。いくら叶戸先生からそういう刺激を感じても、受験生の分際では、まだ叶戸先生に手を出すなんてことは許されない。重々承知しているし、そもそも俺自身が望んだことだ。
……でも。
どうしよう、なんて、言わない。
いや、言えなくなってしまった。こんな甘々な雰囲気では。
夏休みのせい、なんだろうか。
復路の新幹線が地味に混んでいてチケットが取れず、帰るのは明日の便だから。
だから、駅に着いてもまだ、結構時間があるんですよ、って。
……なんなら、今夜、泊めてほしいんですけど、なんて。
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