第66話 約束
放課後。
昼間の授業の時とは、同じ場所だけど、全く違う。美術部の美術室。
そこで俺は、絵筆を手に、ひたすらキャンバスと向き合う。
最後の、仕上げだった。
「……やっぱ可愛かったよなー、叶戸先生」
「……ああ」
「……今頃は本人も含めて、教師連中で集まって、評価会議中らしいぜ。反省会みたいなやつ」
「……ああ」
「……何その反応、つれないねー花倉、そっちから呼び出しておいて」
「……」
その後、気にせずに俺は色を重ね続けて。
「……よし」
腱鞘炎になりそうなくらい何度も続けた作業の全てを、ようやく終わりにした。
そこには、かつて見た、心象風景と共に、美術部のエースの姿が描かれていて。
「ようやく、完成か?」
「うん。……どうがんばっても、これが俺の、画力と表現力と発想の限界だ。出せるものは、一応全部、出し切れたと思う」
「お疲れさん。……で、どうする?」
「どうするって?」
「この絵のモデル、呼んでこようか?」
「……」
俺は一瞬固まったように三ケ嶋を見つめて。
「……いや、いい。実は、ここに来る前に、直接話してきたんだ」
「……お、なになに、もしかして、告……」
「三ケ嶋」
その声に乗せたニュアンスに、三ケ嶋は口をつぐむ。
「……俺、部活やめるから」
「……は?」
「……あと、申し訳ないけど、バイトも辞める」
「おいおい、なんでそんないきなり」
「……やりたいことが、できたんだ」
「俺、そのためにしなきゃいけない勉強が山ほどあって。……ちゃんと、向き合いたい。俺の目指すとこのために、頑張れるのは、今しかない、中途半端にしたくないんだ。……だから、ごめん。……平沢にも、そう言ってきたとこなんだ」
「……」
「……平沢さんは、なんて?」
「……」
「……わかって、もらえた」
「嘘だ! だって、彼女は、お前のこと……っ」
三ケ嶋が、見たことのないくらい真剣な顔をして。
「……うん。それも、……ちゃんと、話した。……俺は、平沢と、そういう関係にはなれない、って」
「……」
見たことがないくらい、押し黙って考え込む。
「……部活も、バイトも、平沢のことも。期待に沿えなくて、申し訳ない。……言うかどうか迷ったけど、でも、世話になりっぱなしの三ケ嶋には、ちゃんと直接言っときたかった」
「……」
三ケ嶋はしばらくそっぽを向いて、ポケットに手を入れて立つ。
俺は回答を急かさず、
その間を受けるかのように、三ケ嶋はこっちを見ないまま、
「……わかった」
「……でも、いっこだけ条件がある」
「……条件?」
「この絵さ、コンクールが終わったら、俺にくれよ」
「……!」
思わず、彼の顔を覗き込む。
困ったような笑みを浮かべ、三ケ嶋は今度こそ、俺と視線を交える。
「……三ケ嶋、お前……」
「……ずっと、賭けてた。平沢さんは、最終的に花倉とくっつく、って。……相手が、お前なら、仕方ないって、ずっと自分に言い聞かせて。……でも、」
「……俺、そろそろいっても、いいのか?」
心から残念そうに。
同時に、嬉しそうに。
そんな複雑な笑みを見せる親友へ、
「……好きに、しなよ」
俺も、困って、笑った。
三ケ嶋の去った後の美術室を、施錠する。職員室にカギを返却して、そのまま向かう先は、教室。
そんな、人通りまばらな廊下で。
「え」
「あ」
すっかり見慣れたものの、その場にありえないほど、場違いな恰好の人物に遭遇する。
相変わらずの、露出度高めなミニスカート、派手なグレージュの髪。以前と違うのは、片腕が白い三角巾で、吊られているとこだけ。
しかし、当の本人は、全く気にしていない様子で。
「しょーねん!! 元気してたー??」
骨折してない方の手をぶんぶんと振り、
なぜか俺は、校内で御厨さんと相対していた。
「……えと、マリア先生、部外者のあなたが、ここで何を?」
「いやー」と、大げさにこめかみを掻いて、
「……カナを迎えに来たんだけどねー、トイレ行きたくなっちゃってさー、で」
「この腕見せて、漏れそうだからトイレ貸して、って言ったら、快く入れてくれたー」
あっけからんと、いい大人がそんなことを言う。
「さすが、ギャルですね……」
「おうよー」
俺が感心しつつ、同時に若干引いていると、
「……で、その赤本はいったいどういうことなん?」
「……さすが、気付くの早い」
俺が密かにずっと抱えていた本を、抜け目なく指摘してくる。こういうとこは、さすが医者とでもいうべきだろうか。真似できないな、と思いながらも、
○○医療大学
その本に書かれた大学名が、そのマイナスな思考を許してはくれない。
「……」
御厨さんは、どこか遠くを見るような目で、
「……言っとくけど、楽な道じゃねーよ?」
「……はい」
「どんな自信や実力があったとしても。相手にするのは神秘の塊、人体だ」
「そんなブラックボックスに手を突っ込むんだ。……誰かを助けたいとどんなに願っても、時には無力を痛感することしか、できないこともある。……いや、もしかしたら、そのことの方が多いかもしれない」
「……わかってます。……でも」
俺も、御厨さんを見る。
彼女の向こうにある、何かを見る。
「……それでも」
「病気でツラいことがあるなら、どうせなら、乱暴でもちゃんと寄り添ってくれる医者がいい。……そんな医者を、俺は一人、知っていて。……だから、何もできなくても、できることを努力して。それでもダメなら、その時は、『でも、どうせ側にいるなら、あなたがいい』と。……そう思ってもらえるような、医者になりたいんです」
「……」
「……甘いって、わかってます。……でも、だからこそ、俺は……」
「しょうねん」
不意に呼ばれ、顔を上げると。
「ほい」
何かが、投げてよこされる。
なんとかキャッチしたのは、いつかの同じ、ウコンのドリンク。
「倒れたら、……また、あーしが診てやるよ」
そう言って、御厨さんは振り返らないまま。
「……無理すんなよ、ひなた」
相変わらず乱暴な気遣いで、俺にエールを送ってくれた。
カチ、カチ、と時計の音がする。
放課後の教室は、俺一人きりで。
横から差し込む夕日が、分厚い参考書を照らし、俺は要点をひたすらにノートに筆記する。
多分、今頃。
評価会議が終わって、叶戸先生の実習も、本当に終わりを迎えるころだろう。
……よかった、本当に。
無事に、なーちゃんの実習が終えられて。
一時は、どうなることかと思ったけれど。
でも、これでようやく、なーちゃんは自分の人生を歩き出せる。
……そして、俺も。
勉強の最中なのに、何度も、何度も。
あの夜の記憶が、浮いては消える。
学校祭の夜。
すっかり日の落ちた、夜の通学路を、二人で歩いた。
そこで俺は、なーちゃんに自分の心の内を話し、
『……だから、その、それまでは、少しだけ距離を置きたいんだ。……お互い、がんばれるように、がんばった後に、もう一度再会できるように。……ダメ、かな?」
そんな俺の提案に、
『……うん、いいよ。……私も応援する、ひなくんの目標。……それまでは、ちゃんと、……離れても、頑張るね』
そう、確認した。
それはいつかの、約束、みたいなものだった。
結局俺たちは、そのあとすぐにそれを実行して、昨晩まで俺は実家で過ごし、あの部屋は叶戸先生に使ってもらっていた。
そして、気が付くともう、お別れなのだ。
あまりにも、あっさりと時間が進んで。
どうにも、実感がわかなくて。
だからこそ、もう、いい。
今、俺に必要なのは、勉強だから。
たくさん勉強して、必ず再会するのだから。
……だから、今は別に、会わなくてもいい。
連絡先は、今はまだ、ちゃんと繋がっている。
前にみたいに、音信不通になるわけじゃないのだ。
そんなことに甘えている時間があったら、俺にはやるべきことがあるのだ。
だって。
思い出す。
混浴風呂での、告白。
同じ布団の上で、再び交わした、大事な約束。
俺がこれから、人生をかけて、なーちゃんを甘やかすためには、まだまだこんなんじゃ足りない。
……足りないから、俺はもっと、がんばらなきゃいけなくて。
だから……。
不意に。
ガララ、と扉が開く音がして。
「おれ?……まだ残ってたのか、お前」
教室に立ち入ってきたのは、古松だった。
「……はい。……評価会議、終わったんですか?」
「ああ。課題はあるが、おおむね良好、単位は問題なく出るだろうって校長がー。………って、これ、本人にも言うなよ、内部情報だからー」
「そんな情報、生徒に教えないで下さい」
「え、でも、お前、知りたそうだったじゃんー」
「……」
……そんなことはない、と思う。
「……で」
「……?」
「……行かんのか?」
「どこへ、ですか」
「……しらばっくれんなよ、見送りだよー。部活さぼって就業時間終了まで出待ちしてるヤツら、いっぱいいたぞー。いいのかー、花倉は行かなくて?」
「……」
「……そんな暇、ないんです」
古松に、答える。
自分へ言い聞かせるかのように。
「俺、もっとちゃんとしたい。ちゃんと、叶戸先生と並びたてるような、立派な大人になりたい。……今まで、何もかも中途半端にしてきた自分が、ようやく心から目指したいと思えた道なんです。……叶戸先生本人も、このことを応援してくれてる。この道を進んでいけば、きっと俺たちは、また交差できるようになってる。だから……」
俺は、今一度、参考書を強く握って、
「だから、いいんです、今はこのまま勉強……」
「――ヴァッカかッ? おまえ!?」
古松の明け透けな言葉が、俺の息の根を止める。
「……え」
「人生ってのは、『今』のことを言うんだよ」
「どんなに振りかえっても、過去は過去。人生じゃない。反対にどんなに未来を予測しようが、それはただの想像だろ? それは確かに似てるが、人生じゃないんだ」
「いいか、花倉、よく聞いておけ」
そう言った古松は、俺から参考書を奪い取るように取り上げ、
「立派な大人になれるやつなんて、『今』を大事にするヤツだけだ」
「!」
「過去でも未来でもない。今、この瞬間の鮮度で感じること、それでいいんだよ。……今さら大人ぶってんじゃねぇ。……勉強なんて、いくらでもできる。……それよりも今、お前が今この瞬間に、その胸で何かを感じてるなら……、」
そっと、俺の肩に手を置いて。
「――間に合う内に、さっさと走れ」
「――ッ!」
気がつくと、身体が動き出していて。
「後悔すんなよー」
後ろから聞こえる声。
ありがとう、
本当に。
でも。
前へ、前へと繰り出す足が、止まらない。
振り返らない。
無我夢中で、乱れる衣服も気にせずに。
息を切らしながら、全力で校舎を駆ける。
思い出す。
『いつか必ず、またひなくんの元に戻ってくる』
初めて会った時からずっと。
『……あの、ひなくんも……入る?』
『……ごめんね、ひなくん……』
『……ひなくん?』
『いこう、ひなくんっ』
『――ひなくんッ!!』
実習のあいだも。
『……ひなくんひどい』
『ひなくん、……ありがとう』
『……看病、だよ、……ひなくん?』
『……ひなくん……大丈夫だよ……』
どこにいても、
『ひなくん』
『…………ひなくん?』
『……ひなくん!』
そして、今も。
『……ひなくんっ』
――俺は、ずっと、いつだって、なーちゃんに会いたかった。
職員玄関の人だかり。
見送った後のくすぐったい空気。
その見慣れた後ろ姿はもう、そこにはなく。
俺はそんな人ごみを、切り裂くように走り抜けて、
「な―ちゃんッ!」
放課後の夕暮れ。
校門を出る一歩手前。
誰よりも美しい、スーツの後ろ姿へ向けて、
俺は叫ぶ。
「なーちゃん、俺、会いにいくからッ!」
「今度はきっと、なーちゃんが驚くくらい! 立派な大人になって、俺、必ずなーちゃんのこと、迎えにいくから!」
「……だから、……だから……俺……!」
「……ひなくん」
「!」
気が付くと、目の前になーちゃんがいて。
その顔が、見る見るうちに接近して、
「―――――」
夕焼け。
未だ多くの生徒が見ている中、放課後の世界で。
俺たちは、
ささやかな口づけをする。
柔らかな感触が、一瞬で離れ。
「…………これは、……人質」
天然で脇の甘い……でも世界一可愛い、年上幼なじみが。
夕日でその頬を真っ赤に染めたまま。
「…………ずっと、待ってる……」
まだ見ぬ未来を前にしても、なお。
「……ひなくん」
「だいすき……っ」
その笑顔を満開にして、今、俺だけに。
……ひたすらに、甘えてくる。
了
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