極光大怪鳥ヤタガラス
彼岸花
北海の大決戦
終わりの始まり
スマホの画面に映し出されたのは、森の中を撮影した動画。
この動画もまたスマホで撮影したのだろうか。手ぶれが酷く、眺めているだけで酔いそうなほど。イヤホンから流れてくる音は、落ち葉を荒々しく踏む音とむさ苦しい男の吐息というノイズばかり。お世辞にも質の良い動画とは言えない。中には不快いに思う人もいるだろう。
止めに、一番の見せ場であろう――――木々の奥に見えた巨大な影はピンボケで輪郭すら見えない。
その後はうだうだとこういう生物がどうとか、一際大きなノイズに向けて鳴き声がなんたらとか……字幕ばかり付け足されて、肝心の生き物の姿なんてこれっぽっちも映らない。
これでよくこの動画に対して『巨大生物発見!』なんてタイトルを付けられたものだ。しかも投稿日を見れば二〇二〇年十二月二日との表記が。つまりごく最近に作られ、今朝アップロードされたものである。二〜三十年前のテレビ番組ならば兎も角、今時このクオリティは個人制作だとしても低過ぎる。コメント欄が荒らしばかりになるのも致し方ないだろう。
率直に言ってクソつまらない。
「おーい、百合子ちゃーん。何時まで動画見てんのさー」
「昼休み、もう半分終わってるわよ」
そう思いながら動画を見ていた彼女――――
昼休みを迎えた
一人は髪を金髪に染め、向日葵を彷彿とさせる明るい笑みを浮かべている女子。胸の小ささがコンプレックスらしいが、スレンダーな身体付きが男子達に意外と人気な事を当人は知らない。大きな瞳や小さく整った鼻など顔立ちは端正で、眩い笑みもあって非常に可愛らしい。派手な髪色を除けば万人に好まれそうな容姿をしていた。
もう一人は黒い髪をした、眼鏡女子。不機嫌そうに何時も目を細め、唇をへの字に曲げているが、これが普通の表情だとは当人の言うところ。やや冷淡な印象を受ける顔立ちであるが、しかし美人に属するのは確かで、高校一年としては大きな胸もあってかこちらも男子人気は高い。
金髪の女子が
友達二人から声を掛けられたとなれば、何時までもスマホなど見てもいられない。画面を伏せるように置いて、友人達と向き合う。
「ああ、ごめんなさい茜さん、真綾さん。新作が出ていまして、そちらのチェックをしていました」
「新作?」
「どうせアレよ。未確認生物とかの動画」
「あー、百合子ちゃん好きだよねそういうの」
真綾が呆れたように指摘し、茜は納得したのかこくりと頷く。百合子はまだ何も言っていないのだが、当たっていたので何も言えなくなった。
百合子は未確認生物が好きだ。
というよりオカルト全般や、SFっぽいテーマが好きなのである。好きなだけで信じている訳ではないが、休み時間や休日にはついつい動画や記事探しに熱中してしまうぐらいには趣味となっていた。お陰でクラスではオカルト女子と認識されている。オカルト好きなのは間違ってないので、百合子はやはり反論出来ないのだが。
「つーか、最近毎日見てるよね。そんなに見るもんあるの?」
「そうですね。未確認生物を目撃した、というタイプの動画だけでもここ一ヵ月は毎日五〜六本新作が出ていますよ」
「え。そんなに? 真綾ちゃん、なんかそーいうブームでも来てんの?」
「私に聞かないでよ。ブームだとか流行りだとかに詳しいのはアンタの方でしょ」
「いや、まぁそうなんだけど」
茜はけらけらと笑い、真綾はため息一つ。百合子もへらへらと笑うだけ。
笑いながら、百合子は少し考える。
実際、流行っているかどうかでいえば、多分流行ってはいない。百合子の未確認生物好きは最近のものではなく、小学生時代からの筋金入りだ。界隈の『空気』はなんとなく分かり、現時点でそこまで人で賑わっているとは思えない。
しかし、どうしてかここ一ヵ月……増え始めた、と感じた頃なら半年ほど前から……は動画がやたらと投稿されている。それは百合子がこの目で見てきた事だから間違いない。挙句どの動画も、再生数は一万にもなっていない程度。書き込まれたコメントも「つまんね」だとか「編集の勉強し直せ」とか「釣り乙」だとか……そう言われても仕方ないと思えるほどの低クオリティ作品ばかりだ。普通、ブームとなればそこそこ手の込んだ作品も見られるようになる筈なのに。
どうしてこの一年でやたらと未確認生物の動画が投稿されるようになったのか? 何故低クオリティの動画ばかりなのか?
……違和感はあるが、ろくな考えが浮かばなかった。それに動画を見る側としては投稿数が増えるのは良い事だ。気にするような話ではない。
それはそれとして、これは話題を共有出来る仲間を増やすチャンスだ。宣伝するなら今しかない。
「あ、じゃあオススメの動画見てみますか? 新作で面白いのあってですね、大きな鳥の映像なのですけどクオリティがとても良くて」
「「いや、別に良い」」
なので布教しようと試みたが、秒で玉砕。残念ながら友人二人は興味すら持ってくれなかった。
やっぱり流行ってないな。淡い希望を打ち砕かれた百合子は、がっくりと肩を落とす。ならばこの話を何時までも続けても仕方ない。未確認生物に対する考えは一旦頭の隅へと寄せた。
「あ、そうそう。未確認生物で思い出した。明後日の土曜日、映画見に行かない? 最近人気の、ハリウッドのやつ」
「……ああ、あれ? 新種の風邪で世界中がパニックになるとかなんとかって」
「それそれ! うちのねーちゃんが言ってたけど、すっごい泣けるらしいよ!」
「アンタ本当にお姉ちゃんっ子よねぇ。まぁ、暇だから良いけど。百合子も行く?」
「ええ、行きますよ。真綾さんは遅刻しないよう、ちゃんと起きてくださいね? 休みの日になると何時も遅いんですから」
「普段遅くまで勉強して、休みの日にぐっすり寝て回復してんのよ。アンタ達も勉強してみれば?」
「「えー、やだー」」
かくして疑問は忘れ去られ、百合子は友達との会話に意識を向ける。もう、動画の事は殆ど頭にない。代わりにあるのは明後日の土曜日の予定と、勉強への嫌悪感ばかり。
「……私は毎日勉強してるから良いけど、アンタ達テスト勉強は大丈夫なの? もうすぐ学期末よ」
「「うぐっ」」
尤もその頭は、真綾の言葉で試験についても思い起こさせられる。ついでに茜も。
百合子はちらりと壁際に目を向けて、カレンダーを確認。十二月に入ったばかりの今日から数えて、二週間後に期末試験だ。
「なんでもう十二月なのよー」
「全然寒くないから忘れてました」
「期末を忘れてんじゃないわよ。確かに暖かいけど。雪も全然降ってないし」
「まぁ、元々この町は東北の中じゃ雪は少ない方だけどさ。海沿いだから冬でもそこまで寒くならないし。でも去年の今頃はそれなりに雪もあったと思うんだけどなー。これも温暖化ってやつ?」
「或いは一年前の謎の発光物体……まぁ、アレは都市伝説か」
「ん? 何々? なんの話ですか?」
映画の話も移り変わり、今度は季節の話題に。その話題もすぐに変わって今度は都市伝説へ。なんとも忙しない話の変わり方だが、百合子達の会話は何時もこんなもの。
所謂他愛ない会話。時間の無駄と言えばそうかも知れないが、少なくとも百合子は、惜しまねばならないほど自分の時間が少ないとは思っていなかった。
きっと、今日と変わらない明日が訪れるから。
百合子ももう高校生。今の世界情勢が色々ときな臭い事ぐらいは知っている。環境破壊の影響と言われている異常気象で、日本でも大きな災害が起きている事も知っている。けれども彼女の周りの世界は平和で、代わり映えがしないもの。事件や事故が起きる気配もない。これからも何事もなく時は流れて、何事もなく大人になって、結婚したりしなかったりしながら、残りの人生を周りの人達と同じように過ごしていく。
少なくとも百合子はそう信じていたし、友人達もこうして共に語らっているぐらいなのだから似たようなものだろう。或いは教室に居るクラスメートの殆ど、と言うべきか。
誰もが、何も変わらない明日がやってくると思っていた。それを望む、望まないの違いはあったとしても。
――――終わりが来るのは、何時だって突然なのに。
「……ねぇ。アレ……」
唐突に、茜がある場所を指差す。百合子と真綾は宇宙人の存在について談義している最中だったが、中身のない話題に執着する気もないので、二人は話をすぐに中断してその指先が示す方を見遣る。
そこでは一人のクラスメートの男子が、スマホを耳に当てて話している姿があった。百合子だけでなく、茜や真綾とも特段親しくない生徒。百合子としては別段嫌いという訳でもないが、これまで接点がなく、授業中の雰囲気から明るい性格だという事ぐらいしか知らない。故に普段なら彼が何を話していたところで、気にする事はなかっただろう。
しかし此度の彼は、困惑したような表情をうかべていた。明るい人間だと、よく知りもしない百合子がそう思うぐらいの人物。困惑した顔なんて、初めて見たために関心を抱く。
「おい、母さんどういう事だよ。母さん? 母さん?」
その電話は母親からのものだったらしいが、途中で切れたようだ。男子はスマホを耳から離すと、不安げにおろおろし始める。
「なんかあったのかな?」
「なんかあったんでしょうね。百合子、訊いてみる?」
「んー、どうしましょうかね」
真綾からの問いで、百合子は答えに迷った。何分親しくない相手。クラスメートなので声を掛けるぐらい問題も困難もないが、相手の問題にずけずけと踏み入って良いものかとは思う。
そうこうしているうちに、電話をしていた男子の傍にクラスメート達が集まる。流石は明るいと思われる性格の生徒。友達は多いのだ。だったらよく知らない自分達が野次馬根性で顔を出すのは、不躾というものだと百合子は考える。
それに。
「ん? おっと、ねーちゃんからメッセージ来て……………えっ」
親友がスマホの画面を見た瞬間に唖然とした声を漏らし、眩かった表情が強張り出したら、そちらを優先するべきだろう。
「茜さん? どうしたのですか?」
「顔色、悪いわよ」
「へぁ? あ、いや……な、なんか、ねーちゃんから、変なのが来てて……」
「変なの?」
百合子が首を傾げると、茜は自分が見ていたスマホを百合子達の方に差し出してきた。百合子と真綾は共にその画面を覗き込む。
画面に書かれていた文章曰く――――『学校から出ちゃ駄目』。
続いて『町で事故が相次いでいる』『一人は危ないから友達と一緒にいて』『何があっても落ち着いて』『うちに帰ってきちゃ駄目』……要領を得ない言葉ばかり。けれども何か、慌てている事、そして危機感を露わにしている事は理解出来た。
そんな奇妙な文面の最後に書かれていたのは。
「大きな、動物が町に出たから気を付けて……?」
大きな動物とは、なんだろうか? クマやイノシシかと百合子は一瞬思ったが、しかしならばそう書けば済む話。何故こんなハッキリしない言い回しなのか。
まるで、そう説明しないと信じてもらえないと思っているかのような……
「ど、どうしたら良いのかな? 私、どうしたら……」
「茜、落ち着いて。何も難しい事は書いてないわ。学校から出ないで、私達と一緒にいて、まだ家には帰らない。どれも既にやっている事よ。後は落ち着くだけ。ほら、深呼吸して」
「う、うん……」
動揺している茜に、真綾が背中を擦りながら落ち着かせる。深呼吸をしたお陰で少しは冷静さが戻ったのか。右往左往していた茜の動きはぴたりと止まった。
茜が落ち着いて一安心……したのも束の間、百合子は気付く。
廊下から、きゃーきゃーぎゃーぎゃーという悲鳴が聞こえてくる事に。昼休みの廊下なんて騒がしいものだが、しかし悲鳴なんて聞こえてくるものじゃない。
何か、おかしい。
「み、皆さん!」
そう考えていた最中、突如として大きな声が教室内に響いた。
声がした方を見れば、そこにはこのクラスの担任が、廊下へと通じる扉の外枠に寄り掛かるような体勢でいた。担任は体育教師をしている男性で、歳は三十前半と若く、身体も鍛えている。顔立ちや性格も爽やかで、女子人気はそこそこある教師だ。
しかしその彼は今、喘ぐように息をしていた。外よりは温かいとはいえ、冬にも関わらず汗を流している。扉に取り掛かる姿勢にも力がなく、酷く疲労しているのが窺い知れた。
「は、早く、体育館に、逃げ――――」
それでも彼は何かを伝えようと、百合子達生徒に向けて話し始めた
直後、巨大な『影』が担任を突き飛ばす。
担任が突き飛ばされた瞬間、ぼきり、と嫌な音が聞こえた。次いでぐっちゃぐっちゃと、生々しい音が聞こえてくる。廊下の悲鳴は一段と大きくなり、代わりに教室内の生徒達は百合子含めて全員が沈黙した。
そして沈黙は困惑へと変化する。
担任の代わりに扉から顔を出したのが、巨大なネズミだったのだから。
それでも平穏な日々が終わったのだという事実に気付いた生徒は、まだ少数派に過ぎなかった。
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