5-2 逃亡と想定
三時五十五分。
連上は臨時集会を終え、情報処理部の部室に向かって歩いていた。
──島崎は、集会の場に現れなかった。
まあ、来られはしないだろうと思ってはいた。何しろ連上の当面の目標は島崎に意思確認票を提出させないことであり、そのためには絶対に生徒会室に近づけてはならないのだから。島崎が臨時集会に行こうとすれば、監視者が阻止しようと手を回すだろう。
しかし、監視者からは特別な報告は一つもない。通常以外の行動を島崎が取ろうとした場合はすぐにメールで報告するよう厳命してあるのにも関わらず、である。
ということは、島崎はもう諦めたのだろうか。
それも仕方ないのかもしれない。島崎の行動は監視と妨害によって雁字搦めに縛られている──戦意を喪失しても無理はないだろう。
でも。
もし、まだ諦めていないとすると。
「──ふふ」
そんなことを考えているうちに部室についていた。引き戸を開けて中に入ると、椅子に座っていた植村が振り返った。
「あ、連上さん。何だったんですか、臨時集会って?」
「やあ叶ちゃん。いや、ちょっとした連絡事項を各候補者に通達するためのものさ。大したことじゃない」
「じゃあこれは連上さんが仕組んだものじゃなかったんですか」
「ううん……まあ、違うと言えば違うかな。あるだろうとは思ってたんだけど、あたしの計画の一部ではないね」
話しながら連上はパイプ椅子に腰を落ち着ける。
「しかし意外なことにね、島崎君は今日の臨時集会には来ないどころか代理人をよこそうとすらしなかったようなんだよ叶ちゃん。あたしはてっきりまた井守君が来ようとするのかと思っていたんだけど」
「ああ、井守君は今日は休んでましたから」
「そういうことか。まあ何にしろ、島崎君を生徒会室に近づけずに済んで良かったよ」
連上はパソコンを立ち上げ、インターネットに繋いで某巨大プロバイダーのフリーメールサービスにログインした。諸々の報告は連上の携帯ではなくこっちに送るよう指示してある──他人の目につきやすい携帯電話に黒幕の証拠を残すのはリスクと考えた末の行動だった。新着メールを確認すると、すぐに今日の島崎の行動についての報告が見つかった。
報告によると、放課後の島崎はしばらく──約十分ほど教室の中にいた後でトイレに行き、数分後に教室に戻ってくると、荷物を持ってそそくさと帰って行ったらしい。連上の予想に反して、臨時集会に行こうとして監視者と揉める顛末などは書かれていなかった。実にあっさりと──島崎は帰ってしまったのだ。この、意思確認期間の終了期限である今日という日に。
「帰っちゃった──んですね」
連上の肩越しにディスプレイを覗き込んで、驚いたように植村は言う。しかし連上は、この報告の全く別の点にぎこちない臭いをかぎ取っていた。
「──しばらく教室の中にいた? この一文はどういうことかな?」
「あ、私も教室を出て行く時にちらっと見ました。ほんとに何をするでもなく、ただ自分の席についてましたよ」
植村の言葉で、連上の内で結露した違和感は粘度を増して懐疑に変わった。
出て行くというのなら、ホームルームが終わってすぐに教室を飛び出すのが最も自然である──クラスによってホームルームが終わる時間にはばらつきがあるから、運が良ければ生徒会室まで行けるのではないかという思考が成り立つからだ。あるいは気のなさそうな振りをしてこちらが油断するのを待つという手もあるが、それならもっと間を持たせるべきだろう。たった十分の粘りに何の意味があるだろうか。つまり島崎の行動は明らかに不審──何か裏があると考えるべきだ。
連上は報告の要点を整理した。
約十分の待機。
その後のトイレへの移動。
トイレを出てからは一目散に帰宅──
「……何かを待っていた?」
「何かって?」
「たとえば何かの受け渡し──」
そこまで言って、連上はマウスを握り直した。島崎と同じクラスの演劇部所属の男子生徒に、件のトイレ内を捜索するようメールを送る。
「何か、残っていますかね」
「さあね。あるかもしれないし、ないかもしれない。しかし問題はその先だよ──」
連上はそこで意識の中に不協和音を聞いた。
もしかしたら。
島崎の意図──それを掴むためのヒントはすでに得ていたのかも知れない。そう考え、連上はすぐにその違和感の正体を解き明かした。
聞き流していたけれど──そうか。
「叶ちゃん。井守君は今日は休んでいたんだったね──それは確かかな?」
頷く植村を見て連上はさらに考えを深化させようとしたが、すぐにポケットの中にある携帯が鳴り出した。ディスプレイに表示されている発信者は吉良崎由衣──一年の演劇部部員だ。
「もしもし、吉良崎さん。どうしたの?」
「連上さん。私、今偶然見かけたの。トイレから出てすぐ走って帰った、B組の──」
「ああ、島崎君のことだね?」
「違うわ」
吉良崎はきっぱりと言い放った。
「帰って行ったのは島崎じゃない。あれは偽物よ!」
「──ふん」
その言葉を聞いた瞬間、連上の中の懐疑は完全に固まって真実となった。おぼろげながら浮かんでいた形が、ピントが合ったようにくっきりと像を結ぶ。
「なるほど、やっぱりそういうことか。だとすると……吉良崎さん、島崎君の格好をして校門から出て行ったのは──彼と同じクラスの井守君だったんだね?」
吉良崎は一瞬絶句したが、すぐに答えた。
「うん、そう! いつもと歩き方が少しだけ違うし、背も心持ち丸め気味だったから気になってよく見たら──あれは髪を黒く染めて下ろした井守君だったわ! 間違いない!」
「よく見抜いてくれたね、吉良崎さん。さすがは演劇部の期待のホープだ──君のおかげで確信が持てたよ。どうもありがとう」
電話を切った。待っていたとばかりに植村がまくしたてる。
「どういうことですか? 島崎君が──井守君って?」
「簡単なことだよ。二人は示し合わせていたんだ」
理解できなかったらしく、植村はきょとんとした。
連上は手を広げる。
「島崎君は今日に向けて計画を練っていた。そしてそれはおそらく三時半に実行という手筈だったんだろう。島崎君はその時刻まで教室で待機し、その後にトイレに向かう──一方、学校を休んでおいた井守君は三時半に合わせてこっそり校内へ入り、あらかじめ決めていた個室で島崎君と落ち合う。島崎君がトイレに行くのを見届けた生徒はその後に島崎君らしき人物が出てくるまで誰も入って行くのを見ていないそうだし、念のために教室前の廊下もあらかじめ別の監視者に見張らせていた。それでも捕捉できなかったということは、井守君はおそらく窓から入ったんだろうね。一年の教室から最寄りのトイレなら一階だから十分可能だ。そして、そこで二人は入れ替わった」
「入れ──替わった」
「井守君をそのまま帰らせ、島崎君は校内に残留したんだ。おそらく、井守君は前もって栗色の髪を家で黒く染め直していたんだろうね──しかも普段がオールバックだから、髪を前に下ろしてしまえばぱっと見では井守君だと気付かれにくい。島崎栄一は勝負を諦めて帰宅した──我々にそう思わせることで警戒を緩めさせ、その裏をつく気なんだろう。なかなか面白い仕掛けをやってくれるじゃないか」
「島崎君は──まだ校内にいるんですね」
「問題は、校内のどこにいるかだよ。運が良ければすぐに見つかるんだけれど──」
その時、ディスプレイがメールの着信を告げた。
すぐさま画面を開く──トイレには何も残っていなかったという返信が来ていた。
「駄目だ。どうやら島崎君は、井守君がトイレから出た直後に自分もその場を離れたらしい。監視者が小走りで去っていく井守君に気を取られている隙をつかれたようだね」
携帯を閉じ、机の上に置いて椅子に深く座り直す。姿勢を安定させ、連上は頭脳を回転させ始めた。
島崎は今どこにどうしているのか──何を狙っているのか──どう動くのか──それらについて無数の可能性を検索し、一つ一つを今持っているデータと照らし合わせて取捨選択してゆく。チェスで何手も先を読み、自分の勝ちへ繋がる道を探り出す要領で、連上は未来を規定してゆく。
程なくして連上の思考は、問いに対して最も可能性の高い結論を弾き出した。
「あの、これからどうするんですか?」
指示を求めてきた植村に顔を向ける。
「あたしもちょうど今それを考えていたんだ。今のところ、島崎君はまだ作戦の露見に気付いていない。それを踏まえてこれからの展開を予測すると、とりあえず島崎君は十中八九、君に連絡を取ってくるだろうね」
「わ、私に?」
「ああ。井守君は島崎君の身代わり役で手が空いていない──まあ仮に動ける状態だったとしても島崎君の仲間とこちらに知れている井守君がマークされないはずはないと考えるだろうから、どちらにせよ使えないんだけれど。そこで他に信用している人物と言えば、元同僚でかつ以前に協力してくれた実績のある君が真っ先に浮かぶ。君があたしのサポートをしていることは彼はまだ知らないはずだし、言っちゃ悪いが彼はあまり友達が多くないからね──ほぼ間違いないだろう。もうじき彼は君に居所を明かし、協力を求めてくる」
「無視──しろって言うんですか? 島崎君の要請を」
「いいや」
「じゃあ、島崎君が居場所を教えてきたらそこにテコンドー部を」
「それも違う」
連上は植村の額を指でつんと突いた。
「君は、島崎君に意思確認票を持って行ってあげるんだ」
「え? 渡しちゃう──んですか?」
「少ない可能性ではあるが、島崎君が実はすでにあたしと君の繋がりに気付いているということもありうるからね。その場合にテコンドー部を差し向けたら、今度はあたしとテコンドー部の関係を公に晒すことになってしまう。南岳がそれで失脚した後だけに、これは重大なマイナスイメージとなる。あるいは別の考えとして、これも島崎君があたしと君の繋がりに感づいたという仮定の上でのことなんだが、呼び出された君を拉致してそれを材料にあたしを脅迫するという方策もありえないわけではない」
「そんな!」
植村は声を荒らげた。
「あり得ません! 島崎君は──そんなこと」
「しない。彼はもちろんそんなことをしないだろう。そうだろうね、そうだろうとも。だが……いよいよというところまで追い詰められれば、人はどんな行動をとるかわからないものなのさ」
そしてね──と連上は繋いだ。
「万が一その事態が起こった場合、意思確認票を持っているか持っていないかでは大違いなんだよ。持っていなければ島崎君の疑いは確固たるものになり、あたしは彼の要求を飲まざるを得なくなる。しかし意思確認票を持っていれば、君は言われた通りに必要な書類を持って来ただけだと主張できる。その後に島崎君があたしに連絡してきても、この場合は知らぬ存ぜぬで通すことが可能──結果として、彼は罪のない生徒に手をかけた悪人として非常にまずい立場に追い込まれるわけだ」
植村の表情を見てから連上は再び語り始める。
「さっき君が言った、無視するという手法もまた不要なリスクを生む可能性が高い。ここまで煮詰まった状況から下手に追い込んだりしようものなら、彼は予想もつかない行動に出るかもしれないからね。ここは協力するふりをしてこちらの思惑に乗せてやった方が安全なやり方なんだ」
「つまり……私は特別なことはせず、ただ島崎君に意思確認票を渡しに行けばいいってことですか?」
連上はゆっくり頷いた。
「そう。しかし仕掛けをしないというのは、あくまで君自身に関してはということなんだ──島崎君のもとへ向かう際、君には尾行をつけさせてもらう。居場所を速やかに知るためにね。おそらく島崎君は署名した意思確認票をそのまま自分で提出しに行くはずだから、一人になったタイミングを見計らってこっちの手の者がそれを奪う」
「──はい」
植村は緊張した表情で首肯した。
「島崎君──」
連上は目を細めて掲示板の報告を見つめる──島崎の動向が詳細に記されたその文言が、脳内で分解されて意識に島崎の顔を再構成した。
「監視網の中で密かに爪を研ぎ、策を打つ。君のその発想力、行動力は素晴らしいよ。さすがはあたしの認めた元パートナーだ──しかし、どうにも運が悪かったようだね。君の仕掛けの網の目は、あたしをするりとすり抜けた」
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