4-6 襲撃と予定
「やあ、島崎君」
連上は悠然と脚を組みながら電話に出た。
「やあ──連上」
島崎の声は、予想外なことに落ち着いていた。情報収集を怠るような人間ではない──ゆえに、生徒会選挙の候補発表をまだ見ていないというのは考えにくい。見た上でこれほど冷静でいられるということは。
彼の本題はそういうことか、とあたりをつけながらも、連上は丁寧に問う。
「こうして電話を掛けてきてくれるなんて、少し意外だよ──用件は何かな?」
「最後の話し合いの場を作ろうと思ってね」島崎はどこか機械的な調子で話す。「連上、こんな事をしても無意味だろ? 八幡浜さんだってこんな事態は望んでいないはずだ──もうやめよう」
「硬介の名前を出せばあたしが折れるとでも? ずいぶんと大雑把な見立てだね」
「情に訴えようなんてつもりはない。お前がそんなものに動じないことは──知ってるよ」
島崎の声は束の間低くなった。おそらく表情を歪めているだろう、と連上は想像した。
「お前の仕掛けはもう知れた。準備に手間をかけたのだろうが、残念ながら本番では大した効果を生まずに終わるだろう──これ以上続けても、大して面白いものは見られないと思うぞ」
連上は自らの見立てが正しかったことを知った。
やっぱり──そういうことか。
「ほう、それはすごい自信だね。あたしが何かしたって?」
「生徒会長候補に水増しの候補者を大勢入れて得票を分散させ──その上で、組織票によって優位を得ようとしていることは読めてんだよ。組織票には組織票──数日前から要所と交渉を重ね、こっちにも固定数の上乗せ票がつくことが確定した。これでお前一人の優位は崩壊した」
「組織票? 組織票だって?」
連上は問い返し。
そして大声で──笑った。
「おいおいおい冗談じゃないよ島崎君。このあたしが、この連上千洋が──よりにもよってそんな世の悪徳政治家が使うようなせこい真似をすると考えたわけかい? 心外だなあ、本当に心外だよ」
そう言い終えるとまた笑いの波が込み上げて来て、連上はくすくすと笑った。ようやく笑いが収まってから告げる。
「ズレてるよ」
「ズレてる……だと?」
「そうとも、君の算定は大いにズレてるんだ。すぐに行動方針を見直すべきだと忠告するよ、友達として──あるいは君の良き政敵としてね。そんな方向を向いていたんじゃ、百年走り続けてもあたしの所へは辿り着けない」
それだけを言い放つと、反応を待たずに通話を終了させた。
しんと静まり返ったコンピュータ室の中で、連上は黙考する。
組織票を得るために、島崎はすでに動いたようだ。
島崎本人は新聞部を追い出され、情報処理部にももうずっと顔を見せていない。多勢に協力を仰ぐなら、他人の手を借りなければならないのは必須条件──では、この状況で島崎側につく人間が誰かと言えば、これも自明の理である。
井守優生──島崎の幼馴染みであり一番の親友でもある彼が、島崎の選挙上のサポート役につくであろうことは容易に想像できた。そして井守はサッカー部のサブキャプテン──一年勢を取り仕切る役目を務めている人望者である。
ならば、組織票というのもその伝手を利用したサッカー部部員のものと考えてまず間違いはないだろう。
しかし──だからどう、という事もない。島崎にも伝えたように、その考え、推測の方向は間違っている。組織票などというせせこましい小細工は、連上が推し進めている策が生み出す展開の前では無力に等しいものなのだ。
それに気付くのが遅れれば。
──命取りになるよ、島崎君。
連上が心中でそう呟いたのとほぼ同時に、戸が開いて植村が部屋に入って来た。
「連上さん!」
「やあ叶ちゃん、どうしたね?」
予想通りのタイミングだ。
連上がそう思ったのと同時に、植村は叫んだ。
「つ、連上さん大変っ──テコンドー部の梁山部長が、何者かに襲撃されたの!」
──よし。
連上は今回張った仕掛けにも確かな手ごたえを感じながら、植村に問い返した。
「例の、謎の暴行犯かい?」
「う、うんそう──」
頷いてから植村は怪訝な表情になり、連上に疑い深そうな視線をよこした。
「……連上さん。あの、暴行犯について何か知ってるんですか?」
「どうして?」
「え、ううん──その、何か、確信を持ってるみたいに聞こえたから」
ほう、と連上は内心で感嘆の吐息を漏らす。
「さすがだね、叶ちゃん」
以前から気付いてはいたが、植村は所々で鋭いことを言う。確かな観察眼と洞察力を持つ証だった。それは新聞部の活動を通して育まれたものなのか、それとも彼女が本来持っていた資質なのか──それはわからないが、とにかく味方に引き込んでおいてよかった、と連上は思うのだった。
こういうタイプの人間は手強い──他人の心を読み、僅かなチャンスも見逃さない。そして何より、雰囲気に流されることなく自分の頭で考えることができる。
今相手取っている島崎にも──その素質はあるのだが。
そう考えながら、連上は口を開いた。
「犯人はおそらく、前生徒会の残党だよ」
「え……えええええっ!」
南岳以下の旧生徒会陣営の残党が姿を消し、未だ杳として行方が知れないということは校内でも有名だった。
連上にははじめから読めていた──今から発覚する可能性は低いとはいえ、人殺しが警察におとなしく捕まるはずがないということ。さらに、そうして余人の目の届かない暗がりに潜り込んだ後に考えるであろう内容も。
「罪もない生徒が被害を受けた、この事件の大元はある一点に尽きる──南岳政権崩壊の際にテコンドー部が生き残ってしまった、という一事にね。君も知っての通り、梁山部長の奔走によってテコンドー部は存続した。犠牲になる形で切り捨てられた数名の部員は、数々の暴行事件の実行犯だったこともあってすぐに警察に捕らえられた──つまり南岳には今、手持ちの暴力装置はないんだ。その手の荒事に慣れた者がいなかったからこそ、彼らは無関係な生徒相手に暴力事件を起こしたんだよ。件数を重ねるたびに手並みが向上している点からもはっきりとわかる──一連の事件は、本命を間違いなく潰すための予行演習だったのさ」
「!」
植村は息を呑んだ。
「それじゃ、暴行犯達の本命っていうのは──連上さん」
「ということなんだろうねえ」連上は植村の言葉を継いだ。「しかし奴らは一度あたしに完敗している──いくらなんでも、そうそう無計画な真似はできないはずさ。誰にも知られていない状態からそれを画策すると言うのならわからなくもないが、今じゃ謎の暴行犯のことは君のところでも相当取り上げられてるだろ? もうここからじゃ迂闊に来れはしない。来るとしたら、それは情報を集めて必勝の機会を作り得た時」
「じゃあ、梁山部長がやられたのは」
「あたしへの復讐──その下準備だろうね。今までの被害者には、本当の狙いを隠すためのカモフラージュという意味合いもあったはずだ。梁山の襲撃から先が、奴らが本当にしたかったこと。あたしの周囲の人間を牙にかけると想定すると、一番最初に浮かぶのは──梁山正貴さ。彼は今あたしと繋がっている、ゆえに何らかの情報を得られる可能性が大きいことに加えて、前生徒会を見捨てたことで相当の恨みを買っているだろうからね」
連上は知っていて──あえて、梁山を襲わせた。
それを悟ったらしく、植村が気色ばんだ。
「わかっていたんなら」
「防ぐべきだった、かい? 残酷なようだが、そういうわけにもいかなかったんだなあ。彼が襲撃されるということは、言わばあたしの計画をつつがなく進行させるために必要不可欠な部品──一つの歯車なんだからね」
旧生徒会陣営がこのような行動に出ることは予測済みだった──いや、それを待っていたと言ってもいい。そしてこの展開を予測していたのと同じように、ここで梁山を使い捨てることは連上の中で決定されていたことだった。
すべては仕掛けを成立させるため──犠牲になる梁山には悪いと思わなくもないが、南岳政権の下で彼が相当数の罪もない生徒に理不尽な暴力を振るってきたこともまた事実である。
南岳は学園を追われ、犯罪者の烙印を押された。
朱河原はすべての地位を捨てて逃亡者の身となった。
その他の生徒会役員や校内の協力者も、軒並み停学や退学という処分を受けた。
学園の裏側に巣食って悪事に加担していた者は皆それ相応の報いを受けているのだ──いくら部分的に手を組んだ間柄とは言っても、梁山だけ何のペナルティも無しというのは不公平というものだろう。
そのあたりのことは植村も感じていたらしく、しばらくは押し黙っていたものの、やがて気を取り直したように言った。
「そこまで見抜いていたんなら、連上さんにはこれからの展開もわかってるんですよね。次は──誰なんですか?」
「間違いなく断言できるよ」
連上は言った。
「──島崎君さ」
ひっ、と植村は悲鳴のような声と共に息を吸い込んだ。
「島崎君が──」
「島崎君は最も長い間あたしと一緒にいた人間だ。あたしの弱点を探る上では格好の人物──そして更にその展開を確実にするために、梁山には彼の予定表を持たせておいた」
──とても重要な資料なんだ。制服の内ポケットにでも入れて、肌身離さず持っておいてね。
──近いうちに必ずこれを使う時が来る。
──その時に間違いなく務めを果たしてくれれば、あんたの役目はそれで完了。
睨んだ通りの展開だった──連上が未来を見越して打った手は、また一つ現実となった。
梁山の最後の務めとは、連上の作った島崎栄一の予定表を持ったまま旧生徒会陣営に襲われ、それを彼らの手に渡らせることだったのだ。
「予定表? そんなもの作ってたんですか? 一体どうやって島崎君の予定を──」
「もちろんデタラメな情報だよ。しかしそれにはたった一つだけ真実が書かれている。あたしが知り得る唯一の、島崎君のこれからの動向がね」
「なんなんですか? それは」
「選挙に先立って行われる立候補者総会──その会議の場に島崎君が出席するであろうということ」
「立候補者……総会」
それは今回の選挙に際して異常な人数が立候補したことを受けて、選挙管理委員会が急遽開くことを決定した会議だった。これは実の所、連上が選挙管理委員会に所属している演劇部部員を動かして働きかけた結果だった。こういった会合の場が開かれることが連上の組み上げたシナリオには必要だったし、選挙規模の予期せぬ拡大について対応に困っていた選挙管理委員会からしてもそれは合理的な提案と受け取られ、とんとん拍子でお膳立ては整ったのである。
「そして予定表には、その立候補者総会に向かう途中が唯一彼が無防備になる時間なのだと記しておいた。言うまでもなく嘘なんだが──それを見た暴行犯達は、一体どう動くかな?」
「それに従うしか──ない」
「そう。十中八九、奴らはその時間を狙って島崎君を誘拐する」
連上は含み笑いを漏らした。
「これがうまく行った時、あたしの本当の策が動き出すのさ」
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