3-11 詩歌と不動
梁山は頭を抱えていた。
朱河原の要求を拒み切れず、最終的には押し通されてしまった。
球技大会の日──連上の手に落ちる寸前だった梁山を救出した、その借りを強調されたのだ。
これまで生徒会を支えてきたテコンドー部と演劇部、ひいてはそれぞれの指揮官である梁山と朱河原の力関係は均衡を保っていた。しかし今回、梁山が指揮権を朱河原に渡したことで──そのパワーバランスは崩れた。
いや。
そんなことはどうだっていい。
それよりも、梁山を今悩ませているのは──
突然、何かが落ちる音が聞こえた。
振り返ると戸が少し開いていて、その近くの床に封筒が落ちていた。どうやら誰かがそろそろと戸を開け、封筒を投げ込んだらしい。
「誰だ!」
封筒を拾い上げ、戸に駆け寄って素早く開く。首を突き出して廊下を確認するが、すでに人影はなかった。
「なんだ……これは?」
書類などを入れるのによく使われる、何の変哲もないA4サイズの茶封筒である。表には一言、「梁山正貴様」と書かれていた。
差出人は──
「…………っ」
梁山は息を呑んだ。
連上──千洋。封筒の裏面にはそう記されていた。
おそるおそる封を開けると、一枚の便箋がひらりと舞い出た。
こんにちは。
先週に発行された文芸部の部誌の中に面白い作品があったので送ります。
23ページに載っている、
やけに簡潔な文面である。これだけでは何の意図も理解することができず、梁山は封筒を探った。確かに文芸部が毎月発行している部誌が同封されていた。
連上の薦める「葛藤」は詩だった。行が変わるごとに文字数が一文字ずつ多くなってゆく、階段のような形をなした短いポエムが数種類羅列されている。
文字の上を滑る梁山の視線は、その内の四つ目の詩に吸い寄せられた。
私の溜息は竜巻となって、
怪物を吹き上げ陽光に焼く。
怪物に手を貸してはならない、
あなたも飛ばされてしまうから。
あなたは不動の椅子を手に入れて、
罪深い残虐な記憶から己が身を守る。
読んでいるうちに、梁山は自分の顔から血の気が引いて行くのを自覚した。これは連上が自らに宛てた隠しメッセージだと直感したのだ。
抽象的で難解な詩の内容は、角度を変えて見れば容易くその真意を映す。
一行目──竜巻というのは、現在校内を揺るがしている件の事件への言及だろう。もっとも、大きな問題だけならばこれまでにいくつもあったのだが、作者の奇妙なペンネームと合わせて考えれば意図が見えてくる。一昨年洋儀──「一昨年」は「二年前」のこと、「洋儀」は名前風になってはいるが同じ音のまま文字を変えればずばり「容疑」だ。「二年」と「容疑」のキーワードが示すものと言えば、まさに今回の窃盗事件をおいて他にはない。作者は今回の窃盗事件を竜巻になぞらえていて、その竜巻の元は「私」の溜め息──すなわち、連上は自らが事件の元凶だと明かしているのだ。
二行目──怪物を吹き上げて焼くというのは、おそらく敵である生徒会を破滅に追い込むという意味だ。これからどういう展開があるのかはわからないが、連上はこの事件を利用してすべての決着をつける気だということなのだろう。
三行目──警告。生徒会に手を貸すな。
四行目──恫喝。手助けをしようものなら、お前も一緒に滅ぼす。
五行目──不動の椅子を手に入れるとは、つまり連上の命令通り黙って動かずにいる、その行動のことか。
そして六行目──罪深い残虐な記憶とは、連上の手の内にある、テコンドー部と生徒会の癒着を証明する録音データのことだ。記憶は情報を後に残すという点から記録、すなわちデータと読み替えられる。連上は──あの悪魔は、言うことを聞かないのなら録音データを公開してテコンドー部全員も生徒会の道連れにすると囁いているのだ。
「く……」
過去の自分の失策を盾に取っていいようにあしらわれているという悔しさから、梁山はこの文章の戦略的な利用価値を測ろうと試みた。
せっかく自白してきたのだ、情報を警察に流すというのはどうか──頭の中をよぎったその考えを梁山はすぐに打ち消した。それは録音テープの存在をも暴露することに繋がる。
ならばどうにかしてそこをうまく隠し、その上で連上が犯人であることだけを示唆できれば──一度捨て去られた提案を補強して打ち立てられたその考えも、やはり何秒も経たないうちに棄却される。この文章には、実際の事件と直接的に結びつく単語は何一つとしてないのだ。事情を知っている者が読めば、事実を直に書いているかのような明々白々な文章──しかし詩という体裁を取っているせいで文面には多彩な換言や修飾が施され、表層はまるで違って見えるものになってしまっている。これを証拠と主張して詰め寄ったところで、連上がこれはただの創作ですと言ってしまえばそれで終わりなのだ。いや、そう答弁する義務すら放棄しているのかもしれない──連上のことだから上梓した作者の名義をごまかすくらいのことはしていてもおかしくない。
この手紙を利用する余地はない──梁山はそう理解した。少し考えただけで、あらゆる可能性が先回りして潰されていることに気付く。
返す返すも十重二十重に練られた動きようである。何一つ不審な挙動を挟まず、誰にも怪しまれずに──あの悪魔は梁山に刃を突き付けてきた。
梁山はそこまで考えて、既に自らが縛られていることを悟った。
このまま座視していれば、生徒会は破局を迎えるだろう。テコンドー部も無事では済むまい。しかし梁山一人なら──一度も仕事の実行に加わっていない梁山だけなら、一切にノータッチという態で形振り構わずに火消しを行えば、どうにか生き残ることはできる。用心深い梁山は常日頃から何が起こっても最悪の事態にだけは至らないようそこかしこに予防線を張っており、それらを活用してこの苦境をギリギリではあるが脱する公算はすでに立っていた。
しかし連上の録音データだけは別──あの時梁山は連上の敷いた巧妙な罠に嵌まり、迂闊にも自白してしまった。あの証拠が晒されればすべては終わる。梁山は関与を認めざるを得ず、待っているのは南岳と共に落ちる暗黒の沼の水面だけである。
自分の命がかかっている局面──南岳の救出は諦めるしかない。
そう結論付けて、梁山はほっと胸をなでおろしている自分に気付いて身震いした。
そうだ──本当は、そういった損得の算盤を弾くよりも前に結論は出ていたのだ。この連上のメッセージを読み解いた瞬間、南岳に与するという選択は消えていた。損得勘定はむしろ、無理だと諦めて安心するための確認作業でしかなかったのかもしれない。
あらゆる現実的な不利を仮に無視してみても、それ以前の段階で梁山には連上と対峙するということ自体が絶対勝てないゲームに思えてならないのだった。それは予測や打算を超えた、本能に根ざしたような恐怖だった。
あの──時だ。
梁山は回想する。
球技大会の日──万全の布陣で戦っていたつもりだった梁山は、戦局も終盤に差し掛かったある瞬間にすべての優劣を引っ繰り返された。あの時の衝撃は梁山にとってまさに己の世界のすべてを冷笑まじりに否定されたに等しいものだった。
視聴覚室に鎮座していた梁山の眼前に、突如として現れた少女──梁山の脳裏にはあの深い闇を呑み込んだような瞳の色が、しっかりと刻み込まれている。
癒えることのない心傷となって──。
「!」
不意に、怯えた梁山の意識を単調なメロディが切り裂いた。
ポケットの中の携帯が鳴っていた。開いて見ると、南岳からの着信である。
梁山は画面を凝視したまま硬直した。唇が震えた。
出られるわけが──ない。
助けるわけにはいかない。
連上の吹き出した竜巻に──飲み込まれてしまう。
右手の親指は、ゆっくりと電源のキーに這い寄った。
力を込める。梁山の携帯は画面を暗転させ、沈黙した。それはまるで、連上に狙いを定められた南岳の行く末を示しているかのように見えた。
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