3-9 対応と反応

 

「時間をとらせちゃって悪いわね──私にも立場ってもんがあるのよ」

 

 朱河原は眼前の敵にそう呼び掛けた。

 演劇部部室──朱河原の根拠地と言っていい場所である。いつもは多くの部員がひしめき合っているこの部屋だが、今日は朱河原と連上以外には誰もいない。がらんどうでどこか空虚な空間の中で二人は対峙していた。

 連上は壁際に置かれたパイプ椅子に腰かけ、戸口の側に立ちはだかった朱河原を無表情に見上げている。

 

「これはどういうつもりなのかな? 朱河原さん」

「名前を知っててくれたとは光栄ねえ」

 

 朱河原の無意味な返答に、連上は小さく溜め息をついた。

 情報処理部部室へ続く階段で待ち伏せていた演劇部部員によって足止めされ、意思に反してここまで連れて来られたとなれば相当不愉快な思いを持っているはずだったが、少なくとも表情にはそんな色は見られない。完璧なポーカーフェイスを維持したまま、連上は言った。

 

「これがあたし達の作戦に対する答えなら、とりあえず誤答だと評しておくよ。あたしを止めたところで意味なんてない──手筈はすべて事前に打ち合わせ済みなんだから。あたし一人がいなくなろうが、作戦は自動的に実行されるんだよ」

「あはっ──」

 

 朱河原は乾いた声で笑った。

 

「そりゃ読み違いよ、連上千洋」

 

 連上が少し首を傾げる。朱河原は続けた。

 

「そんなことくらい予測できてるのよ。あんたを固めた目的は、作戦の実行そのものを止めるためなんかじゃない──あんたという頭を外すことで、これから起こる事態に対応できないようにしてやろうってことなんだから」

 

 朱河原は携帯を取り出す。

 掲示板にアクセスした。

 予想通り──数分前から、連続して同一の内容がいくつも投稿されている。「今回の事件の黒幕は生徒会だ」という短い告発文だった。

 やはり、と朱河原は顔をしかめる。連上はこの情報をとっかかりに、警察に生徒会を調べさせる腹なのだ。南岳の、危険な暗中に身を置いてきた日々の中で研ぎ澄まされた嗅覚──危険を察知する能力はやはり侮れない。

 

「すでに情報は流れた。ここからどう逆転するつもりなのかな?」

 

 朱河原の画面を見て、連上は静かに威圧した。

 

「この程度の事態、すでに予測済みなのよ。そしてここから私達は、あんたの思惑を外れる」

 

 朱河原は掲示板の画面を閉じて、アドレス帳を呼び出した。

 五十音順に並べられたアドレスの、ある場所で朱河原は指を止めた──カーソルは、「渡辺修」という文字を指していた。

 

「──あんたからすれば計算外でしょう? 私がテコンドー部を動かす可能性なんて」

 

 球技大会の日──梁山を救い出して恩を売っておいたことが生きた。

 過去の貸しを突き付け、意気消沈した梁山を説き伏せることは簡単だった。

 朱河原はこの作戦についてのみ、テコンドー部を自由に使える立場にあるのだ。

 連上は表情を変えず、ただ黙っている。

 それはまるで時間が止まったような──連上という存在を構成する原子のすべてが停止したような光景だった。

 

「あんたが何かの仕掛けを打ってくることは予測済み。すでに梁山には話を通してあるのよ──テコンドー部は今、私の指示を待っている」

 

 朱河原は渡辺の電話番号をコールした。

 すぐに相手が出る。

 

「渡辺ですが」

「ああ、演劇部の朱河原よ──コンピュータ室に踏み込みなさい」

「了解しました」

 

 短い会話を終え、朱河原は通話終了のキーを押した。

 向き直り、椅子に座ったままの連上を上からすがめるようにして言う。

 

「すぐにテコンドー部があんたの仲間を取り押さえ、この下らない投稿をやめさせる。あとはこっちから掲示板の管理者ページにログインして書き込みを一括削除する──これで終わりよ。簡単なことだわ」

 

 今や勝利を確信した朱河原は、高らかに告げた。

 

「残念だったわね、連上千洋。あんたの策は実らず、よ」

「──そうでもないよ」

 

 連上は自らの体の陰に入れていた右手を掲げた。

 ついさっきまで朱河原の位置からは死角になる場所にあったその手には、携帯が握られていた。

 連上は片頬を歪ませて、決定キーをゆっくりと押した。

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