第34話 殻を破る【前編】


 そう、言われた。

 自分はまだ成長できる。

 なぜなら【勇者候補】だから。

 けれど、それが苦しい。

 それなのに成長できない自分に何度も失望し、悔しくて苦しいのだ。

 どうして。

 なにが足りない?

 どうしたら届く?

 この壁を超えられる?


「私はっ……!」

「がう、かぅ!」

「!」


 フェンリルが吠え始めた。

 振り返ると、氷壁の一部が砕ける。

 出てきたのは二メートルをゆうに超えたオーガのようなゴブリン。

 手には鎖と、その先端には棘つきの鉄球。


「ガァァアッ!」

「な、なんですのこのゴブリン!」

「モナ! 鑑定!」

「はい! ……こいつは……ファイターゴブリンです!」


 振りかぶったその鉄球が、ぐぉ、と吹っ飛んでくる。

 エリザベートがすぐに飛び上がり、避けた。

 だが問題はそこではない。


「いけませんわ! 穴から他のゴブリンが出てきます! 二手に分かれましょう!」

「ヘルベルト! フリードリヒ! ファイターを頼む!」

「っ!」


 ——『自分で判断して、指揮してみせな。そのための機会だよ』


 リズにそう言われていたのに、ヘルベルトはその機会をまんまと逃した。

 ヘルベルトにそう指示してきたのはロベルト。

 彼はエリザベートとともに左右から、ファイターのあとから出てくる通常ゴブリンを倒しにかかる。

 適切な判断だと思う。

 その適切な判断を、本来ならば自分が下さなければならなかった。

 なぜできなかった?

 できたはずだ、今までの自分であれば。

 冷静であれば。

 できたはずのことすら、できなくなっている。


『苦しくても、苦しくても』


 足掻くしかない。

 でも、その“足掻く”すら、どうしたらいいのかわからなくなっている。


「ヘルベルトさん!」

「っ!」


 飛んできた鉄球を、フリードリヒの槍が掠めて軌道を逸らす。

 だが鉄球よりもはるかにか細い槍の先端では、軌道を逸らしただけで刃が欠ける。

 二度目はない。

 その上、フリードリヒの額には切れ目が走る。

 鉄球の棘が掠ったのだ。

 モナがすぐに治癒の魔法をかけるが、流れた血は残る。


「あ……」


 脳裏によぎる、リズの言葉。

 足掻け。もがけ。苦しくても、苦しくても。


 ——『ヘルベルト、君はどんな勇者になりたい?』


 あの夜に問われた。

 自分は、どんな勇者になりたいのか?


 ——『ボクが昔会った勇者は、アホでバカで脳筋で、本当にどうしようもないくらいどすけべでしょーもない奴だったけど……でも優しかったよ。自分の身を呈しても仲間ボクを守ろうとする男だった。だからボクもアイツを守ろうと思ったんだ。命を懸けて』


 なにを言っているのか、わからなくなる話だった。

 彼女はまだ八つの少女。

 彼女の知る『勇者』とはなんだ?

 だが聞ける空気ではなかったし、ただその言葉が重い。


(私はどんな勇者に……)


 フリードリヒが振り上げた鉄球を避けながら、突進する。

 その槍の刃は欠け、到底あの巨体に致命傷を与えられないだろう。

 それでも駆ける。

 マルレーネがロベルトとエリザベートが取りこぼしたゴブリンの頭を射抜き、モナが回復と身体強化をエリザベートとフリードリヒにかけていく。

 みんな戦っているのに、ヘルベルトだけが動けない。

 ——そう、動けなかった。


(私は……私は……)


 義務感だけでこれまで歩いてきた。

 父に侮蔑にも似た眼差しと、母に憐憫の眼差しで見つめられながら。

 嫡男として生まれておきながら、【勇者候補】の天啓を与えられて、家を継げなくなった。

 まだ幼い弟たちに「あとを頼む」と出てきて、ただ『勇者特科』を出たあとに家を助けられる騎士になれるように努力てきたのがヘルベルト・ツィーエという男だ。

 だから、わからなくなった。

 周りの【勇者候補】たちも、同じだったはず。

 ここを出たあと、自分と同じく平民に近い、腫れ物のような人生を送るのだと。

 なのに彼らはどんどん変わる。

 アーファリーズ・エーヴェルインが来てから、彼ら彼女らは変わった。

 前向きに自分の未来を考え、エリザベートとロベルトは諦めていた結婚する未来を手に入れたり、マルレーネは本来の彼女を取り戻し、フリードリヒとモナは冒険者という道を手に入れた。


(なぜだ)


 ヘルベルトだけが取り残されている。

 流れるような定まっていた未来を、自分以外のみんなは覆そうとしているのだ。

 無駄なことだ、できるはずがないと、言い切れないほど——彼ら彼女らは強くなっていく。

 成長していく。

 ヘルベルトを取り残して。


「ヘルベルト! やる気がないのなら下がりなさいですわ!」

「っ!」


 エリザベートの声にまた現実に意識を引き戻される。

 その瞬間——。


「ヘルベルトさん!」


 今度はフリードリヒの声。

 ダメだ、ヘルベルトには状況が飲み込めない。

 鎖の音や、仲間の声、目の前に迫るファイターゴブリンの拳。

 あれを喰らえば頭が吹き飛ぶということだけはわかる。


 ——『ヘルベルト、君はどんな勇者になりたい?』


(わからない……)

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