【#104】くじらのおつかわれ
巨大船「☆あぐらいあ☆」街区の南の外れ、ぎりぎり船の上。薬師ルリコは最近、庭に花を植える様になってから家に帰ることが多くなった。先日、園芸用自動庭番と、(会社の営業の口車に乗せられて)街区警備用大型犬ボットのかなり大型の犬種を一台ずつ導入したので、余程の侵入者でもない限り帰らなくてよいのだが、何となく里心がついていた。
それはそうと、本当は小型犬ボットにするつもりだったのに、面倒な訪問者の襲来する可能性を考えたのと、社割の誘惑に勝てず巨大な犬種にしたせいで、懐具合が若干寂しくなった。そこまで消耗したわけではないが、このくらいあったら安心をほんの少しだけ割り込んだのだ。
賞金稼業を二、三度すれば取り戻る程度の消耗なので、薬師はベッドに寝転びながら賞金首のリストを眺めていた。そういえば最近モルガンが出てこないが、あいつはもう年貢収まっちゃったんだろうか。
スケジュールと睨み合いながらリストをめくるが、どうにも時期が悪いのか、四日後にメンテナンス入院という時期に対して短期で終わりそうにないものばかり並んでいる。以前から並んでいる、探偵業務が必要になる感じの面々が固定になりつつあるのだ。会社辞めたらこいつらを頭から食っていってもいいかもしれないが、今は暇が無い。
警察の予算不足もここに極まれりといったところか。朝になってもういっぺん見て何もいなかったら、急ぎの解決は棚上げしよう。薬師はリストを表示した会社の書類タブレットを枕元のサイドテーブルにぽんと置いた。
ぶち抜きリビングの隅に置いたヘッドボードの無いベッドと、パジャマを雑にひっかけた衝立の間の狭い空間に置かれた充電シートの上にうずくまって寝ている姿の茶色い犬が、いわゆる犬の寝言のような物音を立てる。「犬っぽさ」というやつなのだそうだ。警備用の警報云々よりは、戦力として導入したので、犬なら犬らしくしていてくれたほうがいい。他に警備用に稼働している目々連がとにかく不快害虫っぽいので面食らっているが、犬は好きだからいいのだ。
強そうな犬の背中をわしわしと撫でて、薬師はひとつ欠伸をした。脳が疲れると出るという。身体が疲れても欠伸が出ると主治医は言うが、身体の果てまで疲れるような仕事をしたことはまだ、ない。
寝よう。生存にかかわる機能を極限まで単純化した戦闘外殻体を持つ効率一辺倒の社員にすら休息を義務づけてくる会社だ。考え事して徹夜しましたとか言ったら酩酊と同じ扱いをうける。
薬師は、部屋着にしているよれたチノパンを脱いで衝立にひっかけ、その隣からパジャマをとった。着替えをしてひっくり返って寝ていたら、物凄い音を立てて衝立が倒れて、犬も自分も目が覚めた。
犬が? どうやら犬らしく寝返りをうったら、犬が大型過ぎて衝立を倒したらしい。
自分が多少殴られながらでも不審者対応する方が早いかもと首を傾げつつ、薬師は寝直した。
昔の夢を見てよく眠れなかった早朝、まだ暗い内。昨晩淹れたまま放置してある冷たくなったコーヒーを起き抜けに喉に流し込み、薬師は枕元から持ってきた書類タブレットを眺めていた。
あけぼの会病院の系列にあたる、隣の船にある九重医院が、隣の船向けでなく「☆あぐらいあ☆」向けに、生存限定賞金を流してきた。しかも警察、外注管理係が掛けてくる並の異様に安い賞金額。これでは誰も請けないし、ただ何事かを処理するためなら隣の船向け、生死不問でいいはずで、目的がよくわからない。
九重医院の院長・九重夕顔はそもそもこういった賞金に関して何もわからない人物ではない。以前はあけぼの会病院に勤めており、当時は他船他院へのバイト先も少なかったため、小遣い足りないと退勤後何も無いときに自分で単発の賞金を稼ぎに来るごろつきだった。ヒマでもないのに何をしているのかと、本船のあけぼの会病院ではなく、店なら本店にあたる本国のあけぼの会病院が怒っていたのをよく覚えている。
指名手配の顔写真に違和感があった薬師は、ふとそれをいつものように拡大してみた。変に整った顔の男の色合いの悪い鼻筋の、毛穴も見えるほど拡大したところ、いつものアレが表示された。毎度おなじみ晩飯代、モルガン君だ。とうとう修理代踏み倒して逃げ出しでもしたか。この体裁を警察以外が取ることはないと思っていたが、一体何をやらかしたのか。
隣の船だと若干探すのに苦労するが、死亡確定の賞金でチョロそうな奴を探せば八割はそいつに食いついてくる。モルガンには毎度、悪い癖だと捕まえついでに言っているのに聞かないのだ。大体全部奴が悪い。
チョロそうな死亡賞金首は出ていない。薬師は少し考えて、彼の賞金をさっさと登録し、二カ所に連絡を取った。九重医院(院長直通)と、警備用ボット目々連の製作販売元・教授。
教授というのは通称で、だが本当にどこかに教授職をもつはずの人物だ。変な悪知恵と非合法行為を考えさせたら合法からグレーにかかる手段で突破してくる野生の存在で、薬師は、面倒事があったらまずこの人物に相談することにしている。
気軽に役職名で呼ばれているが、実態を追及したら恐ろしい物が出てくると思っているので、薬師は教授の正体探しには加わってはいない。
今の時間帯は、他人の実体をたたき起こすには相当早いので、テキストメッセージで要点を伝えておくにとどめた。
夕顔には、賞金の登録の済んだ旨と、「何があったか説明してください、あと額が少なすぎるんだがこれでは誰も食いついてこない。請けはしたが会社の仕事ではないので、国境を武装したまま越えられません。モルガンを生存で仕留めるのに必要な装備をいくつかそっちで用立ててくれると助かります。武器の調達出来るツテある? なければこっちで用意するから、その分を上乗せて」。
教授には、「隣の船(船籍:少し前に爆誕したアフリカの小国)の九重医院でモルガン絡みのトラブルが発生しました。もう賞金リスト見てるかもしんないね。隣の船、ご存じの通り治安激悪だから、普通に私用で入った後、モルガンの変名にフラグつけて追跡するのと、なんらかの脱出手段を貸してください。今から三日であけぼの会病院に到達したい。……できれば常識人の顔して到達できれば嬉しい。朝の支度があるので、喋ってるのが面倒なので字でお返事ください」
九重医院からの返事待ちだな、と思いながら犬をもふもふして後、ひとッ風呂浴びようと用意していると、早々と眼鏡に教授から着信した。
曰く「漫然とした状況を寄越さないで。変名を使うであろうモルガンと揉めた後捕まえて脱出したいのはわかりました。具体的な捕獲手段が判らないから、まずあなたが九重夕顔と話してもう一度連絡ください。隣の船というと、これ特三の課員じゃなくて? 隣向けの賞金首にさっきなったのだけど、持って行かれると面倒にならないかしら。チョロそうだわよ」
風呂で歯磨き(習慣)をしていた薬師は目を剥いた。長い名前の賞金主、つまり反社の賞金がかかったのは、トゥインクル・ベータ。たまに有給を取ってどこかに行くらしいが、一体隣で何があったのか定かでは無い。
「あいつそんなにチョロくはないんだがな……ドールファイトのオペレーター居て初めて全開で暴れる奴だから、相手によっては危ないか」
「もろとも撃墜して回収したらいいじゃない。丁度私も試したいものがあったの。あなたの回収ひとり分で残骸二体分なら回収追加してあげてよ。いつも通りモルガン半殺しでしょう?」
「残骸って死んだら困るべや」
「残骸が悪ければ故障か緊急停止状態ね。それで考えて良い?」
「そうですね。見た目チョロそうだからモルガンが食いついてきたら御の字だとは思ってます。少しほっといてベータにどうなってるか連絡取って加勢するか半殺し回収か決めます。後は夕顔先生んとこか。あれ時間前に起こすと怒るから、道々連絡とる」
「武器の調達、無理って言われたら私のツテでやるわね。出入りの機器卸の営業の方が速いと思うけど」
「よろしく、助かります」
ポロシャツにチノパン、サマーコート代わりのシャツワンピースとほとんど出社/普段と変わらない姿に、薬師は若干の荷物を持って出発した。越境書類・入院書類各種の他に、三日分の入院荷物を常に突っ込んでいるガーメントを担いだときに、やけにかさばると思ったのだが、実は間違えて出張荷物を持ってきていたのが途中のコーヒーショップで明らかになった。会社の鴨羽色のドカジャンが入ってる以外は、内容があまり変わらないのと、診療代は引き落としなのでもういいやとそのまま持って行った。
道すがら、夕顔から返信があった。口と頭を別のことに使っているらしくレスポンスは遅い。合間に「ああ大丈夫」とか入ってくるので、時折ぼんやりするか口から漏れ出しているのが察せられる。患者さんの顔に浮かぶ?マークが想像できてつらい。 頭の中で口頭叙述をやって送ってきた全文はこうなる。
――あの野郎、井筒が来て放り込んでいったが、お育ちが悪そうなので修理代踏み倒しは覚悟していた。減額条件があるが減額するぞと言ったら呑んで、減額済みの料金は払ったが、昨晩逃走した。減額条件を昨晩話そうということになってたらこれだ。生きてる内にとっ捕まえて条件を呑ませなければならん。あ、大丈夫です。取り立てるのは心苦しい。やってもいいしやったことがあるが実に心苦しい。あんた代わりに本人の回収やって。うーん……多少壊れても腕脚一本ずつ位は、大目に見るから……あ、失礼……。かけた賞金額は井筒に聞いてかけたんだが、最近の相場知らなかったからな。安かったのか。今度どのくらいで人が請けるか教えてくれ。武装の調達はお宅のガキの使いみたいな人も来たけど、営業さんの方が御用聞き来るの早くて、預けてる会社の倉庫から持ってきてくれるって。警備部ごっこセット持って……貰っちゃうからね。ほんじゃ、あんまり壊さないでね、ご安全に。
薬師は、一方的に喋る夕顔の声を読みながら、入国審査の列が進むのを待った。実体が入国乗船するのには若干の時間がかかる。入ったら、良い感じのペースで走ってるバスに乗って、十時半には九重医院の近くに到着するだろう。
午前、およそ十一時頃には患者さんが途切れるので、予約もないし来客中で一旦締めるのでその時に、と指定され、薬師は十分ほど前に九重医院に到着した。出入りの医療機器卸、コウモト医材の営業車が駐車場の隅に居る。
まだベータの賞金には誰も手をつけていない。薬師が請けてもいいが、死亡確定でかかっているので、さすがに同じ会社の社員同士でカネが理由の仲間割れをするのは憚られた。反社が「長い名前の男」という符牒を使ってかけている、それは確定なのだが、「☆あぐらいあ☆」にも、裏三軒両隣の船の符牒にも見たことが無い奴だ。どこの何と揉めているのかわからないのでは、直接手出しして余計なトラブルが発生するかもわからない。ベータの加勢に入って、相手に失敗させるのがモアベターというやつだ。
当のベータは、再三のコールにもかかわらず連絡が取れない。死んでたら嫌だなと思いながら、会社の直通回線で薬師に連絡をよこせとだけいれて、放っておくことにした。
それにしても教授は一体どういう姿形のアバターを使って連絡を取ったのだろう。夕顔が「ガキの使いが来た」と言ったら本当に子供だったということが何度かあるので、子供が来たと解釈したらいいのだろうか。外見の使い分けができないとも思えない。話の合間に野次馬してみることにしよう。
到着時に待合に居た若めの女性、膝から下が生活外殻体の人が診察室に入っていった。多分装着後の様子見だろう、あの人が出る頃には午前休診の表示がされているはずだ。
しばらくして、明るい表情と共に女性が出てきて、お会計して帰って行った。いい感じらしい。女性と入れ違いに営業らしきスーツの男がすっと入ってきて、隅っこで立って待っている。薬師はというと、「呼ばれるから座って待っててくださいね」と受付で言われて待っている状態なので、若干居住まいが悪くなった。
気づかない顔で待っていると、丁度十一時に呼ばれた。患者さんではないのだが、と思いながら患者顔で診察室に入ると、「あんた何それ元気そう」と少々優男風に作った男の声があがった。
「多少傷してますがね。このひと月で若干負荷増えて、しあさって本院でメンテナンスだからいいかなと思ってたんだけど、今回ちょっと何カ所かやるかもね。夕顔先生、例の件聞いてるだけで全部ですか? 何か展開は?」
「都合の良い超展開は無いね。警備部の社員がひとり賞金首に上がってきたってのは見てる。これアレだね、賞金主が誰だっけ……誰かのパパっつーか……」
夕顔は、二十九歳の誕生日から殆ど変わらない造作の顔面を困らせて頭を掻いた。
「私も一度だけこいつの賞金仕事したことがあるんだよ。あれだね。若い女のパトロン、正体ばらしたくない奴。滅多にこの手の事は無いから、人の目にとまることが少ないんだ。この派手なアフロのお嬢さん、何したの?」
さあ、と首を傾げて、薬師は肩をすくめた。
「本人と連絡が取れなくて。会社の回線使って連絡しろって入れたから、生きてたら何か言ってきます。会社が怒る五秒前位になるかもだけど、背に腹は代えられないね。ベータ、外見がチョロそうだから、あの野郎食いついてくればいいんですが」
「チョロくないの」
「ドールファイトレースのオペレーターと組んでたら、私がステゴロで死にそうになっりましたよ。前に井筒さんに無理言われて八百長草レースを回収処理した時に。それで安浦さんがセンサー不調起こして、今労災で入院してます」
「あら珍しい。それトラウマ不調じゃなくてかい」
「医者じゃないからわかんないです。ベータは、腕脚一本と土手っ腹吹っ飛ばしてやったらギブアップしたけど、オペレーターがショック死したって。ところがあんにゃろ、棄権直後にオペレーター無しでマジで食いついてくる」
「安浦さんかわいそう……あんたなんでギブアップしないの」
「あのタイミングでギブアップしたら安浦さんが逆にまずいです。ギブアップ分もトラウマ食らったら入院で済まないって朝顔先生に聞いてたんで。で、ベータ、武装が自律してて、手段無くなったらほんとに口で食いついてくるんですよ。腕食われた後朝顔先生にものすごい怒られましたよ、チップソーに腕突っ込んだのかって。正直相手にしたくないよ、朝顔先生謹製の腕ば口でちぎり取るんすよ」
「あ、あ、そらアカン。ギブアップしたら安浦さん死んじゃう」
「でしょ? 顔怖くてさ、大昔の半魚人の映画みたいな顔してさ。チョロくはないんです。変なところで人がいいから、そこでなんかされたんでないかと思うんだわ……」
じゃ、しばらくほっといても物理では平気だね、と謎の安心感で首を傾げつつ、夕顔は外に待機している営業氏を呼んだ。いつもの発注と、急ぎで無理を言った薬師の武装を貰わなければならない。
営業氏が営業スマイルで帰って行った後。
こんなもの置いていたろうか、と若干困惑気味の薬師の表情を、夕顔は心配そうに覗き込んだ。
「まずかった? メンテナンスには出してるし、たまに借りてるから動作も問題無いけど」
「会社の構成そのものです。全部特三の現行物だけど、登録が渋川中心のキメラになってるのはこれ一体どういうことかな……あとこの、象撃ちのこれだいぶ昔に登録したままのやつですよ。無事だったのかと思って……」
「そりゃ、これ大昔あんたが吹っ飛んだ時に置いてったやつだもん。普通のと変な弾丸が一緒にセットになってて、温存しとこうと思ったんだけど、この前特三の面子と一緒に手入れしてたらADDが試射で一発使ってしまって、標的が焦げたんだ……」
あれあれと苦笑しいしい薬師は続けた。
「動いたんですか。そりゃよかった。これ、戦闘外殻体黙らせるための強烈なテイザーなんですよ。弾丸のサイズに収めるやり方があるらしいんだけど、内地のどこぞの会社から持ち出した試作品のパクリだったそうで、作ると揉めるんで」
昔々からある象も撃てるリボルバー拳銃と、セットにされた雷撃弾五発。この弾丸だけは、会社の裏のカフェ・プリータムの筋向かいにある小比類巻銃砲店の前の店主に頼まないと作れないというもので、今の店主の小僧はこの存在を知らないか、知っていても作り方は秘密にされているはずだ。
「まずかった?」
「いや十分。助かります。これでベータは止まるわな。どこか危なげない所に落とせばいうことないんだが、上手くいくかな」
「そこまでは私も保証はできないな」
「まあ、何とかしましょ。後は動けば動き出せますが……」
動かないな、と賞金リストを眺め、薬師と夕顔は困惑顔で息を吐いた。ここから闇雲に出発しても、どうしていいものかまるでわからない。会社の仕事ではないので、あまり会社の人間をつついてどうこうしたくない。
「教授、脱出の足をくれって言ったら、なんかやりたいことがあるとか言ってたから、そっちと話すかな」
「教授? あのガキの使いの、保護者? どこの大学?」
「あれ本人のアバターです。教授って呼ばれてて、どこの先生かわかんないですね。あんまりつつくと藪蛇出しそうで、稀にある正体探しには加わってないもので」
夕顔は、失敗したなという表情を浮かべた。
「忙しかったから塩対応しちゃった。追跡してくれそうなのに」
「元々頼んでます。大丈夫、塩対応は慣れてるでしょ。本人が普段から結構塩顔するもの」
薬師は、教授との直通連絡用アドレスを、体内回線を使うか病院の端末を使うか少し考えて、いつも通り体内を選択した。よその端末を使うと居留守を使われることが多いのだ。
『待ちくたびれたわよ』
「お待たせしましたお嬢様。で、こっち何も動かないからやりようがなくて。脱出の足の件先に話しとこうと思って」
『作業開始したらまた連絡して。ひと文字でいいわ。最終的に係留池に落ちるか飛び込んで貰う必要がある。落ちたり飛び込んだりしたひとから回収します。そこら辺はお任せ。乗り心地は最悪だから覚悟しておいてね。残骸二体、稼働一体の注文だから、まあ……頑張って詰め込むわね』
一方的にそう言われて、薬師は顔に疑問符を貼り付けたままひとこと問うた。
「外見とか、待ち合わせ場所とかないんです?」
『係留池の底でお待ちしております』
一方的に通信を終了され、薬師は、いつものことながら一方的なやりとりに溜息を吐いた。何か悪いことがあるわけではないのだが、時折急に寂しくなるのだ。
「なんて言ってた?」
「この船の係留池に何か放したみたい。マリーナか、タンカーかは言われなかったんですが、とにかく飛び込めと」
「……まあ潜水艦も入れる奴が居るくらいの係留池だからなあ、じゃ、上手くいきそうかね」
「午後診療始まる頃には出発できるか、どっかビジホなりゲスト取って探しに行くかですね。この調子だと、泊まりで探しにいかないとないかもしれん」
「ゲストか……隣取れば? 隣の庭広い家。おじいちゃん亡くなって、お孫さん越してきてゲスト始めたから」
「マジで? 隣って確か古髙組の」
「しーっ。それ以上いけない。今でも上客です」
隣。九重医院側の、家の裏側の鬱蒼とした植えっぱなしの木と塀しか見る用がないが、表に回ると結構な庭園がオープンガーデンとして整備されている。だいぶ前は日本庭園だったが、あるときそれがいい感じの花壇になり、オープンガーデンになった。それを見て薬師もパネルの荒野に花を植え始めたのだが、隣のお宅が反社の組事務所だと聞いたのはその直後だった。思い返すと毒草がかなり植わっていた記憶があり、暇があったらまた行こうと思っていた矢先である。
「高いの?」
「そうでもない」
「観光に来たわけじゃないから。今日中に上手くいって、空いてたら泊まって帰りますかね。無理なら来月だぁ。教授に回収されたら……どうしようかな、釣り船で直接帰ったつっていつもの代理人行為お願いします」
「いいけど……なんだ、骨壺に園芸用の草木灰突っ込んで荷物で発送させてよ。生涯一度はやってみたい」
「嫌だやめて縁起でもない、医者のやることですか」
「ぼく様医ッ者でーす……お、動いたぞ。誰だこいつ」
夕顔が見せてきた賞金リスト上で、ベータの賞金に手を着けた人物がいる。当然モルガンの名前ではないが、彼が使っている変名のひとつが表示された。
「わかりやすい野郎だなぁ。モルガンだ。教授に追跡させてるから痕跡を追います。じゃ、冷蔵庫の段ボールに詰めて送りますね」
「今度は完膚無きまでにバラしてやるから、もう少し折りたたんでもいいと思う。そしたら、よろしくお願いします」
午後診療開始の少し前に九重医院の裏から出た薬師は、全く反応の無いベータと、無人の筈の雑居ビルから出てきたモルガンと思しき人物の追跡データを眼鏡の端に表示させ、まずは動いている方をやっつけることにした。
無人の筈の雑居ビルには、ひと部屋に会社が四つ入っている。おおむね全部ペーパーカンパニーだ。
バスやトラムで移動をしたら動きが取れなくなるだろうか、相手の移動と若干距離がある。そしてモルガンはどうも公共交通機関や自動車で移動しているわけではないようだ。
車道を自転車かとっちゃんバイクで移動している感じの速度。向かう先はいくつか候補があるが、最初の候補と次の候補をスルーした。係留池以外は排気量で進入できなくなる道ばかりの方向に向かっている。薬師はそれを確認しながら、自動運転タクシーを捕まえて乗った。ベータが係留池付近に潜伏していれば、モルガンが脇目もふらずに係留池に向かう理由がある。わかりやすくて助かる相手だ。
係留池に向かう道すがら、朝から会社の回線で投げていたベータへの連絡にほんの少しだけ返答があった。
『会社怒ってますか』
体内回線にこっそりと囁く声がした。
「渋川課長の忘れ物の行方がたくさん判明しました。有給中なら労災にならないだけだと思います。モルガンが食いついてきたからお前しばらくニンジャ働きね」
『係留池に着きました。コワイ』
「追っ手が手に負えなかったら係留池に飛び込め、教授が食いにくる。その方が安心して帰れるから」
『もう飛び込んじゃうっぎゃ!』
あっ戦闘開始した、と誰かの声が視界の隅を流れた。誰だろう。誰だか判らなかった。
「ネコトラの集荷場の渋滞抜けたら着くからね。頑張って」
『はやくきてぇ、すごい身軽なおっさんイヤぁ!』
全力で係留池に飛び込もうとする謎の動きをする若そうな女と、それを止める若干若作りのおっさんの構図でしばらく頑張っていただきたい。できれば現地の警察が賄賂を乗り越え出てくる前にケリがついていれば、どっちが勝ちでもやることが少なくて済む。
薬師は、渋滞を眺めて、早く流れないかなと小さく欠伸をした。人間、退屈でも頭が疲れるらしい。
薬師が係留池周辺にある公園に到着した頃、状況は膠着していた。一見モルガンが有利に見えたが、どちらかが既に発砲したらしく観光客に警察を呼ばれていて、それから逃げながらの争いになっていたのだ。
下手くそ、と悪態をついて、薬師は現場に走った。まずやるのは、ひとり無駄に騒ぎながら地面を走っている警官の無力化と、ベータの動線の誘導。彼女は普通の人間の速さで現場にたどり着き、一番高いところをめがけて遊歩道の階段を上った。
警官の無力化だけならそう苦労もしない。うろうろ走り回っている姿が、係留池の上にかかる遊歩道につながる階段を上がり始めた。この辺で一番高い場所だ。薬師は、自分の身体で周囲から見えないように物陰を作って、象撃ちハンドガンに通常の弾丸を三発、雷撃弾を二発の順でこめ、教授への作業開始報を一瞬待った。
遊歩道の反対側からこちらに向かって走る警官が見える。
ベータに到着を告げ、自分を見つけて何度かその上を通るようにと現在地を知らせた。警官が走ってくるので、何食わぬ顔で歩いて近づく。すれ違いざま警官を掴んで足を払い、持ち上げそのまま助走をつけて係留池に放り込んで、着水を確認してから教授に作業開始報をした。
係留池の水は澄んでいて、上から見ると中で回遊している魚が見える。薬師は水族館の回遊魚の大水槽を上から覗く事が苦手で、子供の頃、あそこに落ちたら取って食われるといつも思っていた。それをもっとでかくした感じで少し怖気が走るが、背に腹は代えられない。
ベータの現在位置が近づいてくる。足場を見つけて空中を移動してくる感じだ。当然、モルガンが目に見えて追いついてきた。
ふたりとも、どういう移動をしているのか、先程ニンジャ働きとは言ったが本当にそれっぽい。そういえば、ベータが主に活動していたドールファイトレースは、空中戦の度が過ぎて、ドローンオペレーターとプレイヤーを直結するようになってから激闘度合いが増したのだ。ベータは元から空中戦が出来るように身体を作ってあって不思議は無いが、モルガンが空中戦をするのは久し振りに見た。地上で薬師に追い回されている時も時々速いが、比べものにならない速さ。彼はあれが本業だ。
「ようし、来い来い」
薬師は、他に足場もなく移動には自分の上を通らざるを得ない位置まで普通に歩いて移動した。周囲を見回すと、ベータがこっちを伺って,園内放送のスピーカー柱の上にしゃがみこんでいるのがわかる。
それを手招きして、薬師は背中に括り付けて納めていた銃を抜き周囲を伺った。何なら気を抜いたら足下に蹲った男が「はぁいルリコさん、今夜ヒマ?」などと言うことが何度もあったからだ。
頭上を、鳥にしては大きな影がきらきら光りながら横切った。その後を結構な罵声と悪態が追ってくる。薬師は悪態の移動スピードにほんの少し遅れて発砲してしまった。外した。押さえられなければ手ごと吹き飛ぶ衝撃を押さえ込み、次弾。次弾。頭上を移動する罵倒が落ちてきた。右の肘から先と、左のくるぶしから先がない。
「よーし、大人しくしとけ」
薬師が誰何の声を上げる前に、落ちてきた男は面食らった表情を向けて呟いた。
「ルリコさんか……来るの早すぎ」
「年寄りらしく早起きなんでね。もう普通のタマ無いから、追加で痛いぞ」
遊歩道の上に落ちた腕と足を拾い集めてきたベータが、ちょいちょいと薬師の背中をつつく。あとで、と言っている一瞬の隙に、片脚だけで飛びすさったモルガンは係留池に飛び込んだ。
「あー!! 逃げた」
「お前もだベータ、契約上残骸二体なんで、申し訳ないがこれで」
四発目に込めた雷撃弾をがら空きのベータの背中に撃ち込み、手から滑り落ちる腕脚のパーツを受け取ると、薬師はそのまま女の身体を水面に放り込んだ。
先程の三発の凄い銃声でさすがにドン引きした地元民が呼んだ警察が、今度は徒党を組んで迫ってくるのが見える。あれを相手にする装備は無い。薬師は、脱いだシャツワンピースに男の腕脚と銃をくるんで抱えると、係留池に飛び込んだ。
水面に顔を出すと、少し離れた所の水が盛り上がるのが見える。自重が重いせいか沈んでいくベータを取り逃し、薬師は慌てたが、足下に迫る水圧に今度は慌てて逃げようとして、巨大な何かに水ごと吸い込まれた。
翌日早朝。「☆あぐらいあ☆」にも存在する、船の係留池。潜水艦で出船届を出した契約機体が帰投したとして、通常の受け入れ手順が進み、その巨体は水中を進んで係留ポイントに到着した。
他の船の係留ポイントとは形の異なる、なだらかな坂状になっている水底。そこに真っ黒い巨大な魚のような何かが入ってきたのを見た近くの釣り堀カフェの店長が、仕込みがひと段落していたらしく、驚愕の表情で店から外に出てきた。
鯨かな、と彼の口が動く。と、巨体の口に相当する部分がぐぐっと開き、中から真っ青な顔色をした丸眼鏡の女性が現れた。あの水流で外れなかった眼鏡をかけ直し、布の包みを抱え、もうひとり、派手な色をした女性の手を引いて、あまり高くない口の高さをくぐる。
店長と目が合った女は、愛想笑いのつもりらしく口の端を吊り上げた困り顔をして、会釈をしてきた。
会釈を返した店長は、係留池の出入りゲートを停止もせず進入する赤色灯に気づき、それと女を見比べた。
「あーこっち、こっち……」
赤色灯をつけているワンボックスにやる気なさげに手を振り、薬師は、係留ポイントの目の前にあるベンチに腰を下ろし、でかい溜息を吐いた。ベータも隣に腰を下ろし、大きな息を吐く。船酔いだ。
鯨の体内で雑に排気温風を吹き付けられ全身を乾かされただけましといえばましだったが、これで身体が濡れていたら、風邪でもひくか、地上に上がる気力も無いところだ。
「はきそう」
「あたしも」
「しぬ」
「いきろ」
車止めに停車した車から降りてきた井筒と仁藤は、鯨が打ち上がっている異様な光景に目を剥いた。
「薬師さん、……これは」
「でっかい目々連」
ふたりはその台詞で所有者を察したらしく、それ以上は問おうとしなかった。
もう顔も上げられないという体たらくで疲労の色を隠さない薬師を、井筒はベンチ脇にしゃがみこんで覗き込んだ。
「モルガン君を回収して、尋問の後九重医院に送りつけないとならないのですが、どうですか、彼はどこに?」
「ヒレ下のラゲッジに詰め込まれてます。生きてるけど意識の有無はわからん。危ないからラゲッジの内箱ごと持ってった方がいいかも……あと腕脚取れてるけどこっち、まとめてくくって冷蔵庫の段ボールにでも入れて送ってやってください」
人権というものが、と軽く片手で顔を覆って呟く仁藤を無視して、薬師は、モルガンの腕脚をくるんだシャツワンピースを思い出してぱっとそれを剥がした。
濡れたままの布の中から象撃ちハンドガンが転がり出る。ベンチから銃が落ちるのを辛うじて押さえると、腕と足が落ちた。
井筒の口から珍しく慌てた声がした。
「や、薬師さんそれは、こっちではちょっと軽々しく使って貰っては困る。許可があっても十年以上前のものでは、揉めます」
「わかってます、知ってるから夕顔先生に預けっぱなしになってたんですよ。これも向こうに戻さなきゃ」
「るりっちー、その鉄砲に入ってるタマめっちゃくちゃ痺れて痛かったんだけど」
「悪いね、回収を動作一体、残骸二体で頼んじゃったんで、気絶しといてくんないとまずかったんだわ」
この状況でも落ちていない薬師の眼鏡の隅っこに、『野次馬がいるから早く潜行させたいんだけど、お話まだ終わらない?』と教授からの着信があった。
「モルガン生きてる? 自分の足で出られないと思うんだけど」
『停止中よ。ラゲッジ排出しましょうか?』
「警察車輌が九重医院に返送するそうで、ワンボックスだから放り込んで帰ればいいでしょう」
『了解、お疲れさま。こっちもいい感じで移動ができたわ。隣が法的に粗雑極まりない船で助かるったらないわね。運賃はひとり分にしとくわね。冷蔵庫の段ボール、その様子だと外注管理係に届けておけばいいかしら』
眼鏡を覗きこむ井筒を見やると、軽く何度も頷いているので、薬師はそのままテキストを打ち続けた。
「九重医院行きは着払いにしてください。冷蔵庫届けるのと多分いくらも変わらんと思う」
『重量が違うでしょ。大物運賃の運賃表に基づくわ』
眼鏡の隅の表示を逆から読んでいた井筒は、愛想の良さそうな相貌を崩さず言った。
「この鯨の持ち主の方ですか。九重医院へは外注管理係から元払いで送っておきますよ。厳重に囲んで叩く用意をしてから使うんで、モルガン君の再起動キーもいただけますか」
『バレたか。ラゲッジに同封しておきます。銃も夕顔先生のところに戻した方がいい? それとも押収されるかしら?』
「この銃の押収はしません。使用現場が向こうなので我々の仕事ではない。ただ、これは持ったままの越境ができないので、鯨に放り込んでよいでしょうか?」
『ラゲッジにモルガンと入れ違いで放り込んでくださいな。それではラゲッジ排出します』
薬師は、リボルバーの回転筒から雷撃弾の残り一発を抜こうとして井筒に止められ、渋々それを戻し、銃ごと鯨のラゲッジに放り込んだ。仁藤と井筒とベータが、内箱を運び、いっせえので車に載せる。
「あ、それと、ベータさん。今回の賞金主の心当たりでお話が聞きたいのですが、ご同行願えますか」
「えっあたし? ねえるりっち、あたし行ってお喋りした方がいいのかな。週末日曜日までお休みなんだけど」
「月曜に出勤できれば問題ないね。死亡確定の賞金をよその船の一般市民にかけて、よその船でぶち殺そうとしといて後ろ暗い事ない相手なわけがない、行っといで。ついでにヨーカンとお茶でも食わしてもらったらいい」
「……あたしヨーカンよりパフェがいいな。じゃあ来週ね!」
ベータとモルガンを乗せた警察車輌が去り、鯨が生物にはあり得ない後退進路で潜行し、早朝の野次馬ジョガーも消えた周囲は静かになった。
何となく疲れて、ベンチでぼんやりとしていた薬師は、最初から最後まで野次馬をしていたつりぼりカフェの店長が、鯨のせいでうっかり抽出に失敗したコーヒーのマグカップを持って出てきたのに気がついた。
「どうも。すごいもの見たわ。これどうぞ、失敗したからお代はいいよ」
「ありがとう、いただきます……これの決済機能生きてるかな……試しに少額やってみて動いたら、飯もいいですか」
薬師が眼鏡を取って振ってみせると、店長は笑って、「うちのロゴTでやってみます?」と答えた。
店でロゴ入りTシャツを購入できたので、客の居ない店内を横切ってトイレを借りて着替えをしていると、体内回線に、九重朝顔の面食らった声で着信があった。
『おはよう薬師さん、なんで俺宛にウチの夕顔から書類と荷物だけ届くわけ? あなた本人はどこ』
「あー……おはようございます、すみません。本人、昨日あった野暮用で係留池のつりぼりカフェです。荷物、預かってもらったらダメですか? 明後日からでしょ」
『ベッド空いたから飯食ったらすぐ来て。受付に名前言ったら良いようにしとくから』
すぐ来いと言ったって、受付が開くまでまだ三時間はある。途中の銭湯とコインランドリーでこの姿の後始末をしてから行こう。薬師は着替えを済ませて店に戻り、席をとると、モーニングのメニュー表を眺めて、注文用の端末をぽちぽちと押し始めた。
【了】
ティールブルージャケット 朝昼兼 @brunch_am1030
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