第10話 輸入雑貨店こぼれ話
輸入雑貨店を経営していた時、よく来てくださる馴染みのお客様の1人に、吉田さまといういい感じの奥様がいた。
背は160センチくらい、髪をショートカットにして、いつも2人の小学生くらいの男の子を連れて買い物に来てくださっていた。
張りのある、健康的な肌をした明るい印象の美人で、いつもステキな、派手ではないけどいかにも“いい物”といった感じの洋服に身を包み、色んな雑貨を買っていかれるのだった。
私も妻も、その方には好感を抱いていた。そして間もなく、その方のお母様もお得意様になってしまった。お母様はどちらかというと素朴な印象があったが、たちまち私の妻と意気投合し、一緒に2人でお茶などをする仲になった。
妻がそのお母様から聞いたところによると、吉田さまのご主人は大手の銀行に勤めていて、吉田さまのお父様は会社を経営されているとのことで、ああ、立派なご家庭なんだな、と思ったものだ。
吉田さまも、いい意味で賢く生き、私の妻のように経済的なことを何も考えずに結婚するのではなく、ちゃんと生活も見据えて、大手の銀行マンと結婚したわけだ。
それはそれでいい、しっかり考えて生きている、私はそう思ったものだ。
ところが人生何が起こるか分からない。
吉田さまのお母様とある日妻がお茶をして聞いた話では、ご主人が銀行を辞めさせられたというのである。
お母様は本当に素朴な方で、まるで話さずにはいられないといった様子で妻に全てを語ったという。それによると、大体こんな話らしい。
吉田さまのご主人は、吉田さまのお父様の会社の借入金の連帯保証人になっていた。ところがバブルの崩壊後その多額の負債を抱えたまま会社は倒産し、ご主人は家や家財を手放さなければならないだけでなく、自己破産を申請して、銀行も辞めさせられたというのである。
私は法律にも経済にも疎いからよく分からないが、まあ大体は確かそんな話だったと思う。
ご主人はそれ以来、引っ越し屋さんとタクシー運転手をかけもちで、それこそ不眠不休で働いて、借金の返済(?)と生活費などを工面しているのだという。
私はこの話がひどく身にこたえた。自分もバブル期には多少いい思いをしたが、この頃は既にひどい不景気で、輸入雑貨店も経営不振に陥っていたからだ。
まもなく、店が火事になるという事件があり、それをきっかけに私は商売をやめ、再就職先を探した。
私の駄作「へんてこりん店主」では、子供はこの時もう半年くらいの設定だったと記憶するが、実際はまだ生まれたばかりで、私は子供の誕生と同時に再就職活動を開始したのだった。
私の仕事はなかなか見つからなかった。2ヶ月か、3ヶ月か、仕事を探し続け、ある日その時も面接に行って、帰りに何の用だったか忘れたが、買い物か何かでデパ地下に寄った、その時、菓子屋さんで働いている吉田さまを見てしまったのである。
本来なら、デパ地下で働くようなタイプの女性ではなかったはずで、つまりはもっと優雅に暮らしていた方なわけで、私は見てはいけないモノを見てしまったような気がして、吉田さまには声をかけずにそそくさと立ち去った。
吉田さまはさほどやつれてもいなかったし、健康的な肌も健在だった。
しかし、私は何か、暗い気持ちになるのを感じずにはいられなかった。
人生、順風満帆とはいかない場合もあるということだ。
間もなく私も小さな会社に再就職できた。
つつましい、親子3人の生活をやっとスタートさせることができた。
負けてたまるか。私は何に対してか分からないが、そんな気持ちを持った。
負けてたまるか。
俺は絶対金持ちになって妻と子にいい思いをさせてやる。
そんな思いに、燃えていた。
実際は、そううまくはいかなかったのだけれども。
(この話は、ほんの一部分フィクションを含みます。ほんの一部分です)
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