第25話 切迫
城へ戻り、身も心も軽くなったことに気分を良くしながら執務机へ向かう。
机上には報告書が山積みで、一番上には最重要課題である人間軍についての資料が束になって積まれている。
まずそれを整理しながら頭に情報を詰め込む。
人間軍の招集率はまだ低いが、騎士団を含めいつ本格的に軍を編成し始めるかは分からない。
深い海溝を隔てた向こう側から最短距離でこちらへ来るのならば、幅の狭いゴブリン自治区あたりが狙い目だ。
攻め入るには最適だろう。
加えてゴブリン達は資源を求め度々人間側の大陸へ渡ることも多い。それはもう気付いているはずだ。
何より、ゴブリンが人間へもたらした被害は圧倒的。
恨みも多いことだろうが、だからといって蹂躙されることは看過できない。
最悪の事態を想定し早期からゴブリン達の退避を勧告するべきか。
事前に情報が入ることを前提としこちらへ攻め入られる前に海底へ沈めて事なきを得るか。
どちらにしてもまずはゴブリン達の渡航を禁止するべきだろう。
「魔王様、お帰りになりましたか。お早いですね。」
バゼルを念話で呼び出すと、生暖かい笑みを向けられた。
何かまた面白いものでも見つけたのだろうか。
そう思い要件を簡潔に伝える。
バゼルはならば今すぐにと彼の部下へ向かうよう命じた。
「…久々に息抜きができたようで何よりです。」
ふっと不敵な笑みを浮かべた彼を見て、私は料理屋でのことを思い返す。
「…そんなに悪い顔色でもしていたか?」
そう聞けば、バゼルは片眉を上げて怪訝そうに首を傾げた。
「普段とそう変わりませんけど。何か言われたんです?」
「疲れているように見えたと。」
バゼルの目が輝きだす。
それはもう宝物でも見つけたかのようなきらめきだ。
「へぇぇえ。」
その異常とも言える目に何故だか身のすくむ思いがして思わず後退る。
しかしすぐにまた皮肉な笑みを張り付けて彼は言った。
「見た目は変わりませんけど。しいて言えば、雰囲気ですかね。行く前よりか解れているように思います。」
雰囲気。
考え込む私をよそにバゼルは扉へ手を掛けながら言い残す。
「…魔王様の顔色を見分けられるなんて、貴重な人材ですね。大事にした方が良いですよ。」
バゼルの言葉に一理あると頷く。
彼女は私と話ができるどころか、私と目を合わせて観察し、私ですら分からなかった体調の変化に気付いたのだろうか。
そうだとすれば彼女は全てを見通せると言われる千里眼でも持っているのか。
「…不思議だ。」
そう呟いた時、扉が勢いよく開かれ驚きに肩を揺らす。
「魔王様!ご報告です!ゴブリン自治区に行った騎士から、ゴブリン達がいなくなっていると!」
飛び込んできたバゼルが珍しく必死な形相で告げる。
おかしな話だ。
ゴブリンは命の危機にでもさらされない限り決まった土地を縄張りとして守り、物資や食糧の調達へ出かける。
それが誰もいないとなると。
私は立ち上がる。
「もう攻め入って来たのか!?」
「違いますッ!ゴブリン達は先に人間たちの情報を入手していたんです!今回の争いは、彼女のためだと…!」
戦慄した。
「今すぐ確保しないと―――魔王様!?」
「ゴブリン達の逃げ足は速い。だが私が向かう方が早く、確実だ。」
「っは、い…」
そのまま転移した場所ではまさにこれから争いが始まるまさに中心だった。
草食獣人対ゴブリン達。
その中央へ下り立った私はゴブリンを見つめて言う。
「何故お前たちはここにいる。」
「ひっ」
至る所から聞こえる悲鳴に、魔力を押さえるのを忘れていたと一瞬我に返る。
軍団で押し寄せていたゴブリン達は、自慢の逃げ足で下がろうとしても奥にいる仲間につっかえて身動きも取れずに目の前へ来た私を見て涙目に平伏した。
「ず、ずびばぜん
鼻水や涙の混じる濁音に顔をしかめると、他の者が慌てて声を上げた。
「そ、そそそそうなんですす…!あの女さえ返せばばば、おら達の縄張りもぅう」
「女
歯の噛み合わさっていない言葉の他にも正当性を主張する言葉が多く上がる。
やがて草食獣人の間にも迷いの声が聞こえてきた。
「本当に人間が攻めてくんのか?」
「嘘だろ?」
「でもゴブリン達がここまで来るってことは…」
「うるせぇ。シェリーちゃんはここの従業員だ。渡さねぇぞ。」
口々に囁かれる言葉に眉を寄せ、私はゴブリンへ向き直る。
「その情報が確かだと言う証拠はどこだ。」
私の言葉に涙声や鼻水をすする音さえ一瞬、止む。
「今こちらでも詳細を調査しているところだ。無駄な憶測で勝手に動くな。…己の自治区へ帰れ。」
少しの間顔を見合わせていたゴブリン達が、後ろの方から順に脱兎のごとく去っていく。
最後まで口を開閉させていたリーダー格のゴブリンも、終いには情けない顔をして仲間に腕を引かれていった。
「……シェリーはどこにいる。」
遠くまで行って戻ってこないのを確認すると、私は振り返って一番近くにいた雄牛の獣人に尋ねた。
ところどころ傷が見られる。彼が一番最初に立ち上がったのだろうと察せられた。
そして顔を青くしながらも、あちらです、と店の中を差してくれる。
「そうか。」
最後まで断固として前へ立っていた彼を今一度見返し、思い出す。
いつも調理場にいる青年だ。
「…よく守った。」
そして私は扉を開き店の中へ一歩踏み入れた。
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