悪女と魔王

文木-fumiki-

第1話 吹っ切って前を向こう。


「要らん。そんなもの。」


 目覚めてそう経たないうちに、意識をはっきりさせる間もなく、

 冷淡に発せられたその言葉は、私の鼓膜にひやりと冷気を流し込むように響き、

 その顔は数多の男子生徒よりももっと面立ちが大人びていて、精悍で、

 それ以上に、真っ黒な細められた瞳は、家人よりもずっとずっと鋭利でした。


 そして私は思いました。


 ――ああ、殺される。


「「ず、ずびばぜんでじだぁ!!!」」


 走馬灯がチラついた私を、両脇に立っていたゴブリンと呼ばれる魔物が音速の域でまた縛り上げて麻袋へ投げ込む。

 きっとそのままの勢いで走っているのだろう、どの方向へ揺れているのか分からないくらい麻袋の中はしっちゃかめっちゃかで、私はふっと意識を手放した。


「―――…ああ……」


 私が浮気していると主張して婚約破棄してきた婚約者、一発殴れば良かった。


 後悔したことは、それだけだった。

 それ以外は…もちろんあのゴブリンのことだって責めたりはしません。


 そもそもは私が、婚約者を信じた実家を飛び出して、泣きながら走っていた私が、暗い影に気付かなかったことが悪いのです。

 頭を殴られ目覚めればあの事件…

 事件です。私が先程までいたのは恐らく魔王城でしょう。


 そして意識が浮上した時に聞いた言葉が蘇る。


「この女を魔王様に献上しよう!」

「見た目は悪くない!きっと喜ばれる!」


 ああ、嬉しそうにそう言っていたゴブリン達…殴りたい。

 責めると殴るは別でしょう。献上するならもう少し丁重に扱うべき。

 それよりも、心に引っかかっているのはあの言葉。


「―――スゥ…」


 大きく息を吸い込んで、ピタリと止める。

 そして、一気に吐き出す。


「ふっざけんじゃねぇよ!!!!何が要らんそんなもの、だよ!!!何様だくそぉ!!!!!!!!」


 魔王サマがよぉ。


 兄も弟も口が悪いので、私もそうなりました。

 いつもは淑女としてきちんと、努めていましたわ。


「何なんだよティーゼルも!!お前のために友達増やしてたら浮気ィ!?てめぇが陰気でつまんねぇから私が頑張ってたんだろが!!地獄に堕ちろ!!!!!」


 あら、止まらなくなってしまいましたわ。

 大変。やはり学園の生活は窮屈で仕方がなかったのですね。

 しっかり息抜きをしておけば良かったわ。


 それから散々元婚約者の愚痴を言って、ついでに要らんと言われたことにも抗議しながらゆっくり起き上がる。

 体は動くし、頭も…ええ、とりあえず元気に愚痴を叫べるくらい体力もある。


「これからどうしましょう…」


 はぁ、とため息をつきながら立ち上がると、遠巻きにこちらを伺う魔物たちの姿があった。

 気絶していたと思ったら大声で叫んでいるから驚いたのだろう。

 それにしても襲われないし、魔物とは言っても人の形をとる者が多い。

 実際にまじまじと魔物を見るのは初めてだ。学園で習うよりもずっと理性的なのだろうか。


 先程のゴブリンよりもずっと話が通じそうだ。


「あの…すみません驚かせてしまって…私、人間の大陸から参りました。よろしければどなたかお水をいただけませんでしょうか?」


 これでも貴族の娘。自分を綺麗に見せるようお辞儀をしてにこりと微笑む。

 しかしざわめきが広がるばかりで一向に誰かが話しかけてくる雰囲気はない。


 私は一歩、足を踏み出す。


 魔物たちは一歩、下がる。


「ちょっと混乱していて…できれば、宿なんかもいただければ…私にできることならば何でもさせていただきますわ。」


 一度死を覚悟した私に、もう怖いものなどありませんでした。

 吹っ切って前を向いてやろうじゃないですの。


「おい。聞こえてんだろ…誰か一人くらい返事しろや…」


 ギロ、と私が薄茶の瞳を向けると何人かが身を翻して逃げようとした。しかし予想以上にギャラリーが集まっていたため、私の標的は完全に逃げることはできなかったようでした。


 ひとりの方を強めに掴んで、私は笑顔を向ける。


「私、何でもやりますから。お伺いしてもよろしいですか?」


「は、はぁぃ…!」


 私が肩を掴んだ、羊の耳を持った小柄で可愛らしい魔物さんは涙目で頷いてくれました。


 身なりも良さそうで土仕事をしているような様子もなく、ごく普通の街にいる娘に見える。彼女のところならば、きっと何かしら自分にできることを見つけられるかもしれない。


 刺繍には自信があるけれど、こちらの大陸のマナーなどは分からない。

 だからといって畑仕事などの体力を使う仕事では、手伝う気があっても役立たずも良いところだろう。箱入りのお嬢様だったのだから。


 まずは年の近い友人を無理やりにでも作らないと生活は厳しい。それは社交界でも同じこと。


「何も持たない私ですが、どうぞよろしくお願いいたしますね。私のことははシェリーと呼んでください。」


「わ、わわ、わちしは…メリィですぅぅ」


「名前の響きが似ているわね。仲良くしてくださいな。」


 プルプルと震えているけれど、きっと話せば伝わる。メリィさんはふわふわな白い髪にくりくり茶色い目で可愛いし、ぜひお友達になって欲しい。

 それに実家に帰る労力に比べればここは悪いところではなさそうだし…ええ、ここで生きていくしかないの。


 大丈夫よ、私。しっかりして。

 ここで頑張りましょう。

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