クロスチャイルド
山田麻衣
クロスチャイルド 第1章 ミラク編
クロスチャイルド 第1章 ミラク編 序章
乾いた砂漠で一人、一心不乱に水をまく。
それがいかに滑稽であるか、僕はよく知っている。
神などいないと叫びながら、必死に神のにおいを探しまわる犬だ。
世界はいつだって矛盾していて、僕はその天秤を今日も揺らして生きている。
あの日の君はもういないのに、それでも君の偶像を探し続けて彷徨っている。
何もかもを諦めてしまう前に、最後の賭けに出ることにしよう。
君の空っぽな墓前の前で、全てを終わらせるために復讐の誓いを立てた。
【序章】
新月の夜、見上げた空には雲一つなく、天頂付近の一等星が、今宵の主役と言わんばかりに輝いていたが、見えたのはそれ一つだけで、街の灯りが星空の存在を忘れさせていた。
宵闇に包まれたまま、孤独の真ん中に一つ、眩いほどの光を発している。
ユキはその存在を自分に似ていると思ったけれど、少し考えて、やはりそうではないと思った。
星たちは見えないだけで、確かに存在し、沢山の仲間がこの空のどこもかしこもを埋め尽くしている。
それらは整列され、あるいは散らばって不規則に広がりをみせて、計り知れないこの空の果てで眩い光を発し続けている。
人々は、その星一つ一つにそれぞれ勝手に名前を当てはめ、物語を作り、この宇宙の神秘を更に神格化して、今日に至る。
あの星はやっぱり全く似ていない。
僕ではない。僕はずっと一人だ。そしてこれからもずっと、一人なのだ。
ユキは自分自身の事を考えるのはやめることにした。
冷たい風が下からも横からも容赦なく吹き乱れ、かじかんだ耳が痛い。
地上60階建の高層ビル。その屋上にある突き出た尖塔付近にユキはいた。
目線を落とした先の摩天楼から見下ろす景色には、光が行ったり来たりしていて、少なくともユキには星よりもずっと強い熱を放出して輝いていているように見えた。
まるで劇場にいるような気分だ。
目の前で起こる喜怒哀楽のさまを、ただ傍観する観覧者の自分。
一幕の中に込められた魂の叫びは、衝動は、自分の人生にはきっと関係のないこと。
そんな静寂と混沌の狭間の中で、自分だけが誰にも見つからずに立っているような気がした。
行き交う車は縦横無尽に空を飛び回っている。
けたたましい音があちらこちらで騒ぎ立てている。
まるで機械のるつぼだ…と思う。
人工的に作られた、煌びやかに輝く街の光があまりにも眩しくて、目が眩みそうだった。
煩わしいほどの風音が耳を支配し、時折、叫びのようにも聞こえた。
灰と黒が混じり合った、ユキの柔らかい髪がなびいて目に入るのがうっとおしい。
ユキは目を瞑り天を仰いだ。
目を閉じると、何度も夢に見た光景が広がってくる。
想像の彼方にみえるのは、いつの時も脳裏に焼き付いて離れない、そびえ立つ銀嶺。
下からなめるように上昇し、光り輝く頂上を見据えた。
風の音だけがうるさく耳に響き、食べ物もなく、草木も生えない、生命の音さえしないその場所は、一歩踏み外せば奈落の底まで落ちていきそうなほどの足場の悪い崖に行くてを阻まれている。
光と闇が同時に存在する狭間に、誰にも気づかれないように立っている。
想像の先でも、ユキはどこにいても独りだった。
灰色の空に覆われたモノクロの世界には、喜びも悲しみも、辛さも何もなかった。
どうしてだろう…行ったことも見たこともない場所なのに、どこか懐かしさを感じていて、不思議な感覚だった。変な夢だ。
何度も繰り返し見ているからなのかもしれないが、あまりにも立体的でリアルだ。
現実と夢の境目が揺らいでいく。
ユキは目を開いた。
目を開いた先の現実世界に舞い戻ると、気を引き締めて足に力を込めた。
ユキは刻一刻と迫る時をずっと待っている。
腕時計を見やると、長針と単身がそっと寄り添うように午前時をさしている。
そろそろ標的がこのビルにやって来る。
その時に狙いを定めて、ここでユキは待っていた。
時間通り1分の狂いもなくそれはやって来た。
それを確認すると、何の躊躇いもなくビルの屋上から飛び降りた。
強風が地面から吹き出て空に向かって吹き、その間をユキの体が切り裂いて落ちていく。
エアカーやバイク、パトロールドローンの間を、ユキの黒い影が魔法みたいにすり抜けていった。
この感覚を一言で表すのならば、この星に引き寄せられ、呼び戻されている感覚だろうか。
磁石が引き合うように、高速で繋がり合い一つに重なり合っていく。
ユキは流れに身を任せ、そのまま真っ直ぐに落ちていった。
高所から落ちていき、この星と重なり合おうとするこの瞬間は、ユキにとってたまらなくなるものの、数少ない一つだった。
目標の車まであと10メートル。
体を丸めて着地体制に入り、到着目標の黒塗りのセダン仕様のエアカーの天井に飛び降りた。
地上3メートル付近で浮遊してたその車は、地面に勢いよく叩きつけられた。
躊躇いなどは一切ない。
思いきり踏みつけると、爆発したかのような大きな鈍い音が響き、大きく歪曲した車体の屋根部分が地面に届き、大きく凹み潰れていた。
60階建ての高層ビルから飛び降りたというのに、ユキの体には何ひとつ傷はなく、降り立った時に少し足がじんじんと響くだけだった。
事の顛末を見ていた往来を行き交う人々の叫び声がこだました。
叫びは共鳴して膨らんでいった。
いきなり人が飛び降りてきて、車を潰し、そして平然と立っているのだ。
この異様な光景に人々は阿鼻叫喚の巷と化した。
ー車内にいた人は同様に潰れているだろう。
なんて人間は柔らかい。
なんて人間は簡単に死んでしまうのだろう。
自分と容姿は似ているのに、全く違う生き物であるということをユキは改めて感じ、そんな事を思いながら、割れた窓に飛び散る血を眺めていた。
標的(ターゲット)は既に車の中で息絶えていたが、その周りを固める黒いスーツ姿の男性何人かがユキを囲み銃を向ける。
何かを叫んでいる。
突然起こった混乱の最中、満身創痍の男たちの声は悲痛と憤怒の叫びだった。
それでも、銃を向けられているのにも関わらず、顔色を変えることも命乞いすることもなく、何にも興味が無さそうに一瞥するだけのユキに、銃を向けている男たちの方が恐怖のようなものを覚えていた。
任務完了。仕事は終わった。
ユキにとって、人間の命は簡単に握りつぶす事ができる、とても脆いものだった。
まるで蚊を潰すかのように、何も気に病むこともなければ、罪悪感を抱くこともない。
言われた通りに、命に手をかける。ただそれだけのこと。
組織の頭を殺されて混乱し、そしてその悔しさを滲ませた瞳でユキを見ている。
恐怖・憎悪・殺意が入り混じったなじるような目だ。
感情が爆発したかのようだと思った。
全ての色がそこにある。
自分ではない誰かの為に泣き、悲しみ、そして怒りを露わにする。
ユキは、誰かの為に、怒ったことも泣いたことも、悲しんだこともない。
何もない、空虚で空っぽの存在で、それは今日まで変わることなく生きてきた。
レーザー銃が放たれる。
その刹那、ユキは体を逸らしレーザーを避け、避けたレーザーは別の通行人の肩を掠めた。
叫び声ととも現場は大パニックになり、誰かが通報したのであろう、警察のサイレンが遠くからどんどん近づいていくる。
パトロール用のドローンは既にユキを捉えており、気味の悪い警告音を鳴らしていた。
様々な機器がユキを囲み、全ての視線がユキに集中した。
「あんまり人に見られるわけにはいかないんだ。」
そう言った瞬間、ユキはその場にいた黒スーツの男たち全員を一瞬で切り裂いた。
ユキを録画していた媒体も全て、同じようにした。
やられた方は何が何だかわからなかった様で、気がついたら目の前が血であふれていた。
それが自分の血だと知るのに少し時間が必要だろうが、その頃にはもう意識は消えているだろう。
それぞれ急所を切り裂き、放っておけばいずれ生き絶えるからだ。
機械はただのゴミになっていた。
ユキは血まみれになった腕を拭くこともなく、何事もなかった様に闇夜に消えた。
誰かが最後の力を振り絞り、「し…死神だ…」と小さな声で呟いたのを聞き逃さなかった。
ユキの腕に付けられている、クロスが掲げられた腕章がじわじわと血に染まる。
(僕は、そんな存在じゃない)
ー死神だって、神様じゃないか。僕は神様なんかじゃない。
ユキは警察が来る前に、その場を離れた。
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