外宙域最終列射

伊丹巧基

外宇宙最終列射

 指の隙間に隠し持っていた剃刀は、変革をもたらす得物としてはあまりにも貧弱だった。どうせ無価値な存在だと打ち捨てられるくらいなら、自分より価値のあるやつの一人でも巻き込んでやろうという魂胆だったが、ここで指示を出しているのは遠隔操縦のロボット共だ。


『まもなく終点、外宙域に到着します』


 人類は増えすぎた。なので、一人一人の価値を定めて、存在していることが地球全体のデメリットだと判断された人間が捨てられることになった。そんな理屈を、知っているのと体験するのでは話が違う。しかし、あれだけ苦労して持ち込んだ剃刀で、この場で死んでやる勇気すらないのが私なのだ。


『本列射は、あと一時間後に終点に到着し、直後放流予定です。また、皆様に思い残す時間は与えられますが思いを残すことは出来ませんのでご了承ください』


 台本を読み上げているのか、今この場で思いついた悪趣味なジョークなのか分からなかったが、それを聞いてこの車内にいる青ざめた刈り上げ男が立ち上がった。


「うるせえ、早く黙らねえとぶっ壊すぞ」


 男が肩を怒らせ掴みかかろうと迫ったが、無機質な外装のロボットには掴む袖はなかった。そして半自動で突き出されたスタンガンは、男の気勢をそぐのに十分な電気をまとっている。刈り上げは忌々しそうに手すりを殴りつけるも、プラスチックで覆われた金属の手すりは鈍く短い音を立てただけだった。

 この中にいるのは四人。さっきの刈り上げ男、うずくまったスーツの女、さっきから隅でじっと周囲を窺っている老人、そして私。他にも同じような射両は続いているようだが、他の射内の様子は窓の角度からは見えなかった。


 この列射に乗ることが分かったのが今朝。昼飯はいつも食べていたチューブ麺。施錠された家の戸が開けられて、白服のいかにもな連中に連れ出された。そうして乗せられたこの列射から見えるのは風景ではなく宙景。夜空よりも間近にそこに星の瞬きと暗黒の空間が広がっている。

 宇宙に人間が生身のまま放流されても、すぐに凍り付いたりはしないらしい。約十秒で意識を失い、心臓が止まる。そして徐々に水分が沸騰しそのまま朽ちていくのだ――ということを向こう側にいる声の主は教えてくれた。


『まあ、その意識を失うまでの十秒間は辛いかもしれませんが、あいにく地球にはあなた方を埋める場所すらないんです。ええ、心苦しいんですが』


 土地はある。だが、価値のない人をガス室で処分してまとめて埋めると抗議団体の拠点になるし、不吉だのなんだの言われて土地の値が下がるからやらないだけだ。どこかで覚えた知識が反射的に脳裏に浮かんだが、この知識は自分を現状から救ってはくれない。


『この列射は全長十二キロ、鉱物採掘、調査用に利用されたワイヤー線を再利用して運航しております。年間約一千万人にご利用いただいております』


 それにしても、よく喋る。ロボットの画面には顔が映し出されていないが、どんな人間なのかを想像する。痩せてそうな甲高い声、やや興奮気味な早口。この職が天職なのだろうか、妙に明るく楽しそうにやっている。悲しいことに、そんなやつでも彼はこの射内の誰よりも価値があるのだ。

 価値に見合わなければこの列車に乗せられ、宇宙を漂うチリの一つになる。成果主義に暴走した正義が噛み合って、交わるように迷走した結果がこれだ。人類の死因一位に長年居座ったがんは、この列射に取って代わられた。ついでに言えば、自死は世界規模で増加傾向にある。


『今回の列射への乗船数は二十一万百十六人。我々も皆様のご冥福をお祈りしながら、快適な宙の旅をお届けいたします』


 このアナウンスの主は、少なくとも自死は選ばないだろう。声に含まれる嘲笑と優越感、そして満たされているという自覚。それで幸せそうでうらやましい限りだ。

 いい加減、調子づいた人間の話をずっと聞いているのは不愉快だった。どうせ中途半端な人生を送ってきたに違いない。こちらと不幸自慢をしたらいい勝負のくせに、たまたま成り上がれただけで全能面してくるから質が悪い。

 やるせない気持ちでため息をついてから、最期の会話相手が欲しくなってもう一度周囲に目をやる。乱暴な男はまだ怒り心頭と言った様子だし、女は女で、怯えているのか隅で頭を抱えて震えている。女と話したいが、あれでは会話が成り立つ余地もなさそうだ。

 そうなると、あとは消去法だ。立ち上がって、ただ静かに座っている老人の方に向かう。


「なんだ、アンタ。私は死の時まで静かに過ごしたいんだ。邪魔しないで貰えんかね」


「そう言わないでください。黙って考えているよりは、こうして誰かと話していた方が落ち着くと思って」


 老人のうろんな目線を感じたが、正直死ぬ前くらいは相手の顔色をうかがわずに好きにしたい。

 しばらく試すように老人はこちらを見ていたが、諦めたように口を開いた。


「まあ、いいだろう。一人で物思いにふけっていても無駄だということか」

 一人で合点したように頷いて、老人は姿勢をゆるりと変えた。


「最後の時に、なにを話したいかは知らんがね。身の上話を聞くぐらいはしてやろう」

 身の上話と言っても、自分に語れるような話はない。死んだようにただ仕事をして生きていただけの、価値がないと見限られる人生だったというのは、ここに居る時点で知っているからだ。


「いえ、私はむしろあなたの話が聞きたいです。傷の舐め合いにしかならないかもしれませんけれど、あなたは少なくとも私よりも長く生きているでしょう。何か語れる話でもあるのかな、と」


「そう言われてもな。この通り、子孫も残さず生きるだけ生き、大人しくこの列射に乗ることになった老いぼれだよ」


 そんな答えは望んじゃいない。仕方がないので、こちらから聞くことにする。


「じゃあ、お仕事は何されてたんですか?」


 見た感じだけで言えばどこかの会社の管理職のような気もするが、人を見た目で判断してはいけない。まあ、ここにいる時点で何かやらかしたか、汚職でも働いたかだ。当人が産み出した利益を大きく上回る損失を出してこの列射に乗せられる奴だっているのだから。

 渋々、と言った様子で老人は口を開く。


「……研究者だった。生体工学や、細胞生物学……まあその辺と言えば分かるかな」

 驚きと共に納得感が生まれる。やはり人は見た目で判断してはいけない。そしておそらく、この老人は嘘がつけない手合いなのだろう。聞かれたことに正直に答えてくれた。


「研究者? すごいじゃないですか。じゃあ、なんでこんなところに?」


 老人は一瞬驚いた顔をしたが、気を取り直したようにため息をつく。


「……それはもちろん、与えられた予算に見合うだけの成果を出せなかったからさ。それでも十分見逃された方だとは思うが、さすがに若い世代には理解力が追い付かなくてね」


 職業柄、こういう言葉には鼻が利く。納得できるぎりぎりのラインだと思ったのだろう。


「お払い箱ってわけですか。でも、本当にそんなことあります? こう言っちゃなんですが、学者先生をこの船に乗せたなんて話は聞いたことがないですよ」


 老人が押し黙る。やはり勘は当たっていたらしい。声を小さく、周囲に目を配って配慮している体をよそおう。


「別にいいじゃないですか。どうせお互い死ぬ身なんです。腹割って話してみては?」


 老人の不信な目を受けつつ、じっと相手の回答を待つ。少し考え込んだ後、ようやく口を開いた。


「……まあ、問題はないか。そうだな、私の研究は、分かりやすく言えば細胞の破壊技術に集約していた。特定の細胞のみをピンポイントで破壊する研究だ。それが成功していれば、私はこの船ではなく床で成仏していただろうが」


 正直よく分からなかった。学校で習ったことも、死んだように生きていれば腐るだけだ。首をかしげる私に、老人は続ける。


「簡単に言うなら、私は目的を成し遂げることは出来なかった。単純に細胞を破壊したいなら放射線でも使えばいいし、がんは今ではナノマシン治療でほとんど治る。結局、時代遅れの研究をし、成果すら出せなかった私が打ち捨てられたというわけだ」


 そう言うわりに老人の口調は穏やかで、それが不思議に思えてきて、つい口から言葉が飛び出す。


「その、悔しくはないんですか?」

「というと?」

「せっかく研究してきたのに、なにも成せずに終わったってことにされてしまったんでしょう? 腹立たしい、とか悔しいとか……そういう気持ちはないんですか?」


 自分の口からこぼれた言葉に、自分自身が驚いていた。頭の中で、お前はそれ以上に何も成していないではないか、という声が反響する。内側から発生したノイズに顔をしかめる。

 老人は考え込む様子すら見せず、あっさりと言い放った。


「いや、私はね、今が人生で最も心穏やかだと言えるよ。幸い、今日まで猶予はあったからね。私自身に、ふさわしい幕引きを用意することができた」


 晴れやかな表情に、つい歯噛みする。私は今、そんな表情が見たくて話しかけたのではない。最後くらい、慣れ合ってもいいじゃないか。


「諦めがいいですね。私はどうしても諦めがつかなくて……せめてひと騒動くらい起こしてやりたいんですよ」

「ひと騒動? 例えば、どんな?」


「例えばほら……この船で反乱するとか。一応私、こんなものを持ってまして」

 手品の種でも明かすように、こっそりと、手の隙間から剃刀を見せる。家にある刃物で隠せそうなものはこれだけだった。馬鹿げているが、連行される直前の追いつめられた頭には、監視の職員の首にカミソリを当てて逃走を図る自身の姿しか浮かばなかったのだ。


 当然というべきか、老人はやや驚いた様子を見せたあと、呆れ半分で苦笑し始めた。

「君、そんなものでどう反乱するって言うんだ? こう言ったら悪いがね、それは見落とされたんじゃない。見逃されたんだ。船内で自殺しようが、別に問題はないからね」


「そうは言いますが……爪痕を残したいじゃないですか」


 だってこのままいけば宇宙に放り出されるんですよ、という言葉は飲み込んだ。老人にはどうでもいいだろうが、自分の口から聞いて認められるほどではない。直視したが最後、この射内に無数にいる奴らの同類になるのは目に見えているからだ。


「そうなる前に爪痕を残すか、その準備をしておけということさ。まあ、後悔する時間しか残されていない我々には、考えるだけ無駄な話だな」

 老人の枯れた笑い声が、いやに耳に残り、脳を掻くように刺激する。先ほどまで装っていた余裕が剥がれ落ちていく。あれだけ隠していた剃刀を、気にせず胸元のポケットに入れる。


「じゃあ聞きますがね、あなたには、今から何か爪痕を残せるものがあるとでも?」

 先ほどとは違い、これは完全に悪意を持って放った一言だった。さあ、どんな反応を見せてくれるのか。しかし、老人はその問いに即答する。


「まあ、多少は。と言っても、君の与太話と大差ない、自己満足の塊みたいなものだが」

 嘘や見栄を言っている様子はない。落ち着き払った様子で座っているその様は、この場にいる誰よりも――ひょっとしてあのアナウンスの奥の人々よりも穏やかに見えた。


「何かこれから起きるって言うんですか?」


「もし何か波乱を期待しているなら諦めたほうがいいな。私が生きている間には何も起きない。それに、君もそれを目にすることはないだろう」


 老人は私の言葉に答えるよりも、何か別のことを気にしているそぶりを見せた。急に腕がかゆくなってきたのか、傷だらけの肌を爪で撫でる。その発作が収まったころ、あの饒舌な声が再び木霊する。


『さて、間もなく出向の時間です。覚悟は出来ましたでしょうか。ああ、怖ければ自らの命を絶っても構いません。泣いても笑ってもあと十五分後に、本列射は全ての車両の扉を解放いたします』


 その言葉と共に、箸でうずくまっていた女性がどさりと倒れた。失神したのか、毒でも飲んだのか。どうでもいいことだった。

 老人もちらりと目をやったあと、時刻を確認し私の方に向き直る。


「さて、時間切れも近いし、話してもいい頃合いかな」


 そのすわった眼は、もう覚悟の定まった色を帯びていて、私は自分もあと十五分の命だというのに、ついその話を聞こうと身構える。


「さっき君は、どんな爪痕を残せるかと言っていたかな。そうだな、私の爪痕は――この宇宙全体に散らばる、花火になることだ」


 何を言っているのかよく分からず、首をかしげる。


「おっと、すまないね。詩的な表現をしたいわけじゃないんだ。ただ、個人的にこの言い方が一番気に入ってね」


 花火。花火。口をもごもごと動かして考える。爪痕と花火を頭の中で結び付けようとして、上手くいかなかった。


「自分自身の細胞に、ある仕組みを付け加えたんだ。細胞変異を起こす、と言えばなんとなくは分かるかね?」

「細胞変異、ですか」


 頭の中で、子供のころに見た、透明な薄い泡のような何かが形を変える映像を思い描く。


「このままいけば、私は宇宙空間に放り出されて、空気を失い死ぬだろう。そして水分が沸騰しズタズタになる。普通はそこで終わるだろうね。だが、私という生命の終了と同時に、私の細胞は再度活性化するんだ――私を構成していた全てを破壊し、爆散するためにね」


 爆散。宇宙空間での爆発と聞いて、子供のころの宇宙戦争アニメが脳裏をよぎる。人間自身を爆弾にする、なんて話もあったような気もする。人が爆弾を小脇にかかえて、無意味に戦艦に直接突っ込んでいくのだ。

 その突飛な結論に、私は不思議と納得していた。この老人の諦めたような話の節々で、感じていた一貫した芯を感じていたが、ようやくその理由が分かった。

 要するに、イカれているのだ。この列射に乗るよりも、もっと前から。


「傍から見れば、私の肉体は宇宙の中で無数の断片となって破裂するだろうね。それこそ、花火のように。爆発に爆発を重ね、私は宇宙の塵よりも小さな物質となり、宇宙の中に溶け込んでいく。古代の人々が、自身の灰を海に撒いて大地の一部になりたかったように……」


 スピリチュアルには興味がない。人生の最後に聞いた話としては面白かったが、あいにく死後の姿にも世界にも期待していない。ズタズタだろうが塵だろうが死ぬのは変わりないし、仮に天国があっても行けるような人間ではないことも自覚している。


「なるほど、すごい考えですね。私にはとても理解できない、すごい規模の話だ」


 ついつい、皮肉を投げかけてしまい、慌てて取り繕おうと次の言葉を探す。しかし、老人はもう私を視界にすら入れず、射窓から見える遠い宇宙を見つめていた。


『あと十分です。最後の時間は着々と迫っております。ここで、お別れの鎮魂歌を流させていただきます』

「最初から話さなかった理由はある。この細胞の仕組みには欠陥があった。一度機能しだしたら制御不能という点だ。それこそウイルスのように、周囲の有機体に広がっていく性質があるんだ」


 聞き流そうとしていたが、不穏な単語の並びに、こんな状況でも脳が反応してしまう。


「……待ってください。それって、私もその、細胞が感染しているんですか?」


「無論、そうだ。私と同じ空間にいれば細胞はどんどん書き換えられていく。少なくとも、君はもう私と同じ運命を辿ることになるだろう」


 気付けば老人の襟をつかんでいて、皺だらけの顔が視界に大写しになっていた。自分が反射的に暴力的な動きをしたことに驚いたが、それでも口は自然と動く。


「あんた、だから黙ってたんだな。クソ、最初からそう教えてくれれば……」


「近づいてきたのは君の方だ。それに持っているのがちっぽけなカミソリだったとしても、そのことを知って、君が誰かを殺して船内でひと悶着起こそうとする可能性は残されていたからな。この中で爆発したら血と肉片で大変なことになる」


 頭の中に、拡散する自分の目玉と沸騰する血液の映像が浮かんで、胃が締め付けられるような気がした。


「手遅れだって? じゃあ、私もアンタと同じように、死んだらバラバラになるってのか?」

「それを気にしてどうなる? 私たちの命もあと数分、なにより死んだ後の話だ。中途半端な宇宙のゴミも飛び散った塵も、君にとって差はないと思うがね」


 そう言われてしまっては、もう納得せざるを得ない。死体の尊厳なんかどうでもいい、孤独に死んでいくだけだと割り切っていたはずなのに、死ぬ数分前になって、急に自分の死体の末路を気にしているとは。

 腕に迷いが出て、老人の襟が指からこぼれた。逃れた老人はどっかりと腰を下ろす。


「やれやれ。そろそろこの話もおしまいにしてくれ。最後くらい、静かに過ごさせてほしい――」


 老人がすっと目を閉じた時、急に列射ががくん、と勢いよく停止した。当然手すりなどない船内で、壁面に叩きつけられる。

 一瞬視界がぐらりと歪んだが、幸い元から壁際にいたおかげか、肩を軽く打つだけで済んだようだ。

 何が起きたんだ、と頭を上げて、停止したのだと理解する。外の景色は変わっていないが、これはこの列射自体が停止したのだ。

 喚いていたあの男に目をやると、腕が変な方向に曲がって、頭から血が流れている。


『えー、非常停止連絡、非常停止連絡。射内の皆様はそのままお待ちください』


 やや焦りの見える声がアナウンスから流れたあと、再び沈黙が支配する。壁にぶつかった刈り上げ男の頭から、血がゆるやかに広がっている。そう言えばもう一人は、と思って女に目をやれば、どうやら気絶していただけだったのか、朦朧とした様子で言葉にならない音を発している。そのまま気絶していた方が、幸せだったかもしれない。


「非常停止連絡……」


 なぜこのタイミングで停射するのか分からず、口がアナウンスを反復する。中の人間がどうなってもいいはずの彼らが、慌てて止めるほどの事態などあるのだろうか。

 横の老人は無傷だったのか、やれやれと言った様子で再び腰を下ろし、目を瞑った。もはや命が数分伸びたところでどうでもいいという考えなのだろう。


 一分、二分。何事もないまま時間だけが過ぎていく。男を助けようとする者は誰もいない。まだおそらく生きているだろうし、たぶん本来なら助かる命なのだろう。

 しばらくして、私たちの車両の上に、鈍い衝撃が走った。この射両の運搬用カーゴ船が接続したのだ。

 エアロックの気密接続音のあと、重厚なドアがガコン、と大きな音を立てて開かれる。そして二体ほど、ガードロボが乗り込んできた。その顔面のモニターから、あの男の声が聞こえる。


『管理ID022-26-338-559884の方はいらっしゃいますか!』


 生まれた時から覚えさせられたナンバーに素早く反応する。恐る恐る手を上げて、首をかしげる。このタイミングで呼ばれるのはどういうことだ。しかも、いらっしゃいますか、と来た。

 正面のモニターの声が、取り繕った猫なで声を出す。


『あなたですね、確認します……はい、確認取れました。この度は申し訳ありません。どうやら選出の際、ある人物が自身のIDを一桁、こっそり入れ替えたらしく……あなたは対象ではないことが分かりました。詳しい説明は後程しますので、まずはこちらの運搬船にお入りください』


 説明の意味が飲み込めず、はあ、と気の抜けた返事をしながら案内されるがまま、車両に乗り込む。

 ふと、足を止める。どうやら命は助かるらしい。だが、生きて私が戻るとどうなるんだろうか。

 答えは、後ろの老人が教えてくれた。老人が血相を変えて立ち上がり詰め寄ってくる。


「待て! その男をここから出してはいけない! その男は……」


 言い終える前に、老人がガードロボによる電気ショックを喰らい昏倒する。ああ、やはりそういうことか。


「ええと、さようなら、おじいさん。どうやらそういうことらしいので、私は帰らせてもらいますよ」


 こぼれた笑みを隠す必要はない。それがどんな意味を持っていたか理解できる人間は、もう数分の命だ。


 運搬船の中で、私はずっと笑みを浮かべていた。ついつい笑い出しそうなのをこらえて、状況を飲み込めていない生還者らしく死体ないといけないのに。


『後日正式に謝罪させていただく予定ですが、我々の内部の者が今回の対象に選定されたようでして。彼はそれなりの権限がありましたので、自らデータを改ざんしたようです。内部監査で先ほど判明した次第でして……いやあ、あなたが無事でよかった』


 要するに不正の余地があったということだ。この制度に逃れる方法があったら、人々の不満は爆発するだろう。機械がすべて公正に選んでいるという前提で成り立っているのだから。神様の袖の下には何かが入り込む余地などあったらいけない。

 まあ、それももうどうでもいいことだ。私は助かった。老人はこのまま死に、望み通り花火となる。

 この湧き上がる感情をどうしたものか、と考えて、感謝だと思うことにした。余裕が出てきたら、老人の親族に会いに行っても良いくらいだ。

 船の窓をのぞき込むと、ちょうど発射されたらしい。開け放たれたロックから、ぶわあ、と人々が放出される。全ての人間の放出を確認した列射が再び閉じ、来た方向に向けて進行を開始した。

 その周囲には、無数の小さな粒が浮かんでいるのが見える。花火など、見えるはずもなかった。



 半日後、私は大地に帰還していた。帰還早々、私はやたら盛大に出迎えられる。明らかに縁のない官僚や、取材陣までいる中で、白服の人々が私に深々と頭を下げてくる。


「この度は大変申し訳ありません。我々共の不手際で、なんてお詫び申し上げたらよいか……」


 声を聞いて、ピンとくる。目の前で謝罪するこの男は、あのアナウンスの人物だ。

 そいつは、思ったより顔立ちが整ってはいるが、身長は妙に小さく人形のようだ。想像とはやや違ったが、あの車内でこの男に劣等感を感じ苛立っていた自分がウソみたいだ。

 俺は笑顔で男と握手した。力強く、それこそ友情を共にした相手の最後の別れと言わんばかりに、あらん限りの力を込めて握手をした。

 

 それから私は、普通の日常に返り咲いた。元々の仕事は解雇させられていたが、次の仕事はすぐに見つかった。このご時世、直接足を使って会いに行く仕事は人気がない分募集も多い。

 私は丁寧に、一人ひとり丁寧に向き合い、積極的に誰かに会うことにした。私の笑顔は、それなりに評判らしかった。なんなら、あの事件を覚えていた人もいるらしい。


 何度かメディアに露出する機会もあった。いろいろな人とも対談し、私は自分でも自覚できる程度には、認知された存在になった。

 更にしばらく月日が経ち、私と一度会ったことのある人が、死後なぜか爆発したというニュースが飛び込んできた。死因は心不全、爆発した理由は不明。外出中だった私はその場で立ち止まって、ゆっくりと深呼吸をした。


 ちょうどいいところに喫茶店があった。まずはコーヒーでも飲もう。ついでにゆっくりとケーキを食べるのもいいかもしれない。張り付いた笑みの口角が上がる。

 おそらく、しばらくは人類の常識が少し塗り替わるだろう。終末病棟の壁は防壁とコンクリートで覆われるだろう。臨終を伝えられた家族と医者は、その場ですぐさま踵を返すだろう。棺の中に納められる死体は、五体満足ではない散乱した断片になるか、より重厚になった火葬場で大人しく灰にされるだろう。俺は人々から、誰にも妨げられないはずの安寧の死を奪ってやったのだ。


 そんな未来を思い描きながら、私はもう一度、あの終電に乗る日まで笑顔で生き続ける。

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