第2話 Ⅰ-②
続いて、
「寄り付きぃぃぃ!」
怒鳴り声が室内に響き渡る。
始まったか
私の意識は一気に、証券会社のオフィスの一角にある総務課の体に引き戻された。『ポーン』という音は証券取引の始まり、9時を知らせる時報いわゆる『寄り付き』を告げる音で、怒鳴ったのは隣の営業課の高橋課長だった。証券会社には昔からある風習で、寄り付きと同時に気合いを入れるために叫ぶようだ。だから開始の音は、高音ではなく低音がきっとお似合いだ。
入社したての頃は驚き恐怖を感じたものだったが、それもすぐに慣れてしまい今では何も感じなくなってしまった。証券会社の悪しき習慣が私にも身についてしまったということだろうか。
その後、私の席から低めのカウンターを挟んで見える隣の営業課で、営業員が一斉に電話を取り
「おはようございます!…」
「ちょっとお時間よろしいですか?…」
などのお決まりの台詞を受話器に向かって投げかけ始めた。私の職場ではいつもの光景が眼前で展開され始めたのだった。
隣を見ると高野先輩はいつの間にか携帯をしまい、真剣な顔でパソコンと向き合っていた。ヤフーのトップページが開かれたパソコンと。画面が見える位置に私しかいないからできる芸当である。もちろんこれもいつもの光景に含まれるものだった。
寄り付きから10分ほど経過し、営業課の方で少し電話をかける業務が落ち着いた頃合いで、営業員の一人が総務課にやってきた。今年入社した寺原君だ。彼は年の割にはとても礼儀正しい。
「この目論見書(もくろみしょ)を××さんの所に送ってくれますか?」
寺原君が総務課の空間に向かって声を掛けた。目論見書とは金融商品のいわゆる説明書のことである。証券取引では事前の説明が重視され常に求められる故、事あるごとにこの目論見書という書類が使われる。新商品の発売ごとに部数を本社に請求したり、顧客への発送を行ったりと、総務課で最も扱うことが多い書類だ。「もくろみしょ」名前からしていかがわしいものだが、一体何を目論んでいるんだか…
彼の依頼に対し、高野さんが席を立ち、私の後ろを通ってカウンター越しに書類を受け取った。私の方が席が近いのに営業員に対応するのはいつも高野さんだ。いわゆる役割分担というやつである。
高野さんは素敵な笑顔で寺原君と二言、三言談笑した後、書類を持って席に戻ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます