第42話 臥神の降臨

 「エルザやルカたちが…」

 ステイシアは、ピリテの方向に目を向けながら、絶望感にさいなまれて、馬の歩みを止めた。

 ステイシアの発掘調査団一行を先導していたレイも、歩みを止めたステイシアの方に振り返って馬を止めた。

 「残念ですが、あれほどの巨大な津波が押し寄せてきたのですから、彼らは助からなかったでしょう…」

 ステイシアたちは、津波を避けて、すでに高台へ逃げてきていたのであった。そこには、レイによってグランダル軍から救われた考古学者のターニャの姿もあった。

 彼らは、遺跡を離れてグランダルを出国しようと、すでに移動を始めていたため、高台に逃げることが出来たのであったが、途中で合流するはずであった、ピリテで遺跡の調査を行っていたエルザと、彼女の護衛の任に着いていたルカやその他の数人の近衛兵たちは、合流地には姿を現さなかった。ピリテを含む内陸部の低地にまで押し寄せた津波に呑みこまれてしまったのである。

 「彼女たちの命を奪ったのは私です。私が、エルザに、ピリテの調査の許可さえしなければ…」

 ステイシアは、自責の念に駆られながら目に涙を浮かべて言葉を失った。

 彼女の涙とは対照的に、すでに雨の止んだ雲の合間から、朝日が差し始めていた。

 「あなたのせいではありませんよ。津波が起きるなんて、誰も予想など出来なかったわけですから」

 今は、どのような言葉もステイシアの心を癒すことは出来ないだろうと感じながらも、レイは、ステイシアを慰めようと言葉を探しながら続けた。

 「せっかく助かった命です。その命を無駄にしないためにも、そして、命を落とした彼らのためにも、トラキアに無事に帰国して、トラキアの国民を護ってさしあげてください。グランダルの艦隊が全滅したとは言っても、今はまだ、トラキアの本土に派遣された先遣隊が戦闘を繰り広げているはずです。グランダル本土が、津波によって壊滅状態に陥ったことが、トラキアで戦うグランダル兵に伝えられるまでは、彼らは戦い続けるでしょう。一刻も早く、こんな争いは終わらせなければなりません」

 「あなたは、祖国がこのようなことになって、悲しくはないのですか?大勢の自国の兵士たちが命を落としたのですよ。いえ、兵士たちだけではありません。恐らく、沿岸に暮らしていた庶民たちも、大勢が命を落としたことでしょう。それなのに、王子のあなただけが助かったなんて、あなたは何とも思わないのですか?」

 ステイシアは、平静を失って、レイまで攻めるような言葉を発した。

 「勿論私も悲しくないわけはありませんが、起きてしまったことは仕方がありません。しかし、見方を変えれば、飢えた国民を救うためという大義の下に繰り広げられようとしていたグランダル軍によるトラキアに対する侵略戦争を、この津波が阻止してくれたのです」

 レイは、出来るだけ心を静めて、起こった出来事を肯定的に捉えるように努めた。

 「ですが、グランダルの無垢むくの庶民たちまでが命を落としたのですよ」

 「安心してください。沿岸地域には、庶民の居住は許可されていません。沿岸地域にある淡水湖の水を、王家の者や貴族たちが独占しているため、庶民の居住は許されていないのです。庶民は皆、内陸部に暮らしています。彼らの暮らす地域にまでは、津波は押し寄せたりはしていないでしょう」

 「だとしても、城に暮らしていたあなたの父君ちちぎみのクベス王や、あなたの家族は、津波によって命を落としたのですよ」

 「確かにそれは事実です。でもそれは、仕方のないことです。起きてしまったことを嘆いていても、何にもなりません。生き残った我々は、今後の平和な国家の実現のために、力を尽くすよう努力していかなければならないのではありませんか?」

 レイは、今後の国の復興に対する王子としての責任を感じながら、すでに、未来に目を向けているようだった。

 「殿下、トラキアの近衛兵と思われる一行が、こちらに向かって来ているようです」

 レイの部下が、国境の方向を指し示しながら言った。

 ロイたちである。彼らは、津波によって浸水した地域を避けながら、ステイシア姫たちが助かっていれば逃げたであろう高台の地域を探し回っていたのである。

 「姫様!」

 ロイは、歓喜の声を上げて、ステイシアのいるところまで馬を走らせた。

 「ご無事で何よりです」

 ロイが馬を下りてステイシアのところに駆け寄ると、ステイシアは、ロイに分からないように目に浮かぶ涙をぬぐい、いつもの毅然きぜんとした姫に戻ろうと努めた。

 ロイが目をうるおわせながらステイシア姫の手を握って再会を喜ぶと、クロードも馬を下りてステイシア姫のところに駆け寄り、再会に涙を流した。

 「姫様、よくぞご無事でいてくださいました」

 クロードが、感慨無量の面持ちで言った。

 「グランダル国のレイ王子が、我々を助けてくださったのです」

 ステイシアは、ロイとクロードにレイ王子を紹介した。

 お互いに丁重な挨拶を交わすと、ロイはレイ王子に感謝の意を述べてから、ステイシアに進言した。

 「姫様、グランダル城は津波で崩れ去りましたが、グランダルの残兵が襲ってこないとも限りません。まだ安心は出来ませんので、一刻も早く、この国を離れてトラキアへ帰国しましょう」

 「クベス王は死にました。グランダル軍も全滅してしまった今となっては、残兵が我々を襲う理由はないでしょう。それよりも、津波で浸水した地域に、まだ生き残っている人々がいるかもしれません。今は、彼らを救い出すことを考えなければなりません」

 ステイシアには、すぐに帰国する意志はないようだった。

 ロイがステイシア姫に反論して、すぐにトラキアに戻って、現在繰り広げられている戦闘を止めなければならないことを伝えようとすると、ステイシアとロイたちが話す様子を遠巻きに見ていた近衛兵たちの後ろに一人だけ女性らしき人物がいて、自分の顔を食い入るように見つめているのにステイシアが気付き、ロイに尋ねた。

 「あの者は誰ですか?近衛師団には、女性もいるのですか?」

 ロイは、後ろを振り返った。

 リディアは、自分の異父の姉を興味深そうに眺めていたが、自分に視線が向けられると、目をらせるようにうつむいた。

 「あの方は、姫様の異父の妹のリディア様です」

 「私の異父の妹ですって?もしや、母上のライーザとグランダルのクベス王との間に生まれた娘という意味ですか?」

 ステイシアは、驚きの念とともに、リディアの顔を注意深く眺めた。

 「はい。その通りです」

 「本当なのですか?」

 ステイシアは、初めて見る自分の異父の妹の姿が、女性にしては男勝りの戦士のようだったので、ロイの言葉をすぐには信じられなかった。

 リディアは、自分の異父の姉が、自分とは違い、とても気品のある美しい、別世界の人間のように思えて、気恥ずかしくなって、目を逸らせ続けていた。

 「はい。その証拠に、彼女の名は、リディア=アルフォンヌといい、トラキア公家こうけの者しか所有できないアマラ・アムレットを持っているのです」

 「この首飾りを、彼女も持っているのですか?」

 ステイシアは、自分の首に下がる首飾りを手にとって見つめた。

 「はい」

 「では、念のために見せてもらえますか?」

 ロイは、リディアに手招きをして、彼女の持つアマラ・アムレットを見せてくださいと頼んだ。

 リディアは、鎧の下にあった首飾りを首からはずし、紐を持ってステイシアに手渡した。

 「私にはもう必要のないものだ。そなたに返そう」

 リディアは、初めて会う異父の姉との出会いを喜ぶ様子もなく、ぶっきらぼうな口調で言った。

 ステイシアは、手渡されたアマラ・アムレットを注意深く観察した。

 「確かに本物です。これは、私の母が持っていたアマラ・アムレットです」

 その言葉を聞いたレイは、喜ぶように前に出て言った。

 「ということは、私は、あなたの異母の兄弟ということになりますね」

 しかし、リディアは、レイとの初めての出会いも喜ばず、むしろ敵意を表すかのように、腰の剣に手を添えた。

 「まあ、お待ちください」

 ロイが、リディアとレイ王子の間に割って入り、リディアをたしなめるように言った。

 「レイ王子は、あなたの憎むクベス王の御子息ごしそくではありますが、彼は、あなたの異父の姉であるステイシア姫を助けてくださった方なのですよ」

 「ロイの言う通りです。レイ王子には、トラキアに対する敵意はありません。剣から手をお離しなさい」

 ステイシアは、威厳のある声でリディアに指示した。

 「私は、トラキアの人間などではない」

 リディアが強い口調で返した。

 「そうでしたね。あなたは、クベスとライーザとの間に生まれ、グランダルで育ったのですから、グランダルの人間なのですよね」

 レイが、優しい口調で言った。

 「私は、グランダルの人間などでもない。グランダルは、私の母であるライーザを殺したクベス王の国だ。そんな国を祖国と思ったことなど一度たりとてないのだ」

 リディアは、複雑な思いで発した今の言葉が、自分という存在の認識を不明確にし、自分が、どの国の何者なのかという明確な答えを持っていないことに気付いて、剣から手を離すと、一歩下がって、それ以上は何も言わなかった。

 「あなたには、大変申し訳ないことをしましたね。クベスが王としておこなってきた非行については、王子である私からお詫びいたします」

 レイは、リディアに同情しながら、丁寧に謝罪の言葉を述べた。

 「師団長殿、あれをご覧ください」

 突然、近衛兵の一人が、上空を見上げながら言った。

 ロイたちが、近衛兵の指し示す方向に目を向けると、上空に二つの気球が浮遊しているのが見えた。

 気球は、ロイたちのいる場所にゆっくりと降下し始めた。そのうちの一つには、二人の人影があった。臥神ことティアンと、その外護者の霞寂カジャクである。

 臥神は、グランダル軍のせん滅という成果を上げて、ロイたちの前に現れたのだった。

 ロイは、ティアンが学舎を卒業して以来となる彼との再会に心を躍らせると共に、臥神となったティアンとの再会には不安すら感じながら、気球を眺め続けた。

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