第36話 真の黒幕

 「では、レイ王子の痣はどうなのだ?彼にも、私のものと同じ形の痣があり、その痣を持った二人の子供が、ほぼ同じ時期に生まれたために、クベスは預言を信じたのではないのか?」

リディアは、次々に疑問を臥神に投げかけた。

 「それも痣などではないのだ。そなたと同様、媸糢奴のめいで彫られた刺青しせいなのだ」

 リディアは、またしても驚愕と共に言葉を失ってしまった。

 「恐らく、そなたは、まだ納得出来ぬであろうから、説明を続けるとしよう。レイ王子に、トラキア公家の家紋と同じ形の刺青を彫ったのには、理由があるのだ。トラキア公家の家紋が、二匹の蛇が絡み合う形なのはそなたも知っての通りだが、媸糢奴は、その二匹の蛇が互いに争うかのように、預言で述べられた二国が対立するのだということをクベスに信じ込ませるために、その形を利用したのだ。しかし、その二匹の蛇というのは、実は蛇ではないのだ。それは、古代に生きていたと言われているランドルの巨人たちの叡智えいちの象徴なのである。ランドルたちは、かつて、この地上で栄華を誇っており、非常に進んだ文明を持っていたと考えられている。特に、生物工学と呼ばれる、生物を研究して実社会に応用する技術には非常に長けていたとされているのだが、その二匹の蛇のようなものが二重螺旋らせんを描くように絡み合う形は、優れた生物工学によって発見された隠された生物の神秘を象徴していると考えられているのだ。そして、その形がトラキア公家の家紋になったのは、十数世紀前、考古学の研究に熱心であった初代トラキア大公が偶然出会ったランドルの巨人たちから授かったクラーグ・ストーンの中に、その形が彫り込まれていたからなのだ」

 「ランドルの巨人から授かっただと?巨人族は、今もまだ生きているというのか?」

 リディアは、臥神の言ったことが信じられなかった。これまで、臥神の口から次々に嘘かまことか分からぬような難解な話が飛び出し、それでも何とか話について行こうとしていたリディアであったが、臥神の話は、ついに伝説の巨人族が生きていたという話にまで及び始めたのである。リディアは、虚構とも取れる臥神の壮大な話が、どこまで真実なのかが分からなくなってしまった。

 しかし、臥神には、冗談など言っている様子は全くなく、真面目な顔で、リディアの問いに頷くと、しばらく間を置いた。リディアが混乱するのも無理はないと思ったからである。

 そして、話す速度を若干ゆるめて、ゆっくりとした口調でさらに続けた。

 「巨人族の古代遺跡の調査を行っていた初代トラキア大公は、アマラ神殿内で発見した古文書に記載されていた内容を写し取った写本を頼りに、許された者にのみ開口されるという、巨人族の住む地下世界へと続く隠された入り口を探して、ランドルの森の奥深くまで入っていったのだ。そして、道に迷った大公は、知らぬ間に見たこともない世界へと入り込み、巨人族と出会うこととなった。巨人族は、この世界の成り立ちや、なぜ世界から、災害や貧困、格差や差別、飢えや争いなどがなくならず、平和な世界が実現しないのかを大公に話したという。その理由を聞いた大公は、それが事実だとしても、元の世界に戻って必ずや平和な国家を作ると宣言すると、ランドルは、大公のその夢が実現した暁に、大公が再び彼らの世界に戻ることが出来るようにと、クラーグ・ストーンという宝石の原石と、その原石から加工された宝石を授けたのだ。無論、与えられたものは、大公が持てるほどの小さなものであったが、その宝石の中には、見たこともない形の模様が彫り込まれていた。宝石の内部にのみ模様を彫り込むことなど、当時の宝石加工技術ではとても無理なことであったが、大公は、その技術をランドルから教わったと言われている。そして、ランドルの導きにより、再び地上に戻った大公は、その模様、つまり二つの線状の何かが螺旋状に絡み合う形を、融和の象徴としてとらえて、トラキア公家こうけの家紋とし、他のクラーグ・ストーンにも、その家紋を彫り込んで、それを埋め込んだアマラ・アムレットを作り、トラキア公家の者だけに、それを所有させるようになったと言われているのだ」

 リディアは、思わず自分の首に下がるアマラ・アムレットに目を向けた。

 「では、この首飾りに埋め込まれたクラーグ・ストーンがあれば、そのランドルの住む地下世界へと行くことが出来るというのか?」

 「さよう。しかし、大公の話を信じる者は誰一人おらず、苦しみ悩むことのない平和な国家を作り上げるという夢の実現に協力しようという者が現れぬまま、大公は高齢となり、無念のまま息を引き取り、大公が迷い込んでしまったとされるランドルの地下世界の話は、伝説となってしまった。しかし、それは伝説などではない。ランドルの森がなぜそのように呼ばれるのかが、巨人族の住む地下世界へと続く隠された入り口が本当にそこに存在する理由なのだ。そして、話を元に戻すが、媸糢奴シモーヌが、そのトラキア公家の家紋と同じ形の刺青をレイ王子の体に彫らせたのは、レイ王子に、自分が、その大公の意志を引き継いだ先代のトラキア大公の生まれ変わりだと信じ込ませるためなのだ。媸糢奴は、事前に尼意霧ニームを拡散させておき、その後、グランダルに聡瞑ソウメイという僧侶を派遣して、レイ王子にそのように信じ込ませるために、輪廻についての布教を行わせたのだ」

 臥神の話は、再び現実の世界の話に戻った。

 リディアは、臥神の話が、聞くたびに次々に質問をしなければ理解できないような難解で複雑な内容であったため、臥神もほとほとリディアの質問攻めに嫌気を感じているのはないかと思ったが、臥神は、リディアにすべての真実を分からせようとでもしているかのように、リディアのしつこい質問にあえて細かく答えているようにも見えた。そして、もしかすると、それすらも、リディアの心に何かを植え付けて、リディアを意のままに操ろうとしているためなのではないかという不安がよぎったが、ここまで聞いてしまった以上、最後まで真実を掘り下げようと思い、リディアは質問を続けた。

 「何のために、そのようなことを信じ込ませようとしたのだ?」

 「グランダルの古代遺跡で発掘調査を続けるトラキア公国のステイシア姫を護るためだ」

 「ステイシア姫を護るため?それはどういうことだ」

 「媸糢奴シモーヌは、無益に人の命を奪うことを望んではいないのだ。すべての国民が飢えることなく平和に暮らせる国家を目指そうとするトラキア大公の意志を引き継いでいるステイシア姫の命は護らねばならぬのだ」

 「それで、グレン=ドロスに戦士として育てられたグランダル軍の指揮官であるレイ王子を、ステイシア姫に近づかせ、彼女を護るように、尼意霧ニームとやらを使って仕向けたというのか」

 「その通りだ。そして、クベス王の殺害という名の舞台に立つすべての役者が、媸糢奴の放った尼意霧によって、筋書き通りの役を演じているのだ」

臥神は、すべての媸糢奴の謀略を暴露したが、やはりまだ、媸糢奴が尼意霧を使って、策略通りにリディアを密かに動かそうとしているという臥神の話は、リディアには納得できなかった。

 「もし私が、その筋書きとは違う行動をとった場合はどうなるのだ?」

 リディアは、あえて臥神に挑戦するかのような質問を投げかけた。

 「それも想定内のことだ。媸糢奴は、万が一、そなたがクベス王の暗殺に再び失敗するか、あるいはクベス王の暗殺を断念することも想定に入れた上で、私を美土奴国に呼び寄せたのだ」

 「媸糢奴がお前を呼び寄せただと?お前は、元々媸糢奴の手先だったのではないのか」

 「先程も言ったように、私は美土奴国の人間などではない。そして、媸糢奴の手先などでもないのだ。媸糢奴は、そなたを利用したクベス王を暗殺する策略がうまくいかなかったときのために私を呼び、その策略とは別の策略を私に実行させようと考えているのだ。つまり、媸糢奴は、トラキアに攻め入ろうとするグランダル軍を、私に一掃させようとしているのだ。媸糢奴は、そなただけでなく、私をも意のままに操ろうとしているのだが、実は、媸糢奴自身が私に利用されていることに媸糢奴は気付いていないのだ」

 臥神の話は、またもや信じられない方向に移っていった。媸糢奴がすべてのはかりごとの黒幕なのではなく、臥神がすべてを動かしてきたというのである。

 「お前が媸糢奴を操っているということは、つまり、私はお前に間接的に操られているということなのか?」

 「その通りだ」

 「お前は、先程、尼意霧ニームというものは、操られている本人に、操られていることすら気づかせることがないと言っていたが、私は、お前の魂胆を知った以上、お前の意図するようには絶対に動かぬ」

 リディアは、強い口調で主張した。

 「まあ、好きにするがよい。いずれにしても、そなたは、私の意のままに動くことになるのだ」

 臥神の自信に満ちたその口調は、リディアに再び不安を感じさせた。

 「お前は、私にどうしてほしいと考えているのだ?」

 「そなたは、媸糢奴の策略に従って、美璃碧ミリアの転生者であるティナという幼子おさなごの助けを借りて、ランドルの森を抜け、グランダルに再び戻り、クベス王の殺害を試みることになるが、それだけではない。そなたは、私の計略にも従って、そなたの持つアマラ・アムレットをグランダルに運ぶことになるのだ」

 リディアは、再び自分の首に下がるアマラ・アムレットを手にとって見つめた。

 「何のために、私がこのアマラ・アムレットを、グランダルに運ばねばならぬのだ?」

 「アマラ・アムレットは、そなたが持つものと、ステイシア姫が持つもの、そしてトラキア大公の持っていたものの三つがあるが、それらは、グランダルにあるランドルの古代遺跡で出会わねばならぬのだ」

 再び、臥神の話す内容に、リディアはついて行けなくなった。

 「それはどういう意味だ?」

 「三つのアマラ・アムレットが、ランドルの古代遺跡で出会うとき、閉ざされていた扉が開き、すべての真実が明かされることになるのだ。そして、そなたは、殺された母親に再会することになるであろう」

 臥神は、何やら預言めいたことを言ったが、リディアにはよく理解できなかった。死んだ母親に会うことになるなどとは、あまりに宗教じみた話で、そんなことはあり得ないと思ったからである。

 リディアは、再び臥神に問いかけようとしたが、臥神がそれを遮るように続けた。

 「よいか、クベスは、グランダルの全軍を挙げてトラキアに攻め込もうとする際、必ず城を出て海軍の軍船いくさぶねに乗船する。なぜなら、国民が飢えに苦しむほどに砂漠化してしまった食糧の乏しいグランダル国などには、もう用はないからだ。そして、その時がまさに、そなたがクベスを討つことの出来る絶好の機会となるのだ。その機会を逃さぬよう、ティナという幼子を連れて、グランダルを目指してランドルの森を抜けるがよい」

 「なぜ、私がティナを連れて行かねばならぬのだ?私がランドルの森に入った後、かつての美土奴国の姫であった美璃碧の転生者であるティナを、美土奴国に連れ戻そうというのか?あるいは、その美璃碧姫の転生者であるティナを連れて行けば、彼女が私にランドルの森の抜け方を教えてくれるからなのか?」

 「そのいずれもだ。美土奴国は、美璃碧姫の帰国を望んでいる。美璃碧も同じだ。そして、美土奴国の皇族の一人である美璃碧は、そなたがランドルの森の中で経験した妖しげな現象の全てのからくりを知っているのだ。そのからくりを暴いて対処するには、私がこれからそなたに授けるものに書かれたものが必要となる。それらを持っていけば、命を落とすことなくランドルの森を抜けることができるであろう」

 「なぜ、そのような回りくどいことをするのだ?もしお前が、私が無事にランドルの森を抜けてグランダルに行くことを望んでいるのであれば、美土奴の者たちに、私を襲わぬよう指示するだけでよいではないか」

 「それは出来ぬのだ。ランドルの森を侵入者たちからまもっているのは、美土奴の妖術師たちだけではない。ランドルの森には、様々な部族が暮らしているが、その中には、媸糢奴の命令にも従わぬ好戦的な部族もある。彼らもまた、よそ者が森に入ることを好まず、森への侵入者には、無慈悲な攻撃を仕掛けてくるのだ」

 臥神の話を聞いて、リディアは迷った。臥神の言う通りにすれば、ランドルの森を無事に抜けることが出来るかもしれない。そうすれば、これまでずっと抱いてきたクベスへの恨みを晴らすことが出来るかもしれないのだ。しかし、それは、同時に、臥神の言うように、自分が媸糢奴や臥神に操られ、彼らの意図したとおりに動くことになるのである。リディアは自分が他人に操られているなどとは、考えたくもなかった。

 リディアは、しばらく黙ったまま考えた。

 すると、臥神が、座っていた寝台から立ち上がった。

 「私は、これからこの地下牢を抜け出し、トラキアに攻め入るグランダル軍をせん滅するための計画を続行するつもりだが、そなたはどうするのだ?もしそなたが望むのであれば、そなたの両手の縄をほどいて、その雑居房から出してやってもよいのだが」

 「お前の力などは借りぬ」

 リディアは、臥神の申し出を突っぱねた。

 彼女は、臥神と話をしている間、長革靴の下腿かたい部の内側に隠していた短剣を取り出して、後ろ手に縛られた縄を切ろうしていたのである。

 すると、そのとき、背後から、これまでに感じたことのないような殺気めいたものを感じた。

 後ろを振り向こうとした瞬間、リディアは背後から両手を掴まれてしまった。部屋の隅に横たわっていた男が突然襲いかかってきたのである。

 男は、リディアが後ろ手に持っている短剣を奪おうとしていた。

 両手の自由のかないリディアは、短剣を奪われぬようしっかりと握り締め、背後の男に後頭部で頭突きを喰らわし、男が一瞬怯ひるんだところで、体を回転させて回し蹴りを加えた。

 男は、床に倒れ込んだが、狂人のような形相で再び立ち上がって、リディアの持っている短剣を奪おうと向かってきた。

 男は、格闘においては全くの素人のようだったが、リディアの持つ短剣を命がけで奪おうという気違いじみたほどの執拗さで、今度は、渾身こんしんの力を込めて彼女の腹部に体当たりをした。

 リディアは、そのまま押されて、背後の格子戸に体をぶつけた。

 精神の錯乱したような男を相手にしていては、自分の身が危ないと感じたリディアは、右足で男の足を軽くすくい、男が倒れたところで、体の向きを反転させ、彼女もその男をめがけて倒れ込み、後ろ手に持っていた短剣で男の喉元を斬り裂こうとした。

 しかし、その瞬間、今まで冷静に眺めていた臥神が大声で叫んだ。

 「その男を殺すな!」

 その臥神の一声ひとこえで、リディアは咄嗟とっさに体を少しひねって、男の喉元を狙った短剣の矛先を変え、代わりに左腕のひじを突きだして、男の腹に肘打ちを喰らわせた。

 男は短いうめき声を上げた後、気を失ってしまった。

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