第33話 敗者復活戦

 翌朝、闘技場には、ゴルドバ将軍とリディアとの決勝戦を観ようと、大勢の民衆が詰めかけていた。昨日の試合よりもはるかに多い人数で、闘技場の観客席には、立ち見客が溢れていた。

 決勝戦が始まる前に、試合の規則についての改めての説明が行われたが、観客たちの中には、早く試合を始めろと催促の野次を飛ばす者もあった。

 規則の説明が終わり、次にラモンが闘技場の演壇席に現れると、場内はいつもと違う展開にどよめいた。観客たちの期待に反し、対戦場に入場してきたのは、ゴルドバ将軍やリディアではなく、昨日の対戦で敗戦したグスタル軍曹とアシュベル少将だったからである。

 ラモンは、予定を変更して、決勝戦を行う前に、敗者復活戦を行うことになったことを説明し、グスタルとアシュベルの対戦相手の名前を紹介した。

 臥神という名前が伝えられると、場内が再びどよめいた。東洋人の名前だと分かったからである。これまで行われた闘技試合には、東洋人が出場したことは一度もなかった。東洋人の出場を許可したということは、もしその東洋人が勝ち進んで優勝すれば、東洋人がトラキア軍の指揮権を得ることになるのである。それには観衆も驚き、なぜ東洋人など出場させるのだと騒ぎ立てて、ラモンに説明を求めた。

 ラモンは、両腕を高々と上げて、観衆に落ち着くように促し、静まるのを待ってから、グランダル軍が全軍を挙げてトラキア公国に攻め入ろうとしていること、小国のトラキアの軍隊では太刀打ちできないため、智謀をめぐらした奇策で対抗するしかないこと、それには天才的な軍師が必要なこと、その軍師として将軍が選んだ者が東洋人であったこと、そして、軍師たりとも、軍人として戦う能力を備えていなければならないことなどを説明し、観衆の理解を求めた。

 そして、手で合図を送って、対戦相手の臥神を入場させた。

 臥神がゆっくりと歩み出て姿を現すと、場内がさらにどよめき、子供に試合をさせるのかと罵声を浴びせる者や、子供のお遊びを観に来たのではないぞと怒りをあらわにする者などの叫び声で、場内は騒然となった。


 予定が変更されて決勝戦の前に敗者復活戦が行われることになったため、リディアは、しばらく待機しているようにと大会関係者から言われて、観覧席からラモンの説明を聞いていたが、対戦場に現れた臥神の姿を初めて見て、驚きを隠せなかった。

 「まさか、あんな子供が天下の奇才と言われる臥神だとういうのか」

 リディアは、怪我をした左脚をアレンに触診してもらいながら呟いた。

 決勝戦の前に、念のために怪我をしている左脚をてもらおうと、特別観覧席にいた大会医師のアレンのところにやってきていたのである。

 「そういえば、あなたにはまだ話していませんでしたね」

 アレンが元老会議で聞いた臥神のことなどについて、リディアに説明を行うと、ロイが慌てた様子でアレンのところにやってきた。エドとティナも一緒であった。

 「おお、ロイとエドじゃないか。遅いじゃないか。もうすぐ敗者復活戦がはじまるぞ」

 「敗者復活戦?」

 「ああ。急遽きゅうきょ決まったらしいのだが、昨日の試合で負けたグスタル軍曹とアシュベル少将に、敗者復活戦に出場する権利が与えられ、臥神という東洋人と対戦することになったんだよ」

 「臥神だって!?」

 ロイが驚いて対戦場に目を向けると、そこには、グスタルとアシュベル、そして臥神ことティアンが出場者として立っていた。

 アレンは、ロイに簡単に経緯を説明した。

 「しかし、いくら臥神が天下の奇才だと言ったって、一対一で戦う格闘戦で勝てるわけがないじゃないか。臥神、いやティアンはまだ子供なんだぞ」

 「私に怒ってもらっても困るよ、ロイ」

 アレンが苦笑しながら言った。

 「すまない。つい…」

 ロイは、かつての自分の学舎の生徒だったティアンが、命を落としかねない危険な闘技試合に出場することを知って、ついかっとなって感情を表に出してしまったことを恥じるように、下を向いて席についた。

 「ところで、昨日はどうして試合を観に来なかったんだ?」

 アレンが、リディアの脚の触診を行う手をめて尋ねた。

 ロイは、ティナに起こった出来事をアレンに話し、ティナとエドを連れてきた理由を伝えた。

 「そうか。それでティナをこんなところに連れてきたのか」

 アレンは納得して、ティナの方に目を向けた。

 ティナがいつものティナでないことは、アレンにもすぐに分かった。ティナの、あの幼子のあどけなく可愛らしい目がどこかへ消え、子供と大人の狭間で人生に戸惑いを感じる少女のような目で、ティナが対戦場を見つめていたからである。

 すると突然、ティナの中の美璃碧ミリアの人格が何かを呟いた。

 「今、ティナは何て言ったんだい?」

 アレンが尋ねると、ロイは、ティナが美土奴国の言葉を話したのだと説明し、エドに通訳を依頼した。

 「美璃碧は今、あの対戦場に立っているティアンを見ながら、こう言ったんだよ。『あそこにいる小さい人は、精想ジン・シアンだわ』と」

 「精想ジン・シアン?誰なんだい、それは?」

 ロイが、エドの通訳を介して尋ねた。

 「シアンは、天才的な科学者で、私の婚約者でした。そして、彼は、まだ若くて国を治める者としては未熟だった私を常に助けてくれました。彼は、理想的な国づくりのための様々な提案をして、私を支援してくれていたのですが、彼と私は、科学を用いて国を平和へと導こうとする彼の考え方を理解できなかった一部の国民によって殺されてしまったのです」

 美璃碧の声は、過去のつらい出来事を思い出して涙をこらえるかのように、かすかに震えていた。

 「どうして、あそこにいる人が、あなたの婚約者だった人だと分かるのですか?美璃碧姫だったあなたは、あそこにいる人物が生まれる前の時代に生きた人なのですよ」

 「確かに、あそこにいる人の顔や姿、格好は、シアンとは違います。ですが、なぜかは分かりませんが、私には分かるのです。彼がシアンだと」

 アレンは、ティナが、知るはずのない美土奴国の言葉で不思議なことを話す様子を興味深そうに眺めていたが、それを転生という現象とはとらえずに、医学的に説明の出来る症例の一つではないかと考えて、ティナを注意深く観察していた。

 ロイが質問を続けようとすると、敗者復活戦の初戦の開始を告げる銅鑼どらが打ち鳴らされた。

 銅鑼のが止むと、場内は整然と静まり返り、前代未聞の軍曹と子供の対戦を、すべての観客が固唾を呑んで見守った。

 ロイたちも話を止めて、対戦場の二人に目を向けた。

 「おい、あの東洋人は武器を忘れたんじゃないのか!?」

 観客の一人が叫んだ。

 確かに、臥神は何も武器を持っていないようだった。ただ、ふところに左手を入れたまま、右手で羽扇うせん悠々ゆうゆうあおいでいるだけであった。

 グスタルは、臥神が左手に何かを隠し持っているのではないかと注意しながら、どうやって目の前の対戦相手を痛めつけようかと、木製の剣を手にして、気味の悪い笑みを浮かべながら、臥神にゆっくりと近づいて行った。

 「悪く思うなよ。お前には恨みはないが、ラモン殿のご命令なんでな。今日までの命と思って覚悟するがいい」

 グスタルは、徐々に間合いを詰めながら剣を振りかざしたが、臥神は全く動きを見せず、ただラモンを鋭い目で見つめているだけだった。

 それは、臥神が何かを待っているかのようにも見えた。

 そのとき、グスタルの振りかざした剣が、突然地面に落下した。

 グスタルは、剣を落としただけでなく、両腕をだらりと下ろし、うつろな目で臥神を見ながら、ふらふらとした足取りになって、体を不安定に左右に揺らし始めた。

 何が起こったのか分からず、観客がどよめきだった。

 「一体、グスタルはどうしたんだ?」

 ティアンの初戦を心配そうに観ていたロイがアレンに答えを求めるかのように呟いた。

 「あれは酩酊めいてい状態になっているのかもしれないな」

 「酩酊状態?グスタルは酔っぱらっているのかい?まさか、いくらグスタルが大酒飲みだからといって、試合の前日に酒を浴びるほど飲んできたりはしないだろう」

 「そうかもしれないが、あの様子では、恐らく立っているのもやっとだろう」

 アレンの言う通り、グスタルは、必死に足をふんばって臥神に近づいていったが、意識が朦朧もうろうとし始め、その場に倒れ込んでしまった。

 すぐに、倒れたグスタルのところに審判が駆け寄り、待機していた医師の一人を呼び寄せてグスタルを確認させたが、グスタルはすでに意識を失っていて、試合の続行は不可能と判断された。

 試合終了の銅鑼どらが打ち鳴らされた。

 再び場内が騒然となった。観衆の誰一人として何が起こったのか分からなかった。

 「戦わずして勝つことこそが、真の勝ち方なのだ」

 臥神は、倒れたグスタルを見下ろしながら呟き、ゆっくりとラモンのいる檀上席に視線を移した。

 ラモンは、医師と審判の判断を苦々しく受け入れて、説明を求めて大声で叫ぶ観衆の要求には応えなかった。昨晩酒場にやってきた臥神が何かを仕掛けたに違いないと思ったからである。

 ラモンは、やむなく檀上に立ち、怒りに顔をひきつらせながらも、臥神の不戦勝を宣言し、次の試合の開始の合図を大会関係者に送った。

 「昨晩、酒場であの臥神という男をみかけたが、グスタルに強い酒でも飲ませたのかもしれぬな」

 リディアが昨晩のことを思い出しながら呟いた。

 「しかし、もしそうだとしたら、グスタルは、試合が開始される前から酔った状態になっていてもおかしくはないのではありませんか?グスタルは、試合が開始されるまでは、いつもと変わらない様子に見えましたが」

 リディアの考えに疑問を感じたロイが見解を述べると、今度はエドが、生物学的な知識を用いて推測し始めた。

 「もし、アレンの言うことが正しいとすると、臥神は、レッド・ランベリーをグスタル軍曹に食べさせたのかもしれないな」

 「レッド・ランベリー?」

 「ああ。食べると体内で発酵して酒になる果実として、ブルー・ランベリーとレッド・ランベリーが知られているけれど、ブルー・ランベリーが体内で急速に発酵して酒になるのに対して、レッド・ランベリーは、体内でゆっくりと発酵して酒になるんだよ。いずれの果実も、食用に適した熟度を超えたものを食べると、体内で発酵して、酒精度のかなり高い酒になるので、酒に強い男でも、酔いつぶれてしまうと言われているんだ。もしかすると、臥神は、何らかの方法で、酒場で飲んでいたグスタル軍曹にレッド・ランベリーを食べさせたのかもしれないな」

 「だとすると、彼は、グスタルがちょうど闘技試合の始まる頃に酒に酔い潰れるよう見計らって、レッド・ランベリーを食べさせたというのかい?」

 「ああ。恐らく、食べさせるべき時刻と量を緻密に計算して割り出した上で、グスタル軍曹に食べさせたのだろう」

 「まさか、そんなことが本当にできるのかい?」

 「美土奴国では、ブルー・ランベリーやレッド・ランベリーを食べた野鳥が、酩酊めいてい状態で地面に落ちていることが時々見受けられるそうだよ。それを応用して、野鳥愛好家たちが、野鳥を生きたまま無傷で捕えるときに、それらのランベリーを使うことがあると聞いたことがある。臥神もそれをグスタルに応用したのではないかな」

 「ほお、もしそうだとすると、次の試合も面白くなるかもしれないな」

 アレンは、エドの説明を聞いて、ロイの教え子は、子供の割に、なかなかやるじゃないかと感心しながら再び対戦上に目を向けた。


 グスタルが担架で場外に運び出されると、次にアシュベル少将が対戦場に歩み出た。

 すると、場内に歓声が沸き上がった。アシュベルは、彼の沈着冷静さと無駄のない動きで相手を倒す戦い方に定評があり、民衆の人気がとても高かったのである。そして、配当倍率が非常に低いにもかかわらず、多くの人々がアシュベルの勝利を確信して何口もの賭けさつを購入していたが、一度は無駄になってしまったリディアとの対戦に敗れたアシュベルへの賭けさつが、敗者復活戦が行われることになったことにより、再び有効になったため、観客の応援には力が入っていた。逆に、臥神を応援する者は誰一人としていなかった。

 再び試合開始の銅鑼が鳴った。

 この試合の前に、グスタルと臥神の対戦を観ていたアシュベルは、臥神が、子供とはいえ不気味な妖術を使う東洋人かもしれないと考え、用心しながら間合いをじりじりと詰めていった。

 アシュベルは、特に、懐に隠された臥神の左手から目を離さないようにしていた。どんな武器を隠し持っているのか分からなかったからである。

 臥神は、前の試合と同様に、これから戦いに挑もうという素振そぶりは全く見せず、優雅に羽扇うせんを扇いでいるだけだった。

 その臥神の態度が、アシュベルをさらに用心深くさせた。

 闘技場全体が、息を止めるほどの緊張感と静寂せいじゃくに包まれ、しばらく二人に動きのないまま時が流れた。

 そして、その静寂の間を破ったのは臥神だった。

 臥神が左手をふところから出すと、玉のようなものをアシュベルに向けて軽くほうった。

 突然のことに驚いたアシュベルは、臥神が飛び道具を使ったのかと思い、一瞬の無意識の反応で剣を振るった。剣は木製ではあったが、アシュベルの空を斬り裂くような素早い振り抜きで、その玉は真っ二つに割れた。

 しかし、それは飛び道具ではなかった。アシュベルが斬り裂いた球から、液体のようなものが飛び散り、アシュベルの体に付着した。

 「何だこれは!?何をしたのだ!?」

 アシュベルは、これまでに経験したことのない出来事に、やや冷静さを失いかけていた。

 しかし、それも無理のないことだった。子供との格闘試合をさせられるなど今までになかったことであり、それだけでも対戦相手がどれだけの能力を買われて闘技試合に出場したのだろうかと勘繰ってしまうのに、さらに妖術師かもしれない東洋人が放った見知らぬ球から、得体の知れない液体が飛び散り、自分の体に付着したのだから、アシュベルといえど不安になるのは当然のことであった。

 「知りたければ教えてやろう」

 臥神は、空を見上げながら、羽扇うせんを持つ右腕を、ひじを曲げた状態で上に上げた。すると、どこからともなくからすが舞い降りて、その腕にまり、アシュベルを威嚇するかのように不気味な鳴き声を上げた。そして、臥神は、再びふところに左手を入れ、小さな箱のようなものを取り出すと、おもむろふたを開けた。中から突然、十数匹の蜂が勢いよく飛び出した。

 「まさか、キラー・スティングか!?」

 リディアは、一斉にアシュベルに向かって飛んでいく蜂を見て、ランドルの森で蜂の大群に襲われた時のことを思い出した。

 「いえ、あれはイエロー・アローですよ」

 エドが、突然現れた蜂に興味を示しながら言った。

 「イエロー・アロー?」

 「はい。イエロー・アローも、キラー・スティングも、警報フェロモンという特殊な匂いのある液体を体から噴射して、攻撃対象に匂いをつけて仲間に攻撃目標を伝え、彼らの発する威嚇音にひるまない相手には一斉に攻撃を仕掛けてくる蜂なのですが、キラー・スティングの毒が致死性の猛毒なのに対して、イエロー・アローの毒は神経毒なので、刺されても、神経が麻痺して動けなくなるだけで、死ぬことはありません」

 「すると、もしや、あの男の腕にまっているからすは、そなたが以前教えてくれた妖鴉ヨーアという鴉ではないのか?」

 「恐らくそうだと思います。イエロー・アローに自分自身が襲われないようにするために、妖鴉を呼んだのでしょう」

 エドの言った通り、蜂たちは、妖鴉ヨーアまっている臥神には近づかずに、アシュベルの周りにのみ群がり、アシュベルに向かって威嚇音を発し始めた。アシュベルは慌てて剣を振るって蜂たちを蹴散らそうとした。

 「ふざけた真似をしおって!」

 アシュベルは、必死に蜂を追い払おうとしたが、剣で蜂を殺せるわけもなく、一斉に蜂に刺されて、神経が麻痺して動けなくなり、グスタルと同様に、なす術もなく、地面に倒れ込んでしまった。

 「なんてことだ。まさか、グスタルもアシュベルも、戦わずに敗れてしまうなんて…」

 ロイは、臥神のすごさをのあたりにして、改めて、臥神の底知れぬ能力ちからに恐ろしさを感じた。


 この試合で臥神の命を奪おうとしていたラモンは、臥神の予想外の戦い方に苛立いらだちを覚え、妖術を使うなど闘技試合の規則に反するとして、臥神を捕えよと命じようとしたが、ラモンに歩み寄ってきたゴルドバ将軍が、ラモンの肩に手をかけて言った。

 「ラモン、お主の負けだな」

 「何をおっしゃいますか。彼奴あやつめは妖術なぞを使いおったのですぞ。闘技試合は格闘戦なのです。戦いもせずに勝利などあり得ません」

 ラモンは、臥神のふざけたやり方を非難したが、ゴルドバ将軍は、ラモンに自分の言葉を思い出させるように言った。

 「戦場では、何が起きるか分からぬため、常に想定外のことも考えておかねばならぬと、お主は申しておったではないか。あれは嘘だと申すのか?」

 ラモンは、返す言葉もなく、ひきつった顔で黙り込んでしまった。

 「次はわしの番だな。わしがリディア様との戦いに勝てば、臥神殿と決勝戦で戦うことになる。臥神殿が、どのような手で戦いに挑んでくるのか楽しみだわい」

 ゴルドバ将軍は、そう言い残して、対戦場へと向かって闘技場の観覧席を下りていった。

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