第34話 リディア 対 ゴルドバ将軍

 「次は、私の番だな」

 リディアは、アレンに診てもらった左脚の長革靴の革紐かわひもを結ぶと、特別観覧席から立ち上がった。

 「ゴルドバ将軍は、今まで誰にも負けたことのない、百戦錬磨の強者つわものです。気を付けてください」

 ロイが、リディアのことを心配そうに見つめながら言った。

 「同じことを二度も繰り返さなくとも分かっている」

 リディアは、持ってきていた特別な武器をおもむろにロイに示して言った。

 「この試合では、本物の武器は使えぬ。木製の武器で戦わなければならないとなれば、打撃系の戦いになる。将軍との体格差を考えても、力の差で劣っている私が不利になるのは明白な事実だ。そこで、メテルに頼み込んで、特別にこれを作ってもらったのだ」

 リディアが持っていた武器は、革袋の中に入っていたため、どのような武器かは分からなかったが、袋の口からはみ出していた武器の一部分を見ると、一種の棍棒のようなものが入っているように見えた。

 「これは、私を育ててくれたグレン=ドロスの妻の恵土ケイト=ドロスに教わった東洋の武器だ。これがあれば、私が負けることなどあり得ぬ」

 リディアは、自信に満ちた表情で、手に持った武器を握り締めながら、観覧席を下りて、対戦場へと向かって行った。


 対戦場に立つ臥神とその腕にまる妖鴉ヨーアを、懐かしいものを見るような眼差しで見つめていたティナの中の美璃碧ミリアが、突然、口を開いた。

 「あれは、黎斦レギンじゃないかしら」

 エドが再びロイたちのために通訳を行う間に、美璃碧は指笛ゆびぶえを吹き鳴らした。

 すると、それに気付いた妖鴉は、臥神の腕から離れて美璃碧の頭上まで飛んで行き、旋回しながら美璃碧を見下ろし始めた。

 「あなたは、黎斦レギンなんでしょ?こっちへいらっしゃい」

 妖鴉ヨーアは、ゆっくりと美璃碧のところまで滑空し、特別観覧席の空いている席に舞い下りると、美璃碧の顔を覗き込むように見つめた。彼女が誰なのかを確認しているようだった。

 美璃碧も、妖鴉の顔をよく確認しようと、ひじを曲げて右腕を前に出すと、妖鴉は、美璃碧の意図することが分かるのか、軽く羽ばたいて飛び上がり、その腕に素直に移動した。

 「あら、あなたは、随分と重くなったのね」

 美璃碧が不思議そうな顔をしながら言ったので、エドが言葉を挟んだ。

 「そう感じるのは、あなたの体が、ティナという幼子おさなごの小さな体だからではありませんか?」

 美璃碧は、くすっと笑った。

 「あら、そうだったわね。私の体は今、幼い子供の体だったわね。忘れていたわ」

 「黎斦レギンというのは、ティナの腕にまっているそのからすのことを言っているのかい?」

 ロイが、エドに尋ねた。

 「ああ、どうやらそうらしい。かつての美土奴国の姫だった美璃碧は、崇斦スギンという白い妖鴉ヨーアと、黎斦レギンという黒い妖鴉ヨーアを飼い慣らしていたと聞いたことがあるが、恐らくその黎斦レギンのことだろう」

 「あなたは、崇斦スギン黎斦レギンのことを知っているのですか?」

 「いえ、その名前を聞いたことがあるだけです。実際に見たことはありません」

 エドがそう答えると、美璃碧はがっかりした表情を見せて、再び腕に留まっている妖鴉に目を向けた。

 「よく見ると、あなたは黎斦レギンじゃないようね。あなたはなんていう名前なの?」

 しかし、当然、鴉が答えるわけもなく、妖鴉は美璃碧の腕から飛び去り、臥神のもとへと戻って行った。

 その様子を対戦場から見上げて眺めていた臥神は、妖鴉を肩にめると、ゆっくりと歩いて対戦場から退場していった。

 「アレン、見ただろ?こんな風に、ティナの体に突然、美璃碧という人格が現れて、ティナの人格が消えてしまったんだよ。エドから、仮説として聞いた話では、人は、耐えがたい強い衝撃を心に受けるようなことを体験すると、それを無意識に避けて思い出さないようにするために、別の人格が現れることがあるそうだが、ティナの場合もそれが当てはまるのだろうか?」

 ロイは、実際のティナのおかしな言動を目にしたアレンに、医師としての見解を求めた。

 「実は、人間の心というものは、とても複雑で、まだほとんど何も分かっていないのだよ。だから断言はできないが、これまでに見た限りでは、そうなのかもしれないな。ティナは、アマラ神殿のトラーク神をまつる感謝祭のときだけでなく、母親が美土奴の僧侶に会うために、母親に連れられてしばしばアマラ神殿に行っていたんだろ?そこで美土奴国の僧侶と会ったり、母親から美土奴の僧侶から聞いた話などを聞いていたとしたら、その話がもとで、自分が美土奴国の姫君だと心の奥底で信じ込んでしまい、ノーラの死を目の当たりにしたことで、その悲しくつらい出来事を思い出さないようにするために、美璃碧という人格が顕現けんげんしたということも、あり得ないことではない。この考え方だけでは、ティナがなぜ突然知るはずのない美土奴の言葉を話し始めたのかまでは説明できないが、もしかするとティナは、自分でも気が付かないうちに、自分が美璃碧姫だという暗示にかかってしまったのかもしれないな」

 「暗示?それは、何のことだい?」

 「暗示とは、他人の言葉などによって、思考や感覚、行動などが操られたり、誘導されたりする心理作用のことだよ」

 ロイとアレンがティナのことについての見解を話し合っていると、その間にゴルドバ将軍と リディアとの対戦の準備が整い、開戦の銅鑼どらが打ち鳴らされた。

 「この試合を観れば、暗示というものがどういうものかが分かるだろう」

 アレンが、何かをほのめかすようなことを言ったので、ロイがどういうことなのかを尋ねようとしたが、観客席から、これまで以上の大歓声が沸き起こり、場内は熱気に包まれて、アレンと話をするような状況ではなくなってしまった。


 本来であれば決勝戦となるはずだったゴルドバ将軍とリディアの試合が、敗者復活戦が取り入れられたことにより、準決勝戦となったが、この試合も民衆が待ち望んでいた試合の一つだった。アシュベルの試合に期待をかけていた観客も多かったが、ゴルドバ将軍の試合も、アシュベルの試合以上に期待された試合だった。

 ゴルドバ将軍を応援する民衆は多かったが、初日のリディアの戦いぶりを見て、リディアへの賭けさつを購入する者も少なからず現れ、一部の観客はリディアを応援し始めていた。


 ロイたちが再び闘技試合に目を向けると、リディアは、武器を持つ手を緩めて、武器の一部がだらりと垂れるような状態にして持ち直した。

 「あれは、三節棍さんせつこんだ!」

 ロイが驚いた声で言った。

 「三節棍?何だい、それは?」

 エドは、武器のことなど全く知らなかったので、ロイに説明を求めた。

 「三節棍とは、三つの棍棒が鎖で連結された東洋の武器のことだよ。一つ一つの棍棒を武器として使えるだけでなく、振り回して使うことで複雑な動きをするので、対戦相手にその動きを読まれにくく、相手がその武器の攻撃から身を護るのはとても難しいと言われている。そして、遠心力によって打撃力が大きく増大するので、ゴルドバ将軍との力の差で不利なリディアにとっては、最適な武器と言えるかもしれない。しかし、三節棍は扱いがとても難しく、熟練した者でないと、振り回した先端の棍棒が自分に跳ね返ってきて、自分が打撃を受ける危険性もあるとも言われている。そのような武器を、彼女が使えるなんて…」

 ゴルドバ将軍は、初めて見るリディアの武器に目を見張ったが、これは面白い試合になりそうだと喜ぶような笑みを浮かべて、木製の斧槍ふそうを構えた。

 しかし、この試合が、ゴルドバ将軍にとって、生涯最後の試合になろうなどとは、将軍以外に知る由もなかった。


 リディアは、三節棍の両端の棍棒をそれぞれの手で持ち、ゴルドバ将軍の斧槍ふそうがどこから攻撃を仕掛けてきても身を護れるように、半身はんみになって構えると、鋭い目で将軍を見据えながら、将軍の動きを待った。

 ゴルドバ将軍も、斧槍の先端をリディアに向けて威嚇するようにして構え、気迫のこもった眼光を放ちながら、久しぶりの闘技試合を楽しむかのように、にやりと笑みを浮かべた。そして、リディアを威嚇するように、ゆっくりと斧槍を回転させて振り回した後、じりじりと間合いを詰め始めた。

 将軍は、斧槍の長い柄を活かして、リディアが一度では懐に飛び込むことの出来ない距離から、まずは彼女の力量を試すかのように、斧槍を振り下ろして攻撃を仕掛けた。

 リディアが半歩下がってけると、将軍は、すぐさま斧槍を持ち替え、柄の先端のやりを次々に繰り出すようにして襲いかかってきた。将軍の繰り出す槍は、まるで矢のように素早く、普通の対戦相手であれば、これですぐに決着がつくのであろうが、リディアは、三節棍の両端の棍棒で槍を左右に流すようにして払いのけていき、将軍が柄の構えを変えて逆の先端の斧に攻撃の手段を切り替えようとした瞬間、左手を棍棒から離し、それと当時に体を回転させて、遠心力を利用して、三節棍を振り回し、今度はリディアがゴルドバ将軍に攻撃を仕掛け始めた。

 ゴルドバ将軍も半歩下がることを余儀なくされ、まるでしなむちのような、リディアの操る武器の不思議な動きに驚いて、一瞬、斧槍を持つ手を止めた。その隙を逃すまいと、リディアは、姿勢を低くした状態で、再び体を回転させて三節棍を振り回し、今度はゴルドバ将軍の脚を狙った。

 ゴルドバ将軍が、片脚を上げて攻撃をかわすと、リディアは、すかさず、もう一方の軸足も狙った。すると、将軍は体勢を崩しそうになり、上げた足をすぐさま地面に下ろして踏ん張り、体勢を整えようとすると、リディアはそのまま転がるようにして将軍に近づいていき、その勢いを利用して跳び上がると、今度は三節棍を棍棒として使って、将軍の喉元を狙った。

 将軍は、懐に飛び込まれた状態では、長い柄の斧槍が邪魔になり、やむなく、左手を使って棍棒を払いのけたが、近距離戦となれば、将軍に体を押さえ込まれない限りは、リディアが有利だった。リディアが次々に攻撃を繰り出すと、将軍は、少しずつ後方に下がりながら、素手で攻撃をかわし続けた。

 試合が開始されて、ゴルドバ将軍が長い斧槍を構えたときには、多くの観衆は、リディアが将軍の懐に入り込む前に、将軍の得意とする、矢のように素早く繰り出されるやり餌食えじきになるだろうと予想したが、それは全くの誤解であった。

 リディアは、将軍に反撃の余地を与えぬように、右、左と何度も連続した棍棒での攻撃を繰り返した。

 将軍は身をかわすだけでは、リディアの攻撃から逃れられず、左腕で棍棒を受けとめ続けた結果、腕が赤く腫れ上がり始めた。

 リディアの武器の選択は正しかった。

 三節棍は、しなむちのように使えば、遠距離からの攻撃を可能とするので、ゴルドバ将軍の用いる長い柄の斧槍とも十分にわたり合うことが出来、いったん相手の懐に潜り込めば、今度は、棍棒として使うことにより、近距離からの攻撃も出来るのである。

 リディアは、棍棒で、突きと殴打の攻撃を繰り返しながら、斧槍では攻撃しにくい距離の範囲内で若干の間合いを時々とって、三節棍を振り回して鞭のように使って攻撃を行った。

 ゴルドバ将軍は、さらに後ろへと後退しながら、リディアの攻撃をかわしていったが、このままリディアの素早い動きに対応し続けるのは難しいと判断し、肉を斬らせて骨を断つ作戦に出た。リディアから目にもとまらぬ速さで繰り出される鞭のような三節棍の先端を、かわさずに体で受け止めたのである。将軍は、肋骨が砕けるほどのかなりの衝撃を受けたはずであったが、苦痛をものともせずに、左脇に打ち込まれた棍棒を腕で挟み込んで、リディアの攻撃を止めた。

 ゴルドバ将軍の予想外の行動によって、武器の使用を封じられてしまったリディアは、すかさず将軍から離れようとしたが、将軍は、持っていた斧槍を手放すと、瞬時に間合いを詰めて、右腕をリディアの首に回しこんで絞め上げた。

 これには、リディアもひとたまりもなかった。いったん将軍に押さえ込まれてしまえば、リディアの力では、抜け出すことはとうてい無理なことだったからである。

 誰もが、これで決着が着いたと思った。

 審判が駆け寄り、リディアの棄権の意思を確認したが、リディアは棄権しなかった。

 そのままでは失神してしまうため、リディアに残された時間はわずかしか無かった。

 ゴルドバ将軍は、リディアの命を奪うつもりはなかったが、リディアが落ちるまでは腕を離すつもりはなく、リディアが必死にもがいて、喉を締め上げる将軍の太い右腕から逃れようとすると、将軍は、逃すまいと右腕にさらに力を込めた。すると、将軍の左脇が甘くなり、脇で受け止めた三節棍が、だらりと垂れるようにして将軍の脇から離れた。

 落ちる寸前だったリディアは、すかさず三節棍を、遠心力を利用して振り回し、将軍の左腕に叩きつけた。それは、将軍の左肘を強打した。

 すると、不思議なことに、肋骨を砕かれてもびくともしなかった将軍が、一瞬うめくような声を上げて、リディアを絞め上げる右腕を離し、苦痛をこらえるかのように、右手で左肘を押さえた。

 リディアは、苦しさに耐えかねて、地面にしゃがみこんでむせるように何度か咳込んだが、この機会を逃すまいと、すぐさまゴルドバ将軍への攻撃を再開した。

 ゴルドバ将軍も、向かってくるリディアに反応して、すぐさま地面に落ちている斧槍を、足を使って拾い上げ、応戦の体勢を整えた。

 ゴルドバ将軍は、肋骨の砕けた左半身はんしんを護るかのように、今度は右半身はんみになって構えた。

 リディアが、三節棍を振り回して、遠距離から攻撃を仕掛けると、将軍は、右腕だけで斧槍ふそうを持ってリディアの攻撃をかわしたが、明らかに将軍の動きは鈍くなっていた。

リディアは、将軍の左側に攻撃を集中させた。

 ゴルドバ将軍は、右に回り込むようにして、リディアの攻撃をかわし続けた。しかし、短時間で決着をつけなければ体がもたないだろうと判断した将軍は、リディアの動きを封じるために、脚に狙いを定めて攻撃を開始した。将軍は、リディアの左脚めがけて、斧槍を斜めに振り下ろし、足をすくおうとすると、リディアは難なくそれをかわしたが、その瞬間、リディアの足が止まった。リディアが、将軍の懐に飛び込むのをためらうかのように、間合いを取り始めたのである。

 そのことに気付いたゴルドバ将軍は、リディアの脚を狙って攻撃を続けた。


 「どうしたというんだ?心做こころなしか、急にリディアが攻撃を仕掛けるのをためらい始めたように見えるが」

 これまで黙って固唾かたずみながら観戦していたロイが、リディアの予期せぬ動きに疑問を感じて呟いた。

 「やはりな。彼女は、暗示にかかってしまったのだよ」

 アレンも、リディアの不自然な動きの変化に気付いたようだった。

 「暗示?」

 「ああ。さっき、この試合を観れば、暗示というものが、どういうものかが分かると言ったのは、このことだよ」

 「どういう意味だい?」

 ロイは、アレンの言葉の意味が理解出来なかった。

 「つまり、私は彼女に暗示をかけてみたんだよ。彼女が左脚に怪我をしていたのは、お前も知っているだろ?その怪我は、ほぼ完治していたのだが、初日の試合で、アシュベル少将と対戦したときに左脚に攻撃を受けたため、念のためにて欲しいと、彼女が私のところにやってきたので、私はこう言ったんだよ。『あなたの左脚は、今は、痛みはほとんどないかもしれませんが、実は非常に危険な状態にあります。このまま試合を続ければ、試合中に脚の自由がきかなくなる可能性だってあります。脚のことがゴルドバ将軍に悟られてしまえば、将軍はあなたの動きを封じるために、必ずそこを攻撃してくるでしょう。そして、もし、その攻撃をかわすことが出来ず、もういちど脚を痛めるようなことがあれば、今後一生歩くことは出来なくなりますよ』とね」

 「どうして、そんなことを言ったんだい?」

 「彼女は、グレン=ドロスに育てられただけあって、確かに強い戦士だが、精神面の弱さがある。彼女は、母親のかたきとして憎み続けているクベス王が支配するグランダル王国に入るには、どうしても美土奴国に広がるランドルの森を通り抜けなければならないと言っていた。しかし、彼女は、ランドルの森で体験した恐ろしい出来事から、ランドルの森は、魔物や妖術によって守られていて、容易には通り抜けることが出来ないと信じ込んでしまったのだよ。実際は、美土奴国の妖術師が、周辺国の人々に恐怖心を植え付けることで、異国人いこくびとのランドルの森への侵入を防ぎ、美土奴国を守っているのだと私は考えているが、彼女はそうは考えなかった。そして、彼女が初めて私の医務室に運ばれたときには、彼女の脚の無数の傷から鋸牙草コガソウの毒が入り込んで、命を落としかねない状態だったので、私がある虫の糞を解毒剤として使ったというのは、以前話しただろ?その虫は、エドからもらった頒賜蝗ハンシコウという虫で、本来はその虫のふんせんじたものを飲ませるのだが、まだ糞が十分に集めきれていなかったので、一刻の猶予も許されない状況の中、一か八か、私は彼女に頒賜蝗ハンシコウを見せて、この虫は、彼女が冒されている毒に非常によく効く解毒剤だと言って、食べさせたのだよ。すると、私の言葉を信じた彼女は、信じられない程劇的な回復を示したので、私は、彼女は暗示にかかりやすいのだと考えた。しかし、もし彼女が、それほど簡単に他人ひとの言葉を信じ込んでしまうようであれば、彼女がランドルの森を抜けるのは難しいだろうと思い、彼女を試す意味で、暗示にかけてみたのだ。彼女が、簡単に暗示にかかってしまうようでは、ランドルの森で命を落としかねないからな」

 「すると、彼女は、その暗示によって、左脚をうまく動かせなくなっているというのかい?」

 「恐らく、そうだろう。見てみるといい。先程まで素早い動きを見せていた彼女が、今は左脚を思うように動かせなくなって、かばうかのように動いているじゃないか」

 ロイが再びリディアに目を向けると、アレンの言った通り、リディアは、ゴルドバ将軍が斧槍ふそうで脚をすくおうと攻撃してくるたびに、後ろへ後退しながら右へ回って攻撃を回避していた。

 「このままでは、彼女は負けてしまうのではないか?」

 「そのほうがよいのかもしれないぞ。もし彼女が負ければ、トラキア軍の指揮権を得ることは出来ず、ランドルの森を抜けて、大国のグランダル王を討とうなどという無謀なことはあきらめるかもしれないしな」

 アレンは、半分冗談で言っているようにも見えたが、リディアが無駄に命を落とさないように、真面目に考えて言っているようにも見えた。


 すると、突然、闘技場の観客席からどよめきが起きた。

 間断かんだんなく襲いかかるゴルドバ将軍の斧槍ふそうに足をすくわれたリディアが、倒れ込みながらも、三節棍で将軍の脚に攻撃を仕掛けたのである。それは、形が急に変形し、三つしかなかったふしがいくつもの節になり、むちの先が絡まるかのように将軍の左脚を捕えた。リディアは、すぐに立ち上がって武器を引っ張ると、ゴルドバ将軍は、体勢を崩して後ろに倒れた。

 その瞬間、場内が静まり返った。

 「まさか、あのゴルドバ将軍が、背を地に着けるなんて…」

 誰もがそう思った。

 闘技場の観戦客は、皆、信じられない光景を見るかのように、目を見開いて、口を開けたまま、その光景を見つめていたが、次の瞬間、再びどよめきが起こった。

 審判が、待機していた医師を呼んで、倒れたまま動かなくなってしまったゴルドバ将軍を確認し始めたからである。

 ゴルドバ将軍は、口から血を吐いて、意識を失っているようだった。

 すぐに、大会医師の代表であるアレンが呼ばれた。

 アレンは、観覧席を駆け下りて、対戦場へと向かい、ゴルドバ将軍のところへ駆け寄った。

 将軍の意識や呼吸の有無などを確認した後、容態を細かく診ていくと、将軍の左肘周辺が赤く腫れているのに気が付いた。

 「まさか…」

 アレンは、将軍の籠手こてひじ当てを外して驚いた。将軍の肘が、ひどく腫れ上がっていたからである。リディアの三節棍で何度も強打されてできた前腕ぜんわんの腫れよりも、肘関節の腫れが特にひどかった。

 アレンは、右腕の籠手や肘当て、さらに両脚のひざ当てや靴を脱がすと、やはり関節という関節がすべて腫れ上がっていた。

 「まさか、ゴルドバ将軍まで罹患りかんしていたとは…。こんな体で、よくあそこまで戦えたものだな」

 アレンの指示で、将軍が担架で場外に運び出されると、その状況を見ていた観客たちが、何が起こったのかを説明するよう求めて叫び始めた。

 アレンは、そばにいた医師の一人に説明をし、ラモンに伝えて状況を観衆に説明させるように指示した。

 指示された医師は、急いでラモンのいる席へと走って行き、ラモンにアレンから聞いたことを伝えたが、ラモンは、不敵な笑みを浮かべながら檀上に立ち、アレンの言ったこととは違うことを言い始めた。

 ラモンは、リディアが闘技試合の規則を破って、故意にゴルドバ将軍を殺したのだと、観衆に説明したのである。

 「何を馬鹿なことを言っているのだ!」

 アレンは、ラモンの言葉に憤慨し、すぐにラモンに今言ったことを訂正させようと、ラモンのところへ駆けつけようとしたが、駆け寄ってきた数人のラモンの部下に拘束されてしまった。

 リディアも、矢を構えた他の大勢の部下たちに四方を囲まれて、拘束された。

 ロイは、エドにティナのことを任せて、リディアとアレンを助けようと、観覧席の階段を駆け下りて対戦場に向かったが、ラモンの部下たちに行く手を阻まれて、どうすることも出来なかった。

 観衆の目にも、リディアが故意にゴルドバ将軍を殺したようには見えなかったため、ラモンに大声で叫んで非難を浴びせ始めたが、ラモンは、観衆の非難などは無視し、演壇上から観衆に向かって、静まるように両腕を上げて指示した。

 ラモンが何かを説明しようとする素振そぶりを見せると、観衆は、一旦叫ぶのを止め、ラモンの言葉に耳を傾けた。しかし、ラモンの言葉は、さらに観衆の怒りを買った。

 ゴルドバ将軍が死んでしまった今、次の最高指揮官としての適任者が現れるまでは、自分がトラキア軍の暫定最高指揮官となると宣言したからである。

 再び観衆が大声で叫び始め、ラモンに抗議したが、ラモンは部下に守られながら、場外へと消えていった。

 アレンは、罪状がないため、すぐに解放されたが、リディアへの今後の接触を禁じると言い渡された。

 一方、リディアは、将軍殺害の罪で、両手を後ろに回された状態で縄で縛られて、連行されていった。

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