第92話 取り戻す

 先が全く見えない闇の中で、アキラは亮太が来るのを待っていたのだ。


 どれだけ心細かっただろうか。生まれる前からずっと傍にいた狗神は八岐大蛇に取り憑かれ、いつ来るかも知れない亮太を時間も分からない中ただ待つことが、どれだけ恐ろしかったことか。


 ぼろぼろ泣くアキラをどう慰めたらいいのか。抱き締めたっておっさん臭いだの何だの言うだけだろうし、アキラだってそもそもそんなもん求めちゃいないだろう。ならどうするか。


 亮太はすっくと立ち上がると、左手でアキラがいつもやるポーズをしてみせた。親指をぐっと立てるやつだ。


 そしてニヤリと笑ってみせた。


「任せとけ。レンは必ず連れ戻す」


 今蓮がどういう状況になっているのかなんて分からない。普通に戦って勝てるとも思えない。八咫鏡やたのかがみももう割れてしまい、残った八尺瓊勾玉やさかにのまがたまと草薙剣の神器だけで対峙することになるのは正直心許ない。


 だけど、タケルには聞こえた。ちゃんと亮太の声が届いて、そして戻ってきた。ただの人間のタケルに出来たのだ、長い年月を生きてきた妖で神使なんて偉そうな奴に出来ない訳がないじゃないか。


「大丈夫、レンは強いからな」

「亮太……」

「あんま泣いてると感動の再会の時に目が腫れちまってるぞ」

「すぐそういうことを言う」


 だがアキラは泣き止んだ。目にいつもの力が戻ってきた様に見える。


 亮太はアキラの隣に座るコウに笑いかけた。


「コウ、アキラが勝手なことしない様に見張っててくれ」

「任せとけ」


 コウの顔色はまだ少し白いが、大分赤味が戻ってきている。こちらももう大丈夫だろう。


「よしコウ! 行くか!」

「おう! なのー!」


 みずちが亮太に向かって頭を下げた。


「亮太、乗って」

「わりいな」


 亮太はみずちの耳の後ろに跨ると、右手に草薙剣を構えつつ左手で角をしっかりと掴んだ。ふわ、と浮くと森を目指して直進する。


「あの森の中にいるの」

「分かるのか?」


 神使は八岐大蛇の気は分からないのではなかったのか。


「分かるの。僕の中にはずっと草薙剣があったから」

「草薙剣があると分かる?」

「草薙剣は須佐之男命スサノオノミコトが八岐大蛇を退治した時に八岐大蛇から出てきた物だから」

「尻尾だっけか?」

「そうなのー」


 みずちの言わんとしていることがわかった様な気がした。八岐大蛇は今までは首しか出てこなかった。だが今回は身体も全て出てきているから、本来八岐大蛇の尻尾にあった草薙剣を通じてみずちにその位置を伝えているということか。


 それじゃまるでみずちが八岐大蛇と対の存在の様じゃないか。ふとそう気付き、亮太は思わずぞくっとしてしまった。まだある、亮太には思いつきもしない何かが、きっとみずちの存在には隠されている。そんな気がしてきた。


「コウ……お前、どこにも行かないよな?」

「僕はずっと亮太といるのー」

「はは、そうだよな、ごめんな変なこと聞いて」

「ねえ亮太」

「ん?」


 眼下の森の木々がガサガサと動いている場所がある。少し先だ。


「僕のこと、信じてね」

「ん? 当たり前じゃないか」


 みずちを疑うなんてこと、これまでだってしたことはない。きっとこの先だってない。亮太にとってみずちは狗神とはまた違う不思議な存在で、蛇がというよりも爬虫類全般が苦手な亮太なのにすっと心の中に入ってきてあっという間に亮太の中に大きな居場所を作ってしまった存在だ。何故だろう、考えても分からない。ただ亮太はみずちが可愛くて愛おしくて、いじけたり少しずつ成長していったりする姿を見て慰めたり一緒に喜んだりしたくなった。今でもそうだ。立派に成獣となり、一緒に八岐大蛇に立ち向かおうとしているみずちは亮太の誇りだ。


「僕、亮太が好き。草薙剣を使えるのが亮太でよかったの」

「草薙剣はお前が出してくれたんだろ?」


 亮太はそれを使わせてもらっただけだ。そんな話をしていると。


「亮太! 気を付けて!」


 みずちが急旋回をした。何事かと思って下を見ると、先程までガサガサといっていた場所の木々が一斉になぎ倒され、その内の一本が物凄い勢いでこちらに飛んできていた。


「俺は気にするな! 大丈夫だ!」

「避けながら近付くの!」


 みずちがすいっと避けると、そこそこ大きな木が亮太達が来た方の森の中に落ちていき、バキバキバキ! と木をなぎ倒す音がした。


「どんどん来るの―!」


 次々に木が大きな矢の様に飛んできた。すれ違いざまヒュン、という音を立てて通り過ぎたかと思うと背後の森に轟音を立てて落ちていく。後ろのコウやアキラからは離れているので恐らく問題ないとは思うが、それにしても物凄い力だ。


「八岐大蛇って手なんてあったか?」


 みずちには小さな手はあるがこんな物を投げられる様な立派なサイズではない。


「本当はないから、あれは多分イヌガミの手なの!」

「イヌガミは四足よつあしだろ……」


 蓮の姿のまま取り込まれて、怪力にでもなったのだろうか。想像がつかないので出来るだけ近付いて実際にこの目で確認するしかない。


「これじゃ寄れないのー!」


 木がヒュンヒュン飛んできて、なかなか近付けない。周りの木を引きちぎったからだろう、出来上がった空間から一瞬だが黒い物体がちらりと見えた。いた、あそこだ!


「レン! 俺だ、亮太だ!」


 猛スピードで避けながら宙を舞うみずちの上から、出来得る限りの声を張り上げる。


「レン! 聞こえているか!?」

「ググヴオオオオオ!!」


 今までに聞いたことのない様な咆哮がした。


「レン! 今から行く!」

「グガアアアアア!!」


 その声と共に、ドン! という地面を蹴る音がしたかと思うと大きな黒い獣が飛び上がり、宙で着地した。その獣はかなり大きく、最後の八岐大蛇に相応しく成獣となったみずちとほぼ同等の大きさだった。全身は黒光りする鱗に覆われ、これまでの首と同じく目は赤く光っている。一見一匹の龍にも見える。だがよく見ると角の横には犬の様な耳がピンと生えており、宙を踏みしめる四足は明らかに犬の足の形をしていた。そして、犬の尻尾にも見える尾は全部で八本。


「……イヌガミ」


 蓮の姿はそこにはなかった。あるのは狗神本来の姿に八岐大蛇を取り込んだ禍々しい姿。


 狗神と亮太は暫し見つめ合った。その間もみずちはぎりぎり届かなそうな距離を保ち警戒しつつ狗神の周りを旋回している。


「イヌガミ、戻ってこいよ!」


 亮太が叫んだ。ああ、いざこうして目の前にしてみると何を言ったらいいのかなんて何も分からない。こいつはいつも肝心なことを言わないから、亮太も聞かなかった。聞かれたくないのだと思ったから、こいつに過去に何があったかなんて一度だって聞かなかった。


 でもちゃんと聞いておけばよかったのだ、どんなにこいつが逃げようが嫌がろうが、どんな悪事を過去に働いていたってそれを聞き出して、喧嘩しようとも泣かれようともこいつからそのおりを早く出してあげるべきだったのだ。


 それは亮太の怠惰だ。居心地がいい方を選んだ亮太の失態だ。でももう過去には戻れない。時間は不可逆、悔やんだところで取り戻せない。


 だったら今やるしかなかった。


「イヌガミ! 教えてくれ! 俺はお前の過去に何があったってお前が好きだ! 信じてくれ!」

「アキラ様もイヌガミが大好きなの―!」

「そうだぞ! お前がそんな遠慮する必要なんてないんだ! 堂々といきゃあいいじゃないか!」


 狗神の周りをぐるぐると周りながら二人声を張り上げる。聞こえているだろうか、タケルは始めは聞こえていないようだったが、狗神はどうだろうか。


「イヌガミ!」

「ワ……ワタシハ」


 反応した! 亮太の顔に笑顔が浮かぶ。ちゃんと亮太の声は届いている。そうだ戻ってこい、そんな物に取り込まれるようなヤワな奴じゃないだろう、お前は。


「ちゃんと言ってくれねえと分かんねえよ! 聞くから、ちゃんと受け止めるから言ってくれよ!!」


 腹の底から、声を出した。

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