第75話 何だかどんどんパワーアップしてないか

 固まる亮太の腕の中で、コウが頭を上げた。


「終わったか?」


 咄嗟にコウの頭を押さえ付けていたので、コウは幸いにもこの光景を見なかったらしい。見たところで動じなさそうな気はしたが。亮太はコウを抱き締めていた腕の力を抜いて、ようやくコウを解放した。


「わりい、痛くなかったか?」

「全然大丈夫。亮太に守られて私は幸せだ」


 何とも可愛らしいことを言う腕の中の恋人に、亮太は思わずにやけた。


「亮太、コウ様、とりあえず離れていただけますか」


 それまで固まっていた蓮が声をかけてきた。そうだ、亮太とコウが抱き合っている限りみずちは蛟龍の姿のままだ。亮太はみずちに見えやすい様コウと少し離れた。それを見たみずちがしゅるしゅると元の蛇の姿に戻っていき、コウが手のひらに迎え入れた。


「ご苦労様、私のコウ」

「えへへ、僕役に立った?」

「ああ、とても」

「わーい」


 コウに触ると否応なく変化してしまうこの現象も、いい加減早く何とかしたかった。みずちに目隠しをしてからでないと接触出来ないのはきつい。正直なところもっと堂々といちゃいちゃしたいのが本音だった。仕方ないではないか、まだ付き合いたてのほやほやなのだから。


 こうなったら堂々と変化出来るこの寺に滞在している間に何とか成獣になれる様みずちには頑張ってもらおう。密かに心に決めた亮太だった。


「いやー凄いの見ちゃったな」


 椿が感心しながら亮太達の元に近付いてきた。コウの手のひらにすっぽりと納まるみずちに声をかける。


みずちちゃんだっけ? 凄いなお前!」

「わーい僕褒められちゃった。ありがとー」

「それでさ、凄いついでに裏のミニ滝周辺の掃除も出来ない? 水止めてたら思ったよりも濁っててさー、ちょっと池が緑色に、へへ」


 椿が笑顔で頭を掻いた。亮太が蓮を見ると、蓮が深く頷いた。


「清掃が必要です」


 亮太とコウは、顔を見合わせた。



 亮太とコウが接触している間は二人は清掃作業は出来ない。その為、先程真っ先に逃げたリキが池の清掃担当となった。蓮とアキラは引き続きお堂の床拭きだ。亮太はお寺に置いてあった長靴を借りて履いているが、いまいち小さいので歩きにくかった。


 リキは若干内股気味で池の前にデッキブラシを持って待機している。お堂の裏手にある椿の言うミニ滝は本当にミニ滝ではあったが、池はそれなりに大きい。そして綺麗な緑色をしていた。確かにこれは禊が出来るレベルではなかった。


 コウの実の兄の前でいちゃつくこの任務はなかなかに心理的ハードルが高い。先程がっつりキスしているところも見られてしまったので尚更だ。


 横に立つコウの耳に小声で囁く。


「コウ、目の前でいちゃついてお兄さん怒ったりしないか?」


 妹大事のリキである。いつぞやのみずちの様に放り投げられては溜まったものではない。コウがくすりと笑った。


「大丈夫だ、むしろドキドキしながらちらちら見てくるだろうけど遠慮しなくていい」

「え? 見られるのか?」

「恋愛もののアニメは大好きだったからな、いつか自分も誰かととかよく言っていたし」

「は、ははは」


 まあずっと蓮を好きだったのだ、誰かといちゃつくなどこれまでの人生したことがないのだろう。それはそれで憐れだった。


「よーし! じゃあ始めてくれ!」


 自身もリキと同様デッキブラシを掲げた椿が号令をかけた。コウは頷くとまずは八咫鏡やたのかがみを取り出す。外は昼間とはいえお堂内部とは違い寒いので、まずは周辺を温める必要があった。


 鏡を手のひらに持ち、口の中で何かを小さく呟く。すると鏡から白に近い温かみのある光が溢れ始めた。まるで流れる霞の様にたゆたい、亮太はまた色彩に惹かれる。何故色彩にここまで惹かれるのか、自分でもよく分からない。だがとにかく惹かれてやまなかった。


 光の粒子が辺りに舞い踊り始めると、それまでひんやりとしていた空気が温かみを帯びたものになってきた。


 コウがジッパーの開いたポーチの中に声をかける。


「私のコウ、外も暖かくなったから出ておいで」

「はあい」


 みずちがするりと出てくると、また先程と同じ様にコウの腕に絡みついたので亮太はみずちに見える様、コウの手をしっかりと握った。


「仲良し大好きー」


 くるくると宙を舞い出したみずちがどんどん大きくなる。先程よりも大きく。


「コウ、また大きくなったか?」

「なったかもなのー」


 上空に浮かぶ蛟龍の胴はかなり太くなっている。亮太が腕を回してギリギリの太さか。


「さっき亮太とコウ様が幸せそうだったから僕も幸せなのー!」


 そうにこやかに言うと上空をくるんと一周し、池の前にふんわりと降り立った。


「亮太は本当に好かれているな」


 くすりとコウが笑いかけてきた。亮太も笑顔で返す。


「何でだろうな? 大して何もしてないんだけど」

「亮太は悪意が一切ないから安心するのかも」

「下心は悪意じゃないか?」


 不安になった。ここのところしょっちゅうそんなことを考えているので、これに関しては否定出来ない。


「それは私も常日頃思っていることだから大丈夫だろう」

「え」


 聖母の様に思える時もあれば、今の様に妖艶に微笑む時もあり、亮太は思わず唾を呑み込んでコウを見つめた。吸い込まれそうな黄銅色の瞳は亮太をジッと見つめ返している。こういうのを何と表現するのか。そう、メロメロだ。亮太はコウにメロメロなのだ。いい年をしたおっさんだってメロメロになるのだ、仕方あるまい。


「そこの二人、二人だけの空気作ってないで次!」

「あ、わ、わりい」


 椿に注意され、亮太は池の前のみずちに尋ねることにした。


「コウ、今回はどうすればいい?」

「池のお水を綺麗にするんでしょー?」

「周りの落ち葉も出来たら一気に片付けたいなー」

「じゃあ竜巻みたいに巻き上げるとか?」

「さすがコウちゃん、頭いいわ!」

「地面濡れるかもなのー」


 話は決まった。


「うーんと、うーんと、そしたらリキ様達はちょっと離れててなの。亮太とコウ様はいっぱいくっついてね!」


 免罪符が出た。亮太は長靴を履いていないコウをひょいと横抱きに抱えた。軽い。そして柔らかい。


「コウ、首にしがみついててくれ。水が来たら走って逃げるから」

「うん!」


 コウの小さいけれど柔らかい胸が当たる。うおおと言いたくながったそれは抑えた。


 みずちが亮太達を見ると、今度はみずちの周りに水柱が二本立ち始めた。それがそれぞれ回転をゆっくりと始め、段々と捻れていく。


 水柱周辺の空気が動き始め、池の周りに落ちていた落ち葉の山が水柱に吸い込まれていく。見ると、池の水もどんどん吸い込まれて行っていた。


「池の水が抜けて汚れが酷い所はブラシで掃除だぞリキ!」

「任せて! 力仕事は大の得意よ!」


 椿とリキが雄々しくデッキブラシを構えた。


「もうちょっと仲良しが足りないのー」

「任せろ」


 コウが請け負った。いや待て、せめてあいつらに背を向けてもらってからにしたい。そう思ったが遅かった。


 首にしがみついていたコウが、亮太の頭を引き寄せ本日二回目の公開キスをした。リキががっつり見ている。椿がにやにやしていのも見えた。いやいや勘弁してくれ、せめてそこは見ぬふりが出来ないものなのか。


 ぷは、と息継ぎをしたコウが、動揺する亮太に小さく小さく囁いた。


「亮太、見なければいいじゃないか」


 成程、その手があったか。亮太は目を閉じ、漏れたコウのその吐息を回収するかの様に唇を奪うことにした。まあ、羞恥で死ぬことはない。見なければ一緒だ、大丈夫大丈夫。


 例え後で悶絶したくなる位恥ずかしくなったとしても。


 ゴオオオオオ! と水柱が轟音を立てて辺りの物を巻き上げる。亮太の髪も服も水柱に吸い込まれそうな勢いでなびいた。


「うおおお! すっげえ!」

「椿くん近寄りすぎよ! 離れて!」


 さすがに状況が気になって亮太が目を開け顔を上げると、足元には浅い波が打ち寄せ大きな竜巻の様な水柱が二本高速で回転していた。周りの木々も揺らし、椿が巻き込まれそうになっている。リキが慌てて椿の脇を抱えて林へと逃げた。


 こっちもやばい。


「コウ、逃げるぞ!」

「ん」


 コウの顔は赤くポワンとしていた。しまった、やり過ぎたらしい。亮太はコウを抱えたままリキと同じく林の中へと駆け込んだ。


「じゃあ行くよ―!」


 みずちの楽しそうな号令と共に、二つの水柱は大きな水龍となって遥か上空へと消え去っていった。

 

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