ストーカーは命の恩人

一粒の角砂糖

自殺

「はぁ。」


その日は少し冷えた秋の日の丑三つ時。

風の強く吹く崖。トレーナーとジーンズを着て僕はそこで空を見上げる。月はまん丸に強く輝き、それを隠す雲は空一面どこを見ても一掴みも見つからない。少し寒さを覚えながら、目線を下に向けた。

風に合わせて揺らめく木々。飛び上がる鳥達。虫の合唱。自然はこうして巡っているのだろう。またこうして世の中も回っていくのだろう。ちっぽけな自分はそれを眺めることで精一杯だ。


「どうせ僕なんて必要ない。」


右手に持っていたスマートフォンを崖の上に置いて、世の中に別れを告げる。様々な思い出が頭の中でグルグルと思い出される。だがそのどれもが辛い現実ばかりだった。


「さようなら。」


僕は涙を一滴流した。死という恐怖へ自分で踏み出す勇気は無かった。だから目を強く瞑ってこの一歩は『天国への一歩』と言い聞かせて、慣れない足さばきで着くはずのない地面に一歩を踏み下ろす。


「うわぁっ!」


当然空気を踏みしめた。虚空へと放り出された左足は体のバランスを大きく崩した。目を瞑っていたことにより三半規管は既に麻痺していて、気づけば崖の下に向かって右足も離れていた。


(死にたくない!)


咄嗟に目を開けた。


「掴まって!!!」


誰の声か判別するよりも前に誰の手かも分からない手に自分の手を、死への恐怖から逃れるために手を伸ばす。それは確かに現世を掴み取る事が出来た。崖の外に放り出された僕の体は、右手から手を差し伸べた本人の胸に抱き寄せられてゆく。そのままゆっくりと崖から離れるようにして歩いて行き、気がつけば離れた場所に2人腰を下ろしていた。


「だ、大丈夫ですか……?」


そっと、覗くようにして僕の顔を見つめる女性。その人に見覚えはない。


「大丈夫です……助けていただきありがとうございます……。なんとお礼したらいいか……。」


僕は自分の未熟さを憎んだ。ここまでして死なないで生きることに縋るならどうすればいいのかと。涙がこぼれそうで仕方がなかった。


「かわいい……。」


ん?今なんて……。


「どうかしましたか……?」


「い、いえ、なんでもありません。あの……その、お礼なんですけど。私……。えっと……その。私あなたのことが好きなので死なないで欲しいんです。」


「……へ?あの。……初対面ですよね?」


頭の中で必死にこの女性の記憶を辿る。バイト先。教室、キャンパス。過去の友人。そのどれにもあてはまりそうにない。その人が僕に告白をしている。訳が分からない。


「そうですよ。ずーーっとわたしはあなたのこと見てましたけどね。」


そう言って、硬い地面に僕は押し倒されてしまった。彼女の豊満な胸が大胸筋に押し付けられる。


「私あなたのストーカーなんです。」


「え?」


「だから、私と付き合ってください。」


「え??」


「よろしくお願いしますね!」


「え???あ……はい。」


「やったぁ!」


これからを考えると死んだ方がマシだったのかもしれない。僕は考えるのをやめて1人追加で家に帰ることにした。

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