第17話
ロシア サンクトペテルブルク
「初めて見る物で一杯だな・・・」
「目が回りそうだ。こんな動きの早い都市、見たことがない」
帝政ロシア時代は首都、ソ連時代にはレニングラードと名を変え、崩壊後も主要都市の1つとしてロシアの代表的な都市に数えられるサンクトペテルブルクに、現代人から見れば少し古めかしい服装の一団が港から町を眺めていた。
彼らはスチームー帝国から派遣された視察使節団で、ロシア、フィンランド、カナダ、アメリカ、メキシコ、カザフスタンを回り、帰国する予定である。
まずはロシアからフィンランド、そこからロシアに戻ってウラジオストクまで行き、そこからカナダに向かう。
カナダからは南下してアメリカ、メキシコを回ってからカザフスタンに向かい、そして外洋と繋がったカスピ海からスチームーに帰国予定となっている。
スチームーはバトチス要塞のドラゴネスト竜士団の撃退成功の勢いをそのままにこれまでドラゴネストから受けた苦渋を返してやろうと躍起になっており、先進的な地球圏の技術を求めて視察使節団を派遣した。
簡単に技術を導入することはできないだろうが、それを見据えた事はできる。
できる限りの多くの持って帰るべく、使節団は外交官のみならず技術者等を含んで編成された。
多くの発見を持って帰ってくる期待を一心に背負い、彼らはサンクトペテルブルクの視察に出かけていった。
カリブ海
一国も転移することがなかったカリブ海は、島すらない海となっていた。
アメリカ海軍の試験場になっているこの海域で、新兵器の試験が開始されていた。
AN/SNQ-1 DSWJD
指向性音波妨害装置という名称のつけられたこのシステムは、指向性の妨害音波を回転式レーダーのレーダービームと同様にスキャンするように周辺での魔術の実行を妨害するアクティブ電波妨害装置の音波版になる。
このシステムの配備にともない、全船員がノイズキャンセラーの搭載されたヘッドホンをつけている。
この試験ではアーレイ・バーク級フライトⅡAを改修した艦がもちいられた。
「試験を開始する。まずは正常に動作するかだ」
「SNQ-1、正常に起動」
「出力を100%へ」
「出力、60%、70%、80%、90%、100%」
「システム異常なし!」
「続いて効果試験だ。標的を起動してくれ」
アーレイ・バーク級から少し離れた場所に浮いている標的が魔石の魔力に魔術を発動させる特定波長音波をスピーカーが出し、魔術が発動して炎が発生する。
「艦橋よりCIC、標的の起動を確認」
「妨害音波指向開始!」
「指向開始!」
「CICより艦橋、標的の様子は?」
「艦橋よりCIC、標的は・・・消えてる。不思議な光景だ」
この日、試験に合格したAN/SNQ-1 DSWJDはこの後量産配備が推し進められ、この世界における脅威の大半を占める魔術に対する有効な対抗手段としてほとんどの艦艇に搭載され、地球圏外への輸送を行う大型の民間船舶にも搭載されるなど、広く普及した。
無論アメリカのみならずロシア等でも開発された音波妨害装置は、その不快な音声を取り除く為のノイズキャンセラー搭載のヘッドホンと共に地球圏の艦艇の標準装備となっていった。
カリブ海南方 名も無き海域
「ぬぐぁっ!」
「大丈夫か!?」
「なんなんだこの音はっ!?苦しい!」
カリブ海南方でメキシコに向け移動していたとある国の商船は、たまたまアメリカ海軍の試験によって発生した音に魔術師は体内の魔力をかき回され、ひどい吐き気と不快感に襲われていた。
魔術のみならず、魔術師そのものにも音波妨害装置は有効だったのだ。
「・・・この海域ではこんな音が常になり続けているのか?だとしたら危険すぎる。報告を上げて調査してもらう必要があるな・・・」
商船の中で小さくそう漏らした彼の言葉に気づく者は居なかった。
メキシコ メキシコシティ
メキシコの首都であるメキシコシティで開かれたメキシコ、アメリカ、カナダの3ヶ国間で、首脳会談が持たれていた。
ここで経済的な協定であるUSMCAを発展させる形で北米版EUを目指し、NAU(North America Union)が結成された。
加盟国は3国だけで、元々バラバラだったわけでもないが、ロシアがユーラシア大陸でCISの影響力増大を狙っており、北米が先手を打って影響力を増大させる必要に迫られたアメリカの提案だった。
NAUは経済面ではUSMCAを引き継ぎ、政治面では連合全体で共有される連合法制度が決定され、インフラの規格化、整備を共同で行うこと、加盟国をまたぐ連合警察の設置など、様々な協力が行われることが連合の憲章に記された。
ロシア連邦 モスクワ
「チッ、アメリカは先手を打ってきたか」
「まぁ北米だけに過ぎない。あまり影響は大きくないさ」
アメリカのNAU結成に対し、ロシアもCISの拡大再編成を進めていた。
最大の問題であるウクライナとの関係の改善を進めるべく、転移後の経済力の向上を背景に経済援助とクミリアを返還しつつ、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地と同様に租借地として借りる提案を行った。
ウクライナとしては頼ることのできるヨーロッパが消滅し、アメリカは転移後国内の混乱と北米中心主義への転換などにより積極的な支援は望めなくなった。
なによりウクライナは対露関係よりも重大な問題が発生していた。
それは海賊問題である。
地球圏から異世界国家への輸出が大幅に増加すると同時に多数出没するようになった海賊は、沿岸部を度々襲撃することもあり対策は急務だったが、ヨーロッパが消滅し、アメリカも消極的となると、頭を抱えるしかなくなったのである。
しかし、クミリアを租借するとはいえ返還して租借料を支払い、経済援助も行うとしたこの提案は、ウクライナにとってかなり魅力的な提案だった。
ウクライナはロシアと新露宇友好条約を締結、クミリア共和国はウクライナに返還され、ロシアが租借する形となり、ロシアはウクライナに巨額の経済援助を行うこととなった。
後に、これらの条約や機構は地球圏全体に影響する役割を果たすが、それはまた、後々の話である。
ロシア連邦 シベリア
サンクトペテルブルクとフィンランドを視察したスチームー使節団は、シベリア鉄道に乗ってウラジオストクを目指していた。
「コンピューターにソフトウェア、インターネット。何もかも新しい発見だ」
「この鉄道もだ。効率的に大量の物資を輸送する方法は船だけではない訳か・・・」
フィンランドでIT産業を目にした彼らの驚きは相当なものだった。
スチームーにはデジタルコンピューターはもちろん、アナログコンピューターも存在しない。
それに対し進みに進んだ"思想"を目の当たりにした彼らは、ある種のカルチャーショックを受けながら東へと向かっていった。
「ここがウラジオストクか」
「巨大な駅だな・・・」
「鉄道は是非我が国でも導入したいな」
使節団はここから飛行機を利用してカナダに渡る予定であり、所定の時間までウラジオストク市内を散策した。
スチームー帝国 コバミル
スチームーの産業拠点コバミルでは国営の軍需工場を中心に建て替えが相次いでいた。
地球圏から入ってきた知識の中には、いわゆる先進技術だけではなく、生産量をあげるための血のにじむような工夫もあった。
ライン生産方式、セル生産方式、リーン生産方式。
生産方式だけでも多数が存在し、それ以外の製品管理方法や製品設計理論、その他様々な物はスチームーの製造業に多大な影響を与えた。
特に高品質で大量の製品を効率的に送り出さなければならない軍需工場は、地球圏からやってきた新技術に加え、これら技術以外の様々な物も、最も早く取り入れていった。
「この建て替えが完了し、労働者が作業に慣れれば、多く見積もって2倍、少く見積もっても1.5倍の生産量を発揮できます」
「素晴らしい!これで軍需品は安定するな」
元々大量に必要な消耗品を民間の何割も多く消費する軍隊を支えるには、それだけ膨大な生産量が必要ではある。
工場あたりの生産量が低ければそれだけ多くの工場と工員を割かねばならず、その分本命であるはずの兵器類の生産量は減る。
その為、消耗品工場の効率の向上は積極的に行わなければならなかったが、ノウハウの不足は常にそれを阻害していた。
しかし、地球圏の成熟したノウハウから生まれた"やり方"はノウハウの不足を吹き飛ばして効率の向上をうながし、スチームー製造業の革命が始まった。
スチームー帝国 帝都ガヌ・ピピア
「最近はいろんな物が安くなってよなぁ」
「ああ、各企業が値下げ競争をやってるらしい。俺たちにとっちゃきちんと動くんなら安いほうがいいよなぁ」
「まったくだ。高いのにきちんと動かないってのだけ勘弁だぜ」
地球圏とも交流が始まって既に相当な時間がたった今、市民生活にも少しずつではあるものの、変化が起こっていた。
各企業はこぞって工場や生産体制の切り替えを行い、コストダウンや生産量の増加を推し進めた。
激しい競争の結果、スチームー経済は大きく飛躍し、あらゆるサービスや製品が刷新され続け、それらを消費者が次々と消費する大量生産大量消費の時代に差し掛かりつつあった。
スチームーはそれまで何かに縛られ阻害されていた発展が、阻害する何かが破壊され、まるで決壊したダムからあふれでる水のように発展が始まっていた。
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