不倒公少女に巫女服でグーパンされる話

@kadochi

不倒公少女に巫女服でグーパンされる話

 艶やかな漆黒の長髪が、秋の涼風にたなびく。

 その美しさは神聖な紅白の衣装によく映えていたが、隙間から覗く切れ長の双眸は、鋭く眼下の少年を睨みつけていた。

「っ……!?」

 驚愕で言葉を失った彼が何かを言う前に、少女は電柱の上から飛び下りる。身の丈より高くからにも関わらず、音もなく木の葉のようにふわりと着地。と同時に、肉食獣の如き気迫で少年へと駆け出した。

「えっ、ちょ」

 少女は上半身を捻って右腕を振り被り、

「……オラァアッ!」

 勢いそのままに、全力で顔面を殴りつけた。

 露出した華奢な細腕とは裏腹に、凄まじい衝撃が少年を襲う。

「……え?」

 疑問と痛みで混乱の極致に達する。だがその気の抜けた声は、目を見開いた少女の口から溢れたものだった。

 誰も要領を得ない、悲しい瞬間だった。


「ふ、ふとうこう……?」

 被害者の少年──校倉あぜくら享真きょうまは、言葉の響きから別の単語を想像する。それを聞いて「ぷっ」と噴き出したのは、快活なショートヘアーの女性、上代かみしろ千景ちかげだった。

「もう分かってるから先に言うけど、漢字違うよ。倒れおおやけと書いて、不倒公。魔なる力には屈せず世のために戦うことから、昔の人が呼び始めた名前だよ」

 両手を軽く挙げて、千景はポーズを取ってみせる。

「今は私と、新人の千歳ちとせで、元気にやってまーす」

 斜め後ろで居心地悪そうに佇む千歳も、同じ巫女装束を着ていた。

 緋袴は動きやすさを重視した股有りのものであり、千歳の白衣はくえには襷掛けがされて二の腕を晒している。とは言え人々の大多数が想像する巫女服のシルエットで、神社の境内にいることも相まって、目の前の女性達が本格的な巫女であることに疑いの余地がなかった。

「……あんまじろじろ見んな」

「っ、悪い」

 享真は視線を外す。しかし千景は上目遣いで視界に入り込んでくる。

「私は見られても良いけどな~」

「早く説明しろよ」

 千歳が背後から苛立たしげに声をかける。

「えぇー。千歳が説明してくれれば良い話じゃん」

「うるさい」

「クラスメイトにこれ見られるとは思ってなかったもんねぇ。恥ずかしい? ねぇ恥ずかしい?」

「うるさい!」

 ニヤニヤとしたままひらりと身を翻すと、千景は改めて享真に向き直った。

「私達上代の人間は代々、不倒公っていう退魔師としてのお役目を担ってきたんだ」

「退魔師……」

「そ。校倉君。君、幽霊とか見えるでしょ?」

「! 分かるんですか?」

 享真は物心ついた時から、この世のものではない存在が見える。ただ、善いか悪いかの区別がつくぐらいで、具体的な詳細までは知覚できない。

 千景はあっけらかんと答える。

「分かるよそりゃ。だって今の私達がその類だから」

「えっ」

 ぞっとする享真。

「じゃあ二人はもう……」

「あ、いやいや。別に死んでるとかじゃなくて、一般人からは認識されないようになってるだけ」

 千景は片足を浮かせ、草履をぱたぱたと揺らす。

「この巫女装束一式は特別製でね。着ることで、幽体や意識体、目に見えないもの達と同じの存在になる。そうして、同じく向こう側のものに干渉できるようになるの」

 千歳が平然と道端の目立つところにいた理由が分かった。享真が目にする霊も、意外と日常の他愛ない場所をうろついていることが多いのだ。

「これ着てるあたしに気付いたから、てっきり、死霊になったのかと思って」

 口ごもる千歳。後ろめたさから、享真と目を合わせようとしなかった。

(だからって、出会って即グーパンするか……?)

 千歳は控えめに言って、霊よりも恐ろしかった。

「私達は幽霊も含めた『悪意』を相手にするからね。ここで言う悪意っていうのは、生物に悪影響を及ぼす思念体全般のことを指すの。殺意から悲しみ、疲れまで幅広い感情からくるものなんだ。放っとくと人に取り憑いて、良くない行動を引き起こす」

「疲れも? じゃあ、割とこの世って、悪意で満ちてるんじゃ……」

「そうなんだよ! だから、漢字違うって言ったけど、そっちの意味の不登校でも間違いじゃないんだよねぇ。大学の講義全然出てない」

 千景は苦笑いするが、享真はその言葉ではっとした。

「かっ、上代もそうだったのか?」

 千歳に視線をぶつける。彼女の口は微かに開き、息を呑み込み、ゆっくりと閉じてから、

「当然だろ」

 感情の伝わらない一言を溢した。

 何か相槌を打たなくてはならない。そう思っただけで、享真は何も言えなかった。

「……あー。校倉君、私も上代なんだけど?」

「あっ、すいません。えっと」

「千景さん。と、千歳。千歳も彼のこと下の名前で呼んだら~?」

 からかってくる千景から避けるように、千歳は踵を返す。

「呼ぶことねぇし。あたし北の方回ってくる」

「そぉ? いってらっしゃーい」

 ぐっと屈んでから、空高く跳び上がる。木や電柱を足場にして、瞬く間に遠くへと移動していった。

 見送ってから、千景の声音が落ち着いたものになる。

「気にしてくれてたんだね。千歳の姿がはっきりと見えたなんて、相当だよ」

「……いや、まぁ」

 脳裏に、茜色に染まった校舎の風景が過る。

 廊下を歩く享真。教室から飛び出た人影が真横を駆け抜けていく。すれ違い様に見た、犬歯を剥き出しにして何かから堪えるような苦悶の表情。特別交流のない享真は声をかけるかどうか戸惑った。その間に彼女は去っていく。翌日から千歳は学校に来なくなった。

(あの時声をかけていれば、なんてのは思い上がりだ)

 クラスメイトと言えど会話はほとんどしたことがないし、気の利いた台詞を言ってあげられる性格でもない。

 それでも、指と爪の間に小さな棘が刺さったようなこの感情は、後悔という名が一番相応しかった。


「うわっ!?」

 翌朝、高校の校門に着いた享真は、目の前に広がる光景に慄いた。見たことのない大小様々な黒い靄が、校舎の至るところから立ち昇っていたのだ。

 霊的な存在は見えて感じても避けるようにしてきた享真だったが、ここまで日常を浸食された経験はない。一つ一つの規模は小さいものばかりだが、どこへ行っても視界に入るのは精神的に苦痛である。

(こっち、見てるな)

 玄関に入り、靴を履き替える。その間、下駄箱の上に這いつくばる何かがいた。直視はしないため確認できないが、これまで感じたことのなかった異形だ。明らかに昨日の出来事が契機になっている。

「おはよ」

「うーっす」

 挨拶を交わすクラスメイト達にも、悪意が纏わりついている。靄を始め、紐や泥、鎖の形をしたものなど、悪意の種類も幅広い。

「……はよー」

 中には、人型をした影から肩を掴まれている男子も。特別顔色が悪く、テンションが低かった。

 近付きたくはない。が、運の悪いことに彼は享真の隣の席だ。

(ここまで酷いのだったら、今までも見えてたと思うんだけど。昨日憑かれた?)

 想像しても状況は変わらない。慎重に歩を進め、最大限警戒していると、

「近付くなよ」

 千歳の拳が影の頭部を吹き飛ばしていた。

「……っ!?」

 不意に上げそうになる声をどうにか抑え込むが、不審に固まってしまう。

「? どうした? 校倉」

 悪意に憑かれていた当人から気遣われてしまう。

「いや……。おはよう。何というか、大丈夫か?」

「え? あぁ、なんか今朝から怠くて……って、あれ。それもちょっと、軽くなったような?」

 幸い、何も知らずに取り憑かれ、何も感じずに祓われた。享真は首から下も塵と消えていく人影を視界に収めながら、ほっと息を吐いた。

「そうか。良かった」

 平静を装って自分の席に着く。

(本当に、今の千歳は誰にも見られていないんだな)

 周囲の様子を窺うが、教室のど真ん中で巫女装束を纏っている千歳に反応している者はいない。いつも通りの平穏な日常だが、享真にとっては情報量が多過ぎた。

「そのままで聞け。校倉は、その……あたしに殴られたせいで、多分全ての悪意が見えるようになっちまってる。けど、自分から関わろうとしなけりゃいい。無視しろ。あたし含めてな」

 そう告げると、教室のドアへと向かう。途中、談笑する女子グループの中央で渦巻く悪意を握り潰して、千歳は廊下に出ていった。

「……」


(いや、無理だよ)

 至るところに蠢く悪意を、ただでさえ目立つ巫女の少女が追いかける。学校生活のすぐ傍らで起きる非日常が、気にならないわけがなかった。

 テストの成績が振るわないほど、生徒の落胆の悪意へ豪腕が振るわれ。

 集会で校長が長話をしている時は、全校生徒の睡魔やストレスと文字通り戦い。

 体育でバスケの授業中は、体育倉庫の怨霊と総合格闘技の1on1を始め。

 千歳が通った後は微塵の悪意も残らず、人々はフラットな感情に戻されていった。

 しかし、それで学校全体が明るくなる、というわけにはいかなかった。あくまでマイナスがゼロになるだけで、プラスにはならない。さらに千歳が対処できる範囲にも限りがある。

 どれだけ不倒公が駆け回っているのを見ていても、享真はむしろ不快な雰囲気がどこかで膨れ上がっていくのを感じていた。

「……っ」

 その証拠と言うように、千歳の表情にも陰りが生まれている。苛立ちをぶつけるように、ジャージ姿で廊下を歩く女子生徒の集団に突っ込む。

「!」

 遠目からは生身へ直接殴りかかったように見えたが、程なくして付近に泥土のようなものが飛び散った。

「全然やれますよ! 今日も身体軽いんです」

「じゃあ昨日よりもメニュー増やすか!」

「望むところです!」

 ここ数日練習の熱量が上がっている陸上部の面々は、意気揚々と玄関へ向かっていった。

(あれも悪意か……?)

 霧散する泥土を眺める。巫女姿の千歳から引き剥がされたのだから、当然ながら悪意である。

(そりゃ怨霊とは違う。でも何だろう、「悪影響ではない」……?)

 しかし距離もあってか、享真にはそれが祓うべきものだとは思えなかった。

「また忘れたのか」

 そこへ、呆れたような叱責が響いた。享真が振り返った先で、教師と生徒が向かい合っている。

「どうせやってないんだろ。このままじゃ進級できないって言ってるだろ。決して脅しじゃないんだからな」

「……うす」

 理知的な眼鏡をかけた男性教師は、雑に頭を掻く。本人には見えていないが、ちょうどその辺りに蛆虫の形をした悪意が這い回っていた。無口な男子生徒の方は、全身を霧のようなもので覆われている。享真の目からは表情を窺うことさえ難しかった。

「……」

 千歳が仏頂面でずんずんと歩いていく。

 不倒公として優秀な、迷いのない行動である。だが享真は、胸の内から突き動かされるように声を出していた。

「あれもやるのか?」

「……無視しろって言っただろ」

 不機嫌を露にしつつも足を止める。

「そうだけど、気になって。普段から見る光景じゃん。ああいうのも不倒公が消すもんなのか?」

 最初はそんなものだと疑問に思わなかった。だが日に日に増していく謎の圧迫感、千歳自身の態度から、何かが間違っている、と警鐘を聞いた気がしたのだ。

「知らねぇよ」

「えっ?」

「そういうもんなんだろ。じゃなきゃ不倒公なんている意味ねぇよ。それともなんだ? あんたはあたし以上に何か知ってんのか?」

 双眸が鈍く光る。

「それは」

「だったら言うなよ」

 独り言のように吐き捨て、千歳は教師と生徒に近付いた。

 握り締めた拳を教師の頭擦れ擦れで振り抜く。数匹の蛆虫が潰れ、残りは拳圧で壁へ叩きつけられる。形を保っていた個体も、直後に掌底で押し潰された。

 次いで鉤爪の形に手を開き、霧の悪意へ攻撃を仕掛ける。見た目通り掴みどころのない動きをし、簡単には排除されない。

「……どうせこいつらも、山瀬みたいなやつにッ……!」

 悪意しか映さない瞳で千歳がそう漏らしたのを、享真は聞き逃さなかった。

(山瀬……?)

 クラスメイトの一人だ。引っ込み思案で影が薄く、特定の誰かと仲良くしているところを見た記憶はない。千歳との関わりを想像したこともなかった。

「まぁいいや。そう気にすることでもないか。程々にやれよ」

 教師が一転して晴れやかに笑った。持っていたプリントを生徒に掴ませ、ひらひらと手を振ってその場を後にする。生徒は不愉快そうにプリントを握り締めた。

「どっちだよ」

 歩き出す気配を感じ、千歳は咄嗟にバックステップする。霧の悪意は祓い切れず、下半身に纏わりつかせたまま生徒は速足で去っていく。

「ちっ」

 触れてしまえば人からも認識されてしまう。深追いはせずに、何割か体積を削いだ悪意を、千歳は舌打ちで見送った。

 執念を感じさせる様相を横目に、享真は言葉を探す。

「どうして、そこまでやれるんだ?」

「あ?」

「不倒公」

「お役目だからだよ。それ以外に何があんだ」

 語尾が小さく掠れたのを聞き逃さなかった。

「何か……あったんだろ? 学校、来なくなる前の日に」

「っ!」

 千歳の血相が変わった。

「知ってたのか!?」

「っ、あぁ。ちょっとだけ」

 想像以上の反応に焦り、曖昧な返事になってしまう。すると千歳は、享真の胸倉に掴みかかった。

「てめぇ! 知ってて見過ごしてたのか!?」

「ちょっ、上代?」

「同罪だ。まさか他にも何かしてたのか? 山瀬に何をしたッ!」

 激昂する上代の気迫に圧されながらも、享真は冷静な頭では確信を得ていた。

「ちょっと待て! 勘違い。俺が知ってたのは、上代に何かあったかってことだ」

「は?」

「山瀬については知らない。何も知らないんだ。……教えてくれないか?」

 千歳は、ばつが悪そうに表情を歪める。そして胸倉を突き放し、背を向けてしばらく黙り込んだ。

「……あたしは、不倒公になるつもりはなかった」

 徐に歩き出す。躊躇いつつも享真はついていく。

「お役目は姉貴が継ぐって言ってたし、何より必要か? って思ってた。不倒公なんて」

 階段を上がっていく。金管楽器を抱えた女子生徒達とすれ違う。

「見えねぇけど別に悪意とか怖くねぇし、人間関係とか、苦手じゃなかったしな。……だから、山瀬が死にたいって言ってきた時は驚いた」

 思わず享真が面を上げる。踊り場で一瞬見えた千歳の横顔は、無表情だった。

「あいつは友達が少なかったから、まぁ、話すことも多かったんだよ。割とうまくやってた、と思う」

「じゃあなんで」

「何もなかったんだよ」

 千歳が立ち止まっていた。いつの間にか階段の一番上まで辿り着き、施錠されたドアの前で立ち尽くしている。

「……え?」

「特に。何も。でも、あいつはもう限界って感じで、あたしにぶち撒けてきた。誰々が無視するとか、仲間外れにされてるとか、あたしの感知できないとこで起きたことをさ。家にも味方なんていない、とかも言ってたな」

 ドアについた南京錠を指先で弄ぶ千歳は、半分笑っていた。

「あたしがいたってのに。あたしは声かけたのに」

「上代……」

 金属の砕ける音。

「っ!?」

「足りなかった。死にたいって気持ちに、あたしの言葉じゃ! 結局なぁ、あたしじゃ無理なんだよ、人の繋がりじゃ無理だったんだよ! 誰にどんなストレスが溜まってるかなんて、普通じゃ分かんねぇ。不倒公じゃねぇと、分かんなかったんだよ……」

 手からすり抜けた南京錠が床を叩く。キン、と甲高い音が放課後の階段に響いた。

「後からちゃんと不倒公になって、あいつの悪意と、周りの人間の悪意も消してやった。そしたらもうさ、平気な顔で学校生活送ってやがんの」

 ドアを開けると、冷たい風が二人の間を吹き抜けていく。黒髪と緋袴がなびく中、薄く笑う千歳は妖艶であり、儚げであった。

「でもきっとあいつは……あいつじゃなくても、弱いやつはまた繰り返す。だから悪意は、あたしが潰し続けないと意味ねぇんだよ」

 千歳は白衣の襷掛けを解きつつ、屋上へと歩を進める。袖が下りてきても、享真の目にはその姿は寒々しく映った。

「自分を犠牲にしなくても、いいだろ」

 強くは言えなかった。

「そんなつもりねぇよ」

 否定したはずが、妙に落ち着いた心地になっている。外の風に当たったからだろうか。その推理は間違いで、胸中の息を吐き出した方に理由があった。

(気迫があって当然、か)

 享真は納得がいった。荷物を背負わされ、荷物を下ろす、その両方を味わったような気分だった。どちらが重いかは気にならなかった。

 会話は途切れたが、苦しい沈黙ではない。次の言葉を選べば前向きな話もできそうだ、と享真が考え始めて、事は起きた。

 千歳の背筋に悪寒が走る。弾かれたように、屋上の金網へと駆け寄った。

「どうした?」

 ただならぬ緊張感だった。千歳に倣って享真も地上を見下ろすと、現実が視界に飛び込んでくる。

「っ!」

 それは無数の針。グラウンドの一点から天を衝く鋭さでそびえ立ち、校舎の屋上まで到達しそうな勢いである。刺々しい見た目から、何の悪意かは明白だった。

 目を凝らせば、発生源の近くにいるのは陸上部の部員達だった。中心で小柄な女子が蹲っている以外、悪意が邪魔で詳しくは視認できない。しかし、千歳は愕然としていた。

「あの娘……っ!」

 肩を震わせる。享真は悪意の巨大さに気圧され、理解が追いつかなかった。

「上代、あれは」

 刹那。窓ガラスの割れる音が轟いた。

「っこ、今度は何だ!?」

 校舎から聞こえているのは間違いないが、屋上から真下の窓の様子は分からない。それでも距離は近いからか、享真にも足元が怖気立つ感覚が襲った。

「何だよ、これ……」

 不倒公は余計に感じている。どんな悪意か、何が原因か。だが、どうするべきかの判断を下すには、千歳は経験が浅過ぎた。

「とりあえず、千歳は動いちゃダメね」

 いつの間にか、もう一人の巫女が二人の傍に立っていた。

「千景さん!?」

 悠然とした態度で、同じように眼下の光景を眺めている。

「報告だけしよっか。場所は一階の職員室。男子生徒一名が外から石を投げ入れたみたい。負傷者は二名、犯人は姿を見られてないけど、悪意を追えば簡単に捕まえられる」

「職員室に石?」

「ダメって、どういうこと?」

 二人の声には応じず、報告は続く。

「グラウンドでは、陸上部の女子生徒がハードル走の練習中に転倒。器具との接触もあって、手首が変な方向に曲がっちゃったようね。すぐに救急車を呼んだみたい」

 息を呑む享真。想像して、ぞっとする。

「校倉君、悪意刺さってるよ」

「え? わっ」

 千景が指差した胸の辺りに、針の形をした悪意が生えていた。グラウンドから伸びていたものの一部だった。

「こんな感じで、大きな悪意は周りにも影響を及ぼす。関係者や直接見た人はもっと酷いことになる」

「じゃあ、早くその悪意を消しに行かないと」

「それはダメ。事はもう起きちゃって、いろんな角度から認識されてる。対処も始まってる。それなのに元凶を強引に潰したら、人々の感情は行く当てがなくなっちゃう。別の悪意の元になるんだよ」

「もう、手出しできないと?」

「成り行きに任せるしかないね」

 ここまでの事態に陥れば、逆に無力となる不倒公。享真は歯噛みした。

「……あたしの、せい?」

 ざわざわっ、と何かが全身を這い回る感覚。享真は反射的に振り返った。

「そうだね」

 千景は淡泊に答えた。

「陸上部員達の疲れ祓ったでしょ? それで心と身体のバランスが取れなくなって、あの子はオーバーワークになった。正しく調子を理解できなくて怪我したの。石を投げた生徒も、千歳が中途半端に祓ったやつだね。順当に鬱憤溜まってたら、あの場で発散して、先生からちゃんと叱られて指導になってた」

「何だよ、それ。悪意は祓ったら良いって姉貴が言ったんだろ!?」

「私のやり方を見もせず、学校中の悪意に手出してたのは千歳だよ」

「……っ!」

 暗く陰鬱な気配が、少しずつ千歳の皮膚から滲み出てくる。硬くひび割れているようにも、どろどろとうねっているようにも見える。千歳のぐちゃぐちゃになった感情だった。

「上代、それっ……」

「う、ううぅう、うぅッ……!」

 増幅していく悪意は、グラウンドにある激痛に引けを取らない存在感だった。

「さて、と。校倉君。私は二次災害が出ないよう抑え込みしてくるね。場合によっては犯人の男子も捕まえてくるかも」

「は?」

 千景は他人事のように軽い声音で告げる。

「何のつもりですか。こんなの、不倒公が祓わなきゃ」

「これも祓っちゃダメなの。不倒公として成長するためにも、本人がどうにかしなきゃ」

「そもそもあんたがっ」

 不意にトーンが落ちる。

「私だって辛いんだから」

 据わった目をした千景には、何も言い返せなかった。

「ま、鍵は君だよ。校倉君」

「え?」

「元から見える人だった君には、もう分かってるんだよね? だから大丈夫。上から目線で説教しちゃってよ、うちの妹」

「で、でも」

「……殴られたのに気にかけて、無視しろって言われても関わって。どうせなら上手くいかせたい、って思ってるんじゃないの?」

 筒抜けだった。やけによく見られている。

「実は結構ずっと、見てたんですね?」

「じゃー後はよろしく! 頑張って!」

 千景は一跳びで金網を越え、グラウンドへ降りていった。

(……身内の人からああ言われたらな)

 享真は千歳に向き直った。それだけで顔面が引きつる。間近に迫る悪意が享真を飲み込まんとしてくる。だが、彼には背負わされた荷物があった。

「どうしろっつぅんだよ……悪意だぞ、悪意ッ……!」

 内に溜め込み、爆発しそうな危うさを秘めている千歳。享真は静かに語りかける。

「俺、悪意は知らなかったけど、霊は見てきたんだ」

「……あ?」

 慎重に言葉を紡ぐ。

「死んで、でも心残りがあって、漂ってる幽霊。不倒公にとっては悪意で一緒くたにしてるかもしれないけど、俺にとっては違うんだよ。悪じゃないのもいる」

 善いか悪いか。霊はただ死んでいるだけで、どちらかに偏らない。どちらもいるのだ。

「だから、悪意もそうなんじゃないかって」

「悪意って、悪いやつだって言ってんのにか!?」

「言ってるけど。いなきゃ良いってだけじゃないだろ。そこから反省したり、やめたり、直したり、控えたり。疲れの話だって俺はその、納得したし」

 千歳が唇を噛む。

「んなの……あたしだって」

 心の底では分かっていた。疲れを本当の意味で悪意とイコールにして良いのか。跡形もなく祓い去って良いのか。疑問に思っても、巫女服は止めてくれなかった。

「克服できるんだ。みんな、きっとそうしてきた」

「でも! なきゃないで良いだろ! 思いたくないだろあんな感情! こんな感情も!」

 悲痛に歪めた顔で訴える。享真もそんな千歳は見ていたくなかった。同意したくなる。

 だが。

「……悪意って、きっと罪悪感も含まれるよな」

 荷物を背負わされて嫌ではなかったのも本心なのだ。

「山瀬が苦しんだってことに苦しんだ上代は、いなくなってほしくない」

「!」

「現に山瀬は救えたんだろ? そんなお前がいて良かったと、俺は思う」

 いて良かった。

 あの日には聞くことのなかった一言が、今、胸に届いた。

「何、だよ」

 全身を締めつけていた緊張が解けていく。

 求めていたわけではない。必要だったと思ってもいなかった。しかし、乾いた大地が水分を吸収するように、その言葉は千歳に染み渡っていく。

「別に、んなこと……!」

 煮えたぎっていた悪意は少しずつ凪いでいき、千歳の元へ収縮していく。だが、代わりに氷のような冷たさが残った。

「じゃああたしは、あたしがしてきたことは、何だったんだよ。怪我人を出して、悪いこともさせて……。まるで意味ねぇじゃん」

 足から力が抜け、へたり込んでしまう。今にも泣きだしそうな表情だった。

「意味なくないって」

「また繰り返したらどうすんだよ。あたし知らねぇよ。祓ったら駄目な悪意なんて。もう、あたしの力じゃ、どうにも」

 常に敵意を剥き出しにしていた千歳が、今は幼い子供の自棄のように塞ぎ込んでいる。享真の身体は自然と動いていた。

「俺が見てる。俺には、見えてるから。力になるよ」

 目線を合わせ、正面から見据える。

 他人を助けるために独りになった少女を、もう遠ざけさせないように。

「どの悪意を祓ったらいいかとか、俺も考える。教えられることは教える」

「あんたが? あたしに?」

 潤んだ瞳がすぐ近くで覗き込んできていた。

 ふと我に返り、気恥ずかしさから享真は目を泳がせる。

「まぁ、すぐ分かるかもしんないし。ていうか、俺も自信持って言えるわけじゃないから」

 言い訳しても、少年は距離を離さなかった。千歳は僅かに顔を伏せる。

「……馬鹿じゃん。なんで自分なら良いと思ってるわけ。てか、あんたの下の名前知らねぇし」

「ぐっ!?」

 思わぬ精神的ダメージを負った。この場面で悲しくなるのは予想外である。

「……享真だ。校倉享真。覚えといてくれよ」

 懇願するような自己紹介だった。

 すると千歳は、拳を握って、

「……ありがと」

 とん、と胸を小突いた。不器用な笑みを浮かべて。

 悪意のない、柔らかな一撃だった。

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