第443話 王都防衛/攻略戦

 集結を果たしたベトゥミア共和国軍によるロードベルク王国侵攻部隊の主力は、ついに王都リヒトハーゲン近郊まで進軍した。


 そして、絶望に直面することになった。


「……司令官閣下」


「……厳しい戦いになるな」


 ドナルドは敵陣を見て、険しい表情で呟く。


 元々の主力部隊に補給担当の輜重部隊の兵員も加え、こちらの総兵力は五万二千まで膨れ上がっている。


 対するロードベルク王国の中央軍は、総数およそ四万。数の上ではこちらに劣る。しかし、問題はその布陣だ。


 軍の構成は正規軍人と思われる騎兵が二千、同じく正規軍人らしき歩兵が一万と、弓兵が三千。そして残りは見た目からして徴集兵。徴集兵のうち一万はクロスボウを装備し、陣形はクロスボウ兵を前面に横に広がっている。


 そして、敵は柵と堀による野戦陣地を構築している。柵は木製で、堀は浅い空堀だが、一列ではなく多重に構築された野戦陣地はこちらの騎乗突撃による陣の突破を不可能にしている。歩兵による突撃でも突破は容易ではないだろう。突破を試みている間にクロスボウと弓で蜂の巣にされるのは必至だ。


 どう見ても短期決戦に臨む布陣ではない。敵はこちらに猶予がほとんどないことを分かった上で、その僅かな猶予を削るつもりでいる。


「しかし、やるしかない……騎兵は右翼側にまとめろ。後に側面攻撃を仕掛ける。歩兵を前に、弓兵と弩砲をその後ろに据えて全軍前進だ」


・・・・・


 ロードベルク王国軍の総大将にして中央軍の総指揮官であるオスカー・ロードベルク三世は、王都の前に置かれた本陣からベトゥミア共和国軍の主力を見渡し、不敵な笑みを浮かべた。


「やって来る時期も兵力も予想通りか。これほど楽に臨める戦いは初めてだな」


「左様ですな。こちらは万全の状態で布陣し、野戦陣地も既に完成済み。対する敵は数日で食糧さえ乏しくなる状況……敵の侵攻計画と作戦を遥か前から知ることで、ここまで有利になるとは」


 オスカーの言葉に、北東部閥の盟主ライナルト・シュタウフェンベルク侯爵が首肯する。


「野戦陣地を攻める難しさは、十四年前の南西部大戦でカドネ・ランセルが教えてくれましたからな。敵が困窮するまで耐えることは容易でしょう」


「まさかカドネの戦術を私が真似ることになるとは思わなかったが……有効な策であることに変わりはない。勝利に繋がるのであればそれでいい」


 かつて南西部国境でカドネの軍勢と戦ったジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵が言うと、オスカーは苦笑しながら答えた。


「国王陛下。敵の布陣が間もなく終わります。兵士たちにお言葉を」


 王国軍務大臣ラグナル・ブルクハルト伯爵の進言を受けて、オスカーは前に進み出て、拡声の魔道具をとる。


「聞け! ロードベルク王国の戦士たちよ!」


 四万の軍勢の視線を集めながら、オスカーは声を張った。


「見ての通り、対峙する敵は強大だ! 数で言えば我々よりも多い……しかし、戦うのは我々だけではない! 今このとき、王国東部の軍勢が、西部の軍勢が、遊撃の軍勢が、そして海に出た軍勢が、ベトゥミア共和国の卑劣な侵略者たちと対峙している!」


 拳を握り、込め得る限りの覇気を込めた声で、オスカーは語る。


「全ての軍勢が力を合わせることで、侵略者たちの首を締め上げる! その邪悪な野心を打ち砕く! 今、ロードベルク王国はひとつである! 我々はひとつの巨大な正義である! 正義の力をもって侵略者を打ち砕き、王国に平和を取り戻すのだ! 故郷のため、家のため、家族のため、我が子のために、勝利を掴み取れ!」


 握りしめた拳を突き上げるオスカーに応え、四万の声が空を突いた。


「これより戦いを始める! ブルクハルト伯爵! 迎え撃つ用意だ!」


「はっ……騎兵部隊はいつでも動けるよう備えよ! クロスボウ兵とバリスタ隊は装填を!」


 オスカーの命令を受け、ブルクハルト伯爵が具体的な指揮を出す。


 ロードベルク王国の軍勢が動き出すのとほぼ同時に、ベトゥミア共和国軍の侵攻部隊主力も動き出す。


・・・・・


 ベトゥミア共和国軍の侵攻部隊主力、歩兵と弓兵の合計四万五千がロードベルク王国中央軍の野戦陣地に向けて前進する。その後ろから、車輪のついた弩砲もゆっくりと続く。


「構え……放てえっ!」


 会戦はまず、飛び道具の応酬から始まった。弓兵隊の指揮を務める軍団長たちの命令で、矢が曲射され、味方歩兵を飛び越えて敵陣の前列へと降り注ぐ。


 ベトゥミア共和国軍が誇る複合弓は、長大な有効射程を誇る。総勢七千の弓兵による攻撃が、敵陣に矢の豪雨を降らせる。


 それに対して、ロードベルク王国中央軍も矢を放つ。七年前の戦いでベトゥミア共和国軍から鹵獲した複合弓を解析して模倣し、あるいは鹵獲したものをそのまま使用しているロードベルク王国側だが、複合弓の数ではベトゥミア共和国軍に敵わない。ロードベルク王国中央軍の側から飛ぶ矢は、ベトゥミア共和国軍の五分の一程度に留まる。


 一方で、ロードベルク王国中央軍のバリスタは、地の利もあって運搬の負担が少ない分、共和国軍の弩砲よりも数が多い。アールクヴィスト大公国の鍛冶職人による質の高いバリスタを模倣して量産されたものであるため、性能でもベトゥミア共和国軍の弩砲に引けをとらない。


 およそ二百のバリスタから放たれる極太の矢、あるいは『天使の蜜』の原液を塗られた散弾矢が、ベトゥミア共和国軍のおよそ百の弩砲を上回る勢いで飛来する。


 ベトゥミア共和国軍の歩兵たちは盾を頭上に構えながら前進するが、行軍しながら小盾を構えるだけでは全ての矢は防げない。少なくない数の兵士が倒れていく。


 また、弓兵は身を守る術がないので、歩兵以上に損耗していく。


 対するロードベルク王国中央軍の損害はさほどでもない。野戦陣地に構えているため、土を重ねた壁の裏に隠れるなり、あらかじめ用意された大盾を構えるなり、簡易の屋根の下に入るなり、前衛のクロスボウ兵や歩兵が身を守る手段は多い。


「……やむを得んか。歩兵は突撃だ」


 矢の応酬を本陣から見ていたドナルドは、このままでは大した成果は得られないと考え、早々に突撃命令を下す。


 命令はただちに前面の指揮官たちに伝達され、四万を超える歩兵たちは一気呵成に敵の野戦陣地へと突き進む。


 しかし、野戦陣地の最前列まで到達することさえ容易ではない。ロードベルク王国中央軍のクロスボウ兵が矢を斉射し、それを受けた歩兵たちは次々に倒れる。また、野戦陣地からは数は少ないが攻撃魔法も飛び、それによる犠牲者も確実に増える。


 それなりの損害を出しながら、歩兵たちはようやく野戦陣地の最前列に到達。しかし、そこでも困難が待ち受ける。


 まず乗り越えるべきは空堀。幅も深さもそれほどではないが、おそらくは土魔法も使って作られた空堀は横に長く、野戦陣地の前面ほぼ全てを覆っている。空堀とはいえ、鎧を着て武器を持った兵士は簡単に越えられない。


 敵のクロスボウによる攻撃を受けながら空堀を越えても、次は木柵が待ち受ける。歩兵たちがよじ登ろうとする間に策の隙間から敵歩兵の剣を受け、死んでいく。


 それだけの困難を乗り越えて、敵陣に入り込める歩兵の数は多くない。各個撃破され、大した戦果を挙げられずに終わる。


 歩兵たちは大きな犠牲を払いながら敵陣に肉薄し、その数をもって敵を正面に引きつける。


「……騎兵部隊。側面から回り込め」


 その機を逃さないために、ドナルドは次の命令を下した。こちらの陣の右翼側に控えていた五千の騎兵が、敵の野戦陣地の左側面、空堀や木柵が途切れている場所を目指して駆ける。


 騎兵たちはその機動力を存分に活かしてロードベルク王国中央軍の懐に迫り――しかし、突入の間近で急速に勢いを失った。


「っ!? くそっ! 何だこの地面は!」


 騎兵を指揮していた大軍団長が悪態を吐く。


 この一帯はなだらかな平原。この一週間は雨も降っていない。しかし、敵の野戦陣地の側面に作られた無防備な部分の手前の地面だけがひどくぬかるむ。


 前を走る騎兵たちが泥濘に足を取られて止まると、当然ながら後続の騎兵たちもそれ以上は進めない。五千の騎兵は、敵の目の前で立ち往生してしまう。


・・・・・


「国王陛下。敵が罠にかかりました」


「ああ。拍子抜けするほど簡単だったな」


 ブルクハルト伯爵の言葉に、オスカーは不敵な笑みを浮かべて頷く。


 野戦陣地の側面にあえて作った弱点。外から見ればその弱点の入り口となる一帯に、オスカーは一週間前から毎日、水魔法使いによる水撒きを行わせていた。


 毎日のように水を撒けば、大地はそれを吸収しきれず、やがて雨が降り続けたのと同じような状態になる。一見すると草が茂った平原だが、その下の地面はぬかるみ、重い騎兵が入り込めば足を取られ、迅速に動けなくなる。


 結果として、敵騎兵部隊は目の前で立ち往生する羽目になる。


「陛下、バリスタ隊の狙いは既に、あの一帯に定められております」


「よし、直ちに爆炎矢を撃ち込め!」


 敵騎兵がいるのは野戦陣地のすぐ側方。通常の矢に比べて射程の短い爆炎矢でも、陣内のバリスタ陣地から十分に届く。


 野戦陣地の左側に設けられたバリスタ陣地からの、百のバリスタによる爆炎矢の斉射が、ベトゥミアの騎兵部隊を焼く。


・・・・・


「閣下! このままでは……!」


「騎兵部隊は退却させろ」


 側面攻撃の失敗を見たドナルドは、そう即断した。もはや敵側面を突破できない以上、あとは犠牲を最小限に止めることしかできない。


 ドナルドの迅速な判断もあり、騎兵部隊は最前面の五百ほどを失ったのみで、自陣へと帰ってくる。


 側面がそのような状況である一方で、正面の攻勢も順調とは言えない。野戦陣地の正面、空堀と木柵による防衛線は、相変わらず堅持されている。


 さらに、敵陣の中から騎兵部隊が動く。木柵の一部が迅速にどけられ、空堀に木製の頑丈そうな足場がかけられ、そこを通って飛び出した五百ほどの騎兵部隊がこちらの歩兵の側面に迫る。


 掲げられているのは王家の旗。いわゆる王国軍と呼ばれる、王家の抱える精鋭部隊だろう。


 その先頭に立つ部隊長らしき騎兵は、なんと騎乗突撃をしながら風魔法をくり出すという離れ技を見せた。魔法攻撃によって崩れたこちらの隊列に、敵騎兵部隊が的確に突入する。


 隊列の中を蹂躙され、正面突破も叶わず、戦線は膠着してジリ貧の消耗戦になる。


「……攻撃中止。総員、一旦退け。態勢を立て直す」


 表情は一切変えず、ドナルドは命令する。


 やはり駄目か。そんな諦念を一人抱えながら。

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