第429話 準備

 王城での会議を終えたノエインが、ひとまずアールクヴィスト大公国に帰還したときには、季節は二月に移っていた。


 ロードベルク王国全体の基本戦略、その実行のためにアールクヴィスト大公国が果たす役割が決まれば、今度は大公国内で重臣たちと話し合いをしなければならない。帰還したノエインは、重臣たちを屋敷に集結させた。


 集まった顔ぶれはノエインとマチルダ、クラーラに加えて、ユーリ、ペンス、ラドレー、リック、ダント、グスタフ、バート、マイ、アンナ、エドガー、クリスティ、キンバリー。武門の臣下と、各部門の長たちだ。


 古参の臣下であるこの顔ぶれならば、機密情報であるベトゥミアの再侵攻の話を他言する心配はない。そう判断した上での招集だった。


「……ベトゥミアとの再戦ですか。兵士たちはさぞ意気込んで臨むでしょう」


 前もってノエインから事情を聞いていたユーリが事態の概要を説明し終えると、ダントが腕を組みながら発言する。


「おまけに、今回は奇襲を受けるのではなく、敵が来るのを前もって知った上で待ち構えられる。前回ほど厳しい戦いにはならないでしょうね」


「ああ。前は痛い目見せられたんだ。今度は完膚なきまでに叩き潰してやらあ」


 グスタフの言葉に、ラドレーが頷く。その荒々しい言葉にリックが笑った。


「敵が攻めてくるのは今からだいたい半年後となると、来月か再来月には物資や装備面で具体的な準備を始めることになりますか?」


 今後の動きについて既に具体的な部分まで把握しているペンスが、この場に集った者たちに聞かせるためにあえて質問する。


「そうだね。これだけの大戦争となると、武具類は相当な量を消耗することになると思う。予備の武器や防具、クロスボウやバリスタの予備部品、爆炎矢、ゴーレムの予備部品……どれも余裕を持たせるためにさらに増産していきたい。そっちの調整はクリスティに任せることになると思う」


「お任せください。直営工房も、ダフネさんの魔道具工房も問題なく動けるはずです」


 話を振られたクリスティは、そう即答した。


「アールクヴィスト大公国はあくまで援軍の立場とはいえ、クレイモアと魔道具隊、それらを護衛する正規軍、予備役のクロスボウ隊、総勢で四百人から五百人を動員する大規模な出兵になる。出発から帰還まではおそらく数か月、戦後処理を含めれば半年程度かかるかもしれない。男手が減る分、内務の皆には苦労をかけると思うけど……」


「その点はご心配なく。きっちり領内の運営を回して見せます」


「農務についても、戦時の回し方はあらかじめ計画してあるのでご安心ください」


「こういうときに社会を支えるのも婦人会の役目です。男手の不足にも対応します」


 ノエインが視線を向けると、アンナ、エドガー、マイが答える。


「私も領主代行の仕事には慣れていますから、問題ありませんわ」


 ノエインの隣から、クラーラも微笑をたたえて言った。


「アールクヴィスト大公国の人手が減る状況は、ランセル王国北東部やロードベルク王国北西部、レーヴラント王国ともに理解を示してくれるはずです。今から根回しをしておきますので、外交・貿易面の心配も要りません」


 さらに、ノエインが尋ねる前にバートが語る。


「……ありがとう皆。頼りになるよ」


 ノエインは内務・外務の従士たちを見回して微笑んだ。


 彼らは戦闘職ではないが、戦時にこの地の社会の平穏を維持するために重要な役割を果たしている。これまでの経験もあり、戦時体制への以降は慣れたもの。君主であるノエインにとって、全員が代えがたい人材だった。


「それともう一つ。今回アールクヴィスト大公国軍は、王国北西部や南西部ではなく、南東部の軍と合流して戦うこととなる」


 ユーリが言うと、既に話を聞いていたペンスなどを除く一同は、驚いた表情を見せる。


「それはまた……どういう理由で?」


 皆の疑問を代弁するようにリックが尋ねると、ユーリは詳しい説明を始めた。


 まず一つが、東西の戦力のバランス。


 オストライヒに上陸してリヒトハーゲンまで進軍するベトゥミア共和国軍を三方向から叩く際、王領をはじめとした王国中央部・北西部・北東部の軍勢が正面から敵を受け止め、その際に王国南西部の軍勢が西から、南東部の軍勢が東から敵の側面を突くことになる。


 今回の戦いでは西のランセル王国にも援軍を要請する予定であるため、王国南西部は十分以上の戦力を確保できる見込みとなる。


 一方で王国南東部は、未だ対立の最中にある東のパラス皇国との国境を固めつつ、ベトゥミア共和国を叩かなければならない。北東部からも一部戦力を回すことになるが、さらに戦力を増やせるなら増やしたい。


 そこで、数百人で数千人分の戦力になり得るアールクヴィスト大公国が、王国南東部に回る。


 数千の軍勢が王国南西部まで大移動していては目立つが、数百人がさらに数隊に分かれて移動すれば目立たない。事前に大規模な動きを見せ、ベトゥミアの諜報員に勘付かれる心配はない。


 もう一つの理由が、ベトゥミア共和国軍の戦い方。


 ノーマンたち密使からもたらされた情報によると、今回の再侵攻で、ベトゥミア共和国軍はアールクヴィスト大公国軍をターゲットにした上で、明確な対応をとってくる。前回の侵攻でクレイモアをはじめとした軍勢に苦しめられたため、その反省を戦術に反映させるという。


 具体的には、ロードベルク王国のバリスタに似た弩砲という兵器を持ち込み、爆炎矢に似た兵器を用い、さらには火矢や火魔法使いを揃え、それらをロードベルク王国の西側に向ける。火に弱いゴーレムを徹底的に叩く構えだという話だった。


 だからこそ、アールクヴィスト大公国軍は敵の裏を突いて東側に配置される。最強の近接戦力であるクレイモアの力を最大限発揮するためだ。


「なるほど。それなら納得ですね」


 やはり皆の考えを代弁するように、リックが呟く。


「アールクヴィスト大公国からロードベルク王国南東部までは一か月強。隊を分けて移動するので、早い隊は五月の半ばには発つことになる」


「最後の隊も五月末までには発つから、麦の収穫期より前に予備役の男手を取ることになる。その点でも内務の皆には迷惑をかけるけど……ごめんね」


 淡々と説明するユーリに続いてノエインが微苦笑しながら言うと、アンナをはじめ内務系の従士たちはまた、気にしないでほしいと答える。


 その後もユーリが細かな事項を説明していき、最後にノエインの方を向いた。


「ではアールクヴィスト閣下。最後にお言葉がございましたらお願いいたします」


 それを受けて、ノエインは立ち上がる。集った全員の顔を一人ずつ見回し、穏やかな微笑を浮かべる。


「……この戦いが終われば、アールクヴィスト大公国の周囲に脅威はなくなる。アールクヴィスト大公国は、長い平和を得ることになると思う」


 東のロードベルク王国、西のランセル王国、そして北のレーヴラント王国。アールクヴィスト大公国はどの国とも友好を築いている。国同士に永遠の友好などあり得ないが、現状を見る限り、おそらく向こう二世代ほどは壊れない絆を得ている。もしその絆に多少の罅が入っても修復が効くだけの信頼関係もある。


 それら隣国も、地域社会において安定した立場を得ている。


 ランセル王国はアドレオン大陸南部の西側において盟主と呼ぶべき権勢を築き、レーヴラント王国は大陸北部の小国が並ぶ地帯において力を強めて周辺国との同盟関係を広げている。


 ロードベルク王国は日に日に国力を増しながら、遠く東の大国である緑龍帝国と関係を深めることで、東の敵国パラス皇国を牽制している。皇国とは小競り合いや、数年に一度の激突はあれど、アールクヴィスト大公国が援軍に出向くほどの大戦争が起こる可能性は極めて低い。


 これでベトゥミア共和国の現政府という脅威が排除され、政権の変わったかの国とロードベルク王国が友好的な国交を回復させれば、アールクヴィスト大公国の周辺も、さらにその周辺も平和を得ることになる。


 そうなれば、おそらくノエインの治世下においては、アールクヴィスト大公国が大きな戦争に巻き込まれる可能性はほぼない。アールクヴィスト大公国は向こう数十年の安寧を確かなものとするだろう。


 ノエインにとって、そしてここにいるアールクヴィスト大公国の第一世代の臣下たちにとって、これはおそらく最後の大戦になる。


「アールクヴィスト大公国が、僕たちの理想郷が、これからも僕たちにとって永遠の幸福の地であるために。それぞれの果たすべき役割を果たそう……僕たちなら必ずできる」


 ノエインたちはどんな危機も乗り越えてきた。絶望的な戦力差も、予期せぬ突然の戦いも、全てを切り抜け、全てに勝利してきた。


 それらと比べれば、敵が来ることも、来る場所も、来る時期も分かっている今回の戦いは、危機と呼ぶほどのことではない。


 ノエインの言葉に、ある者は戦いを見据えて目に闘志を浮かべ、ある者は静かな笑顔で頷き、ある者は表情を引き締める。


 これまで積み重ねた全てを以て、これまで積み重ねた全てを守るために戦うときが、訪れようとしていた。

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