第422話 誉れ
「そんな、どうしてですか先生!」
「おかしいじゃないですか!」
「納得できません! なんで先生だけが!」
これからとる手段について、セルファースの説明を受けたリリスたち弟子は、即座にそう言った。反論とも呼べない、感情的な言い返しだった。
全ての感染者を医院に収容する。それは理解できる。リスクを伴うが、現状打開のために有効な手であると、セルファースの知識や知恵を惜しみなく教えられてきたリリスたち若き医師も考えた。
しかし、何故セルファースだけが感染者たちの面倒を見るために医院に残り、自分たちは院外の仕事を任されるのか。医師が医療現場を締め出されることは、軍人が戦場から追い出されることに等しい。リリスたちにとって、それは屈辱だった。
「残るならお年を召した先生ではなく、私たち若者が残るべきでしょう!」
「年寄りだからこそ、私が医院に残るのです」
セルファースの静かな言葉を受けて、リリスたちは押し黙った。
師であるセルファースは、弟子であるリリスたちに一度も大声を上げたことはない。ただ静かに語り、その声に込められた思慮をもってリリスたちに全てを伝えてきた。
彼のこの口調を前に、リリスたちは声を上げて言い返すことはもはやできない。
「君たちは優秀です。だからこそ、本当は分かっているでしょう。これから行うのは治療などという高尚なものではありません。ただの隔離です。隔離された感染者たちには、魔法薬を飲ませる以外に施せる処置はありません……感染者全員を収容した医院に残るというのは、極端な話、誰でもできる役目です。しかし、魔法薬を扱う以上、医師が誰も医院に残らないわけにはいきません」
そして、臣民たちの感情を考えても、医師が全員で医院から逃げるわけにはいかない。
医師なしで感染者たちを医院に閉じ込めれば、君主ノエイン・アールクヴィストとこの国の医師たちは彼らを見捨てたのだと民から見なされてしまう。できる処置がそれほどなくとも医師の誰かが医院に残ることで、ノエインと医師たちへの民の支持を繋ぎ止めることができる。
無意味に見えても、こうした配慮は大切だ。ときに国の存亡を左右するほどに。
「誰かが残らなければならない。だからこそ、未来ある君たちではなく、老い先短い私が残るのです」
「……っ! そんな言い方……っ!」
まるで死地に赴く者の言葉だ。そう感じたリリスは、言葉を詰まらせて目に涙を溜める。
そんな彼女に、セルファースは優しく微笑んだ。
「リリス。今でも憶えています。よく思い出します。まだ子供だった君が、学校での私の授業をきっかけに、医師になりたいと言ってくれた日のことを。あれは本当に嬉しかった。私がこの地で過ごす幸福な余生は、あの日から真の意味で始まりました」
セルファースの視線が、若い医師たち全員に向けられる。
「療養中でここにいない者も含めて、君たちは全員が優秀です。私の誇るべき弟子です。私には子供はいませんが、君たちは皆、私にとって我が子のような存在です。だからこそ、君たちの師として。一人の医師として、どうか私に格好をつけさせてください。この国の未来を担う若き医師たちを守りながら、医師として患者に寄り添う使命を果たす。これは私にとって誉れなのです……皆、分かってくれますね」
リリスたちは涙を流しながら、しかしセルファースの意思を拒否することはなかった。
・・・・・
セルファースの決定から数日後には、アールクヴィスト大公国内の全てのヘルツゲンハイム病感染者が大公立ノエイナ医院に集められた。
本来の医院の収容能力は三十人ほどだが、今は院内の至るところに簡易ベッドが並べられ、八十人を超える者が収められている。その全員が既に魔法薬を飲まされ、もともと軽症だった一部の者は動ける程度まで回復を見せている。
快適とはとても言えないが、少なくとも非人道的ではない状況にはなったこの医院の封鎖が、今から行われようとしていた。
「ではアールクヴィスト大公閣下、これより大公立ノエイナ医院の院長としての権限をもって、この医院を封鎖いたします。以降、感染者の全員が回復あるいは死亡するまで、人の出入りを禁じます」
封鎖を見届けに来ていたノエインと十分な距離をとった上で、セルファースは言った。
これから数週間にわたって、彼は感染者たちと共に医院に籠る。食料や水などの必要物資は医院の前に届けられるが、院内と院外の直接的な接触は一切断たれる。
彼らが封鎖から解放されて院の外に出るのは、感染が収束するか、封じ込めに失敗したことが確定した後だ。
「……セルファース先生。どうかご無事で」
「ありがとうございます。医師としての使命を、全力で果たしてまいります」
これがセルファースと言葉を交わす最後の機会になるかもしれない。そう思いながらノエインが言うと、セルファースは静かに答えた。
「そして、ハセル司教も……あなたに神のご加護があることを願っています」
「感謝いたします、アールクヴィスト閣下。神の教えに従い、神に仕える身として使命を果たす所存です」
セルファースの隣に並んで答えたのは、ハセル司教だった。
この封鎖の話を聞いたとき、ハセル司教はこの地におけるミレオン聖教伝道会の代表者として、自身もセルファースとともに医院に入り、感染者の世話を務めると申し出た。
ノエインは君主として、セルファースは医師としてハセル司教の申し出を却下しようとしたが、彼は聖職者として懇願した。神の教えに従い、社会に奉仕する生き方を選んだ身として。
セルファースが医師の代表として自らの命を顧みずに医院に入る選択をしたように、自分もまた、聖職者の代表として同じかたちで貢献したいのだと、ハセル司教は語った。
それを聞いたセルファースがまず先に折れ、二人から説得されるかたちとなったノエインも、最終的にはハセル司教の申し出を受け入れた。その選択がハセル司教の幸福な生き方のかたちなのだと言われれば、受け入れざるを得なかった。
「それでは閣下、行ってまいります」
「感染収束後にお会いしましょう」
セルファースとハセル司教は、ノエインに一礼し、次に見送りに来ていた者たちに軽く手を振る。セルファースはリリスたち弟子に。ハセル司教は妻や子、修道士や修道女たちに。
「……では、行きましょうか」
「ええ。務めを果たしましょう」
セルファースがいつもと何ひとつ変わらない穏やかな声で言うと、ハセル司教は微笑をたたえながら答える。
感染者だらけの医院に閉じ込められるにもかかわらず、二人の声や表情には微塵も恐怖の色はない。セルファースは老成した医師であるが故に、ハセル司教は自分の全てを神に捧げる身であるが故に、平然とした様子で進む。
愛する者たちに見送られながら、二人は医院の扉の向こうに消えた。
その様を見送ったノエインは、深いため息を吐く。
「僕はこの選択を後悔するかな?」
その呟きに、ノエインの隣でセルファースたちを見送ったユーリが答える。
「まだ分からんが……この選択をしない方が、最終的にノエイン様は大きな後悔をすることになっていたと思う」
ノエインは横目でちらりとユーリを見やった。ユーリは前を向いたまま続ける。
「誰が見ても、こうする以外の選択肢はなかった。ノエイン様はもちろん、セルファース先生やハセル司教、感染者やその家族、俺たち臣下や臣民たち、誰にとっても、これが一番後悔の少ない選択肢だった。個人的にはそう考えるがな」
「……そうだね。少し楽になったよ。ありがとう」
「そいつはよかった。こんな気休め程度のことしか今は言えないが」
微苦笑を浮かべるノエインに、ユーリもフッと息を漏らすように笑った。
どんな結果に終わろうとも、こうするしかなかった。内心で自分にそう言い聞かせるよりも、信頼する側近に言葉にしてもらった方が、幾分か気が休まる。
そんなことを思いながら、ノエインは医院を後にした。
★★★★★★★
「このライトノベルがすごい!2023」の投票は9月25日までとなっています。
書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』は1巻2巻ともに対象となっています。よろしければ投票いただき、シリーズを盛り上げていただけますと幸いです。
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