第420話 感染拡大②

「今週分の塩、五十袋です。お間違いありませんか?」


 アールクヴィスト大公国と、ロードベルク王国ケーニッツ伯爵領の国境。街道上に置かれた国境の目印である石柱の向こう、ロードベルク王国側からそう尋ねるのは、マイルズ商会の幹部だ。


「どうですか? フィリップさん」


「……ええ、大丈夫です。五十袋あります」


「分かりました……問題ありません。塩五十袋、確かにいただきました」


 大公家の御用商人であるスキナー商会長フィリップが頷くのを確認して、外務長官バート・ハイデマン士爵はマイルズ商会幹部へと返答する。互いにたっぷりと距離を取り、『拡声』の魔道具を用いながらのやり取りだ。


「では、こちらが代金となります。ご確認を」


 バートが銀貨の袋を国境線に置いて離れると、それを若いマイルズ商会員が拾って幹部のもとに届ける。


「…………はい、問題ございません。お取引ありがとうございます」


「こちらこそ感謝します……まだまだ大変な時期が続きますが、どうぞお気をつけて」


「そちらもどうぞお大事になさってください。アールクヴィスト大公国のご無事をお祈り申し上げます」


 マイルズ商会の幹部がそう言って頭を下げ、他の従業員たちも一礼する。バートやフィリップたちアールクヴィスト大公国側も、それに応えて頭を下げた。


「……この塩の取引だけが、アールクヴィスト大公国と国外を繋ぐ唯一の交易になってしまいましたね」


「ええ。まったく悲しいことです。商人としても、人としても」


 レトヴィクへと帰っていくマイルズ商会員たちの後ろ姿を見送りながら、バートとフィリップは言葉を交わす。


「バートさん、全部積み終わりました」


 そこへ声をかけたのは、クレイモア一個小隊を率いて大量の塩を荷馬車に積み込んだアレイン。


 できるだけ少ない人員で、さらにはケーニッツ伯爵領の人間が触れた塩の袋に直接触れずに運ぶために、こうしてゴーレムが活用されている。今日運んだ塩は、しばらく倉庫に置かれた後に初めて人が触れることになる。


「ご苦労だったな。それじゃあ皆、公都ノエイナに戻ろう」


 複数人で行動するだけでも、今はリスクとなる。大公国の要人であるバートやフィリップ、貴重な戦力である傀儡魔法使いたちともなれば尚更だ。


 バートの指示に従って、一行は間隔をあけて歩きながら、足早に公都ノエイナに帰還する。


・・・・・


「はい、こちらアールクヴィスト大公国、大公家名誉従士コンラートです」


 大公国軍本部庁舎、自身の執務室に詰めていたコンラートは、ロードベルク王国ケーニッツ伯爵領より繋がった『遠話』に応じる。


 国境がほぼ封鎖され、ロードベルク王国側の人間と直接コンタクトをとることが非常に難しくなった現在、感染の危険なく唯一国外との細やかなやり取りが叶うのが、対話魔法使いであるコンラートだった。


「はい……はい、なるほど。そちらもまだ大変みたいですね……ええ、ではこちらの話を。アールクヴィスト大公国の現在の感染者数は――」


 コンラートにとっては既に見知った間柄である、ケーニッツ伯爵領レトヴィクに駐留する王宮魔導士の対話魔法使いと言葉を交わす。ロードベルク王国北西部や北東部での感染状況を聞き、アールクヴィスト大公国の様子を伝える。


 直線距離にして二十キロメートル近くあるレトヴィクとの『遠話』ではそれなりに魔力を消耗するので、そう長く言葉を交わすことはできない。互いに簡潔に報告を終えると、また数日後に今度はこちらから連絡する旨を伝え、コンラートは一息つく。


「……はぁ」


 水の入ったカップに口をつけながら、ケーニッツ伯爵領の対話魔法使いから聞いた情報のメモを別の紙に清書する。ざっと読み直し、その内容に問題がないことを確認すると、主君ノエインへと報告するために立ち上がった。


・・・・・


 大公家の屋敷を訪ねてきた名誉従士コンラートと、ノエインは応接室で対面した。


 互いに他者との接触を極力控え、特にコンラートは家族以外と接することのない生活を続けているので、コンラートからノエインにヘルツゲンハイム病を移す心配はほぼない。


 いざというときの緊急連絡も行うコンラートにはなるべく魔力を温存させなければならないため、通常の報告程度ならこうして板ガラス越しの体面で行われる。


「ロードベルク王国側の状況も相変わらずのようです。ケーニッツ伯爵領では感染者数が五百人を超え、今もなお増加中。死者も百人近くなっています。ただ、ケーニッツ伯爵家の皆さんは無事とのことでした。その他、王国北西部はどの貴族領も似たり寄ったりの状況で……北東部はそれよりも多少まし、という程度だと。最初に感染が発生したノルトリンゲン伯爵領などでは、感染も収束の兆しを見せているそうです」


「そうか、北東部ではようやく……このまま王国北西部でも、このアールクヴィスト大公国でも収まるといいんだけどね」


 初動対応が後手に回った以上、おそらく王国北西部でこのまま穏当に収束とはいかない。流行り病がもうひと暴れすると考えられる。


 アールクヴィスト大公国は初動対応に成功した方だが、隣り合う王国北西部から病が入り込んでいた以上、どの程度まで流行が酷くなるかは未知数だ。まったく先が見えなかった状況と比べるとわずかにましになったが、とても安心はできない。


「コンラート、報告ありがとう。お疲れさま……君も気が滅入ると思うけど、体調に気をつけて頑張ってね」


「お気遣いありがとうございます。僕はまだまだ大丈夫なので、ご安心ください……それでは、失礼します」


 コンラートは敬礼し、退室していった。


・・・・・


 コンラートの退室後、ノエインはエレオスのもとを訪れた。


 とはいえ、愛する息子と直接触れ合うことは叶わない。アールクヴィスト大公家の嫡子であるエレオスは、万が一にもヘルツゲンハイム病に感染しないよう、屋敷の奥の部屋に隔離され、監禁に近いかたちで日々を過ごしている。ノエインがエレオスと話すのも、扉越しになる。


「エレオス、元気にしてるかい?」


「父上! はい、僕は元気です! 父上はお元気ですか? 病気にはなってないですか?」


 ノエインがエレオスのいる部屋をノックして呼びかけると、扉の向こうからは元気な声が聞こえた。


「あはは、僕も大丈夫だよ、ありがとう……エレオス、寂しくないかい?」


「はい、寂しく……父上や母上やフィリアに会えないのはちょっと寂しいですけど、ローラがずっと一緒にいてくれるから大丈夫です」


「そうか、安心したよ」


 ローラは、今年からエレオスに付けている専属メイドだ。屋敷で働き始めてまだ二年目で、十三歳という若いメイドだが、エレオスが最も懐いていたのが彼女だったために専属となった。


「ローラ、君もこんな状況で疲れていると思うけど、エレオスのお世話をよろしくね」


「おまかせください、旦那様!」


 扉の奥から、ローラの元気な声が聞こえてくる。彼女はエレオスの専属となるまでメアリーの下で働いていたためか、言動がややメアリーに似ている。


「それじゃあエレオス、また声をかけにくるよ」


「はい、父上、お気をつけて」


「……ごめんね。僕が無力なせいでこんな目に遭わせて」


「そんなことないです。父上がさいぜんを尽くしているのは、僕も皆も分かってます」


 エレオスの言葉を聞いたノエインは、小さく笑った。「最善を尽くす」などという難しい言葉を、いつの間に覚えたのだろうか。


 だが、我が子に励ましてもらえるというのは、なかなか大きな救いとなった。


 次にノエインが向かったのは、妻クラーラと娘フィリアのいる部屋。今年でようやく四歳な上に、母親に甘えたがりのフィリアは、クラーラと共に隔離生活を送っている。


「フィリア、起きてるかな?」


「!? ちちうえ! ちちうえー!」


 ノエインがノックして声をかけると、即座にフィリアの声が聞こえた。「父上」と呼ぶ声が、あっという間に扉の前まで近づいてくる。


「ちちうえ、あいたい! とびら、あけていい……?」


「あはは、僕も会いたいよフィリア。だけどごめんね、まだ扉を開けられないんだ。今も街で病気が流行っているから、君に伝染さないようにしないと」


「……うぅ~、ちちうえ~」


 扉越しに聞こえてきた泣き声に、ノエインは胸が締め付けられる思いがした。


「ほらほらフィリア、せっかくお父様が来てくださったのに、困らせては駄目よ……あなた、マチルダさん。ご体調にお変わりはありませんか?」


「僕は大丈夫だよ、クラーラ」


「私も変わりありません、クラーラ様」


 おそらくはフィリアを抱き上げてあやしながら尋ねてきたクラーラに、ノエインとマチルダは答えた。


「二人はどうかな?」


「私は健康そのものです。フィリアもこの通り、駄々をこねて泣いてしまえるくらい元気いっぱいですわ」


「あはは、それはよかったよ……もう何週間目かな。早く事態を収束させて、君たちと触れ合いたい」


 ノエインは扉に手を触れようとして、その手を引っ込めた。クラーラたちが触れるかもしれない扉だ。手袋越しでも触るのはためらわれる。まだ幼いフィリアが、万が一にもヘルツゲンハイム病に感染することがないようにしなければならない。


「私たちもです……本当は、私も泣いてしまいそうなほど、あなたが恋しい」


 クラーラの声は、少しだけ震えていた。


「………………また声をかけに来るよ。二人とも愛してる」


「私たちも愛しています。あなた、マチルダさん、どうかお気をつけて」


 愛する家族のいる部屋を離れながら、ノエインは疲れきったため息を吐く。


「さすがに、ここまで長引くときついね」


「ご心労はお察しします、ノエイン様。何もして差し上げられないこの身が不甲斐ないです」


 マチルダがそっと肩を寄せながら、申し訳なさそうに言う。


「そんなことはないよ……むしろ、君がいてくれるからこそ、こんな状況でも僕はくじけずにいられるんだ」


 ノエインは足を止めて、マチルダの方を向いた。同じく足を止めた彼女の胸に顔を埋め、彼女に優しく抱きしめてもらう。


「いつまで続くんだ、本当に……」

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