第417話 対策会議

 できることなら、ヘルツゲンハイム病の流行がロードベルク王国北西部に及ばないでほしい。北東部だけでの封じ込めが成功してほしい。


 そんなノエインの願いも虚しく、三月に入ると北西部でも感染が確認され始めた。


 まずはマルツェル伯爵領をはじめとした東側の貴族領で。それから、徐々に西側の貴族領で。ベヒトルスハイム侯爵領やシュヴァロフ伯爵領、オッゴレン男爵領など見知った地での感染発生の噂も、ケーニッツ伯爵領を介してアールクヴィスト大公国に届くようになった。


 三月中旬に大公家の屋敷で開かれた定例会議。その議題として上がったのも、やはりこのヘルツゲンハイム病への対応についてだった。


「ベヒトルスハイム侯爵領でも感染者が出た以上、そのすぐ西にあるケーニッツ伯爵領まで被害が広がるのも時間の問題でしょう。既に伯爵領に感染者がいるものとして、かの地と大公国と行き来する者は非常に多いので……」


「……まだ発症が起きていないだけで、現時点で国内にヘルツゲンハイム病は入り込んでる、ってことになるかな」


 国外でヘルツゲンハイム病に関する情報収集を続けてきたバートの言葉に、ノエインはそう続けた。


「ベヒトルスハイム侯爵領まで感染が広がった時点で、ロードベルク王国側との行き来は商人以外は禁じてるんですよね?」


「ええ。でも、今後はそれも禁止するか、大幅に制限した方がいいでしょうね。国内での大規模感染を防ぐためにも、感染者の流入はできるだけ少なく留めた方が後が楽になるでしょうし」


 クリスティの問いかけに首肯しながら、アンナが意見を述べる。


「ですが、それで商人たちが納得するかどうか……アールクヴィスト大公国側の商人たちは協力してくれると思いますが、ロードベルク王国側の商人たちの反発が心配です。下手をすれば感染収束後の取引にも影響が出ます」


「でも、もうそんなことを言っている場合じゃないと思いますだ。先手を打たないと後が大変になるだでよ」


 商人ギルドの代表として会議に参加しているフィリップが懸念を示すと、それにヘンリクが反論した。


 感染者のこれ以上の流入阻止と、周辺国との調和。どちらも重要だと考えたノエインは、しばしの思考の末に口を開く。


「一週間。そう期限を決めて、食料と資源以外の輸出入取引を禁じる。一週間だけの予防的な措置だと言えば、ロードベルク王国側の商人もそこまで強い反発はしないだろうし。そして、食料と資源の取引についても、領都ノエイナの市壁外に場所を設けてそこで行うようにする。ロードベルク王国の人間を、こっちの市街地に入れないようにする。それでどうかな?」


「……それであれば、ロードベルク王国商人たちにもなんとか理解を示してもらえると思います」


「領都ノエイナの市街地にあちらの商人を入れないのであれば、臣民たちとの接触も大幅に軽減されます。感染を防ぐ効果も大きいかと」


 ノエインの問いかけに、最初に答えたのはフィリップだった。さらに、内務の長であるアンナも賛同する。


「そもそも、一週間後には、商人の往来の制限を継続しないといけない状況になってそうですけどね」


「まあね。正直に言うと、それを狙ってるところもあるかな」


 感染は日に日に広まっており、一週間もすれば状況は変わる。その頃にはおそらくケーニッツ伯爵領でも、場合によってはアールクヴィスト大公国でも感染が発生し、一週間という期限を定めて行った商人の往来制限はなし崩し的に延長されることとなる。


 この往来制限は、避けられない感染爆発の到来まで時間を稼ぎ、アールクヴィスト大公国の初期被害をできるだけ抑えるための措置だと、ノエインは語った。


「そして、おそらくアールクヴィスト大公国でも完全に感染を防ぐことはできない以上、感染発生後の対応を考える必要がある……セルファース先生、お願いします」


 ノエインが促すと、大公立ノエイナ医院の院長であるクォーターエルフの老医師セルファースは、会議室に集う皆に一礼して口を開く。


「それでは、ヘルツゲンハイム病への対応方法について、医師としてお話しさせていただきます……ご存知の方も多いかと存じますが、ヘルツゲンハイム病は感染者と接触することによって伝染ると、過去の事例から考えられています」


 セルファースの声はそれほど大きくはないが、不思議と室内によく通った。


「唾や鼻水、汗、涙など、感染者の体内から出たものが、他の者の口や鼻から体内に入ると感染が広まる。それが定説です。そのため、感染者が口にした食べ物やコップ、感染者の汗が染みた服やベッド、感染者が触れた家具などに、他の者が直接触れないことが感染の広がりを防ぐことに繋がります」


「……ですが、我々従士のように家が広くて屋内が複数の部屋に分かれている場合はともかく、庶民の家ではそのような対処は難しいのでは?」


 ケノーゼの指摘に、セルファースも頷く。


「仰る通りです。なので、屋内でも感染者との接触を減らすために、布で鼻と口を覆い、手には手袋を装着するのが有効になります」


 原則として屋外に出るときは常に、そして感染者の発生した家では屋内にいるときも、布と手袋を着用する。飲食時のみ布と手袋を外し、飲食の前後では石鹸と水で手をよく洗う。


 そうすることで、感染の広がりはかなり抑えられると、セルファースは過去の具体的な事例を交えて語った。


「確かに感染を防ぐには有効でしょうが……民の反発は大きいでしょうな。これから暖かくなっていくことを考えると、外で農作業に臨む農民たちは特に嫌がるでしょう」


「職人たちも、身体を動かして体力を使う仕事をしてますからねー! 俺も手袋はともかく、口に布を当てて仕事をしろって言われたらきっついですねー!」


 大公家の広大な農地を管理するザドレクと、筆頭鍛冶職人のダミアンが言った。


「ええ。なので、農作業や職人仕事をする際は布は不要としていいでしょう。要は、狭い屋内で顔を突き合わせて過ごす際が最も危険なのです。農民や職人の仕事中は、それほど感染の恐れはありません」


「……そうやって感染を減らして、感染してしまった者には本人の体力で頑張ってもらうしかないね。根本的な治療薬もないわけだし」


 ノエインは腕を組み、難しい表情で言った。


 ヘルツゲンハイム病の根本的な治療薬はない。薬草や魔法植物を用いた薬によって、熱や咳などの症状を抑える対処療法しかできない。


「ロードベルク王国以外の隣国……ランセル王国とレーヴラント王国との国境はどうしますか?」


「んー、両国の意向に沿った対応をとる……のが最善手かな。それぞれの国は何か言ってきた?」


 妻クラーラに尋ねられたノエインが言うと、まず鉱山都市キルデを任されているダントが口を開いた。


「レーヴラント王国については、あちらから来訪する商人たちが、病が大公国まで広まるようならしばらく来るのを控えたいと語っていたそうです。あちらは小国が並んでいる分、各国の流行り病への対処能力に限界があるらしく……ヘルツゲンハイム病の流入は、なんとしても避けたい様子です」


「ってことは、レーヴラント王家の意向もそれに近いものになりそうだね……資源類、特に塩の輸入だけは両者が接触しないかたちで続ける措置をとれるよう、今から備えておこうか」


「了解いたしました」


 ダントは会議中なので敬礼まではせず、軽く頭を下げる。


「今のところ、ランセル王国は特に何も言ってきてねえです」


「ランセル王国であれば、場合によっては経済を優先して貿易の継続を望みそうですが……ロードベルク王国側との交易路を一時的に閉じる以上、商品の行き来をさせられないランセル王国商人たちも、結局は取引の大幅な縮小を余儀なくされるでしょう」


 西の要塞都市アスピダを任されているが、軍事以外にはからっきしのラドレーに代わり、フィリップが答える。


「ということは、ランセル王国商人たちの反発にも備えた方がいいかな?」


「あちらについては、反発はそれほど大きくはないと思います。ロードベルク王国南西側の交易路もありますので」


「それじゃあ、ランセル王国への大きな対応は特に必要ないとして……他に、ヘルツゲンハイム病に関して何か意見がある人は?」


 ノエインが問いかけると、ユーリ、マイ、エドガーが軽く手を挙げる。


 三人の中で立場が最も上であるユーリをひとまず指名すると、ユーリはやや険しい表情で口を開いた。


「アールクヴィスト大公国内で感染が発生した場合、特に感染者がまだ少ない時期は、感染者とその家族が『病を持ち込んだ』として誹謗中傷を受ける可能性があります。十九年前の流行時、王国南東部では各地でそのような事態が発生していました。暴言や村八分のような行為はもちろん、暴力沙汰の発生や、感染者家族とそれ以外の者で国内社会が分断される事態も懸念されます」


「あ、私も同じ提言をしようと思ってました」


「……私もです」


 ユーリの提言を聞いたマイが言い、少し驚いた表情のエドガーも続ける。


「女性社会は基本的には結束が強い反面、ひびが入ると脆くもあります。流行り病のように生き死にが関わる問題が絡むと特に危険で……初期感染者はもちろん、近所で一番最初に感染者が出た家を周囲の家の住民が総出で叩くような事態も懸念されます」


「農民社会……いわゆる村社会も同じです。流行り病のような危機に瀕した場合、誰かに責任を負わせて皆で攻撃することで結束を守ろうとする可能性があります。農村部だけでなく、領都ノエイナやキルデ、アスピダの農民たちも心配です。彼らは今でこそ都市住民ですが、元は農村出身の者が多いので……小さな農村であれば、農民たちが過熱しすぎないよう村長家が抑えることもできますが、この国の規模となると私やケノーゼだけでは正直手に余ります」


「そうか、そういう懸念もあるのか……難しいね」


 ノエインは額に手を当て、ため息を吐いた。


 民の心は危機に弱く、群集心理も合わさって不安に駆られやすい。その不安はときに攻撃性へと転換される。


 外敵の侵攻のような分かりやすい危機であれば、その不安や攻撃性を利用して皆を一致団結させ、立ち向かうこともできるが、目に見えない流行り病となるとそれも難しい。最も弱い立場の者……すなわち感染者とその家族が、一時的な安堵を得るための攻撃対象になりかねない。


「元傭兵組の皆。君たちが傭兵時代に見た南東部の貴族領では、そういう事態にどう対処してた?」


「……総じてろくなものがありませんでしたな」


「奴隷の感染者を何人か選んで、そいつらが領外から病を持ち込んだことにして公開処刑して、領民の溜飲を下げさせる……とか。そんなもんでさぁ」


 ユーリとペンスの発言を聞き、ノエインはげんなりした顔になる。


「他の地域ではともかく、アールクヴィスト大公国では論外な手段だね……とりあえず、臣民たちが暴走しないよう、僕が表に出て言葉をかけて回るしかないかな」


「結果的にそれが一番有効だと思いますわ。臣民は皆あなたを敬愛していますし」


「その際に、閣下が口に布を当てて手袋をしている姿を見せると、皆への意識づけに繋がることと存じます。そうした観点から考えても非常に効果的かと」


 クラーラとセルファースの賛成を受けて、ノエインはひとまずの対処方法を決定した。




 この定例会議の翌週、ケーニッツ伯爵領で最初の感染が発生。国境の封鎖は当面続くことになった。


 さらにその翌週には、アールクヴィスト大公国で最初の感染者が確認された。


★★★★★★★


本日9月5日より、「このライトノベルがすごい!2023」の投票が始まっています。


書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』は1巻2巻ともに対象となっています。シリーズ刊行の長期継続の後押しにもなるかと思いますので、よろしければ何卒お願いいたします。

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