第410話 緒戦を終えて
「死者四十六人、重傷者三十五人か……くそっ、なんという有り様だ」
「戦闘準備が全く整っていない状況でオークの群れの奇襲を受けたにしては少ない。十分によくやった方だろう」
司令部の天幕で状況報告を受け、悔しげに表情を歪めるエデルガルトに、マルツェル伯爵が淡々と言った。
「これも、アールクヴィスト大公閣下が迅速にクレイモアを動かしてくださったおかげです。ロードベルク王国貴族として感謝します」
「……いえ。討伐への参加者として、当然のことをしたまでです」
他の誰よりも、マルツェル伯爵から「閣下」と呼ばれるのが一番むずがゆい。内心でそんな失礼なことを思いながら、ノエインは答えた。
司令部内には尚も重い空気が流れる。初日の予想外の戦闘で、甚大ではないが決して小さいとも言えない被害を受け、指揮官格とその他の士官たちの表情は硬い。
「まさか群れを率いているのがオークカイザーとは思わなかった……アールクヴィスト閣下、こちらの偵察不足で貴国の軍を危険な目に遭わせてしまって申し訳ない」
「最初に生存者の情報を鵜呑みにして、群れを率いているのはオークケーニヒだと安易に結論を下した我が家の落ち度でもあります。私からもお詫びを」
「そんな、とんでもない。戦場に立つ以上、不測の事態も危険な戦いも覚悟の上です。謝罪は不要です。どうか頭を上げてください」
頭を下げてきたエデルガルトとリュドー子爵に、ノエインは慌てて首を振った。自分の意思で参戦を決めたくせに「こんな危険な目に遭うとは聞いていなかった、どうしてくれる」などと言い出せば笑いものになるだけだ。身分が高くなってしまった以上気を遣われるのは仕方ないが、こんなことでいちいち謝られていてはかなわない。
「それに、オークケーニヒとカイザーは古い目撃談で大まかに区別されているだけで、厳密な区分があるわけでもありません。最初に群れの発生を伝えた生存者たちも、混乱して避難する最中でオークの大きさを正確に把握するのは難しかったことでしょう。オークカイザーなどここ百年は目撃情報がなかったのですから、誤認したのも仕方ありません」
「……恐縮です」
リュドー子爵がそう言って顔を上げたのを見て、ノエインはひとまず安堵する。
「いくら群れを率いる頭がいるとはいえ、こちらの戦闘態勢が整う前に森から出て奇襲してくるほどの知恵があるとは驚きでしたが……オークカイザーが頭ということであれば、納得ですなぁ」
「本来オークは森から出たがらないものだからな。それなのにあいつらは集団で森を出て奇襲を敢行し、退き際も揃っていた。敵ながら見事……というのも妙な話だが、実際に良い動きだった」
オッゴレン男爵があえて少し明るい声色で言うと、エデルガルトが答えた。意識的に気持ちを切り替えたのか、総指揮官らしく落ち着いた表情に戻っている。
オークは歳を重ねるほど大きく育ち、厳しい自然界を生き延びた分、知恵もつくとされている。古い歴史書には、通常のオークの二倍以上の背丈を持ち、数百匹の群れを率いて都市を襲撃した個体がいたという記述もある。
今回のオークカイザーはそこまでではないが、「獲物が油断しているところを奇襲する」「旗色が悪いので撤退する」と考える程度には知恵があるのは明らかだった。
「どうしましょうか。戦い方を変えますか?」
「各領に増援を求め、戦力を増強するというのも選択肢ですな」
「いや、それよりも攻勢だ。せっかくオークの群れに打撃を与えたのだ。今なら手負いの個体も多いだろう。このまま一気呵成に――」
「馬鹿な。釣り野伏せのためならともかく、攻勢のためにオークのひしめく森に踏み入るなど――」
「馬鹿とはなんだ! なら貴様がもっと良い案を――」
意見が飛び交い、やがて議論は言い争い寸前まで発展する。
「黙れ! 見苦しい」
それをマルツェル伯爵が一喝した。歴戦の猛将の怒声に、天幕の中は一瞬で静まり返る。
「エデルガルト殿。総指揮官は貴殿だ。どうするか決めてくれ。意見を求められれば言うが」
盟主の娘であり、次期盟主となるエデルガルトの立場をこの場の皆に印象づけるためか、マルツェル伯爵はそう続けた。
「……まず、遺体と負傷者の後送を急ぐ。その後、近隣の貴族領で今すぐに増援を送れる領地があれば受け入れる。だが、陣の設営が終わるまでだ。それ以上は待たない。オークの群れに手負いの個体を増やした今、時間を置かずに戦う方がいいのは確かだ。まとまった増援を待っていては数週間かかってしまう……オークは魔物である以上、傷の治りも早い。増援を待っている間に手負いの個体に復活されては面倒だ」
皆の視線が集中する中で、エデルガルトは言う。
「そもそも、今日の戦闘は予定外だ。本来の作戦はまだ試してもいない。オークカイザーといえど、率いている数はせいぜい百数十匹といったところだろう。昔とは時代が違うんだ。こちらにはバリスタもクロスボウもある。アールクヴィスト大公国軍の傀儡魔法使いたちも、各領の魔法使いもいる。攻撃魔法の魔道具まである。陣形を固めて迎え撃てば、カイザーの率いる群れとて十分に勝てることに変わりはない……魔物どもに人間の恐ろしさを思い知らせ、奇襲などという舐めた真似をしてくれた報いを受けさせよう」
そう語るエデルガルト不敵な笑みは、他の者たちにも伝染した。彼女の言葉は、皆の戦意を取り戻させるには十分だった。
・・・・・
軍議を終えたノエインは、護衛として付き従っていたマチルダと参謀として同席していたユーリを連れ、アールクヴィスト大公国軍の野営地に戻った。
それを、野営地に居残って傀儡魔法使いや兵士たちの面倒を見ていたペンスが出迎える。
「お疲れさまでした、ノエイン様」
「ありがとう。負傷者たちの様子は?」
「特に変わりなしでさぁ。軍属の医者にも診てもらいましたが、適切な治療をして安静にさせておけば、後遺症もなく治る見込みだそうです」
アールクヴィスト大公国軍に死者はなく、オークの攻撃で吹き飛ばされた兵士の重傷者が二人。そのうち一人は真正面から胸に打撃を受けて吹き飛ばされたものの、漆黒鎧のおかげでオークの爪が身体まで貫通することはなく、地面に打ちつけられた際に腕を折っただけで済んだ。
もう一人は腕に食らいつかれたが、漆黒鋼製の小手があったために食いちぎられるには至らず、こちらも腕の骨折で済んでいる。
「そうか。それじゃあ、二人は先に大公国に返そう。ケーニッツ伯爵領軍が自軍の死者と負傷者を領地に後送するらしいから、二、三人までなら馬車に同乗させてくれるらしいよ」
「了解。具体的なことは、ケーニッツ伯爵領軍の士官と話し合っておきます……それで、今後の作戦はどうなりましたか?」
「当初の予定通り、だよ。今日の戦いはあくまで予定外で、本来の作戦はまだ試してもいない。しっかり準備して立ち向かえば勝てるはず……っていうのがエデルガルト殿の意見。僕もユーリも概ね賛成かな」
「……まあ、そうなるでしょうね」
ペンスは特に不満や疑問を言わずに頷いた。
不意の遭遇戦で尻込みして急な作戦変更を図るのは賢明ではないだろう。軍議の前に、ノエインたちの間ではそう話し合われていた。
「ただ、群れがオークカイザーに率いられてるからね。当初想定してたよりは厳しい戦いになるかな」
「俺たちにとってはとんだ貧乏くじですね」
「あははっ、確かにね。こんなに大変とは聞いてなかった、と全く思わないと言ったら嘘になるかな」
エデルガルトやリュドー子爵には謝ってくれるなと言ったが、少しの助力のつもりがとんだ激戦になってしまった、と思ってしまう内心までは変えられない。単なる愚痴に過ぎないが。
「でも、釣り野伏せでオークたちを森から誘い出せたとして、あのオークカイザーは曲者だなぁ……普通のゴーレム二体がかりで止められないとなると……」
「やはり、あれを使うか?」
ユーリに尋ねられたノエインは、苦い笑みを浮かべながら彼の方を振り返った。
・・・・・
「「「おおおぉ……」」」
アールクヴィスト大公専用ゴーレムをその主であるノエインが起動させ、立ち上がらせると、北西部閥の兵士たちの間でどよめきが起こった。
「これは……話には聞いていたが、実際に見ると……」
「ワイバーン殺しの巨大ゴーレムか、さすがに度肝を抜かれるな。だが、これならあのオークカイザーと互角に渡り合えそうだ」
エデルガルトが唖然としながら呟き、マルツェル伯爵も少し気圧された表情で応じる。
三メートルを超える背丈のオークという恐るべきものを見た翌日に、そのオークに引けを取らない巨大なゴーレムが立ち上がる様を目の当たりにした以上、無理もない反応だった。
「……儀礼用に作っただけのはずなのに」
見た目のインパクト重視で作られ、稼働時間の短さのために本来なら実用に適さない巨大なゴーレムを、その怪力が必要なために実戦投入せざるを得ない。そんな状況がまた訪れたことを、ノエインは内心で複雑に思う。
場合によっては士気高揚の役に立てば、という程度の気持ちで念のために持って来たものを、このようなかたちで披露するのは、完全に予定外のことだった。
見上げるほど背の高いゴーレムを前に、北西部閥の兵士たちの反応は様々だ。まるでお伽噺に出てくる巨人を目の当たりにしたかのように楽しげに眺めるものもいれば、やや恐れを抱いている者もいる。
「すげえな。悪い冗談みてえだ」
「レスティオ山地のワイバーンを真っ二つに引き裂いたってのもこれだろう?」
こうして畏怖の念を声に込めながらぼそぼそと話す者たちがいる一方で、ノエインに関する一部の悪評からか、嫌悪に近い感情を抱く者もいる。
「へっ、さすがは悪魔の軍隊の頭目だな」
「今回は味方だからいいが、これをこっちにけしかけられたらと思うとぞっとすらあ」
「ああん?」
やや悪意ある呟きの聞こえた方を振り向いて、アレインがあからさまに睨みつける。すると数人の兵士が気まずそうに目を逸らした。
「よせ、アレイン」
「だけどよぉ」
「いいさ、言わせておけ。誰が何と言おうと、ノエイン様が偉大で、俺たちが誇り高き大公国軍の一員であることは変わらないんだ」
グスタフにたしなめられて、アレインはまだ少し納得がいかなさそうな顔で前に向き直った。
「ノエイン様と俺たち大公国軍が助力すれば、討伐部隊はオークの群れにも打ち勝てる。あのオークカイザーだって敵じゃない。それを証明するために、戦うだけさ」
主君の操る規格外に大きなゴーレムを見上げながら、グスタフは誇らしげに言った。
★★★★★★★
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