第411話 急襲

 オークの群れのさらなる襲撃に備えるために森への警戒を大幅に強めつつ、近隣所領から可能なだけ兵力を補充し、陣の設営を急いで二日。


 北西部閥とアールクヴィスト大公国による討伐部隊は、陣を守る堀と障害物を設営し、その左右にバリスタ陣地を設置し、オークを迎え撃つひとまずの準備を終えた。


 その翌日、オークの群れを陣の前に誘い出すための囮役が森に入って釣り野伏せが決行され――それからさらに二日が経過していた。


 装填済みのクロスボウを構えた兵士たちが緊張した表情で障害物と堀の向こうの森を見やり、その中に混じってクレイモアの傀儡魔法使いたちがゴーレムを待機させ、それらの左右では歩兵部隊に守られたバリスタ陣地が射撃準備を整えている中。


 陣の中央前面、自身専用の巨大ゴーレムをいつでも起動させられるよう身構えているノエインの隣で、手首に魔法陣を浮かべたユーリが指をこめかみの辺りに当てながら中空を見て口を開く。


「そうか、分かった……閣下、ラドレーたちが戻ります。今回も成果はなしです」


 囮役を務めるために森に入っていたラドレーと対話魔法『遠話』で連絡を取ったユーリが言うと、ノエインは緊張を解いてため息を吐く。


「またか。参ったなぁ……」


 釣り野伏せを行うために森に入った囮役が、オークを誘い出すことができず、何の成果も得られないまま帰還する。戦いに備えていた本隊の緊張も無駄になる。そんな展開も、これでもう三回目だ。


 陣の後方、司令部の本陣に向けてノエインの傍らの親衛隊兵士が旗を振ると、それを確認したエデルガルトが「戦闘準備を解け! オークは来ない! 全員休め!」と声を張る。


 総指揮官の命令を聞いて、各隊に弛緩した空気が漂う。クロスボウ兵たちは装填していた矢を外し、傀儡魔法使いたちはゴーレムへの魔力供給を解き、盾を並べていた歩兵部隊はその場に座り込む。


 それとほぼ同時に、ラドレーと彼の部下たち、そして各領軍から森に入っていた兵士たち数十人が帰ってきた。何の戦闘もなかったので、全員が無傷だ。


 一方で、後方の本陣からはノエインのもとへ伝令の兵士が駆けてくる。兵士は敬礼し、口を開く。


「アールクヴィスト大公閣下。司令部の天幕に参上していただくよう総指揮官殿が要請しておられます。囮役を務められたノルドハイム士爵閣下につきましても、軍議への出席を願うとのことです」


「……分かりました。すぐに行くと伝えてください」


 ・・・・・


「今回も同じです。オーク共は森の中、木材加工所や村を占拠して作った巣に居座ったまま、俺たちがどれだけ挑発しようと一匹も乗ってきませんでした。こっちを警戒はしてたみてえですが、あっちから襲う意思は全くなかったとしか思えねえです」


 司令部の天幕の中。上級貴族を含む指揮官や士官たちの視線を集めながら、ラドレーは居心地悪そうに報告した。


「そうか。これはやはり……」


「オーク共に、罠だと見破られていると考えるべきだな」


 苦々しい表情で呟くエデルガルトに、無表情のマルツェル伯爵が続けて言った。


「ま、まさかオークにそこまでの知能があるとは……いくらオークカイザーに率いられているとはいえ……」


「いや、さすがに釣り野伏せを理解して警戒しているのではないでしょう。野生の勘とでも言うべきものを感じているのかと」


 青い顔で言ったリュドー子爵に、オッゴレン男爵が答える。


「オッゴレン卿の言う通りでしょうね。カイザーは本能のままに暴れるオークよりは頭が良いはずですが、過去の文献を見ても、そこまで複雑な思考はできないはず。せいぜいが集団戦での敵味方の概念と、攻撃、撤退の概念を理解している程度のはずです。人間側が、勝てるはずもない少人数で近づいてくるのはおかしい。嫌な予感がする。そう思ってオークカイザーが攻撃を控えさせているのでしょう」


 ノエインがそう語ると、天幕の中の空気がより一層重くなる。この行き詰った状況への不満と焦燥を、口にこそ出さないが誰もが抱えていた。


「……ここで顔を突き合わせて唸っていても仕方あるまい。各々で打開策を考えながら、また夜に軍議といこう」


 しばしの沈黙の後、エデルガルトのそんな言葉をきっかけに軍議は一旦お開きとなる。


 各々が天幕を後にするのに続いてノエインも大公国軍の野営地に戻り、マチルダと共に自身の天幕に入った。


「ノエイン様、お茶を淹れましょうか?」


「ありがとうマチルダ。お願いするよ……それにしても、参ったね」


 三度目の正直と思いながら気を張り詰めて戦いに備えたのが徒労に終わり、ノエインは脱力感を覚えながら野営用のベッドに座り込んだ。


 マチルダの淹れてくれたお茶を飲んで一息つき、そのままベッドに寝転がる。隣に寄り添うマチルダの胸に顔を埋めながら、頭と心を休める。


「各々で策を考える、か……そうは言ってもねえ……」


 目の前に人間という餌を、それも簡単に倒せそうな少数だけちらつかせても乗ってこないオークカイザーとその配下たちだ。囮役を多少増やそうと一度警戒されてしまった以上は結果は変わらないだろうし、例えば家畜などを囮に使っても同じだろう。


 かといって、森の中で総力戦を挑むのも無謀が過ぎる。人間がオークに対して優位を保てるのは、開けた場所で数の利を活かした戦術を取る場合のみだ。いくら数で勝っていても、木が障害物となり足場も悪い森が戦場ではオークを包囲できずに逆に蹂躙されてしまう。


「……」


 となると、釣り野伏せを成功させるほかない。「囮の人間という餌をちらつかせる」以外の手段でオークの気を引き、森の外に引きずり出さなければならない。一体どんな状況であれば、オークたちは自ら森を出たがるだろうか。


「……あ」


 そのとき、ノエインは閃いた。マチルダの胸から顔を上げ、ベッドから起き上がったノエインを、マチルダは見上げる。


「ノエイン様?」


「いい手を思いついたかも。とりあえずユーリたちを集めて相談してみよう」


 ・・・・・


 その翌日。リムネーの森の入り口から数百メートルほど入った場所。


 そこにはセミラウッドをはじめとした木材の一次加工と乾燥作業などを行う大規模な木材加工所があり、すぐ隣には、そこで働く職人や労働者とその家族が暮らすための村が作られている。


 その加工所と村も、今はオークの群れの支配下にあった。


 数十年を森で生き抜いて成長を遂げた強大なオークの率いるその群れは、総数が百五十を超える。いくつもの番や親子が寄り集まった群れの中には当然、雌や子供の個体もそれなりの数がいる。


 かつて人が暮らす村だったその場所は今、狩りに出た親たちの帰りを待つ子供のオークと、彼らを守って面倒を見る一部の雌のオーク、そして手負いのオークが過ごす巣になっていた。本来は番とその子供のみで生活するオークの習性からすると、いくつもの家族が協同で子供や負傷者の世話をするこの社会は異様なものだった。


 そのような社会が維持されているのは、偏に圧倒的な力と知恵でオークたちを従える頭の存在があるからこそだ。


「ゴアッ?」


 その日、巣を守る雌のオークたちを取りまとめる一番大きな個体は、村の西側、森の外へと続く方向に違和感を覚えてそちらを見た。


「……」


 そこにいたのは、数人の人間だった。


「ガアッ! ブゴオッ!」


「ガッガッ!」


「ブゴアアアアッ!」


 他のオークたちも何匹かが人間の存在に気づき、威嚇の声を上げる。一番大きな個体もまた、少数の人間の群れに向けて威嚇を放つ。


 しかし、本能のままに襲いかかって追いかけるような真似はしない。人間を見ても追うな、と彼女たちの頭に命じられているからだ。


 何日も前、頭に率いられた雄のオークたちが、森の外に集まっている人間を襲った。


 この加工所や村を占領する際、人間は様々な道具や奇妙な力を使うので見た目よりも危険な獲物だとオークたちは学んでいたが、それでも油断しているところを大群でいきなり襲えばきっと勝てるだろうと考えた頭に命じられ、戦いを挑んだ。


 そして、さらに強力な道具や奇妙な力を使う人間たちと、その人間に従う黒い木の化け物を前に破れ、逃げた。二十匹近いオークが死に、それ以上の数の仲間が怪我を負った。


 人間は危険だ。しかし、人間は積極的に森には入ってこない。オークたちも時々やるように、離れたところからこちらを観察していることはあるが、大勢で森の中まで襲ってくることはない。


 だから、簡単に倒せそうな少数だとしても人間には安易に近づくべきではない。間違っても追いかけて森を出たりしてはいけない。


 そう学んだ頭に命じられて、オークたちは人間を見ても追いかけないようにしていた。彼女たちの頭は、今は森に守られながら怪我をした仲間が元気になるのを待ち、子供を生み育て、群れをもっと強くすることだけを考えていた。


「ブゴッ! ブゴッ!」


「ゴアアアッ! ブガアアアッ!」


 オークたちはただ、人間を威嚇し続ける。昨日もその前も人間たちはやってきたが、こうして威嚇しているうちに、恐れをなしたのか森の外へ帰っていった。今日もそうなるだろうと思いながら吠える。


「……ッ! ガアアアアアアッ!」


 しかし、今日は様子が違った。数人しかいなかった人間たちの後ろから、さらに数人の人間が前進してきた。さらにその後ろから、今度はもっと大勢の人間がやってきた。例の黒い木の化け物までいた。


 巣を守る一番大きな個体も、他のオークたちも、何かが違うと気づいた。人間はこちらを観察するために来たのではない。何かをしに来たのだと理解した。ついに森の中まで襲いに来たのかもしれないと思った。


 異変を察したのか、巣の中にいた他のオークたちもやって来て並び、さらに威嚇の声が大きくなる。怪我をして休んでいたオークたちも、傷の浅い者は威嚇に参加する。


 それでも人間たちは逃げない。


 一番大きな個体は悩んだ。頭の命令に従って、威嚇を続けるべきか。それとも、戦ってもいいのか。心の中で、頭への恐怖心は戦うなと言い、オークとしての本能は戦えと吠えていた。


 その思考をかき消したのは光だった。


 人間たちが手を、あるいはキラキラと先端が輝く棒のようなものを、あるいは硬い尖った棒を飛ばす奇妙な道具をオークたちに向け、その数秒後にはその手から放たれた攻撃がオークたちを襲った。


★★★★★★★


書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』2巻の書影が公開されました。近況ノートにて公開しています。


今回の表紙は2巻での最重要人物の一人、クリスティです(後ろにはダミアンもいるよ)。


書店や各通販サイトで絶賛予約受付中です。1巻に引き続き加筆もりもりです。是非よろしくお願いいたします。

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