第396話 見せしめ

「さて、それじゃあ……死んでもらおうか」


 ペンスの言葉を聞いたオルソーは目を見開いた。


「はっ!? な、何故……殺すわけじゃないと」


「『この尋問で殺すわけじゃない』と言ったんだ。最終的に生きて逃がすとも言っていない……というか、俺たちは名前や身分をわざわざお前に明かしたのに、どうして生きて逃がしてもらえると思ったんだ?」


 小馬鹿にするような呆れ声で言ったペンスを前に、オルソーは絶望を表情に浮かべる。


「そ、そんな……あんたたちのことは誰にも言わない。アールクヴィスト大公国には二度と関わらない。そ、そうだ、うちにある金目のものを好きなだけ、お詫びの品としてアールクヴィスト大公閣下のもとに持って行ってくれて構わない。だから――」


「オルソー・ヘルダー、お前は何か勘違いをしているようだな」


 ペンスはそう言って、オルソーの言葉を遮った。


「俺たちはアールクヴィスト閣下のご意向を実現するためにここに来ている。俺たちにお前の命をどう扱うか決める権限はない。お前が死ぬことは決まっている。アールクヴィスト閣下がそうお決めになった」


「な、何で……確かに私の手の者に、閣下のお膝元の公都で少しばかり軽犯罪を働かせたが、だからって何も殺さなくても」


「ただ治安を乱しただけならお前も命までは取られなかったかもしれないな。だが、お前が配下に命じた工作活動のせいで、アールクヴィスト大公国の臣民が一人死んだ。だから閣下は一連の事件の黒幕であるお前を殺すとご決断された」


「なっ!? し、死んだのはたかが獣人だろう!? 獣人一人の命の代価が、この私の命だなんて、あまりにも釣り合わん! あんまりだ! 理不尽だ!」


 獣人と普人の、ましてや豪商としてこの地域一帯に名を馳せた自分の命の価値が等しいわけがない。オルソーは今ばかりは怒りを覚えながら叫んだ。


「こんな理不尽な話があっていいはずがブゴッ!」


 そのオルソーの頬をペンスが殴りつけ、力づくで黙らせる。


「まだ分からないのか。俺は今、アールクヴィスト閣下の臣下として、アールクヴィスト閣下の価値観のもとで話をしてるんだ。普人だろうと獣人だろうと亜人だろうと関係ない。大公国の臣民は全員が閣下の財産だ。閣下はご自身の庇護のもとにいる臣民たちをとても大切に思われている。大切な臣民の一人と、膝元の治安を脅かした上に臣民一人を死なせたお前と、閣下から見てどっちの命が重いかなんて、考えるまでもないだろう」


 ペンスは語りながら、オルソーの薄い髪を掴んで顔を上げさせ、睨みつけた。


「アールクヴィスト閣下はお怒りになっている。閣下はお前をお許しにはならない。お前には罪を償うため、そして二度と同じような真似を起こす奴が出ないよう見せしめのため、今ここで死んでもらう。世間の語り草になるよう、できるだけ惨たらしい死体になってもらう。お前が泣こうが足掻こうがそれは変わらない。諦めろ」


「……う、うううぅ……」


 自身の運命を理解したオルソーは、涙を流してうめき声を上げた。


 しばらくそうして泣いた後、オルソーは、口を開き、震える声で言う。


「か、家族は……妻と娘は、見逃してくれ。わ、私はどうなっても構わないから、妻と娘だけは……」


 なけなしの勇気を振り絞りながら吐き出したらしいオルソーの言葉を聞いたペンスは、少し間を置いて頷いた。


「閣下は公都ノエイナでの一連の事件の関係者のみを殺せと俺たちに命じられた。黒幕がお前一人である以上、俺たちが殺すのはお前だけだ。お前の妻と娘には俺たちの正体を明かしてもいないし、手を出すこともない……尤も、家長を失った後のお前の妻と娘がどうなるかまでは責任は持てないが」


 大借金を抱えている状況で、家長であるオルソーを失った妻と娘の運命は、ほぼ確実に奴隷落ちだ。しかし、自力で状況を打開しようとしたり、奴隷として売られる前に夜逃げをしたりする選択肢は残されている。


 それらの試みが成功する確率は限りなくゼロに近いが、それでも選択肢として存在し、たとえ失敗しても死ぬわけではない。


 そう分かって、オルソーは安堵する。


「……自分の身じゃなく家族の身を案じたお前の態度に免じて、すぐに死ねる殺し方にしてやる。惨い目に遭わせて殺すんじゃなく、殺した後で惨い死体にしてやる。それじゃあ、覚悟を決めろ」


 オルソーの視線よりも下、心臓のあたりに剣の刃先を真っすぐ近づけるペンスの姿が、オルソーが人生で見た最後の光景だった。


・・・・・


 早朝。ソロンハイト男爵家の元御用商人であるオルソー・ヘルダーの屋敷の使用人が、男爵領の領軍詰所へと駆けこんできた。


 主人が惨殺されたという使用人の話を聞き、ソロンハイト男爵領軍は直ちに出動。領軍兵士の報告を受けたソロンハイト男爵も、事件現場であるオルソーの屋敷を自ら訪れた。


「うっ……こ、これは……なんという」


 そして、屋敷の地下室でオルソーの死体と対面し、室内に充満する血の臭いを吸い込み、顔を青くした。


 男爵に付き従うソロンハイト家の従士長や護衛たちも青ざめた表情を浮かべ、若い兵士などは慌てた様子で部屋の隅まで走って床に嘔吐している。


「……他に犠牲者は? 犯人の手がかりは?」


「はっ。死んだのはオルソー・ヘルダー氏のみで、彼の家族を含め屋敷の他の者に犠牲者はいません。負傷者もほぼおらず、夜間の見張りとして起きていた傭兵が一人、クロスボウで麻痺薬を撃ち込まれた際に軽傷を負ったのみです」


 現場に先行していた兵士が、敬礼しながらソロンハイト男爵に状況を伝える。その兵士の顔色も良いとは言えない。


「その傭兵によると、昨夜にヘルダー氏の屋敷に客人として泊まっていたヴィーツ・アリョーシャンという商人が、屋敷外から何者かを招き入れていたそうです。実行犯はヴィーツやその護衛を含め、十人弱いると思われます。既に逃走しており、素性が分かるものもありません……傭兵によると、ヴィーツは浅黒い肌の容姿端麗な男だったと。今のところの手がかりはそれだけです」


「……そうか。ご苦労」


 そう言って、ソロンハイト男爵はオルソーの死体を見た。床に散らばる臓腑を踏まないよう近づき、かろうじてオルソーだと判別できる彼の顔を見下ろした。


「卑劣で下衆な男だったが、まさかこのような死に方をするとはな」


 自身にとっては厄介の種でしかなく、近年は自業自得で凋落を続けていたオルソー・ヘルダーに対して、しかし男爵は今はさすがに同情心を抱いていた。せめて、オルソーがこのような姿にされたのは死んだ後であることを願った。生きたままこうなったのだとしたら、犯人は悪魔だ。


「閣下。ご命令をいただければ直ちに街道の領境での検問を開始し、逃走した犯人たちの目撃情報を民から募り、生存者の証言をもとにヴィーツ・アリョーシャンという男の人相書きを作って懸賞金をかけますが」


「……ああ。その件については少し外で話を」


 傍らからの従士長の提案に、男爵はそう答えて彼とともに廊下に出た。


 そして、周囲に他の者がいないことを確認すると、小声で話し始める。


「この件については、検問も人相書きの配布も不要だ。この領都内での捜査は行うが、それも通り一遍の形式的なものでいい。ちゃんと捜査が行われたと領民たちに思わせられれば、それでいい。捜査を担当させるのは親衛隊兵士のみにしろ。親衛隊なら余計な話は漏らさんからな」


「……それは、以前に国王陛下より届いたお手紙の件と関連してのご指示でしょうか」


 ソロンハイト男爵は従士長に頷いた。


 先日、国王オスカー・ロードベルク三世よりソロンハイト男爵宛てに、一通の私的な文が届いた。


 そこに書かれていたのは「これから数週間以内にお前の領内で目立つ出来事が起こるが、それについては王家が関わっている外交事案であり、その出来事以上のことは起こらないので、深く調べなくていい」という意味深な内容だった。


「ああ。陛下のお言葉は間違いなくこの事件を指したものだろう。まさかこんな血生臭い”出来事”だとは思わなかったが……陛下がああまで仰られたのだ。形式的な捜査のみ行って様子を見て、民の間に動揺が起こらないようならそのまま未解決事件として風化させる」


 オスカーからの文には、必要となれば適当な罪人をこの事件の身代わりの犯人として送ってやるとまで書かれていた。


 いざというときはその言葉に甘えてでっち上げの犯人を公開処刑にすればよく、そのようなことをするまでもなく事件が風化するのであればそれに任せればいい。ソロンハイト男爵はそう考えていた。


「……了解しました。ではそのように」


「頼んだぞ」


 そう言って、ソロンハイト男爵は以降の対応を従士長に一任した。


・・・・・


「んー、まだ抜けてないですよねえ」


 ロードベルク王国西部の街道を北上する荷馬車の荷台に座り、鏡を構えて自身の髪をいじりながら呟くのはバートだ。


 その隣にはペンスが座り、さらに今回のオルソー・ヘルダー殺害任務に参加したバートとペンスの部下たち計五人も、荷台や御者台に座っている。


「二週間もすれば完全に色が抜けきる染料だろ。何度も同じこと言ってないで我慢しろよ。日に何回鏡を見れば気が済むんだ」


「だからこそ嫌なんですよ。綺麗に染めた直後ならともかく、こうして中途半端に色が抜けていく途中が一番汚らしく見える。おまけに染料のせいで少し痛んでるし……俺の今の髪がこんなひどい有り様だなんて、到底受け入れられません」


 ペンスが呆れ顔で返すと、バートはなおもぶつくさと文句を垂れる。


 色白の肌と明るい金髪のままではバート・ハイデマン士爵だと気づかれる可能性があったために、バートは今回変装をしてオルソーに接触した。


 変装用の眼鏡は外し、浅黒く見せるための肌は化粧を落とせば済む一方で、髪を茶髪に染めた染料だけはすぐにとれるものではない。


 自慢の金髪が今は違う色で、それも金髪と茶髪が入り混じった奇妙な土色になっていることに、バートは不満を零し続けている。


「ったく……任務が終わって真っ先に気にし出したのが自分の髪の色とは。筋金入りの自分好きだな、お前も」


「外務担当にとっては容姿も仕事道具ですよ。会った相手に好印象を与えて舐められないようにするために、俺が髪の手入れにどれだけ手間をかけてきたと思ってるんですか」


 二人のそんな会話に、部下たちは苦笑している。


「はあ、帰ったらミシェルに手入れを手伝ってもらわないと……帰り着くまでにきちんと抜けきるかなぁ。こんな髪で妻と娘のもとに戻るなんて嫌ですよ」


 埒のあかない愚痴を零すバートと、もはや突っ込むのも諦めたペンス、そして彼らの五人の部下を乗せて、荷馬車は北の方向――アールクヴィスト大公国へと進む。


 それは彼らの達成した任務の血生臭さに似合わない、穏やかで牧歌的な帰路の光景だった。

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