第395話 尋問、もとい
ヴィーツ・アリョーシャンと名乗る商人がオルソー・ヘルダーの屋敷に客として泊まることになり、和やかな夕食会も終わった深夜。
ヘルダー商会に用心棒として雇われている一人の傭兵の男が、あくびをしながら屋敷内を見回っていた。
「……ったく、アホくせえ」
男はあくびだけでなく、小さな悪態も零しながら廊下を歩く。
この屋敷の主であるオルソーは異常に用心深い人間で、ヘルダー商会がまだ大きな権勢を誇っていた頃から、自身の富を狙う者の侵入を恐れて用心棒たちに厳重な警備を命じてきた。オルソーの不安を解消するため、用心棒たちは毎晩不寝番を立て、深夜の定期的な見回りを行ってきた。
最近はオルソーが「借金取りの送り込んだ刺客が自分と家族を殺しに来るのでは」という妄想に執りつかれているので、不寝番による深夜の見回りは今も続いている。
長く生かして借金を返済させるべきオルソーを殺す意味などないのに、誰が刺客など送り込んでくるものか。馬鹿らしい。
そう思いながらも、男はヘルダー商会に長く用心棒として雇われている恩義があるため、一応は生真面目に見回りを続けている。
この日も屋敷内に異変など見つかるわけがないと思いながら惰性で戸締りを確認し、不審者がいないかを見て回る。
しかし、この日に限っては惰性のまま見回りを終えることはできなかった。屋敷の奥、勝手口の方に何者かの気配を感じたのだ。
「……っ、誰だ! 誰かまだ起きてるのか!?」
男は声を張りながら手持ち式の照明の魔道具を掲げるが、長く伸びる廊下の奥までは灯りは届かず、黒い闇しか見えない。
その闇の中から静かに歩み寄って来たのは――客人であるヴィーツ・アリョーシャンだった。
「いやあ、驚かせて失礼。厠に行った後に客室までの戻り方が分からなくなりまして」
恥ずかしそうに笑って頭をかくヴィーツを見て、男は安堵の息をついた。
「それはそれは……初めてお泊まりになる屋敷なので、無理もないでしょう。客室まで案内します」
「お願いします。広いお屋敷な上に、私は方向音痴なもので……」
どうやら本当にそうらしいと、男は内心でヴィーツを哂う。
オルソーの屋敷は確かに無駄に広いが、それにしてもヴィーツの方向音痴ぶりは酷い。客用の厠から、客室と勝手口はほとんど真反対の方向だ。何をどうすればこんな見当違いの方に進めるのか。よくこれで商人が務まるものだ。
そう思いながらヴィーツを客室まで案内しようとした男は――ヴィーツの後ろ、勝手口のある廊下の方を見て固まった。
廊下の奥、闇の中から音もなく現れたのは、黒い面で顔を隠した一人の男だ。腰には剣を提げ、手にクロスボウを構えている。
さらに、その後ろから、同じように黒い面をした数人の男が続く。どこからどう見ても侵入者、何者かがヘルダー商会に送り込んだ刺客だ。
ヴィーツも刺客たちの方を振り返り、しかし驚きを示さなかった。彼らが近づいてくるのが当たり前のような表情をしている。
すなわち、刺客たちを招き入れたのはヴィーツだ。厠から客室に戻る際に迷ったというのも嘘で、おそらくは勝手口の鍵を開けるために故意にこちらへ来ていたのだろう。でなければ、外からこじ開けるとけたたましい音が鳴る魔道具付きの鍵を開けて刺客たちが入って来たことへの説明がつかない。傭兵の男はそう考えた。
「皆さん、早かったですね」
「むしろお前が遅かったな。こっちは扉のすぐ前に隠れて、いつ鍵が開くのかと思いながら待ちくたびれてたぞ」
「ははは、すいません。ちゃんと商会長さんの酒の杯に薬を盛ったんですが、なかなか眠くなってくれなくて」
そんな言葉を交わすヴィーツと黒い面の刺客を指差して、傭兵の男はパクパクと口を動かす。
「あ、あんた……客人、あんた、何者だ?」
尋ねられたヴィーツは男の方を向き、人好きのする笑顔を見せた。
「ああ、実は私、商人というのは嘘でして。屋敷の中で迷ったというのも嘘です。案内してくれようとしたのに、すいません」
「……っ! だ、誰か――」
男が声を上げようとしたその瞬間、空気を切る鋭い音が響き、男の胸に数本の矢が突き立った。
刺客たちの方を向いた男は、この場の指揮官らしき先頭の刺客が手にしたクロスボウが自分に向けて放たれたのだと理解する。
矢は細く、傷も浅い。太い針が身体の表面に刺さったようなもので、致命傷には程遠い。しかし、何か薬品が塗ってあったらしく、身体がじんわりと痺れ、自由が利かなくなっていく。
立っていられなくなり、頭から後ろに倒れようとした男の身体を、矢を放った指揮官らしき刺客自身が支え、ゆっくりと横たえてくれる。
「悪いな。あんたに恨みはないが、しばらく大人しくしていてもらう……あんたのその痺れが解ける頃、明日の朝には全て終わって俺たちは消えてるだろう。それまでは静かに寝てろ」
自分を見下ろす刺客に対して、傭兵の男は唯一動く目だけを向ける。
「それで、他に用心棒の数は?」
「屋敷に寝泊まりしているのはあと二人だけです。他には、使用人と奴隷が合わせて十人ほど、あとはオルソーの妻と子ですね。屋敷の広さのわりに少ないですが、きっと金の余裕がなくて解雇したんでしょう」
「そうか……お前の部下二人と、俺の部下三人でかかればすぐに終わるな。早速始めるか」
刺客は既に男の方は見ておらず、ヴィーツとそんなことを話している。
そして、ヴィーツが笑顔のまま男の耳に綿を詰め、目に布を巻いて目隠しし、さらに頭から布袋を被せてきた。
音も光も感じられない状態にされ、男はそのまま身体の痺れが解けるまで、数時間にわたって放置されることになった。
・・・・・
客人ヴィーツ・アリョーシャンと夕食を共にし、その後も酒を飲み交わしながら歓談に耽っていたオルソー・ヘルダーは、急な眠気を覚えて歓談を終え、寝室に引き上げた。
突然の異様な眠気は、久しぶりに客に見栄を張って自慢話を聴かせる楽しいひとときに、つい酒が進んでしまったせいだろう。そう思いながら眠りにつき――顔を叩かれたような感覚がして意識を取り戻し、大きな違和感を覚えた。
「……ん? 何だ?」
身体を包んでいたはずの毛布はなく、そもそも身体が柔らかなベッドに横たわっていない。部屋の中がやけに冷えている。オルソーは疑問を呟きながら目を開け、周囲を見回し、そしてその目を見開いた。
「な、何だこれは! どうなってる!?」
妻と並んで寝室に眠っていたはずのオルソーは、今は全裸で椅子に座らされ、縄で縛り上げられていた。おまけに場所は寝室ではなく、倉庫として使っている石造りの地下室だ。
そして、目の前にはヴィーツ・アリョーシャンと、武装した数人の男が立っている。この明らかに異様な状況にもかかわらず、ヴィーツは取引や夕食のときと変わらない、穏やかな笑みを浮かべたままだ。
「ヴぃ、ヴィーツ殿、これは一体何の……貴様、商人ではないな!? 謀ったな!?」
「はははは、お気づきになられましたか」
オルソーが険しい顔になって怒鳴ると、ヴィーツは夕食後の歓談の際と全く変わらない穏やかな笑みを見せる。
「家族は!? 私の妻と娘はどこにいる!?」
「安心してください。二人とも無事で、隣の部屋におられますよ。麻痺薬で痺れさせて拘束しているので怯えてはいるかもしれませんが、怪我はさせていません」
ヴィーツの言葉に少しの安堵を覚えつつ、オルソーは険しい表情を止めない。
「貴様らどこの手の者だ!? ヴァゼディルドン商会か!? クォーレン商会か!? そ、ソロンハイト男爵家か!?」
自身が多額の借金をしている金貸し業者や、自身を目障りに思っているであろう領主家の名前をオルソーが挙げると、ヴィーツは微笑を浮かべたまま首を振る。
「残念、どれも違います。我々はアールクヴィスト大公家に仕える人間ですよ。私はヴィーツ・アリョーシャンではなく、本名はバート・ハイデマン士爵と言います」
その名を聞いたオルソーは息を呑んだ。
アールクヴィスト大公家に仕える外務官僚で、大公の側近の一人、バート・ハイデマン士爵。大公の遣いとして、ロードベルク王国の特に北西部や南西部をうろついている彼の名は有名だ。
オルソーもその名前だけは知っていた。容姿端麗で、一見すると好印象な人物だという特徴も、今あらためて見ると一致している。ハイデマン士爵は眼鏡はかけておらず、肌も浅黒くなく、髪は明るい金髪だという話だったが、目の前の男の眼鏡と肌の色と髪色はおそらく変装のためか。
「……ど、どうやって私のもとに辿り着い……あ、あいつらめ、しくじったな」
オルソーはこのところ連絡が途絶えていた工作員たち三人の顔を思い浮かべ、彼らの役立たずぶりに怒りを覚える。
「あいつら、というのが公都ノエイナで工作活動を行っていた三人を指しているのであれば、彼らはその死を以て失敗の責任を取った後ですので、どうかそれで溜飲を下げてあげてください。そして……私たちがここへ来たのは他でもありません。私たちの主君の膝元を脅かした黒幕であるあなたと、少し話をするためです」
ヴィーツ、もといバートは、そう言って視線を後ろ――鋭い目をした男の方へ向ける。
バートは一歩退き、変わって鋭い目の男の方がオルソーに歩み寄って来た。
「俺はアールクヴィスト大公家の親衛隊長、ペンス・シェーンベルク士爵だ。アールクヴィスト閣下に代わり、お前と話をするためにここへ来た。公都ノエイナの治安を脅かして処刑された三人の罪人に、工作活動を命じた黒幕がお前だということは分かっている。お前がそんなことをしでかした理由を閣下は知りたがっておられる。答えてもらう」
「わ、私はロードベルク王国民だぞ! 王国の民にこんなことをして、国家間の問題にならないとでも――」
「閣下はこの件について、既にオスカー・ロードベルク三世陛下と話をつけておられる。だから俺たちはここでこういうことをしている」
オルソーの抗議を、ペンス・シェーンベルクと名乗る男は一蹴した。
「朝まであまり時間もないからな。素直に話してくれないなら、少し手荒な真似をすることになる」
そう言いながら、ペンスは自身の剣を抜いた。それを見てオルソーは青ざめる。
オルソーはただの商人だ。拷問に耐える訓練など受けたこともなく、そもそも自身の身体に傷を負ったこともほとんどない。痛みに慣れていない。
抵抗できるわけがない。抵抗しても無駄に痛い思いをするだけだ。
「わ、分かった。話す。全て話す」
オルソーはそう切り出して、工作活動に及んだ理由を語った。とはいえ、特に時間のかかる話でも、説明の難しい話でもない。
公都ノエイナの交易都市としての評価を地に落とせば、相対的にロードベルク王国南西部の国境での貿易が盛んになり、ヘルダー商会も再興を果たせるのではないか。そう考えて賭けに出た。それだけだ。
「……なるほどな。よく分かった」
オルソーの話を聞き終えたペンスは、そう呟いて頷いた。
そして、何故か剣を掲げた。
「!? ど、どうして。素直に話せば手荒な真似はしないはずじゃ……」
「そんな約束を俺がしたか? おいバート、どうだ?」
「いえ、特にそんな話は出ていませんね」
ペンスとバートのやり取りを聞いて、オルソーはただでさえ青かった顔がより一層真っ青になった。
「他にも関係者がいて、お前がそれを庇っていないとも限らないからな。一応、もう少し詳しく尋問させてもらう。何、そう怖がるな。この尋問で殺すわけじゃない」
「い、嫌だ、止めろ、止めてくれ! 待て! 待っ、ま、まぎゃあああっ!」
右足の親指の爪の間に剣の刃先をねじ込まれ、オルソーは汚い叫び声を上げた。
それから、爪先や肌の表面に細かく刃を入れていくような尋問、もとい拷問が続き、その中でオルソーは何度も同じ質問をされ、泣き叫びながら何度も同じ答えを吐いた。工作活動は自身の独断で行ったことであり、他に黒幕はいないと叫んだ。ペンスに向けて。バートに向けて。そして彼らが持参した『看破』の魔道具に向けて。
手足を合わせて五枚の爪が剥がれ、身体のあちこちの皮膚の表面を薄く小さく剥がされながら同じ自白を続けた後、ペンスたちはようやく納得したようだった。
「……よし。もういいだろう。お前が単独で計画したというのは本当みたいだな。ご苦労だった」
凄惨な行いに似合わない、まるでちょっとした仕事を言いつけた相手への労いの言葉のように言うペンスの前で、オルソーは涙を浮かべて息も絶え絶えになっている。
「さて、それじゃあ……死んでもらおうか」
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