第388話 盗み聞き

 ノエイン・アールクヴィスト大公の屋敷に呼び出された数日後、ルドは自身の経営する宿屋にいた。


 今では宿屋の運営は従業員に多くを任せ、自身は偶にしか実務を行っていないルドがここにいるのは、君主であるノエインから直々に与えられた務めを果たすためだ。


 今、この宿屋にはミレリッツ商会の商会員三人が滞在している。この宿を公都ノエイナでの定宿にしている彼らは、今日の昼過ぎにやってきて、いつものように四人部屋ひとつを取り、出かけることもなく室内で移動の疲れを癒しているようだった。


「……」


 宿は一階が受付と食堂で、二階と三階が客室だ。ルドは緊張が足取りに出ないよう、努めて平静に階段を三階まで上がっていく。仕事中に見えるよう、手には洗濯の終わったタオルやシーツ類を持って。


 獣人への嫌悪を示す一連の事件についてはルドも当然聞いていて、それにミレリッツ商会がおそらく関わっているという話を先日聞いたときは心底驚いた。


 いつも三人組でこの国を訪れ、小規模な交易を行っているというミレリッツ商会の商会員たちとは、ルドも何度か顔を合わせたことがある。愛想のいい男と、少々強面の男、そして見習いだという若い男。特に不審な点はなかった。


 強いて言えば、強面の男は商人だという割にとっつきにくい印象があった。しかし、護衛の傭兵を雇うほどではない小規模な商会が、腕っぷしの強い者を用心棒代わりに従業員にするのはよくあることで、その点についてもルドは疑問視してはいなかった。


「……」


 三階に辿り着いたルドは、そこからは足音をなるべく消して廊下を進む。そして、ミレリッツ商会の商会員たちが泊まっている部屋の隣の空室に入り、商会員たちの部屋がある側の壁にそっと耳を当てた。


 彼らの話を盗み聞きし、内容を軍に報告する。それが、ルドに課された役割だ。


 盗み聞きをするなら獣人を使うのが手っ取り早いが、この宿の客は国外からの来訪者がほぼ全てだ。客の中でも金に余裕のある者が泊まる三階に、獣人がいると目立つ。もしミレリッツ商会の商会員たちと鉢合わせすれば、怪しまれるおそれがある。


 魔法や魔道具で壁の向こうを見たり、音を拾ったりする術もあるにはあるが、生憎アールクヴィスト大公家の臣下にはそういった魔法の使い手がいない。魔道具もすぐ手元にはない。また、自身に魔法が向けられていることを探知できる魔道具も存在するので、ミレリッツ商会の商会員たちがそういった魔道具を所持していると、やはり探っていることに気づかれる。


 なので、宿屋内のどこをうろついていても不自然ではなく、最古参の臣民としてノエインの信用のあるルドにこの役目が与えられたのだ。


「……」


 ルドは耳を澄ませ、ミレリッツ商会の商会員たちの会話を聞く。


「――ああ、こないだ行った娼館でお前が選んだ娘か。憶えてるよ。確か、その前に行ったときもあいつを指名してたよな」


「あいつが本当に可愛くって、たまらねえんですよ。身請けしてえくらいです」


「ぎゃははっ、見習いのお前が娼婦を身請けか。五年……いや、十年早いぞ。もっと経験を積んで、自分で稼げるようになってから考えるんだな」


 最初に聞こえてきたのは、特に注目すべきでもない何気ない雑談だった。その後もしばらく、どうでもいい会話が続く。


 そして、話題が変わる。


「……ところで、明日の仕事は二時だったな」


「ああ、取引相手はミューレーンさんだ」


「取引の、ば、場所はどこでしたっけ?」


「また北西街区の店……いや、最近はそこが込んでるから、南東街区の東寄りにある自宅がいいとミューレーンさんが言ってたな。ははは、大事な仕事の話だからって、いちいち緊張するんじゃない」


「す、すいやせん。へへへ」


「……こないだのリュヴォンさんとの取引は失態もあったからな。次はそんなことがないようにしなければ」


「ああ、あれは酷い失態だった。あそこまで怒らせちまうのは駄目だ。気をつけないとな」


 その会話に、ルドは一際耳を澄ませ、意識を集中させて聞き入る。


 この役割を務めるにあたり、重要な情報の拾い方について、ルドはユーリ・グラナート準男爵から指導を受けた。


 相手がどこかから送り込まれた工作員であった場合、相手から見てこのアールクヴィスト大公国は敵地の只中。何かの工作活動を行うとして、仲間しかいない場でも仕事についてそのまま話し合うとは限らない。訓練された工作員であれば、いつどこで誰が聞いているか分からないと警戒する。


 なので、何気ない会話を装って、暗号で工作活動の計画について話す可能性がある。そのため、一見すると他愛ない話に思えても、具体的な時間と場所が出てくる話題については聞き逃すなと、ルドはユーリから命じられていた。


 南東街区の東寄り。二時。ミューレーン。リュヴォン。その情報をしっかりと記憶に留めたルドは、商会員たちが食事を取りに外出していったのを壁越しの音で確認すると、少し時間を置いてから自身も部屋を出た。


・・・・・


「……なるほど。明日の二時に、南東街区の東寄りにあるミューレーンという人物の自宅で取引か」


 大公家の屋敷へと報告に訪れたルドを応接室に通したノエインは、彼の話を聞いて薄い笑みを浮かべた。傍らにはいつも通りマチルダが控え、さらに親衛隊長のペンスと、軍本部から参上したユーリも同席している。


「南東街区に住むような有力者の中に、ミューレーンやリュヴォンという人物はいなかったと思うけど、どうかな、ルド?」


「アールクヴィスト閣下の仰る通りです。南東街区に家を持つ者とはほとんど全員と顔見知りですが、そのような名前の者は存じません」


 ノエインの問いかけに、ルドはそう答えた。


 公都ノエイナの歴史の中で最初に開拓されたのが、今の南東街区にあたる区域。そこは現在は地主や豪商になっている古参の民が住んでおり、大公家の臣下である貴族や従士の家も集まっている。言わばこの国の富裕層のための区域だ。大公家の屋敷の敷地も、この南東街区に含まれる。


 南東街区に家を構える平民は百戸程度で、最古参の民であるルドはその多くをよく知っている。少なくとも、家主の名前すら聞いたことのない家はない。ルドの記憶に、ミューレーンやリュヴォンという名前はない。


「奴らは暗号にして上手く誤魔化したつもりかもしれませんが、稚拙な手ですな」


 ミレリッツ商会の商会員たちの会話をそう評するのはユーリだ。


「南東街区の住人たちはアールクヴィスト閣下への忠誠が深い者ばかりです。その中に、国外の工作員に協力するような者がいる確率は限りなく低い。ミューレーンというのは、おそらく奴らの行動の種類を示す暗号ではないでしょうか。壁への落書きがミューレーン、獣人の通行人への襲撃がリュヴォンと呼ばれているものと考えられます」


「でしょうね。前回のリュヴォンとの取引で失態を犯した、というのが、獣人の通行人を殺してしまった件についての話なんでしょう。公都ノエイナの中に種族間の対立を生んで治安を乱すのが奴らの目的だとして、この段階で死者まで出して事を大きくするのは性急だと考えていたんでしょうね」


 ユーリの考察に、ペンスもそう言いながら同意した。


「まあ、彼らにとっても不測の事態だったとしても、僕の愛する臣民が死んでしまったことは変わらないから、今更悔やまれても遅いんだけどね」


 ノエインは穏やかな声でいいながら、しかしその声の中には底冷えのする怒りが込められていた。その場にいた全員が、思わずぞっとしてしまうほどの。


「……奴らが北西街区ではなく南東街区での犯行を考えているのは、軍が特に北西街区での巡回を強化しているため、そこを避けたのでしょう。一連の犯行は夜に起こったものが多いため、二時というのは午後ではなく午前二時を指しているものかと」


「ってことは、奴らは今夜動くってことになりますね」


「ああ、そうなる」


 ユーリはペンスの言葉に頷き、ノエインの方を向く。


「閣下。今夜、大公国軍より兵を動員してルドの宿屋を見張り、ミレリッツ商会の三人が動いたところを追跡し、犯行に及ぶ現場を押さえて捕縛すべきかと考えます。人員は……三十人もいれば十分かと。歩兵部隊から精鋭を集め、願わくば名誉従士コンラートと、親衛隊も何人かお借りできればと存じます」


「構わないよ、それで頼む。ペンス、親衛隊の人選は任せていいね?」


「はい。夜目の利く獣人と、特に優秀な奴を合計三班ほど回します」


 ノエインの許可を確認し、ユーリは最後にルドの方を向いた。


「ルド、お前の宿屋だ。三階の部屋から真夜中に密かに動くには、どこをどう通って宿の敷地を出ることが考えられるか教えてくれ。それをもとに兵を配置する」


「は、はい。おそらくですが――」


 建物を出る際は奥の階段を使って一階に降り、裏口に回るか、窓から縄などで下の厩の屋根に降りる方法が。敷地を出る際は、夜中でもたまに人が通る正面ではなく勝手口を使うか、貸し倉庫なので夜は無人となる隣の敷地へと塀を乗り越える方法が考えられると、ルドは語った。


「よし、ではその二か所を中心に張ろう……それでは閣下、私はこれより実行部隊の編成と指揮に移ります」


 そう言ってユーリが立ち上がり、一連の事件であるミレリッツ商会の商会員三人を捕縛するための作戦が始まった。


★★★★★★★


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近況ノートや作者Twitterで詳細を紹介させていただいていますので、よろしければご確認ください……!


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