第387話 容疑者
最初に大きな手掛かりをつかんだのは、内務長官である名誉士爵アンナ・ロイシュナーの率いる文官たちだった。
彼女たちは日々積み重なる様々な記録から、一連の事件に関連するあらゆる異変の痕跡を探した。商取引や納税、市場や集会の開催、国への人の出入りまで、日常の中にあるあらゆる変化を調べ、一連の事件の発生した日時と照らし合わせた。
その結果――ロードベルク王国のとある小さな商会がアールクヴィスト大公国に出入りした日時と、事件の発生日が重なっていることが明らかになった。
それをアンナから聞いた、彼女の夫でありこの国の農務長官でもあるエドガー・ロイシュナー士爵は、農民の顔役たちから話を聞き、手がかりを求めた。すると、確かにこの商会の出入りが事件の発生と重なっていると確認が取れた。
さらに、婦人会長であるマイ・グラナート準男爵夫人がこの商会について情報を収集した結果、「ミレリッツ商会」という名のこの商会には、妙な点があることが分かった。
婦人会の有力者の一人である地主家の女性ダニエラによると、市場に露店を出していたミレリッツ商会の商会員が、妙な雰囲気を纏っていたという。
その商会員の男は見た目三十代後半から四十代前半ほどで、一見するとごく普通の商人であるが、ダニエラはその男に他の商人とは違う、ごく僅かな違和感――こうしてあらためて尋ねられて、そういえばと思い出す程度の違和感を覚えたという話だった。
また、このミレリッツ商会についてはさらに別方向、外務長官バートの方からも報告が上がった。
アンナの報告を聞いてすぐにバートが国外で調査を行った結果、申告上はベヒトルスハイム侯爵領に拠点を置いているはずのミレリッツ商会は、当地に存在しないことが分かった。
アールクヴィスト大公国に出入りする商会は、小規模なものを含めれば隣接する三国を合わせて三百を超える。偶に出入りして小規模な商売を行うだけの零細商会については、全てをチェックすることはできていない。
その隙間を縫って、ミレリッツ商会は明らかに不審な立ち回りをしている。一連の事件に繋がる決定的な証拠は出ていないが、疑うには十分すぎる状況だった。
「……ってことは、今の事態は、臣民の内に秘めた獣人への差別感情に端を発したものではないと考えた方がいいのかな」
「これまで上がった報告をまとめて考えると、そうなるだろうな。普人の臣民の中には獣人に対して複雑な感情を抱いている者もいて、その感情が一連の事件によって揺さぶられているのは間違いないだろうが、きっかけは国外から意図的に仕組まれたものだ」
執務室で思考を巡らせるノエインに、参謀役として呼ばれているユーリが答えた。
「ミレリッツ商会が今までにこの国に入った記録から考えて、数日中にはまた入国するものと考えられる。東部国境の関所と公都ノエイナ東門の詰所には、ミレリッツ商会の入国を確認し次第、直ちに俺に報告を入れるよう命令を出している。見逃すことはない」
「迅速だね、助かるよ……それじゃあ、このミレリッツ商会が再来したら商会員たちに話を聞かせてもらうとして、今のうちから更に準備できることはあるかな?」
「ひとつ、根回しをしておきたいことがある。臣民に協力を求めることになるので、君主であるノエイン様の許可をもらいたい」
ユーリが求める「根回し」の内容を聞いたノエインは、薄い笑みを浮かべる。
「なるほど、それはいいね……そういうことなら、僕がその臣民に直接話した方が良さそうだ。今からでも、その彼をここに呼ぼうか」
・・・・・
ルドは齢四十代後半のアールクヴィスト大公国民だ。
この国に暮らす臣民の中でも最古参で、この地がまだアールクヴィスト士爵領と呼ばれていた頃、開拓一年目に移住した数十人のうちの一人である。
この地で自作農として第二の人生を始めたルドは、勤勉に働き、何度か行われた大規模な農地拡大計画にも参加して所有地を広げ、今では小作農と農奴を合計で十数人抱える地主になっている。
それだけでなく、大部屋と個室を合わせて十室以上を持つ宿屋も経営し、大公国を訪れる商人やその護衛の傭兵、荷運びの労働者たちを相手に商売を行ってきた。
そんなルドはある日、この国の君主であるノエイン・アールクヴィスト大公の屋敷に呼び出された。
この地の開拓が始まった当初は、まだ一介の下級貴族に過ぎなかったノエインと、ルドも頻繁に顔を合わせて挨拶を交わしていた。しかし、今やノエインは臣民にとって現人神に等しい存在。当人は民に対して親しみを以て接してくれるとしても、民の側は友人のように気楽に話せる相手ではない。
そのノエインに、直々に呼び出されたのだ。ルドは若干の緊張を抱きながら、言伝役であるアールクヴィスト大公国軍の親衛隊兵士に案内されて、屋敷の応接室に通された。
そこで待っていたのは、ノエイン・アールクヴィスト大公その人。傍らには奴隷身分でありながら現在は名誉士爵位を持つ兎人の従者マチルダが、いつものように控えていた。
さらに、ノエインの最側近としてこちらも臣民から見ると畏れ多い存在であるユーリ・グラナート準男爵と、加えて親衛隊長のペンス・シェーンベルク士爵までもが同席している。
「やあルド、久しぶりだね。急に呼び出してすまない。とりあえず座って、楽にして」
「……はい、それでは、失礼いたします」
ノエインが未だに自分のことを憶えてくれていたのは光栄極まることだが、だからといってルドの緊張が晴れるわけではない。
自身に向けられているものではないが鋭い気迫を纏うユーリとペンスの存在を気にしながら、ルドはおそるおそるソファに腰を下ろす。
「実は、君に少し頼みたいことがあってね。今日こうやって屋敷に招いたんだ……君にしか頼めない、とても重要なことがあってね」
微笑を浮かべて穏やかに語るノエインの居姿は、かえってルドに畏敬の念を抱かせる。
と、次に口を開いたのはノエインではなく、ユーリの方だった。
「その前に、ひとつ確認しておきたい。これからお前が聞くのは、この国の治安維持上の機密に関する話だ。アールクヴィスト閣下は最古参の臣民であるお前にならばこの話を伝えても問題ないと判断され、お前をここに呼んでいる。閣下のご期待に応えられると、お前は今この場で誓えるか?」
抜き身の剣のような鋭い気を纏って語るユーリを前に、しかしルドは逆に緊張が薄れていた。
ルドの今の人生は君主であるノエインから与えられたもので、ルドが妻に楽な暮らしをさせられるのも、子供たちに高い教育を受けさせた上で農地や宿屋を継がせることができるのも、全てはノエインのおかげだ。
自身の君主への敬愛と忠誠の念は、誰にも疑わせない。ルドにはこの国の最古参の民としての誇りがあった。
「もちろんです。私はアールクヴィスト閣下の忠実な臣民です。この場で聞く話は決して他言いたしません」
ルドの言葉を聞いたノエインは、慈愛に満ちた笑みを浮かべて頷く。それを見て、ユーリはまた口を開いた。
「……いいだろう。では説明する。お前の経営する宿屋の常連で、ミレリッツ商会という商会の従業員がいるのは知っているな?」
そうして始まったユーリの話にルドは驚きを覚え、そして自身に課された役割に再び少しの緊張を覚える。
ルドがこなすべき役割は、特に難しくはないが、しかし重要なものだった。ルドが上手く務めを果たせなければ、アールクヴィスト大公国軍の動きが定まらない。そういう役割だった。
「――というわけだが、できるか?」
ユーリに問われたルドは、返事をするまでに少しの間を空ける。引き受けるかどうか悩むための間ではなく、緊張で少々早くなった呼吸を整えるための間だ。
「はい、アールクヴィスト閣下とこの国に忠誠を誓う一人として、精一杯務めさせていただきます」
ルドの言葉を聞いたノエインが、嬉しそうに笑う。
「ありがとうルド、君みたいな臣民がいてくれることを、僕は君主として誇りに思うよ」
「……閣下のご期待にお応えできるよう、全力を尽くします」
ノエインの言葉に畏れ多さと感動を覚えながら、ルドはそう答えた。
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