第十五章 それぞれの騒動

第383話 冬の変化と成果

 公暦四年、ロードベルク王国の王暦で数えると二二三年の二月。


 遺跡の発見に大陸北部への出兵と波乱が続いた昨年は、幸いにも冬からはこれといって大きな出来事も起こらず、ノエインは自身の治める理想郷たるアールクヴィスト大公国で平和に年を明かした。


 例年と同じく社会の活動が大幅に緩やかになる静かな冬を越し、ノエインのもとにはこの冬に起きた国内外の変化について、報告がもたらされる。


 この日、ノエインが執務室で面会していたのは、クレイモアの副隊長であるセシリアだ。他にはマチルダと、ノエインの側近のユーリ・グラナート準男爵も同席している。


「早めに戻って来られて良かったよ。長い遠征任務、ご苦労だったね」


「ありがとうございます。これもクレイモアの一員として、当然の務めですので」


 未だ情勢が安定していないレーヴラント王国への援軍として、アールクヴィスト大公国からクレイモア一個小隊が交代で送られ、駐留している。冬の間のやや長い駐留から帰還したばかりの彼女に、ノエインはまずは労いの言葉をかけた。


「それじゃあ、報告を聞かせてもらおうか」


「はい。とはいえ、冬前から特に大きな変化はありませんでした。まず、旧デール侯国の併合の進捗についてですが――」


 端的にまとめられたセシリアの報告をノエインが聞き、その隣ではマチルダが報告内容を書き記していく。


 セシリアの報告で多くの割合を占めたのは、現在のレーヴラント王国と周辺地域の情勢について。とはいえ、その内容は平穏なものだった。


 昨年の戦いで少なくない損害を受けたレーヴラント王国だが、ヴィルゴア王国やその傘下の国が負った損害の方が遥かに大きく、おまけにあちらの連合は崩壊状態なので、再侵攻が起こる気配は微塵もない。


 レーヴラント王国の周辺国はもともと敵対的な関係ではなかったので、カイア・ヴィルゴアの覇道を阻止して地域の平和を守ったレーヴラント王国をこのタイミングで襲おうとする国はない。そんなことをすれば、その国の信用は地に落ちるからだ。


 そのような状況でクレイモアの一個小隊まで駐留しているので、尚更余計な茶々入れをしてくる国などあるはずもなく、レーヴラント王国は戦後復興に集中することができているという。


 また、支配者層を丸ごと失ったデール侯国については、レーヴラント王国が編入することとなっている。


 一度はヴィルゴア王国によって男たちが徴兵され、少なくない人数がレーヴラント王国軍の攻撃で殺されたデール侯国民だが、現在はほとんどの民が王国へと恭順の姿勢を見せているという。


 今まで全ての意思決定を行っていた騎士たちがいなくなってしまい、食料も戦争のために徴集されて途方に暮れていたところへレーヴラント王国が救いの手を差し伸べたのだ。目の前の冬を乗り越える術を与えてくれたレーヴラント王家を、彼らは新たな支配者として受け入れた。


「それと、クロスボウの製造技術の供与も成果を見せ始めています。少数ですがレーヴラント王国製のクロスボウも作られるようになっているので、ある程度の規模のクロスボウ兵部隊が作られる日も近いと思いますよ」


 アールクヴィスト大公国はクレイモア一個小隊をレーヴラント王国に駐留させると同時に、クロスボウの製造技術も王国に教え、実物も十挺を供与。クレイモアの護衛として随行している歩兵一個小隊を指導役とし、レーヴラント王国軍人たちに操作方法を習熟させている。


 今年中には王国へのクレイモアの駐留も終わる。その後にレーヴラント王国が独力で軍事力を維持するには、ある程度のクロスボウを配備して徴募兵の戦力を底上げするのが最も早く、最も確実な手だ。


「そうか……全て順調みたいだね」


「はい。戦後間もなく冬に入り、ゆっくりと内政に注力できたのがかえって良かったみたいです。ジャガイモの栽培が始まっていたことも多少ですが状況安定に貢献したそうで……戦後復興はしっかり軌道に乗っています。閣下に重ねての感謝を伝えてほしいと、ガブリエル・レーヴラント陛下から頼まれました」


「あはは、礼には及ばないって手紙で返さないとな……セシリア、報告ご苦労だったね。しばらくはゆっくり休んで」


 ノエインは改めて労いの言葉をかけ、セシリアを退室させると、ユーリの方を向く。


「……これで、大陸北部への伝手がより盤石で太いものになったね」


「ああ、今後の復興の勢いで、レーヴラント王国は確実に大陸北部での存在感も増す。デール侯国民も労働力として得たわけだからな。そこへ大きな恩を与え、おまけにかの国から見れば大陸南部と繋がる交易の中継役を担っているのが大公国だ。この友好関係が崩れることはない」


 アールクヴィスト大公国とて、善意だけでレーヴラント王国を支援したわけではない。利益を見越して助けの手を向け、こうして実際に利益を得ている。礼として送られてくる資源類などの物的利益だけでなく、長期的で政治的な利益も。


 小国の勢力が拮抗しているために微妙なバランスで安定し、ときに簡単にその安定が崩れる大陸北部において、頭一つ抜けて強国となったレーヴラント王国と、アールクヴィスト大公国は確かな繋がりを得た。


 大陸北部への伝手という点においては、アールクヴィスト大公国はロードベルク王国やランセル王国に引けを取らない力を持っていることになる。小国にとってこの利点は、経済的にも政治的にも大きい。


 多大な利益のある友好関係をレーヴラント王国と維持できている現状に満足し、ノエインは穏やかな、かつ不敵な微笑みを浮かべる。


・・・・・


「――なるほど。確かに性能はそのままで、小型化に成功してるみたいだね」


 別の日。ノエインがそう呟きながら見ているのは、車軸に漆黒鋼を用いたアールクヴィスト大公国製の魔導馬車の試作品だ。


 ノエインの隣で、この試作品の作者の一人である魔道具職人ダフネが頷く。


「はい。製作費は多少嵩みますが、これなら使い勝手の良い魔導馬車も作ることができます。常に大型の馬車を用いるよりも、こちらの方が使い勝手がいい場面も多いでしょう」


 アドレオン大陸南部の魔法塗料の質の問題で、今まではベトゥミア共和国の魔導馬車を模造しようにも、十分な魔力を通すために魔力回路を大型化させ、それに合わせて車軸も大型化させた四頭立て以上の馬車しか作れなかった。


 しかし、原料に魔石を使うからか他の金属よりも多少魔力を通しやすい漆黒鋼を車軸に用いれば、小型化が叶う。性能は相変わらずベトゥミア製のものには敵わず、また漆黒鋼の秘密を国外に知られないためにも使い方に注意が要るが、アールクヴィスト大公国製の魔導馬車はこれでまた一段進化する。


「十分な成果だね。ダフネもダミアンも、よくやってくれた」


 ノエインが称賛すると、ダフネは「恐縮です」と言いながら微笑み、試作馬車を自ら操っていたダミアンはてれてれと笑いながら頭をかいている。


「他の使い道についての検証はどう?」


「そちらですが……まず、ゴーレムについては『理論上は可能だが実用性は薄い』といったところでしょうか」


 尋ねられた二人のうち、ダフネの方が答える。


「漆黒鋼の魔力の通り具合であれば、例の式典用のゴーレムと同等の大きさで魔力回路を刻めば、全身を動かせる程度の動力を実現できるかと思います。ただ、そうなると……」


「……魔力量を考えると、動かせるのは僕くらいだね。それも木製と比べて重量が増すから、稼働時間は今の式典用ゴーレムよりさらに短くなるか」


 微妙な表情のダフネに、ノエインも微苦笑を浮かべて言った。


「それと、製作費もとんでもないことになります!」


「そうなんです。それだけの大きさのゴーレムを全て漆黒鋼で作るとなると、閣下の資金力を以てしても高額と言わざるを得ない費用が必要になります。それだけのお金をかけて、それに見合う利益があるかと言うと……」


 元気よく言ったダミアンの横で、ダフネの表情がさらに渋くなる。


「あはは、ないだろうね。巨大ゴーレムはあくまで式典で見せるためのものだし、実戦に投入するとしても今の木製にせいぜい追加装甲を施せば十分だ。ゴーレムに大量の漆黒鋼と人手を投入するくらいなら、兵士たちの鎧の製造に回す方が絶対にいい」


 ゴーレムはあくまで魔道具であり、替えの利く兵器だ。ただでさえ実用性が低く、遠征に持ち出す可能性も限りなく低い式典用ゴーレムであれば、せいぜい予備部品を用意しておけばそれで事足りる。今でも短い稼働時間がさらに縮まった全身漆黒鋼のゴーレムを、高額な費用をかけて作る意味はほぼない。


「というわけで、ゴーレム関連での漆黒鋼の活用は、突撃盾や背中などの弱点への追加装甲を製造するだけで十分かと思います」


「そうだね。二人ともその方向で頼むよ」


「了解です!」


「クリスティさんとも予算面を相談して、具体的な計画書をまとめますね」


 ノエインの指示に、ダミアンとダフネはそう言って頷いた。


「ああそうだ、漆黒鋼を素材にした武器に関してはどう?」


 ふと思い出してノエインが尋ねると、ダフネはまた微妙な表情になり、ダミアンは逆に表情をより一層明るくする。


「性能はもう素晴らしいものが作れますよ! 剣も、槍の穂先も、戦斧も、質は最上級に仕上がります! 見た目もいいですし!」


「……質に関してはダミアンさんの言う通りですね。漆黒鋼を使えば、業物と言うべき武器が作れます。ただ……ここでも費用対効果の問題が」


 ダフネの語るところによると、漆黒鋼製の剣や槍、斧は確かに素晴らしい質に仕上がるものの、兵士全員分の武器を漆黒鋼製で揃えたとしても、見栄え以上の利点があるかは疑問だという話だった。


「まあ、そうだよね……いくら漆黒鋼が良い魔法金属とはいえ、人の力で振るっても鉄を切り裂いたり貫いたりできるわけじゃないだろうし」


「ええ。漆黒鋼を用いた武器でも『敵の鎧の隙間を縫って急所を狙う』という戦い方は変わらない以上、製造単価を抑えて普通の金属製の武器で数を充実させる方が良いと思います。漆黒鋼を使う利点があるとすれば……クロスボウやバリスタの矢として少数を用意しておいて、通常の武器で対応できないほど身体の硬い魔物を相手にする際に用いるくらいでしょうか」


「ああ、それはありかもね」


 先のワイバーン討伐では、バリスタはともかくクロスボウでは眼球などの急所を狙わなければ有効打にならなかった。あのときに漆黒鋼製の矢があれば、ワイバーンの腹側など防御が薄い部分ならクロスボウでも矢が通り、バリスタであれば背中側でも深々と矢で貫くことができただろう。


「よし、使いどころは少ないかもしれないけど、漆黒鋼製の矢は用意しておこう。だけど優先度は低めで、まずはやっぱり兵士たちの鎧を優先かな。あとは……武器については、大公国軍としては製造しないけど、軍人の各自が費用は個人持ちでダミアンに依頼するのはありにしよう。特に武門の貴族や従士たちは、自分の威厳のためにも業物を装備したいだろうからね」


 ノエインが言うと、漆黒鋼製の武器を作れる道筋が残されたダミアンが表情を輝かせる。そんな彼の無邪気さに苦笑しつつ、ノエインは二人にあらためて激励の言葉をかけると工房の実験場を後にした。


「……これで、長期的な漆黒鋼の利用計画についてもひと段落か。何もかも順調だね、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 昨年の出兵後からはこうして内政に注力する穏やかな日々を過ごすことができており、ノエインはこの現状に満足していた。


 それから数日後、その平穏を脅かす出来事が起こる。

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