第377話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 決戦⑥

 後方の別動隊と砦の本隊による挟撃は、実際の被害以上の心理的な衝撃をヴィルゴア王国の軍勢に与えていた。


 参謀カドネの命令もあり、砦以外に敵がいないことは事前に念入りに調べられた。兵士たちにも「伏兵の心配はないので存分に正面の敵と戦え」と説明がなされていた。


 それなのに、突如として後方から現れるはずのない敵が現れ、本隊後方の兵士たちが異変に気づいて振り向いたときには自軍の本陣がほぼ壊滅していたのだ。その驚きは凄まじいものとなった。


 おまけにその敵は、アドレオン大陸北部の中でも北側に位置する国の兵士たちにとっては見慣れない、屈強なゴーレムだ。オークの如き暴走を見せるゴーレムが迫って来て、さらに攻撃魔法までが飛んでくるのだ。


 本隊後方の兵士たちは怯み、間近に迫るゴーレムとの戦い方が分からずに逃げ惑い、組織的な戦闘能力を失い始めた。


 そんな後方の混乱を感じながら、中衛や前衛の兵士たちもまた困惑している。


 背中側では突如現れた敵が暴れ狂い、正面からは凄まじい気迫を纏って砦の中の敵が出てきた。こちらが攻めていたはずなのに、今では敵の猛攻を防ぐ羽目になっている。


 数の上では、まだヴィルゴア王国の軍勢が圧倒的に有利だ。しかし、その隊列は不意の混戦の中で完全に崩れている。前線の指揮役である貴族や士官の命令は通らず、あるいはいくつもの矛盾する命令が飛び交う。


 本来は単純な力押しで済むはずで、このような状況は想定されていなかった。複数の国や地域から兵が集まり、ただでさえ緻密な連携がとれない状況だった本隊は、烏合の衆と化していく。


 その中で、末端の兵士たちは不安に駆られ始めた。


 絶対に伏兵はいないはずだったのに、自分たちの真後ろではゴーレムの群れが暴れ、攻撃魔法が放たれている。陥落間近と思われた砦の敵は、逆に砦から打って出てこちらへ熾烈な攻勢を仕掛けてきている。


 これは本当に自分たちに有利な戦いだったのか。自分たちが絶対に勝てる戦いだったのか。自分たちは本当に敵を数で圧倒しているのか。


 また別のところから、さらなる敵の別動隊が現れるのではないか。あの砦の中から、もっと多くの敵兵が現れて襲いかかって来るのではないか。


 数千人が入り乱れる陣の中では、兵士たち一人ひとりに周囲の正確な状況など把握できない。不安を抱いた目には敵が実際以上に多く見え、味方の被害は実際以上に酷く見える。


 自分たちはきっとこのまま負けるのだ。一部の兵士がそんな考えに至り、恐怖心を抱くと、それは瞬く間に周囲の兵士にも広がる。恐怖は伝染する。


「に、逃げよう」


「そうだ、そもそも俺たちには関係ねえ戦争だ」


 まず最初に逃亡を決意したのは、従属的な友好国として参戦していた国々の兵士たちだった。


 これらの国々は、今の大陸北部の情勢を見て、ヴィルゴア王国に与することが有利と判断して参戦したのだ。そのヴィルゴア王国が敗色濃厚になってまで戦い続ける理由はない。士気は完全に失われる。


 末端の兵士はおろか貴族や士官たちでさえ自軍を見限り、混乱する戦場の中で運良く目についた自国の兵士を見つけては声をかけ、空いている本隊側面から逃亡を図る。


 そんな彼らの「逃げるぞ」「逃げよう」という声は他の兵士たちにも当然聞こえ、彼らの士気をも決定的に打ち砕いていく。


「おい、退却だ!」


「もうヴィルゴアには従わなくていい! 国に帰るぞ!」


 友好国の兵士に釣られて逃げ始めるのは、属国として参戦させられていた国や、ヴィルゴア王国に併合されてまだ月日が浅い地域の兵士たちだった。


 彼らはヴィルゴア王国に隷属する利点を見出して支配されたのではなく、ヴィルゴア王国の軍事力やカイアの権勢を恐れて支配されることを許したのだ。初期にヴィルゴア王国に下った国々とは違って、支配されることによる利益をまだ何も享受していない。


 敗戦によってヴィルゴア王国の力が大きく削がれる見込みとなった今、彼らにはヴィルゴア王国のために命を散らす利点はなく、ヴィルゴア王国を恐れる理由もない。それよりも逃げて生き永らえ、祖国のために命を使う方が良い。ヴィルゴア王国の敗け方によっては祖国の再独立も叶うのだから。


 そう考えた将たちが自分の兵に呼びかけ、やはり戦場の側面から逃げ出していく。


 しかし、それを止めようとする者もいる。本来のヴィルゴア王国生まれの兵士や、早くからヴィルゴア王国に併合され、以前よりも発展を遂げた国々の兵士だ。


 彼らはカイアと王国への忠誠心が高く、あるいは今さら後には引けないと覚悟を決めている。敵前逃亡を図る者を力づくでも止めようとする。


 それに対して、生き永らえようとする者たちはやはり力づくで突破を図る。元は味方だった者同士での斬り合いが起こる。


 それを見た一部の末端の兵士たちは、多くが事情を呑み込むだけの知識や学がないために混乱する。目の前で味方が斬り合いを始めたのだ。敵側についた裏切り者がいると勘違いして、周囲の全てが敵に見えて暴れ始める者も出る。


 打算や恐怖による戦意喪失、状況の急変についていけないための疑心暗鬼。


 四千を超える軍勢は、千に満たない敵を前に瓦解していた。


 自ら最前に立って戦いながらその様を見たレーヴラント王国の国王ガブリエルは、次の決断を下す。


「スルホ!」


 王の呼びかけに、グロースリザードに乗って敵歩兵を蹂躙していたスルホ・ハッカライネン候が振り返る。


「逃亡したカドネを追え! 奴は馬に二人乗りで逃げた! そう遠くまでは行っていないはずだ!」


「御意! 生け捕りますか!?」


 ハッカライネン候に尋ねられて、ガブリエルは後方のノエインを振り返る。戦場の喧騒の中でも、ハッカライネン候の馬鹿でかい声はガブリエルを越えてノエインにまで届いていた。


「殺してください! ただし死体は、できれば持ち帰っていただきたい!」


 ノエインは迷わず答えた。


 最早カドネは災厄しか生まない。可能ならば仕留めた証拠はランセル王国に示してやりたいが、カドネ自身の命は不要だ。生け捕りを試みるよりも、確実に仕留める方がいい。


「スルホ! カドネは殺せ! 死体はなるべく持ち帰れ!」


「はっ! お任せください!」


 ハッカライネン候は五十余騎の騎兵のうち、グロースリザードに乗った二十騎ほどを連れて戦場を離れ、カドネが逃げて行った北へと駆ける。それだけの数の騎兵部隊を追おうとする者は、敵側には最早いない。


 グロースリザードの中でも軍用の個体は、育てるのに時間と手間がかかるため数こそ多くないが、馬よりも持久力がある。一方のカドネは、不自由な身であるために馬に二人乗りで逃げている。いずれ追いつくのは確実だ。


 ハッカライネン候たちが抜けても、レーヴラント王国とアールクヴィスト大公国の優勢は最早変わらない。ヴィルゴア王国の軍勢の崩壊は止まらない。


 その無様な有り様を見ながら、カイアは怒りに震えていた。


「おのれ、よくも……くそおおおっ!」


 吠えながら剣を握る手に力を込めるカイアは、自身を囲む近衛の兵たちをも押しのけるような勢いで前に出る。


 そして、敵将を見据えて叫ぶ。


「ガブリエル・レーヴラント! 俺と一騎打ちの勝負をしろ!」


 カイアの呼びかけを聞いたガブリエルは、馬から降りて剣を抜く。周囲の護衛兵に何かを呟く。


 カイアが前に進み出ると、ガブリエルも数歩前に来た。二人の周囲の兵士が自然と下がり、少し開けた空間ができる。そこで、獅子人と虎人の王が睨み合う。


「さあ来い! 王と王の一騎打ちだ!」


 カイアが煽るが、ガブリエルは剣を隙なく構えて動かない。


「どうした来ないのか! 腰抜けが! ならばこちらから行くぞ!」


 カイアはそう叫んで、獅子人らしい瞬発力を発揮して踏み込んだ。


 雄叫びを上げながら剣を振り上げ、迫るカイアに対して――ガブリエルは後ろに跳びながら、何かの合図をするように手を軽く挙げる。


「!?」


 次の瞬間、ガブリエルの周囲に控えていた護衛兵たちが槍を突き出した。予期せぬ攻撃に対して、しかし最大限の勢いで突撃していたカイアはすぐには止まることができず、自ら槍衾に突っ込む。


 その全身を、十以上の槍が貫いた。


 鋭く突き込まれた槍は、また鋭く引き抜かれ、カイアは血を噴き出しながら頽れる。


 ズタボロになりながら、カイアはそれでも顔を上げてガブリエルを睨んだ。そんなカイアを、ガブリエルも見下ろす。


「……卑怯な。王の誇りはないのか」


「誇りか、もちろん持っている。だが、我が誇りは戦い方に求めるものではない。何のために戦い、どのように戦いの結末を迎えるかにこそ、私は王としての誇りを懸けている」


 恨みを込めた視線を向けるカイアに対して、ガブリエルは淡々と答える。


「無論、王として野心を求めることは否定はしない。強き王であろうと、強き国を作ろうとするのはお前の自由だ。一騎打ちなどという戦いの形式に美学を見出すのもお前の勝手だ。だが、お前の勝手に他の国の王が付き合ってくれると考えたのは、お前の若さであり、お前の甘さだった」


 自分より一回り若い異国の王に、ガブリエルはまるで教えを説くかのように静かに語る。


 だが、カイアがその教えを活かす機会はもうない。ガブリエルを見上げ、睨みつけるカイアの顔は、やがてカイアの全身から力が抜けたことで地面に打ちつけられる。


「カイア・ヴィルゴア。お前の野望もこれまでだ」


 そのまま、カイアは二度と動かなかった。


 王が倒れたことで、その瞬間をまさに見ていたヴィルゴア王国側の兵士たちは敗北を確信する。ほとんどの者が完全に戦意を失い、背中を向けて逃げようとする。


「掃討戦だ! 一気に敵を打ち崩せ!」


「「「おおおっ!」」」


 逆に、レーヴラント王国の兵士たちの戦意は最高潮に達する。ガブリエルの声に応え、より一層の勢いを以て敵兵を襲う。

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