第376話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 決戦⑤

 騎兵は戦場の華であり、近接戦においては戦場を支配する兵種だ。その強さの理由は、歩兵では絶対に敵わない破壊力、突破力にある。


 標準的な軍馬の体重は個体差もあるが五百キログラムを超え、レーヴラント王国で一部軍用に導入されているグロースリザードはさらにもう百キログラムほど大きい。そこへ鎧を着た騎士が乗れば、重量はさらに百キログラム近く増す。


 一騎でも六百キログラムから八百キログラム。それが数十騎も寄り集まり、塊になって迫ってくる。建物が突っ込んでくるようなものだ。人間に受け止められるわけがない。


 無論、馬もグロースリザードもそれに乗る人間も肉の体を持つ生き物なので、接近される前に弓矢で射止めるなり、重装歩兵によって槍衾を形成するなり、迎え撃つ側にも対応策はある。


 しかし、それは見晴らしの良い平原などで、敵騎兵が遠くから迫って来るのを視認できる場合に限る話だ。また、槍衾の例では、兵士一人ひとりに迫りくる騎馬を見ても逃げ出さない勇気が求められ、さらには隙間なく陣形を作るための高い練度や、共に並ぶ仲間への信頼も要する。


 野心のみを共有する寄せ集めの兵士たちが、いきなり目前に突入してくる騎兵の群れを止めることなどできない。ハッカライネン候を先頭にしたレーヴラント王国軍の騎兵部隊は、砦に侵入しようとしたヴィルゴア王国の軍勢を容易く蹂躙する。


 軍勢の先頭集団を踏み潰した騎兵部隊は、そのまま左右に広がり、軍勢の最前列をなぞるように兵士たちを蹴散らす。


「この機を逃すな! 私に続け!」


 さらに、そうして騎兵部隊が切り開いたヴィルゴア王国の軍勢の隙間に、騎乗したガブリエルの率いる歩兵たちが続いた。死傷者と最低限の後方要員を除くおよそ六百人の兵士が砦の門から吐き出され、敵に襲いかかる。


「死ねっ! 死ねえっ!」


「ヴィルゴアの蛮族が!」


「俺たちの国から出ていけ!」


 徴募兵が多数を占める素人の軍隊は、しかし祖国と家族を守るという固い決意のもとに士気を振るわせて侵略者の軍を討つ。


 彼らが飛び出した後の、四体のゴーレムの中央に空いた間隙を、最後に門から出たノエインの二体のゴーレムが埋め、守りを固めた。


「陛下! ここは危険です!」


「もっと後方へ退避を!」


 大混戦となる戦場で、カイアを囲む近衛の兵士たちが、主君の安全を守るために移動を求める。


 しかし、カイアは獰猛な表情を浮かべながら、自身を引っ張ろうとする近衛たちの腕を振り払った。


「後方だと!? 敵は後ろにもいるのだ! 後ろに下がっても同じだ! ならば攻め切るしかないだろう! この砦を落とし、ガブリエル・レーヴラントとノエイン・アールクヴィストの首を取るしかないだろう!」


 そして、剣を掲げて兵士たちに叫ぶ。


「恐れるな! 騙されるな! 敵は小勢だ! 威勢がいいのは今だけだ! 我々が負けるはずがない! 砦に入れば我々の勝利だ! ……ガジエフ!」


「はっ!」


 名を呼ばれた将軍ガジエフが声を張る。


「突破口を開いて見せろ! あのゴーレムの隊列に穴を開けろ!」


「御意! ぐおおおおおおっ!」


 主の命を受けたガジエフは、両手首に魔法陣を発動させて雄叫びを上げた。


 魔法陣の発動に合わせて、ガジエフの全身の筋肉が盛り上がる。肉体魔法だ。


「木偶人形が! 木っ端微塵にしてやる!」


 これまで以上の気迫を放ちながら叫んだガジエフが狙いを定めたのは、半円の陣を組んで砦の門を守るゴーレムのうちの一体、アレインが操るゴーレムだった。


 単身で殴りかかるガジエフに、アレインのゴーレムは勢いよく突撃盾を振り下ろす。常人ならば叩き潰されて一瞬で肉塊に代わるであろうその攻撃を――ガジエフは全身で身構え、両腕を掲げて受け止める。


「はあっ!? 冗談だろ!?」


 その光景を見たアレインは驚きを口にし、アレインの隣でゴーレムを操るノエインも思わず驚愕の表情を浮かべた。


 ゴーレムの怪力を受け止められる生き物はそうはいない。アールクヴィスト大公国では、かつて大柄なオークがノエインのゴーレムによる一撃を受け止めた、という話が語られている程度だ。それとて、当時のゴーレムは突撃盾など持っておらず、オークの方も自身の体ではなく太い棍棒で打撃を受け止めていた。


 硬い突撃盾にゴーレムの腕力が乗った一撃を人間の身で受け止める。いくら肉体魔法を発動しているとはいえ、それを見た誰もが度肝を抜かれる光景だった。


「でやあああっ!」


 そして、ガジエフは掴んだゴーレムの腕を抱え込み、背負い投げの要領で投げ飛ばす。


 二メートルの背丈で、軽量な漆黒鋼とはいえ金属製の突撃盾を二つ持ったゴーレムが宙を舞い、そのまま背中から地面に倒れ伏す。さらに、ガジエフはその勢いを利用してゴーレムの腕を引っ張り、力任せに引き抜いた。


 力を失ったゴーレムの片腕から突撃盾を奪い取ったガジエフは、それをそのまま両腕で板のように振り回し、周囲にいたレーヴラント王国の兵士たちを薙ぎ払う。


「次はどいつだぁ!」


 そう叫んでゴーレムの隊列の方を向いたガジエフに、ノエインたち傀儡魔法使いは緊張した面持ちで固まる。アレインは片腕を失ったゴーレムを起こすのに難儀しており、すぐには戦線に復帰できない。


 腕力でゴーレムにも匹敵する敵が、突撃盾を手にしてしまった。あれの直撃を受ければさらなるゴーレムの破損も免れず、おまけに魔力で操られるゴーレムは、生身の人間のように技巧的な白兵戦はできない。安易に攻撃を仕掛ければ、被害が拡大する。


 ガジエフの挑発に、しかしノエインたちは動かない。


「ちっ! 魔法に頼る魔導士はこれだからつまらん! 誰ぞ俺に挑む者は――」


「ここにいるぞ!」


 ガジエフの言葉を遮り、ゴーレムの並ぶ隙間を縫って飛び出したのは、ユーリ・グラナート準男爵だった。


 ユーリは凄まじい速さでガジエフに迫りながら、左手に持っていた盾をガジエフに投げつける。


 ガジエフは突撃盾を振ってそれを弾くが、人間が持つには大きすぎる突撃盾の一振りは、どうしても大振りになる。がら空きになったガジエフの右上腕に、ユーリは鋭い斬撃を叩き込んだ。


「っ!」


 しかし、ガジエフはゴーレムに匹敵するほどの馬鹿力を発揮する肉体魔法を発動している。ユーリの渾身の一撃はガジエフの腕に直撃し、皮膚と肉を切ったが、骨までは達することなく弾かれた。


 ガジエフが一度振りぬいた突撃盾をまた振り戻し、ユーリはそれを躱すために跳び退き、ガジエフから距離を取る。


 そのとき、ガジエフの真後ろでゴーレムが――アレインの片腕になったゴーレムが立ち上がった。ゴーレムは全身でガジエフに体当たりし、不意に後ろから衝撃を受けたガジエフは前のめりに倒れ、突撃盾を取り落とす。


「小癪な!」


 しかし、ガジエフ自身にダメージはない。地面に転がって即座に起き上がると、今度は彼の方がゴーレムに体当たりをくり出した。


 人間と比べると腕が長くて重いゴーレムは、片腕を失った状態ではバランスが悪い。アレインのゴーレムはガジエフの体当たりに耐えられず、また背中から地面に倒れる。


 そうしている間に生まれたガジエフの隙を、ユーリは見逃さなかった。


 剣を投げ捨てたユーリは、腰のナイフを抜いてガジエフに迫る。


「ちいっ!」


 低い姿勢で突っ込んでくるユーリをガジエフは上から殴りつけようとしたが、その攻撃が当たる寸前にユーリは進路を横にずらし、躱しざまにナイフを一閃。


 今度は腕を横に振ってユーリを捕らえようとするガジエフの、その攻撃を地面に転がって避け、ガジエフの内腿の辺りでまたナイフを振った。


 そのままガジエフの股下を転がり抜け、彼の背中側で立ち上がる。


「ちょこまかと卑怯な! そんなナイフで何が――」


 ガジエフが悪態をつきながら後ろを振り返った刹那、


 その左腕の上腕内側と、両足の内腿から鮮血が噴き出した。


「なっ!?」


 自らの負傷に驚愕したのも束の間、急に大量の血を失ったことで力が抜けたガジエフは膝をつく。


 そのガジエフの前に立ったユーリは、血の気が引いていくガジエフの顔を見下ろす。ユーリの手には漆黒のナイフが握られていた。


「なるほど確かに、大した魔法の腕だ。俺も多くの戦場を見てきたが、ゴーレムを投げ飛ばすほどの肉体魔法の使い手は初めて見た」


 ガジエフはそれでもユーリを捕らえようとするが、唯一無事な右腕は、力なく振られて空を掴むだけだった。


「だが、それ故に力に頼り過ぎたな。それだけの怪力があればどんな相手にも対抗できたのだろう。多少の攻撃を食らっても、強化した肉体が弾いてくれたのだろう。だから、ある程度のところで技術を磨くのを止めたのだろう……それが貴様の敗因だ。今回は事情が違ったな」


 そう言いながら、ユーリは手にしていた漆黒鋼製のナイフに視線を向けた。


 鎧や盾、ゴーレム用の突撃盾の製造に漆黒鋼のリソースが回される中で、ダミアンが試作武器として一つだけ作り、ノエインに献上したナイフだ。


 ノエインはそれを、自分よりユーリの方が白兵戦に臨む可能性があるだろうからと、自らの側近である彼に貸していた。


 頑強な漆黒鋼で刃が作られ、主君のためにと丹念に研がれたナイフだ。その切れ味はただのナイフより数段優れる。人間の体でも特に弱点とされる上腕や腿の内側を狙えば、稀有な才を持った肉体魔法使いの身体だろうと切り裂ける。


 この決着はその証左だ。ガジエフは自らに致命傷を負わせた黒いナイフに視線を向け、そしてその目から光が失われた。


 屈強な狼人の将軍は、物言わぬ死体と化して地に斃れた。

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