第374話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 決戦③

「何をやっている! もう距離がない! 敵が、敵がこっちに来る! 仕留めろ! 早く仕留めろ! ゴーレムじゃなくてその後ろの術者を殺せ! 魔道具を持った敵兵も殺せ! 所詮は小勢だぞ! 早くしろおぉっ!!」


 迫りくるゴーレムの群れにかつてのトラウマを呼び起こされたカドネが、半狂乱になって叫ぶ。ヒステリックに喚くその声で、しかし一応は具体的な対策方法が語られたため、残り七十人ばかりの本陣直衛の兵士たちは目の前の敵に立ち向かっていく。


 先ほどの敵の一斉射でまた魔法使いが一人死に、残る二人の魔法使いが敵のゴーレムに攻撃魔法を放つ。盾のせいで効かないことはもう分かっているが、せめてもの牽制だ。


 そうして稼いだ数瞬のうちに、精鋭の兵士たちが淀みない動きで広く展開する。半円状に敵を囲む陣形を取り、一斉に突撃し、


 そして、同じく半円状に展開したゴーレムによって一網打尽にされた。


 敵部隊の進撃を壁として阻むための陣形訓練を、普段から嫌というほどこなしているクレイモアたちは、ゴーレムを展開するのも手慣れたものだ。


 互いの腕がぶつからず、しかし敵兵が腕の間を通り抜けるのは限りなく難しい絶妙な距離を保ってゴーレムが暴れ出せば、不用意に接近した歩兵など枯れ葉のごとく吹き飛ばされる。


 本陣直衛の精鋭兵だろうと関係ない。幾ら鍛えていようが、振り回される丸太のごときゴーレムの腕に耐えられるわけがない。突撃盾の直撃を食らった兵士など、胴から真っ二つに千切れ飛ぶ有り様だ。


 ならばゴーレムの壁を回り込んで内側の術者を仕留めようと後方に回り込む兵士たちに、今度は魔道具から放たれた攻撃魔法が襲いかかる。


 怯んだ兵士たちに対して、ゴーレムは急に各方向に前進し、その攻撃の範囲が広がる。魔法とゴーレムの波状攻撃で兵士たちが押され、その衝撃からなんとか立ち直ったときには、再び陣形を組んだゴーレムがまた厚い壁を築いていた。


 その頃には、七十人いた兵士は半数以下にまで減っている。ここまで減るとどう頑張っても勝ち目はない。後は駆逐されるばかりだった。


 そして、砦を攻めていた本隊は、後方にいた一部の兵がようやく本陣の異変に気づいた頃合いだった。本陣に救援を送ろうにも、戦いの中で兵が混ざり合った状況ではすぐに部隊行動をとることなどできない。将の指示が配下の兵にスムーズに行き渡ることなど叶わない。


 すなわち、本陣直衛の兵が全滅するまでに助けは間に合わない。


「陛下! もう本陣は持ちません! ここは避難を!」


 そう言ってカドネのもとに馬を連れてきたのは、ランセル王国にいた頃から付き従っている最古参の親衛隊長だ。隊長と、こちらもランセル王国時代からの生き残りである五人の親衛隊兵士たちも、それぞれ自身の馬を引っ張って来ていた。


「時間がありません! 陛下!」


 親衛隊兵士たちは、足の動かないカドネを抱え上げて馬に乗せる。カドネの足では馬を操れないので、こういう事態のために騎乗の技術を身に着けているイヴェットが彼の前に乗り、手綱を握る。


「い、イヴェット! 逃げるんだ! 早くこの戦場から逃げるんだ!」


 イヴェットの腰にしがみついたカドネが叫ぶと、イヴェットは北の方向へ、戦場を離れようと馬を走らせた。


「いかんっ! 陛下、お待ちを!」


 親衛隊長は咄嗟に叫ぶが、カドネは聞く耳を持たず、イヴェットはカドネの命令しか聞かない。


 舌打ちを堪えながら、親衛隊長は考える。


 本当は本隊の方へ移動し、合流してカドネを守らせるつもりだったが、本隊もこの状況で大概の混乱ぶりだ。これから敵の別動隊と砦の部隊に挟撃されるのなら、戦況がどうなるか分からない。混戦間違いなしの戦場に、身体の不自由なカドネを飛び込ませるのはかえって危険かもしれない。


 敵の別動隊は徒歩だ。今のうちに馬で逃げて距離を稼ぐのが、カドネを生かすことのみ考えるのなら最善かもしれない。


「全員馬に乗れ! イヴェットに続け! 陛下をお守りするのだ!」


 一瞬の思考の末に、親衛隊長は戦場を捨てることを決断した。どうせこの状況で自分たちには何もできないのだ。戦場から逃げ出した言い訳は後でいくらでもできる。


 隊長を含む親衛隊の六人が馬に乗り、カドネを追って走り出したとき、本陣直衛の兵士たちはまさに全滅するところだった。


・・・・・


『閣下、グスタフたちは奇襲を成功させました。敵本陣はほぼ壊滅。カドネとその護衛が数騎、逃走しました。別動隊の魔道具であれば攻撃が届くかもしれませんが、いかがいたしましょう』


 関所の屋上から砦の防壁の向こうを見やるユーリから、『遠話』でノエインの頭の中に報告が届く。


「よかった……惜しいけど、カドネの方は今は捨て置いていい。それより急いで敵本隊を後方から攻撃させて。こっちはもう限界が近い」


『了解いたしました。コンラートからグスタフに伝えさせます』


 額に汗を浮かべながらノエインが指示すると、ユーリはそう答えて『遠話』を切る。


 危ないところだった、とノエインは思う。


 昨日の戦闘もなかなか激しかったが、今日はそれ以上だ。ヴィルゴア王国の軍勢による攻勢は熾烈を極めている。


 敵は一切の小細工を止め、砦の防壁を乗り越えようとしつつ、同時に門を執拗に攻めてくる。この力任せの攻撃が、かえってノエインたちを苦しめていた。


 数で圧倒的に不利なこちらは小細工で抵抗するしかないのだ。それなのにその小細工をはたらかせる隙を与えてもらえない。バリスタや投石、矢による攻撃も、砦に肉薄されてしまえば効果は半減だ。


 おまけに別動隊の方に貴重な傀儡魔法使いや魔道具隊を割いたせいで、砦の戦力は大きく落ちていた。ノエインのものを含むゴーレム六体と攻撃魔法の魔道具四つでは手が足りない。昨日以上に激しい敵の攻勢を押さえ続けるのも限度があった。


 一息ついて前方、砦の最前面を見れば、防壁上の防衛線は随分と薄い。死傷者が続出してその移送や交代が間に合わず、さらにはあまりに激しい敵の攻勢に、戦力の過半を占める徴募兵たちが怖気づいているのだ。


 本来は一時間ほど防衛戦を続けて敵本隊の注意をしっかりと砦に引きつけ、敵の隊列が乱れて容易に別動隊の奇襲に対応できないようにした上で別動隊を出す予定だったが、ノエインたちは砦が一時間も持たないと判断し、敵本陣から都合よく一部隊が離れたのを機にグスタフたちに出撃を命じた。


 それが功を奏した。ノエインの考え出した案は、なんとか実を結ぼうとしていた。


「後は、砦から打って出て別動隊と一緒に敵を挟撃すれば……」


 ノエインが呟くのと同時に、少し前に関所屋上を降りて防壁上で戦いに加わっていたスルホ・ハッカライネン候が叫ぶ。


「出撃準備だ! 者共、槍を取れ! 門の前に集まれ!」


 それは、これまで投石や負傷者輸送、交代して防壁上に上がるための待機を行っていた者たちへの命令だった。


 勝利へと繋がる、勝敗を決する出撃を行うための命令。しかし、それを聞いたレーヴラント王国の徴募兵たちは顔を青くする。


 防壁上に立っていない彼らからは、敵陣の様子は見えない。こちらの奇襲で敵本陣が崩壊し、敵本隊のがら空きの背後に味方の別動隊が襲いかかろうとしていることなど分からない。


 徴募兵たちから見えるのは、味方が次々に重傷を負い、あるいは死んでいく防壁上の足場と、敵の破城槌の衝撃を受けて軋み、内側の閂に亀裂が入っていく門ばかり。それらの光景の先に思い浮かぶのは、自軍の敗北だ。


 そんなときに下された突撃準備の命令。それは彼らにとって玉砕を命じる言葉にしか聞こえなかった。


「……い、嫌だ」


 誰かが呟いたその言葉が、徴募兵たちのなけなしの士気を打ち砕くきっかけとなる。


「死にたくねえ」


「そうだ、こんなところで死ぬのは嫌だ」


「どうせ、どうせ死ぬなら家族と一緒に……」


「今逃げればまだ間に合うかもしれねえぞ」


「妻は足が悪いんだ、俺が一緒に国から逃げてやらないと」


 泣き言、あるいは言い訳を口にしながら、徴募兵の何人かが走り出す。向かうのは砦の後方、峡谷を抜けてレーヴラント王国の人里へと続く方だ。


 それはすなわち、敵前逃亡だった。一人が逃げ、何人かがそれに続けば崩壊は止まらない。恐怖は伝染するものだ。集団パニックが巻き起こり、徴募兵たちは我先に逃げ出す。なかにはレーヴラント王国軍の正規兵も混じる。


「待たんか貴様らあっ! 戻って戦ええっ!」


 ハッカライネン候の怒声が響き渡るが、それは今ばかりは逆効果となった。勇猛果敢な将だからこそ放てるその怒声は、かえって逃亡兵たちの恐怖心を煽る。


「待てっ! 駄目だっ! 今ならまだっ……」


「何やってる! 戻れ! 隊列を組め!」


 ノエインとペンス、そして親衛隊兵士たちも逃亡兵たちを押し止めようとするが、十人に満たない人数では数百人の兵士を止めることなどできない。大勢の逃亡兵はノエインたちの横を抜けていく。


 ここまで上手くいったのに。今打って出れば勝てるはずなのに。


 負けるのか。こんなかたちで。そうなれば別動隊のグスタフたちはどうなる。レーヴラント王国はどうなる。アールクヴィスト大公国の未来はどうなる。


 ノエインの頭の中を、悔しさが巡った。その瞬間、


「――待ってください!」


 兵士たちが逃げ出していく後方から、戦場にはやや場違いな、甲高い声が聞こえた。

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