第373話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 決戦②

 二日目の戦闘が始まり、砦を挟んで両国の軍勢が激突している頃。ヴィルゴア王国側の本陣から見て右側後方の森の中に、人の姿があった。


 人数は十五人。八人は傀儡魔法使いで、七人は兵士だ。


「……よし、敵はほぼ全員が砦の方にしっかりと引きつけられているな。こちらの潜伏は気づかれていない。さすがはアールクヴィスト閣下のお考えになった策だ」


 木の陰から戦場を見渡し、不敵な笑みを浮かべて呟いたのは、クレイモアの隊長であるグスタフだった。


 グスタフの後ろにはゴーレムが地に膝をついて控え、その後ろには他の七人の傀儡魔法使いと、それぞれのゴーレムが待機している。さらにその後ろでは、七人の兵士が攻撃魔法の魔道具を手に出撃を待っている。


 その全員が、敵の不意を突いて斬り込むその時に備え、好戦的な表情を浮かべている。


 一週間ほど前、ノエイン・アールクヴィスト大公は考えた。砦の外に伏兵を配置し、敵の本陣を後方から奇襲する方法を。


 兵を忍ばせるなら、敵の本陣の右後方に位置する森の中が最適だ。


 しかし、敵もそのことには思い至る。開戦の前に森に斥候が入り、伏兵がいないか確認するだろう。事前に兵を忍ばせることは叶わない。


 であれば、戦いが始まった後に、敵に気づかれないように砦から兵を出し、森に忍ばせればいい。


 しかし、砦の門から堂々と兵が出ていては敵も気づく。


 ならば、夜の闇に紛れさせて空から発たせればいい。レーヴラント王国には優秀な風魔法使いが五人いる。短距離ならば、小柄で軽い者ならば、人を抱えて飛ぶことができる。風魔法使いが兵を抱え、魔法発動の光を隠すために黒い布を被って砦の中から飛び立ち、森の傍に降り立てばいいのだ。


 その前に松明を持たせた部隊を砦の外に出し、夜襲を匂わせて敵の目をそちらに引きつければ、ただでさえ暗い新月の夜の、岩山の黒い影を背に飛翔する黒い小さな物体を捉えることなど誰もできない。


 しかし、風魔法使いを使って兵を砦の外に運ぶとしても、その人数は限られる。


 アールクヴィスト大公国軍が持ち込んだ高価な魔力回復薬を風魔法使いたちに飲ませたとしても、精神的、肉体的な疲労を考えれば人を抱えて森まで飛べるのはせいぜい三回。運べるのは十五人程度に過ぎない。


 であれば、その十五人による攻撃力を極限まで高めればいいのだ。


 森の中に事前に人間を忍ばせることはできない。しかし物は、ゴーレムと攻撃魔法の魔道具は違う。


 埋めておけばいいのだ。森の奥、地面の下に。


 攻撃魔法の魔道具は、木箱に入れて土の下に容易に収めることができる。


 ゴーレムも同じだ。クレイモアの手にかかれば一騎当千の闘士となるゴーレムは、しかし道具なので食事も水も呼吸も必要としない。数日にわたって土の下に放置されても死ぬことはなく、不満を言うこともない。


 収まるための穴はレーヴラント王国の土魔法使いと、そしてゴーレム自身に深く掘らせ、そこへ寝転がったゴーレムに土を被せて踏み固める。その上に落ち葉や枝を厚くばら撒き、風魔法使いたちの手で辺り一帯に風を吹かせて景色に馴染ませる。


 埋めた場所には味方にだけ分かる目印をつけておき、それで準備は完了だ。


 そうしておいて、森に入った敵の斥候には、伏兵などいないと思わせる。実際にいないのだから敵がそう思うのも当然だ。人は地面の下では生きられないのだから、敵が探すのは地上と、後はせいぜい樹上だ。決して狭くはない森の中の地面を、くまなく掘り返されることは現実的にあり得ない。


 戦いが始まれば、緒戦だけは全身全霊で戦って乗り切る。自身のゴーレムを埋めてしまったグスタフたちも、予備のゴーレム(四体しかないので全員が使うことは叶わないが)を用いて戦う。敵を退け、砦を生き永らえさせる。


 そしてその日の夜に、欺瞞のための夜襲のふりと、風魔法使いによる別動隊の移送を行う。


 この移送にはグスタフたちも肝が冷えた。闇夜の中、人間という重い荷物を抱えてふらつく風魔法使いたちに森の傍まで送ってもらうのだ。真下には漆黒が、右手側には敵軍の無数のかがり火が広がる景色。落ちれば死が免れない中、極限まで重量を減らすために鎧下のみで黒い空を舞うのは、ぞっとしない体験だった。


 それでも無事に森に辿り着いたグスタフたちは、まず全員で協力して一体のゴーレムを掘り起こす。後は、それを操作して他のゴーレムを、そして魔道具を、さらにはこちらもあらかじめ埋めておいた各自の鎧を堀り出す。


 そして一夜が明けた今、グスタフたちは戦闘準備を終え、森の中から敵の本陣をうかがっていた。


「もう間もなく命令が来るだろう。皆、心の準備をしておけよ」


「とっくに済ませてますよ」


「むしろ待ちくたびれたくらいです」


 グスタフの呼びかけに、傀儡魔法使いと兵士たちは笑いながら軽口で応えた。


 この奇襲の成功率を上げるには、敵の主力を砦の方にしっかりと引きつけておく必要がある。半端なタイミングで敵の本陣に攻め入り、敵主力がそれに気づいて引き返してきたら、グスタフたちは全滅必至だ。


 なので戦闘開始からしばらくは、戦いを静観する。敵主力が砦に押し寄せ、前方との戦いに夢中になり、各部隊の兵が混ざり合って機敏に身動きがとれなくなる状況を待つ。砦からの出撃命令をじっと待つ。


 そろそろ頃合いだとグスタフたちが考えていたその時――敵の本陣から兵が動いた。どうやら大将のカイア・ヴィルゴアが自ら前面に出るらしい。


 その気概は見事なものだが、彼が近衛の部隊を引き連れて前に向かったおかげで、敵本陣の兵力はさらに減った。今や百人程度しかいない。これは予定外の幸運だ。考え得る限り最良の好機だ。


 本隊もそう考えたのか、グスタフの頭の中に『遠話』が繋がる。


『コンラートです。グラナート閣下より御命令です。出撃し、敵本陣を撃滅。その後に敵主力を後方から突けと』


「グスタフだ。了解した」


 その確認のみで『遠話』は途切れ、グスタフは別動隊の面々を振り返る。


 そして、笑った。


「諸君、出撃命令が出た。アールクヴィスト大公国軍の力を、閣下と故国に仇なす敵に見せつけてやろう。俺たちの誇りと覚悟を敵に思い知らせてやろう……クレイモアは隊列を組め! 魔導具隊は発射準備だ! こちらを見てもいない敵への第一射だ。横っ腹に思いきり食らわせてやれ!」


「「「はっ!」」」


 グスタフの鼓舞に、十四人分の好戦的な声が応える。


 ゴーレム八体と攻撃魔法の魔道具が七本。戦力的には大きいとはいえ、頭数はわずか十五人だ。それでも士気は極限まで高められている。


 これは誇りある、そして意義のある戦いだ。アールクヴィスト大公国は独立した国だと、自らの利益を守る力を持った国だと、大公国軍にはそれだけの力があると示すための戦いだ。


 その中で最も重要な役割を担うのが自分たちだ。滾らないわけがない。


「魔導具隊、射撃用意できました」


「よし。俺の命令で一斉射だ。それと同時にクレイモアはゴーレムを前進させろ。自分の身をゴーレムの後ろにしっかり隠せよ……撃て!」


 グスタフの言葉に従って、魔導具隊の兵士たちが一斉に引き金を握り込む。


 刹那、魔道具に刻まれた魔力回路と先端の貴石が眩い光を放ち、魔道具の前に魔法陣が広がり、その中心から魔法が放たれた。


 殺傷力を重視して、この別動隊に配備されているのは『火炎弾』『氷弾』『土槍』の魔道具だ。炎と氷と土塊の形をした殺意が、魔道具に取りつけられた簡易の照準器から兵士たちが覗く向こう、呑気に戦場を眺めている敵兵たちに迫る。


 その着弾を待たずに、グスタフたちは前進を開始する。


 森を出ると同時に、グスタフのゴーレムを中心に八体のゴーレムが前に並び、その後ろに傀儡魔法使いと兵士たちが身を置く鋒矢の陣を形成。敵陣に向かって走り始める頃には、最初の一斉射がヴィルゴア王国軍の本陣に着弾していた。


 あるはずのない方向から、いきなり七発もの攻撃魔法の直撃を受けたのだ。瞬く間に二十人以上が戦闘不能に陥り、何より全員が混乱状態に陥る。


 ゴーレムの群れが迫って来るのを目の当たりにしたことで、その混乱はさらに極まる。


 大陸北部の中でも北寄りの国々は、その技術力の低さ故にゴーレムを作れない。それらの国で生まれた傀儡魔法使いは北部の南側の国へ、場合によっては大陸南部へ移住するのが常で、すなわちヴィルゴア王国とその配下の国々の人間は、ゴーレムを見慣れていない。この戦争で初めて目にした者も多い。


 そんな彼らから見れば、二メートルの巨躯を誇る黒々とした人型が迫って来る様は凄まじいインパクトがある。本陣を守る精鋭だけあって、混乱しながらも防御陣形を組もうとするが、その表情は戸惑いを隠せない。


 そして、迫りくる敵の危険性を最も正しく理解しているのは、かつてその敵と戦ったことのあるカドネだった。


「何をしている! あれを相手に歩兵の防御陣形など効くわけないだろう! 魔法使いは早く魔法を放て! あれがここへ来る前に壊せ! 早く! 早くっ!!」


 叫ぶカドネに従い、本陣直衛の魔法使いたちが――先ほどの敵の一斉射で一人死んだので三人が並び、それぞれの魔法を放つ。『土槍』『火の矢』『火炎弾』が一つずつ、ゴーレムに飛ぶ。


 直進してくる大きな的への攻撃だ。三発の攻撃魔法は狙い違わずゴーレムに飛んでいき――そして、弾かれた。


「はははっ、さすがは漆黒鋼だな。あの程度の攻撃魔法なんて無力だ」


 鋒矢の陣の内側先頭、ゴーレムの並ぶ隙間から前方を見ながら、グスタフは笑いを零した。


 砦の中で敵の火矢を防ぐのに用いられた突撃盾は、この別動隊のゴーレムにも装備されている。出兵まであまり時間がなかったことと、原料の柘榴石が足りなかったことで、用意できたのは三体分だけだが。


 鋒矢の陣を細くすることでその三体が隊列の正面をほぼ全てカバーしており、敵の攻撃魔法はその三体が構える突撃盾に当たった。人間用の鎧程度の薄さでさえクロスボウの矢を弾く漆黒鋼だ。ゴーレムが抱える突撃盾の厚さはその三倍はある。生半可な攻撃魔法が通るはずがない。


「停止! 魔導具隊は陣形の外に広がって一射! その後すぐにゴーレムの後ろに戻れ!」


 グスタフの言葉で、別動隊はまるで一つの生き物のように動く。ゴーレムを含む全員がその場にぴたりと止まり、魔道具を手にした兵士たちがゴーレムの陰から飛び出して左右に広がる。


 そして、また敵本陣に向かって魔法を放った。


 敵の魔法使いは次の魔法発動までに十秒以上の時間を要する。そして、あまり質の良くない敵の弓では、今グスタフたちのいる位置は矢の有効射程に入らない。


 一方的な攻撃がヴィルゴア王国軍の兵士たちを襲い、十人以上の犠牲者が出る。


 魔道具を手にした兵士たちは即座にゴーレムの陰に入り、グスタフの指示に合わせてまた全員が前進を開始した。


★★★★★★★


書籍発売日のお知らせに際して、たくさんのお祝いや応援の言葉をいただきました。本当にありがとうございます。


今後は作者Twitterでも情報発信をしてまいりますので、よろしければそちらもご覧いただけますと幸いです(「エノキスルメ」「ひねくれ領主の幸福譚」で検索いただけますとすぐに出てくるかと思います)。

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