第363話 騎士国の最期

 デール候国軍が消えた。


 その衝撃的な報せを受けたノエインは、そのまま部屋を出て急ぎ足に会議の間に向かう。歩きながら、ヘルガからより詳細な報告を受ける。


「最初に気づいたのは、兵舎の方にいた兵士たちです。朝起きると兵舎のどこにもデール候国軍の者がいなかったそうで、それを聞いて私たちは急いでエヴェリーナ殿を探しましたが、彼女も彼女の側近たちもいませんでした。父う……ガブリエル陛下が城館の使用人たちを問い詰めたところ、夜中のうちに密かにルズールを発ったそうです」


「……城館はともかく、ルズールの門の警備までデール候国軍に任せきっていたのは失敗でしたね」


 合流した直後、夜警などの警備業務の一部をレーヴラント王国軍とアールクヴィスト大公国軍も受け持つと申し出たが、エヴェリーナは頑なにそれを固辞していた。ここは彼女の国なのでノエインたちもそれ以上は強く出なかったが、結果的にそれが裏目に出た。


「あの、私たちは今後、どうなるのでしょうか」


「……さあ。この国の君主がいなくなってしまった以上、我々は戦いやすい国境まで退くべきかもしれませんが。それはあなたの父君と私で話し合って決めることです」


 不安げな表情のヘルガに横目で視線だけ向けながら、ノエインは言った。


 一応は騎士扱いであるのに頼りないことこの上ないが、こんなものだろうとも思う。


 軍事行動が始まってこれまで、ヘルガは初日の威勢が嘘のように目立たなかった。


 所詮はまだ社会を知らない未熟者。本物の戦争を知る将たちの中に混ざれば何もできはしない。これくらい静かでいてくれれば可愛げがあるものを。ノエインは内心でそんなことを考える。


 会議の間に着くと、既にガブリエルとスルホ・ハッカライネン候、その他の王国軍騎士たちがいた。皆、起きたそのままのような格好だ。


 さらに、部屋の隅には所在なさげな表情のコンラートもいた。


「コンラート、ユーリたちには繋がった?」


 ノエインはガブリエルたちに軽く目礼してから、まずコンラートに声をかける。現在、ユーリはノエインの代わりに、防御陣地の作業現場に詰めていた。


「はい。デール候国軍は要塞から見えない道を選んで進んで行ったようで、グラナート閣下たちも通過に気づかなかったそうです。ひとまず馬で追って引き留めを試みるとのことです」


「……おそらく無駄だろう。意地を張ってこれほどの暴挙に出たのだ。今さら誰の説得も聞くまい」


 ノエインたちの会話に言葉を挟んだのはガブリエルだ。


「エヴェリーナ・デール候は使用人にこの書き置きを預けていったそうだ。アールクヴィスト大公、貴殿も読むといい」


 ノエインはガブリエルから差し出された羊皮紙を受け取り、目を通す。


 それは血判の押された、決意表明のような手紙だった。


 曰く、自分たちが父祖より受け継いだ最も重要なものは、騎士としての誇り。そしてそれを体現する生き様そのものである。


 デール候国は騎士の国。自分たちが騎士らしさを捨てるのであれば、それはもはや国の終わりと同義である。騎士らしい戦いの果てにある国の終わりと、騎士らしさを捨てたことで訪れる国の終わり。前者を選ぶのは当然のことである。


 我ら一同は最後まで騎士とその従卒らしく戦いに臨み、潔く散る。我らの国は我ら騎士と共に最期を迎える。


 デール候国が滅びし後、友軍諸卿とその祖国に精霊の加護があらんことを願う。我らの散り様を記憶と歴史に刻まれよ。


「……馬鹿げてる。どうかしてる」


 ノエインは会議机の上に羊皮紙を投げ置きながら、嘆くように呟いた。


 自分たちの誇りを胸に戦って散る。本人たちはさぞ気持ちよかろう。しかし、自分たちが気持ちがいいだけで利益や成果を生めないのであればそれは自慰と変わらない。ノエインの知る常識では、とても一国の君主や貴族のとる行動とは思えない。


 これならロードベルク王国の保守派貴族たちの方が、オスカーに説得されて最終的には従った分、まだ可愛げがある。


「理解できません。彼女たちはこれで良くても、残されるデール候国の民はどうするつもりなのか」


「私も同感だが……デール候たちにとっては、土地も民も全て自分たちの所有物だ。民に対する為政者の責任、という概念そのものを理解してくれんだろう」


 ノエインは絶句しつつも、同時に納得もする。


 王族や貴族は民を支配する権利を持ち、同時に高貴なる者としての義務と責任を負う。その理念は、元は古の大国で生まれたものだと言われている。


 古の大国が成熟する過程で提唱されるようになったこの理念は、その後の小国乱立の時代に一旦は廃れた。


 その後、ロードベルク王家の治世が安定した頃に再発見され、再び王国内に、そして一部の周辺国にも取り入れられた。そう語られている。


 レーヴラント王国をはじめ、かつて古の大国の勢力下にあった大陸北部の国々は、この理念を維持し、あるいは南部と同じように再導入し、現在に至っている。


 一方で、元々別の文化圏に属していたデール候国は違う。エヴェリーナたちが民をも騎士の所有物と考え、自分たち亡き後の彼らの行く末を顧みなかったのも、それが彼女たちの価値観だと言ってしまえばそれまでだ。


「さらに言えば、エヴェリーナ・デールは女性の身で若くして当主の座についた。自身より年上の騎士たちを従わせ、ここまで国をまとめるためには、自身こそが誰よりも騎士らしくあらねばならなかったのだろうな」


「……」


 エヴェリーナ・デールもまた、生まれた境遇に運命を握られた無力な個人だったということか。ノエインはそんなことを考える。


「軍議の場で、私はデール候らに『父祖より受け継いだものを守りたいのであれば』と語ったが、まさかこのような捉え方をするとは……もっと言葉を選ぶべきだった」


「……陛下のせいではありません。あくまでこれは、彼女たちの選択です」


 沈痛な面持ちのガブリエルに、ノエインはそう言葉をかけることしかできなかった。


 ・・・・・


 エヴェリーナ・デール候と騎士たち、そして従卒の計百人ほどが独断で出撃していった事実は、その日のうちに侯国内に広まった。


 その後の状況は、さらに悪くなった。


 残されたデール候国の農民兵たちは、国の支配者を失って完全に戦意を喪失。とても戦いに臨める状態ではなくなった。


 少なくない人数が作業の持ち場を離れて逃亡し、ルズールの民も一部は街を捨てて逃げ始めた。城館の使用人たちもいつの間にか姿を消していた。


 昨日の今日で、小さな独立国は国としての形を失った。


「……もう無理だな。我々がここにいる意味もない。フィオルーヴィキ峡谷の砦まで退こう。国境を守る兵たちと合流し、そこで決戦に臨む」


「そうですね。見知らぬ土地で戦うよりも、その方がいいでしょう」


 主を失った城館の会議の間。混乱する街を窓から見下ろすガブリエルに、ノエインも頷いた。


 ルズールから逃げた民もいるが、他に行くあてがないのか未だに居残っている者も多い。この国の民にどんな運命が待っているかは分からないが、まず間違いなく略奪には巻き込まれるだろう。暴行される者も、殺される者も出るはずだ。


 その後、彼らがどのようなかたちでヴィルゴア王国の支配下に置かれるかは分からない。おそらくあまり良い待遇にはならないだろう。下手をすれば奴隷にされる。


 しかし、ガブリエルもノエインも、この国の民を守るために自分と兵士たちの命を賭けることはできない。彼らを守る責任を負うことのできた騎士たちは、もうここにはいない。


「スルホ。まだ残っているデール候国の徴集兵に解散を命じろ。レーヴラント王国軍は移動の準備だ。国境まで退くぞ……それと、城館や兵舎に残っている物資も荷馬車に積めるだけ積み、兵士に持てるだけ持たせろ。火事場泥棒のようで気分は悪いが」


「御意」


「ユーリ、大公国軍にも移動の準備をさせて。物資の運搬はクレイモアにも手伝わせて」


「了解いたしました」


 それぞれの主君の命令を受けて、ハッカライネン候とユーリが退室していった。


 もう会議の間にも用はないので、ガブリエルも護衛を伴って部屋を去る。その後にノエインも続きながら、最後にまた窓からルズールの街並みに目を向ける。


「……」


 そして、何も言わずに立ち去った。


 デール候国の終末は、こうして決定づけられた。


 ・・・・・


「まったく、寝起きにとんだ騒ぎだったな。少しばかり肝が冷えたぞ」


「ははは、お前は意外と小心者だな、カドネよ」


「かつては油断し過ぎたせいで足がこうなったんだからな。神経質にもなるさ」


 デール候国の北の平原に辿り着き、野営地を設営した翌日の朝。カドネは従者たちの担ぐ御輿に乗って移動しながら、傍らを歩くカイアとそんな言葉を交わす。


「だが、驚いたのは確かだな。よくぞここまで斬り込んだものだ」


 つい先ほど、歩兵四十人と騎兵六十騎ほどの小勢が突撃を仕掛けてきたという報せが野営地を駆け巡った。


 幸いにも見張りの兵士が気づいて迅速に警報を発したが、朝方の不意の攻撃で、敵の気迫がただならぬものだったこともあり、予想以上の被害が出た。


 最初に先行してきた四十人の歩兵が野営地に突っ込んで突破口を切り開き、そこへ騎兵部隊が味方歩兵ごと踏み潰すような勢いで突入。まだ完全に迎撃態勢を整えていない兵士たちを踏み荒らしながら、野営地中央の本陣まで迫って来たのだ。


 敵騎兵は側面から槍で貫かれ、あるいは正面から矢で射貫かれ、あるいは乗っている馬を剣で斬られて落馬し、次々に討ち取られていった。それでも突撃を止めず、敵将を含む最後の数騎はカドネたちの天幕から視認できるほどの距離にまで迫った。


 奇襲に対して少しばかりトラウマがあるカドネにとっては、なかなかぞっとしない目覚ましとなった。


 突撃の爪痕が残る現場までやって来たカドネとカイアは、生け捕りにされた敵将と対面する。


「……エヴェリーナ・デール候。大した女傑だ。敵ながら敬意を表する」


「惜しいところまでは来たのだがな。貴様の首を取れなくて残念だ。カイア・ヴィルゴア」


 肩と足に矢が突き立った女騎士――エヴェリーナ・デール候は、矢傷の痛みに呻くでもなく、微笑さえ浮かべながら答えた。


「隣がカドネとかいう入れ知恵役か。アールクヴィスト大公が大層お前のことを気にしていたぞ」


「カドネ・ランセル一世だ。ちゃんと姓まで呼べ……そうか、ノエイン・アールクヴィストも俺のことを気にしていたか。あいつも俺を憶えているか。何よりの報せだ」


 カドネが憎悪の入り混じった笑みを浮かべると、それを見たエヴェリーナが「気色の悪い相思相愛だ」と吐き捨てた。


 カイアが腰の剣に手をかけながら、口を開く。


「……デール候。お前の名前と武勇は聞いたことがあった。お前ほどの武人を殺すのは、正直惜しいと思っていた。できれば我が軍門に下ってほしかったが……」


「戯言を。我らは誇り高き騎士だ。デール候国は騎士の国だ。侵略者の脅しになど屈するものか」


 そう言って、エヴェリーナは胸を張り、不敵に笑う。


「それで? 敵国の女騎士を生け捕りにした野蛮人の王はどうするのだ? 戦利品を犯しでもするか?」


「まさか。自分の気質が少しばかり荒々しい自覚はあるが、私は下衆ではない。勇気ある敵将には敬意を表するさ……私自ら、お前の首を斬る」


 言いながら、カイアは剣を抜いた。


「ふっ、そうか。友軍だったアールクヴィスト大公などより、貴様の方がよほど武人らしいな」


 エヴェリーナは縛られて座り込んだ姿勢のまま、自ら首を垂れる。


「エヴェリーナ・デール候。最期に言い残すことは?」


「……私と配下たちの戦いぶりを、歴史の一端に刻め」


「よかろう。その願い、カイア・ヴィルゴアの名と名誉に誓って叶えてやろう」


 それだけの言葉を交わすと、カイアは剣を構え――エヴェリーナの首に真っすぐ振り下ろした。


 頭が転がり、首の切り口からは血が噴き出す。頭を失った身体が横向きに頽れた。


「遺体は丁重に葬れ。こいつの配下共も一緒にな」


 カイアは周囲の兵士たちに命じると、護衛兵から差し出された布で剣を拭きながら、カドネの方を向いた。


「さて、カドネよ。こいつらの突撃、どう見る?」


「……騎士の誇りとやらには則っているのかもしれんが、戦術的な観点から見れば、少数戦力を投下して無駄に消費しただけだ。レーヴラント国王の方はどうか知らんが、ノエイン・アールクヴィストがこのような突撃を認めたとは思えない。デール候の独断専行だろう」


 カドネはノエインを憎んでいるが、同時に彼が頭の切れる強敵であることは認めている。その考えをもとに見解を述べた。


「だろうな。俺はガブリエル・レーヴラントとはお互いがまだ王子だった頃に会ったことがあるが、あいつも実益を重視する男のはずだ。歩兵はともかく、騎兵六十をむざむざ討ち死にさせるとは思えん。残る二国にとっては、このようなかたちでデール候国軍を失うことは予定になかったはずだ」


「……こうなると、敵はレーヴラント王国側の国境まで退くだろうな」


 カドネが呟くと、カイアは小さく眉を上げた。


「何故そう考える?」


「確か、デール候国とレーヴラント王国の国境は峡谷になっていたな。そういう地形は、防衛側にとっては正面だけを守ればいいから、平原に防御陣地を張るより戦いやすい。デール候国の領土を守る義理がなくなった以上、ノエイン・アールクヴィストなら自分たちに有利な地点まで退くだろう……あいつはそういう戦いが好きなはずだからな」


 カドネはかつての親征で、森の侵攻路が戦場となったために数の利を活かすことができず、ノエインに敗北した。


 先のロードベルク王国とベトゥミア共和国との大戦でも、ノエインが王国側の将の一人として戦い、同じような戦術をとって数の不利を補ったという話が聞こえている。


 自分がノエイン・アールクヴィストならそうする。カドネは自身の考察に自信があった。


「確かに、それが理にも適っている。敵はそう動くと見た方がいいな……警戒を欠かすつもりはないが、まずはデール候国を征服して小休止だな。その分少し時間を食うか」


 そう呟くカイアと共に、カドネは南を見据えた。


 この平原の向こうでは、今ごろノエイン・アールクヴィストが軍を率いて国境まで退いているのだろう。

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