第354話 不穏な急報

 エレオスの婚約披露宴を終え、リヒトハーゲンから帰還した後のノエインの生活は、平穏そのものだった。


 国境を接する三国との貿易は順調。工業や農業などの各種産業も順調。国内で目立ったトラブルもなし。隣国との揉め事もなし。


 漆黒鎧についても、事は問題なく進んでいる。現在は国内で最も代えの利かない人的資源である、傀儡魔法使いたちの武具を作り進めさせているところだ。彼らの鎧が完成すれば、その後は貴族と従士たち、親衛隊兵士、そして一般兵士の順で装備が更新されることになる。


 これらはいずれも臣下たちに実務の大部分を任せていることであり、ノエイン自身は特別にやるべきこともなく、比較的余裕のある日々を送っている。


 次に特別に動くべき仕事は、初秋に予定されているレーヴラント王国への親善訪問だ。国交を結んだ隣国の君主同士、十分に仲良くやっていることを対外的にアピールするために、今年はノエインがあちらへ行き、来年はガブリエル・レーヴラント国王がこちらへ来る予定となっている。


 その親善訪問に出発するまで、あと数か月はのんびりできる。そう思っていた六月のある日。いつものように君主としての仕事をこなしていたノエインの執務室の扉がノックされた。


「閣下、シェーンベルク士爵です。急ぎのご報告です」


「……入っていいよ」


 入室を許可されたペンスは扉を開け、部屋に入り、ノエインと目を合わせ、


「まだ何も言わないうちからそんな顔しないでくださいよ」


 微妙な表情でそう言った。


「ごめん、でもペンスが急ぎの報せって言いながら来たときは、大抵そこから非日常が始まるからさ」


「それは俺も思いますが、役割柄仕方ないでしょう」


 親衛隊長でアールクヴィスト大公家の警護責任者でもあるペンスは、大公家の外からもたらされた重要な報告を最初にノエインに届けることが多い。当然、嫌な話を伝える損な役回りになることも多い。


「それで、今日はどんな話?」


「……レーヴラント王国の騎士ベーヴェルシュタム殿がお見えです。閣下に急ぎお伝えしなければならないことがあるとのことで」


 そう言われて、ノエインは怪訝な顔になる。あと二か月もすればこちらから訪問する予定だったこの時期に、あちらの貴族がわざわざ山を越えてきて伝えなければならない話というのはよほどのことだ。


「分かった。すぐ行くよ。応接室?」


「はい。もう通してあります」


 ノエインは立ち上がり、すぐに応接室に向かう。一緒に部屋で執務を行っていたマチルダと、報告したペンスも後に続く。


 家令のキンバリーに扉を開けられて応接室に入ると、待っていたベーヴェルシュタムが立ち上がって頭を下げてきた。


「アールクヴィスト大公閣下。お久しゅうございます。先触れも出さず突然の訪問となりましたこと、お詫び申し上げます」


「遠路はるばるご苦労様です、ベーヴェルシュタム卿。座ってください」


 ひとまず穏やかに挨拶を交わしつつ、ノエインは彼女を座らせて自分も向かい側に座る。その隣にはペンスが同席し、二人の後ろにはマチルダが控えた。


「それで、何やら急ぎの話があると聞いていますが?」


 急ぎというなら社交辞令やら世間話やらは省略するべきだろう。そう考えて、ノエインはいきなり本題を尋ねる。


「実は現在、レーヴラント王国に危機が迫っております。その件についてお伝えするべく参上いたしました」


「危機、ですか?」


「はい。レーヴラント王国の消滅の危機です」


「……それは穏やかではありませんね。詳しく伺っても?」


 ノエインは微笑むのを止めた。一国の正式な使者が、自分の国が消滅する危機にあるなどと言うのは尋常な事態ではない。


 ノエインにとって、レーヴラント王国は国交を結んだばかりの、待望の塩の輸入元だ。漆黒鎧の原料となる柘榴石の輸入元でもある。消えられては困る。


「では、ご説明させていただきます」


 ベーヴェルシュタムが語る現状はこうだった。


 まず、アドレオン大陸北部はいくつもの小国が並び立つ地域であるが、傾向として北に行くほど国の規模はより小さくなる。北部の中でも北寄りの国々は、レーヴラント王国など南部寄りの国々と比べると文明の発展度合いも緩やかだという。


 その北寄りの国家群の中では際立って大きな国家として、ヴィルゴア王国という国があった。人口こそおよそ三万人と多いものの、あまり豊かではない土地でその人口を養うべく四苦八苦しており、強国とまでは言えない存在だった。


 そんなヴィルゴア王国が、この二年ほどで急速に勢力を拡大し始めた。どうやら原始的な農耕の体制を脱し、農業生産力を飛躍的に高める技術と知識を手に入れたようで、人口に見合う軍勢を揃えて周辺国を襲撃。併合や属国化を成していった。


 そして今、ヴィルゴア王国は新たな動きを見せている。レーヴラント王国と、そのすぐ北西にあるデール侯国への侵略を宣言し、自国や属国、さらには自ら合流を求める周辺国家から兵を集めているという。


「それは何とも厄介ですね……そのヴィルゴア王国が、どうしてそこまでの急成長を遂げたのかが疑問ですが」


「その点について、つい最近になってひとつ明らかになったことがございます。ヴィルゴア王国の現国王に数年前から重用されている側近の男が、カドネ・ランセルと名乗っているそうです」


「っ!!」


 ベーヴェルシュタムの言葉を聞いて、ノエインは目を見開いた。隣ではペンスが表情を険しくする。


「ランセル王国で数年前に政変が起こり、当時の王が国を追われて北部に逃亡したという話は、我々も大まかにですが存じております。この男の話が本当であれば……」


「……ランセル王国を追放されたカドネが生き延びて、ヴィルゴア王国の現国王に取り入ったということですか」


 おそらく本当だろうとノエインは思った。カドネは兵士以外にも一部の臣下を連れて北に逃れたと聞いているし、王族として育ったのであればカドネ自身も一定以上の教養があるはずだ。彼やその臣下に農業の知識があり、文明的に未発展の地域で取り入る先さえ見つければ、こうして躍進することも不可能ではない。


 成功するより野垂れ死ぬ確率の方が遥かに高かっただろうが、カドネは極小の幸運を掴んだ。現在のヴィルゴア王国の状況が、それを物語っている。


「我が国も国家としての誇りがあり、王族や貴族には国を守る責務があります故、ヴィルゴア王国の侵略や併合を甘んじて受け入れるわけには参りません。そもそもヴィルゴア王国の方も、穏やかに降伏などはさせてくれないでしょう」


 ベーヴェルシュタムの言葉を、ノエインも否定しなかった。


 併合したばかりの国々と属国、合流を希望する周辺国を率いて大規模に攻めてくるのだ。ヴィルゴア王国の王は兵を募った立場として、華々しい勝利を挙げ、参加した諸侯、諸王に褒美をやる責任がある。


 それは略奪の許可であったり、侵略した国の民や土地そのものであったり。どちらにせよ、攻められる二国はただでは済まないだろう。


「しかし、現時点でも我が国の旗色は悪いと言わざるを得ません。噂によると、ヴィルゴア王国が集める兵力は三千は下らず、場合によっては四千を超えると見られております」


「それは……大陸北部の戦争の常識は分かりませんが、こちらの感覚から見てもなかなかの大軍ですね」


「はい。こちらの常識で申し上げますと、数十年に一度の大軍勢です。対する我が国の軍人は、末端の兵を含めても三百人程度。もちろん民からも徴兵はしますが、それでも質、量とも敵には遥かに劣るでしょう……」


 ベーヴェルシュタムは渋い表情を作った。無理もないことだった。


 民の中から徴収した農民兵は、いないよりはマシだが、まともな戦力としては見込めない。アールクヴィスト大公国やロードベルク王国であれば一列に並べてクロスボウを撃たせればそれなりに使えるだろうが、レーヴラント王国にそうした武器がない以上、使い道は非常に限られる。


 おまけに、レーヴラント王国の人口は二万人しかいない。成人男子の中から戦えそうな者を集めたとしても、ヴィルゴア王国の軍勢に数で負けるだろう。


「北部の周辺国家から援軍などは見込めないのでしょうか?」


「我が主君も共闘を呼びかけたのですが、反応は芳しくありません。ヴィルゴア王国の躍進を快く思わない一部の国々は今回の一件をきっかけに連帯を始めていますが、その足並みは遅々として揃いません。今までは仮想敵国の関係だった国も多いので……我が国への侵攻が始まるまでには、とても間に合わないでしょう。我が国のためだけに他国が急ぎ妥協してくれるとも思えません」


「……それは、なんとも厳しい話ですね」


 苦悶の表情を浮かべるベーヴェルシュタムに、ノエインは言葉を選んだ。


 それぞれの利益も違い、文化や価値観も違い、国内で主流を占める種族すらも違う。そんな国々が急に対等な立場として話し合い、まとまってひとつの勢力になるというのは、一朝一夕にできることではないのだろう。


 共通の敵を前に各自の利益を度外視して一致団結することができればいいが、現実はそう単純ではない。うまく連帯できず、このままヴィルゴア王国の武力を前に各個撃破されていく可能性も高い。


 ヴィルゴア王国の勝利後の勢力の伸ばし方によっては、端から抵抗を諦めて取り込まれたり友好を結んだりすることを考える国も出てくるだろう。


「他国の考えも理解できますし、恨んでも仕方ないこととは存じます。しかし、我が国は今現在、ヴィルゴア王国に狙われる当事国になっています。であれば、国家の存続と威信をかけて戦いに臨まなければなりません」


「それで、我がアールクヴィスト大公国に助力を求めるための使者として、卿が参上したわけですか」


 ノエインが感情を見せない声で言うと、ベーヴェルシュタムは頷く。


「はい。ヴィルゴア王国による侵攻が始まるまで、おそらく二か月から三か月ほど。我が国にはもうあまり時間がございません。国交を結んだ友として、どうか我が国の窮地に力を貸してほしい。そうお伝えするよう、我が主君より仰せつかっております」


 深々と頭を下げてくるベーヴェルシュタムを前に、ノエインは考える。しばらく思考を巡らせ、そして口を開いた。


「……我が国は貴国の友であり、私は自分がガブリエル陛下の友人であると思っています。是非ともご助力差し上げると、今この場で明言したい。しかし、私も一国と臣民を抱える立場です。異国への出兵となると、重臣たちと話し合わないわけにはいきません。その時間をもらいたい」


 ノエインがそう言うのを予想していた様子で、ベーヴェルシュタムは穏やかに頷いた。


「承知いたしました。閣下より良きお返事を賜れますことを願いつつ、お待ちいたします」

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