第355話 派兵

 会議室に場所を移したノエインは、先ほど同席していたペンスと、ついさっき国軍本部から呼ばれたユーリ、そして文官のトップであるアンナを前にしていた。ノエインの隣にはいつものようにマチルダもいる。


「……まさかカドネが生きてたとはね。レスティオ山地を越えられたとしても、知らない土地で野垂れ死ぬ可能性の方がずっと高いと思ってたけど」


「何ともまあ、悪運が強い奴だな」


 ノエインの呟きに、たった今事情を説明されたユーリが頷く。


「こんなことになるんなら、ランセル王国がきっちりあいつを仕留めといてくれたら良かったんですけどね」


「確かに……でも、ランセル王国もカドネがここまで上手くやれるとは思ってなかったんでしょうね。色々な話を聞いた限りでは、カドネはあまり優秀そうな人には思えませんでしたし」


 愚痴を零すペンスに、アンナが困り顔でそう返した。


「今のランセル王国がカドネを過小評価してたのか、追い詰められたことでカドネが思っていた以上の能力を内政で発揮したのか、単にまぐれか……とにかく、実際にヴィルゴア王国で成功を収めたのは変わらないからね。さて、どうしようか?」


 ノエインは重臣たちを見回し、意見を求める。


「とりあえず、参戦すれば分の悪い戦いになることは間違いないだろうな」


「だね。見た目の数ほどの戦力差にはならないだろうけど、それでも正直かなりきつい」


 ゴーレムや爆炎矢、今では攻撃魔法の魔道具も。アールクヴィスト大公国軍には、多少の数の不利を補って余りある破壊力が備わっている。しかし、それを以てしても、数で大きく勝る敵との戦いは簡単ではない。


 レーヴラント王国が自国の軍に加えて、民の中から戦えそうな男を集めたとしても、使い物になる数はせいぜい千人かそこらだろう。アールクヴィスト大公国軍も全軍を異国に送るわけにはいかないので、出動するのはせいぜい百人足らず。それが仮に数百人分の働きをすると考えても、戦力は十分とは言えない。


「例えば、カドネ絡みのことだから、ランセル王国にも援軍として参戦してもらうというのはできないんでしょうか?」


「……いや、厳しいな」


「……だね。レーヴラント王国の性質上、政治的な障壁が大きすぎる」


 アンナの提案にペンスが難しい顔で首を横に振り、ノエインも残念そうに答える。


 これまで国交もなかった大陸北部の獣人国家に、ロードベルク王国と同じかそれ以上に獣人を迫害するランセル王国の軍勢が入る。そんなことをしても、状況はむしろ悪化する可能性が高い。ガブリエル国王も了承しないだろう。


 衝突を避けるために、事前に綿密な話し合いや調整をすれば叶うかもしれないが、悠長にそんなことをしている時間はない。


「同じ理屈で、ロードベルク王国に頼るのも難しいだろうね」


「ああ。そもそもロードベルク王国は、今回の件でわざわざ軍を出す義理もないからな」


 大陸北部と南部は、小規模な交流がある以外は基本的に相互不干渉の関係で時代を重ねてきた。


 例えば、カドネの軍勢が今にもランセル王国やアールクヴィスト大公国に攻め入ろうとしている……などの切迫した状況ならロードベルク王国も助力してくれるだろうが、大陸北部の、まだ直接国交もない一小国を助けるために、急に軍を動かしてはくれないだろう。


「現実的に考えて、今動けるのは僕たちだけなんだよね……とりあえず、もし僕たちが援軍を出さずに、レーヴラント王国がヴィルゴア王国に滅ぼされた場合にどうなるか整理しよう」


 ノエインがそう切り出し、ユーリたち三人もその前提について考える。


 もしアールクヴィスト大公国が助けの手を差し伸べず、レーヴラント王国が完全に征服されてヴィルゴア王国の勢力下になったら。


 まず、カドネを側近として擁するヴィルゴア王国を相手に、アールクヴィスト大公国が平和的な国交を結ぶというのは不可能だろう。当然ながら、昨年始まったばかりの貿易はいきなり終わる。


 そうなれば、まずは何といっても塩の直輸入が叶わなくなる。アールクヴィスト大公国の不安定な要素がひとつ増える。以前の状態に戻るだけと言えばそれまでだが、実質的には後退だ。


 また、柘榴石も遠方の別の採掘地から輸入しなければならなくなり、輸入単価は相当に上がる。そうなれば漆黒鎧の製造単価が跳ね上がり、おそらく全員への配備が現実的ではなくなる。


 さらに、ラピスラズリの採掘地が仮想敵国との国境付近に位置することになるため、カドネの今後の出方によってはそちらにも支障が出る。今も尚アールクヴィスト大公国の重要な産業であるラピスラズリの採掘・加工が不安定になれば、影響は大きい。


 そして何より、カドネの意思で動く敵対勢力がすぐ隣にいるという、最悪の状況が常態化する。これが全員一致で最大のデメリットだった。


 破竹の勢いで他国を征服しているというヴィルゴア王国がレーヴラント王国に勝利すれば、その勢力圏はさらに拡大するだろう。


 もちろん他の北部の国々も黙って滅びはしないだろうが、長く小国が並び立つ情勢の続く北部で、今さらになって各国が都合よく団結し、ヴィルゴア王国を打ち倒せると期待し過ぎるわけにはいかない。逆に多くの国がヴィルゴア王国に恭順を示し、かの国の、延いてはカドネの覇権が確定する未来もあり得る。


 そうなればアールクヴィスト大公国としては気が気ではない。


 カドネは国を追われるとき、王位の奪還を目指すようなことを語っていたという。敵対的な大国が大陸北部に誕生し、それがレスティオ山地を越えてランセル王国に南進し、大戦争が始まれば、すぐ近くのアールクヴィスト大公国もどんな巻き込まれ方をするか分からない。


 それどころか、カドネのノエインへの個人的な復讐がてら、最初の征服目標かつ南部での拠点として丁度いいアールクヴィスト大公国に真っ先に攻めてくる可能性も高い。ノエインも自分がカドネであればその選択肢を選ぶだろう。


「……どう考えても、レーヴラント王国を見放すのは僕たちにとっても都合が悪過ぎるね」


「ああ。ヴィルゴア王国の勢力が限られる今のうちに助力して、レーヴラント王国を生き永らえさせ、カドネの勢いを削ぐに越したことはない。可能であればカドネを殺しておくべきだ。口で言うほど簡単ではないだろうが」


 顔をしかめるノエインに、ユーリも険しい顔で頷いた。


「ふぅ、何で僕はいつもこんな大変な戦いにばかり巻き込まれるのかな……どうせやるなら数で有利な戦いがしてみたい」


 ノエインはぼやきながら机に突っ伏する。


「南西部大戦に、ベゼルの戦いに、ベトゥミア戦争に。小勢の奇策で大軍を退けるにも限度があるよ」


「……まあ、今回は敗北がすぐに大公国の危機に繋がるわけでもない。レーヴラント王国には悪いが、どう見てもかの国の滅亡が免れないなら俺たちは早めに退くまでだろう」


「そうだけど。でも戦況次第では、そうすんなり撤退できるとも限らないし」


「そのときは俺たちの命に代えてもノエイン様を帰還させる」


「やだよ。君たちに死なれて、そのおかげで僕だけのこのこ国に帰るなんてさ」


 机に顎を置いたままぶうたれるノエインを見て、他の者は苦笑した。もちろん、ノエインが現実をわきまえた上で拗ねているだけだということは、ユーリたちも分かっている。


「では閣下、アールクヴィスト大公国は、レーヴラント王国へ援軍を送るという最終決定でよろしいでしょうか?」


 姿勢を正し、口調をあらためてユーリが尋ねると、ノエインも顔を起こし、主君として答える。


「ああ、決定だ。騎士ベーヴェルシュタム殿には僕から伝えよう。援軍の具体的な編成や装備については、他の臣下たちも集めた上でまた後ほど会議を行うものとする。君たちは各方面への伝達を頼むよ」


「「はっ」」


「かしこまりました」


・・・・・


 援軍要請に応える旨をベーヴェルシュタムに伝え、より詳細な話し合いを終えると、ノエインは臣下たちと共にレーヴラント王国への出兵準備を始めた。


 まずは、東西の隣国への情報伝達。


 ロードベルク王国は一応アールクヴィスト大公国の宗主国のような立場にあるので、オスカー・ロードベルク三世には大公国が北の隣国を助けるために軍を出すこと、大陸北部の事情などを伝える。


 あちら側もヴィルゴア王国の躍進についてはちらほら話が聞こえていたようだが、その裏にカドネがいるという話はまだ知らなかったようで、多少の驚きと共に出兵について了解する旨の返事が返ってきた。


 同じくランセル王国にも今回の一件を伝えると、カドネがヴィルゴア王国で権力を得ている部分についてより詳細な情報を求められた。そこが最も気になるのは、ランセル王国としては当然のことだ。


 しかし、ノエインもレーヴラント王国から伝えられた簡単な事情以上のことは知らないので、その旨を正直に伝えた。ランセル王国も、大陸北部との細い繋がりをなんとか駆使して独自の情報収集を始めるものと思われた。


 ノエインがわざわざ両国へと懇切丁寧に一報を入れたのは、派手に軍を動かす予兆を見せる上で、不要な誤解や緊張を招かないようにするための配慮。そして、「君主の自分が少し国を留守にするので、外交の話で応じられる範囲が狭まります」という予告。さらには「自分の留守中にうちの国に余計なちょっかいを出したらどうなるか分かっているんだろうな」という警告。この三つの意味があった。


 それと並行して、ノエインは自分と共にレーヴラント王国へと向かう人員や装備の選定も行う。


 重臣たちと話し合った結果、動員する兵力は以下のようになった。


 まずは当然マチルダ。そして側近であるユーリ。


 護衛としてペンスと、親衛隊を二班六人。


 戦場での連絡役として、対話魔法使いのコンラート。


 主戦力となるクレイモアを、グスタフとアレイン以下十二人。


 さらにダントを隊長に歩兵部隊を五十人。この歩兵部隊は獣人の兵士を十人ほど含んでいる。レーヴラント王国内で、よそ者のアールクヴィスト大公国軍の心証を良くするための配慮だ。


 この総勢七十人強が、レーヴラント王国への援軍として選ばれた。ラドレーとリックは、今回は本国の防衛や治安維持を指揮する人材として残される。


 援軍は人数こそ少ないものの、その装備は強力だ。


 まずはクレイモアのゴーレムが十二体。ノエイン自身のゴーレム二体もある(今回は対人戦なので、手数を重視して通常のゴーレムを持っていく)。さらに予備も数体運ばれる。


 加えて、バリスタ十二台に爆炎矢が二百発。攻撃魔法の魔道具も投入される。歩兵五十人については、白兵戦力というよりも、これらを輸送、運用するための人員と言った方が正しい。


 惜しいのは、漆黒鎧の配備が追いつかなかったことだ。製造が始まってまだ間もないタイミングでの出兵となったため、ノエインとマチルダ、そして一部の傀儡魔法使いの防具しか生産が間に合っていない。


 また、今回は『天使の蜜』の原液も使わない。ベトゥミア戦争での戦術は遥か遠方の敵が相手だからノエインも実行を決意したのであって、地続きの、戦後も付き合いを続けざるを得ない相手に仕掛けるにはあまりにも禍根を残し過ぎる。


「それにしても参っちゃうよね。いつかの備えのつもりの魔道具を、いきなり実戦投入する羽目になるんだから」


 数週間で出兵の準備を終えた後。軍を連れてレスティオ山地の交易路を進みながら、ノエインは呟いた。


 ノエインは今、マチルダと並んで荷馬車の荷台に座っている。


 本来は大将として騎乗した方がいいノエインだが、未だに馬の扱いがあまり上手くないため、万が一にも山道での落馬などをしないよう馬車に乗せられていた。山地を越えてレーヴラント王国側に着いてからは、君主として格好をつけるために騎乗して入国することになる。


「僕もあまり複雑な政治の話は分かりませんが……これだけ大層な武器は、できれば所有してる事実そのものを隠しておきたいということですよね?」


 ノエインの呟きに応えたのは、ノエインと同じく荷台に乗せられているコンラートだ。


「概ねその通りだよ。攻撃魔法の魔道具が新たに発見されることなんて、もう百年以上なかったわけだからね。持ってることを知られたら周りの貴族がどれだけうるさく聞いてくることやら」


「閣下。言っても今さらです」


「分かってるけど、こうして積まれてる魔道具の山を見るとどうしてもね。愚痴を吐きたくもなるよ」


 馬で並走するユーリに窘められ、ノエインは荷台の後ろ側に積まれたいくつもの細長い木箱を見やる。それらの木箱の中に入っているのはもちろん、攻撃魔法の魔道具だ。


 出し惜しみをしても仕方ないので十一本全てを持ってきているが、敵味方が見ている前でこれだけの魔道具を使えば確実に噂になる。「アールクヴィスト大公国は攻撃魔法を放つ魔道具を大量に保有している」という話は、そう遠くないうちに大陸南部まで伝わるだろう。


 これらは骨董品のコレクションである以前に武器なのだから、必要があるならこうして使うべきだ。しかし、まさか発見した今年のうちに十一本全てを実戦投入することになるとは想定外だった。


「……片道半月か。長い行軍になるね」


「仕方ありますまい。この大所帯ですから」


 顔を左右に向け、荷馬車の前後に続く列を見て呟いたノエインに、ユーリが答える。


 分解したバリスタや爆炎矢の壺、予備のゴーレムなどの兵器類を満載した荷馬車に、ゴーレムを徒歩移動させるクレイモア。その山越えはどうしても時間を食う。本来なら二週間、十二日あれば余裕で越えられる交易路の移動には、念のため半月が見込まれていた。


 なだらかな山道を、アールクヴィスト大公国軍の遠征部隊が黙々と進む。

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