第342話 討伐のその後

「アールクヴィスト大公閣下。バート・ハイデマン士爵、渉外任務より帰還いたしました」


「ご苦労だったね。それじゃあ、さっそく報告を聞かせてもらおうかな」


 九月も後半にさしかかったある日。ノエインは屋敷の領主執務室でバートと向き合っていた。


「ええ。それでは……予想していた通り、ワイバーン討伐の件はかなりの早さで広まっているみたいです。ロードベルク王国北西部にはあらかた伝わっているかと。好き勝手な噂話が盛り沢山でしたよ」


「あはは、それはそうだよね。貴族にとっても民にとってもいい雑談の話題だろうし」


 苦い笑みを浮かべて報告を始めたバートに、ノエインも苦笑を返す。


 ワイバーン討伐を成してから一か月半。討伐後のあれこれでノエインの周囲は慌ただしくなり、ここ最近でようやくそれも収まって穏やかな日々を取り戻したところだ。


 帰還したノエインは、まずは討伐を成し遂げた件をロードベルク王国とランセル王国に通達した。併せて、レーヴラント王国にも今回の一件を伝えた。


 続いて、今回の経過を大公国の歴史の一頁として記した公文書を作り、大公国の民に向けても、ノエインがワイバーンに英雄的な勝利を挙げたことをある程度の詳細と共にあらためて布告。


 併せて、大公立ノエイナ劇団の団長カルロスを呼び、ノエインの偉大な勝利を戦記劇として大衆に伝えるよう命じた。要するに、臣民たちのノエインへの敬愛をさらに深めるためのプロパガンダだ。


 後から聞いた話によると、「主君によるワイバーン討伐の激戦」という絶好の創作のネタを与えられたカルロスは、狂喜しながら二日二晩ほど不眠不休で劇の台本を書き上げたという。


 劇の制作が進んでいる頃、ロードベルク王国とランセル王国それぞれから使者が送られてきた。ワイバーン討伐がなされたとなれば、『遠話』や早馬で報告を受けるだけでなく、その証拠を確認しなければならないと思ったらしい。


 ランセル王国からは国境を接する王家直轄地の代官クロヴィス・バルテレミー子爵が。そしてロードベルク王国からは、なんと外務大臣のエリーシュカ・ノヴァチェク伯爵がわざわざ来訪。


 ノエインは彼らを賓客として丁重に出迎え、自ら歓待し、ワイバーンの魔石と頭の骨を披露した。バルテレミー子爵の度肝を抜かれた顔は大変面白く、冷静沈着で知られるノヴァチェク伯爵の唖然とした顔もなかなか見ものだった。


 また、湖のほとりに放置してきた頭以外の骨については、ワイバーンの内臓と肉が腐り落ちてしまったであろう頃を見計らって様子を見に行かせた。


 腐肉や骨を食う魔物に齧られたのか、あるいはオークやホブゴブリンなどが棍棒代わりに持ち去ったのか、ワイバーンの骨はそれなりに欠損してしまっていたが、指や足、尾などの骨で形を保っていたものを一部回収。それらは討伐に参加した傀儡魔法使いや兵士たちに、ワイバーンを討伐した証として配られた。


 討伐から数週間が経つ頃には、劇団によるワイバーン討伐劇の上演が始まった。それと同時に、ワイバーンの頭の骨が公都ノエイナの広場に一時的に飾られた。この頃になると、国内はまた別方向に慌ただしくなった。


 ワイバーン討伐の報が各地に広まったことで、観劇客は大公国内のみならず、国外からもやって来た。貿易目的の商人やその護衛たちだけでなく、わざわざ劇とワイバーンの骨を見ることだけを目的にした観光客さえ訪れ、公都ノエイナを賑わせた。


 さらに、アールクヴィスト大公国でワイバーン討伐がなされたことを聞きつけた吟遊詩人も何十人と入国し、劇や民の噂話から詩曲作りのための情報を集め、それを広めるためにまた出国していった。


 これらの騒ぎがようやく収まったのが、ほんの一、二週間ほど前だ。


「特に観光客と吟遊詩人たちの流した噂話が効いたんでしょうね。実際の戦闘を何倍にも大げさにした英雄譚が出回ってます」


 曰く、クレイモアの指揮官グスタフのゴーレムがワイバーンの尾を掴んで投げ飛ばして見せただの、ケーニッツ伯爵家に仕える魔法使いレーンがワイバーンの全身を火だるまにしただの、ラドレー・ノルドハイム士爵が数メートル跳び上がってワイバーンの脳ごと両目を槍で貫いたがそれでもワイバーンは平気で動いていただの。


 ワイバーンも、それに立ち向かった討伐部隊も、実際より一回りも二回りも化け物じみた戦いを演じたことにされていた。


「市井でそういう噂が面白おかしく語られるだけならまだしも、一部の貴族からも聞かれましたからね。『アールクヴィスト大公閣下が巨大なゴーレムでワイバーンを真っ二つに引き裂いたという話は本当か』とか」


「あはははっ、僕にまでそんな話が作られてるんだね」


「ええ。他にも、どこでどう話が狂ったのか分かりませんが、ノエイン様ご自身がワイバーンの口に飛び込んで体内から斬り殺したことになってたりもしましたよ」


「そんな強さが僕にあったら色々苦労しないんだけどね……大昔のとんでもない英雄譚はたくさんあるけど、そういうのも実のところは案外こういうものかもね」


 ほんの一か月半前の戦いでも、ここまで噂が重なって尾ひれの方が大きくなってしまうのだ。歴史上の英雄の物語も、どこまでが真実か分かったものではない。


「きっと数百年後にはもっと誇張されて、ノエイン様が一人でドラゴンを倒したことにされていますよ」


「あははっ、いかにもありそうな話だね」


 ワイバーンの件以外は特に目立った話もなく、バートからの報告は終わった。


・・・・・


 当初の予定から少し遅れて、十月の後半にはアールクヴィスト大公国とレーヴラント王国を結ぶ交易路の整備が完了した。


 これで両国は正式に国交を結ぶこととなる。これを記念して、交易路の中間点、両国の国境と定められた場所で、両国の君主が対面することとなった。


 二頭立ての馬車では山道を通れないため、ノエインはロバに牽かせた一人用の二輪の小型馬車に乗り、他の者は徒歩で、国境地点に到着する。


 国境は低い山の中腹の多少開けた場所で、今後は貿易商人たちの野営地や両国の連絡所として利用される予定だ。レーヴラント王国の一行は、そこで簡素な天幕を並べて野営していた。


 大公国側はノエインの他に、従者としてマチルダ、他に重臣のユーリ、ペンス、バート、グスタフ、さらに護衛の傀儡魔法使いや親衛隊兵士。併せて十数人。


 対するレーヴラント王国側も、総勢は二十人にも満たない。大人数で山越えをするのは困難であるため、両者とも君主の一行としては少ない。


 到着前に先触れを出していたので、ノエインたちが野営地に入った時点で、レーヴラント王国の一行は既に整列していた。大公国側も到着してすぐに列を作り、ノエインは馬車から降り立つ。


 ガブリエル・レーヴラント国王が誰かはすぐに分かった。列の中心から一歩前に進み出て、一人だけ他の者とは明らかに違う威厳を放っている虎人の男だ。


 ガブリエルは馬車から降り立ったノエインを見て、少し意外そうな表情を見せていた。ノエインがどのような容姿の男かはガブリエルの傍らに立つ騎士ベーヴェルシュタムから聞いているはずだが、予想以上に小柄で幼く見えたのだろうか。


 ノエインが両国の一行の中間まで進み出ると、ガブリエルも歩み寄ってくる。


「……レーヴラント王国第二十一代国王、ガブリエル・レーヴラントだ」


「アールクヴィスト大公国初代元首、ノエイン・アールクヴィストです」


 ガブリエルは見下ろすように、ノエインは見上げるように視線を交わす。


「今日この日、この場で陛下にお会いできたことを嬉しく思います。到着が遅くなり誠に申し訳ない」


「慣れない山越えで苦労したことだろう。どうか気にせぬよう。交易路整備への助力やワイバーンの討伐についても聞いている。我が国との国交樹立のための尽力に感謝する」


 国の規模や歴史も、君主としての立場もガブリエルの方が上なので、ノエインは多少へりくだって接する。


 一通りの挨拶を交わし、ノエインたちは仕事に入る。まずは、この地に両国の国境を定める誓約書への署名だ。


 両者ともここに文官を連れてくることは難しかったので、大公国側はバートが、レーヴラント王国側は騎士ベーヴェルシュタムが君主の補佐に付く。ノエインとガブリエルは二枚の誓約書にそれぞれ署名し、そこに魔法塗料で家紋の印が押される。


 両国とも古の大国の系譜に連なる国家ということで、言葉だけでなく文字についてもほぼ同じだった。綴りや文法にわずかな違いがあるため、二枚の誓約書はそれぞれ保管される国の言語に合わせて書かれている。


 署名をするノエインのすぐ後ろでは、ユーリとペンスがその様を見守る。ガブリエルの後ろからも、貴族階級と思われる身なりの数人が手元を見守っている。確実に君主によって署名が行われたことの証人だ。


「では、後は……」


「ああ、我が国はこの時を待ち望んでいた」


 署名を終えたノエインが切り出すと、ガブリエルはそう答えて薄く笑みを浮かべた。こちらこそ待ち望んでいた、と内心で思いながらノエインも笑みを返す。


 次に行われるのは、両国の貿易の始まりを示す交易品の交換だ。


 レーヴラント王国側の列の後ろからは、革袋が十ほど運ばれてくる。大公国側の列の後方からは、二つの木箱が運ばれる。


 互いが渇望した交易品――塩とジャガイモだ。


 ゴーレムが運んできた木箱と、獣人の兵士が運んできた革袋が地面に置かれる。ベーヴェルシュタムが木箱の中身を、バートは革袋の中身を確認し、それぞれの主に頷く。


 今度はゴーレムが革袋の束を抱え、獣人の兵士たちが木箱を抱えて後ろに下がる。これで、記念すべき両国の最初の貿易が成し遂げられた。


「アールクヴィスト大公、心より感謝する。これからも両国の友好が長く続かんことを」


「こちらこそ感謝申し上げます。貴国と末永く共栄の道を歩んでいけることを切に願います」


 ガブリエルと和やかに握手を交わしながら、ノエインは安堵していた。


 これで、より安価に、より簡単に、必需品である塩を輸入できるようになった。大公国がまだアールクヴィスト士爵領と呼ばれていた頃からの、開拓初期からの念願が叶った。


 アールクヴィスト大公国はまた一歩、悠久の安寧とさらなる繁栄への道を進んだ。ノエインはそのことに満足していた。


★★★★★★★


ここまでが第十三章になります。次回からは十四章、また新展開が始まります。

引き続き本作をどうぞよろしくお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る