第337話 準備と出陣

 ワイバーン討伐のための準備が始まって一週間ほど経った日。アールクヴィスト大公家の会議室に、今では正式な従士に任ぜられている大公国軍士官のジェレミーが参上していた。


「偵察ご苦労だったね。危険な任務にも関わらず、よく成し遂げてくれた」


「私は忠誠を誓う閣下の命に従い、務めを全うしただけであります」


 もともとランセル王国軍では主に斥候としての訓練を受け、この地の民になってからはラドレーの直属の部下として鍛えられてきたジェレミーは、危険地帯を偵察し、生還するための技術や能力に誰よりも長けている。


 そのため彼は、「ワイバーンとの遭遇地点の周辺に水場がないかを探り、可能であればワイバーンのねぐらを発見する」ために少数の部下と共にレスティオ山地に入っていた。


 偵察に長けたジェレミーと数名の獣人兵でも片道二日以上はかかる山地の道のりを越え、数日にわたる偵察を終え、また片道二日以上かけて無事に帰還。


 今はこの会議室で、ノエインとユーリ、ペンスを前に報告に立っている。


「君はアールクヴィスト大公国軍人の鑑だよ。君主として感謝しよう……それじゃあ、詳細な報告を頼むよ」


「はっ。それでは、これより偵察結果についてご報告いたします」


 過酷な任務から帰還後、わずかな休憩をとったのみにも関わらず、ジェレミーは疲れを感じさせない姿勢と表情で会議机に置かれた地図の前に立つ。


「まず、整備作業の人員がワイバーンと遭遇したのが、現在整備中の交易路のこの地点です。ここから西におよそ一キロ強進んだ山間に、湖がありました。この湖のほとりが、ワイバーンの現在のねぐらと思われます」


 そう説明しつつ、ジェレミーは地図を指差す。


「根拠はあるのか?」


「はっ。湖のほとりには木々をなぎ倒して作られた平地があり、破壊の規模を見てもワイバーンの仕業と考えられます。また、その平地には魔物の死骸やワイバーンの糞らしきものも見られました。これらの状況から、ワイバーンがここで食事や休息をとっているのはほぼ間違いありません」


 ユーリの問いかけに、ジェレミーは淀みなく答えた。


「ただ、ワイバーンが実際にこの平地に飛来するのを確認することは叶いませんでした。斥候としての役目を完遂できず、誠に申し訳なく」


「大丈夫だよ。視認できる距離までワイバーンに近づくのは危険過ぎるからね。むしろ、上手くワイバーンとの遭遇を避けて、確定的な情報を確認して帰って来てくれたのはお手柄だ」


 クラーラの知る歴史上の知識によると、ワイバーンは休眠中も時おり短い覚醒をして巣の付近で餌を漁り、逆に活動期間中も数日おきに短い睡眠をとるという。ねぐらで張っていれば、おそらくはワイバーンが戻ってくるのも確認できただろう。


 しかし、ノエインが今言ったように、少人数でワイバーンに近づくのはあまりにもリスクが高い。元々ノエインはジェレミーにワイバーンとの遭遇を避けるよう注意していたので、今の彼の謝罪は形式的なもので、ノエインの返答は彼の罪悪感を打ち消すためのものだ。


「これだけの状況が揃ってるんだ。この湖のほとりに張る作戦を立てれば間違いありませんね」


「だね。ユーリ、それで作戦の詳細をさらに詰めてもらっていいかな?」


「了解しました。すぐに取りかかり、各所の準備が出来次第、出撃できるよう進めてまいります」


 ワイバーンが休息のために帰ってくるねぐらが分かれば、待ち伏せや襲撃もやりやすくなる。ジェレミーの活躍によって、討伐作戦の成功率は大きく上昇する見込みとなった。


・・・・・


 ジェレミーの報告を受けた数日後。ノエインのもとに客人がやって来た。


 ケーニッツ伯爵領の領主代行フレデリック・ケーニッツと、彼の家が抱える手練れの魔法使いだ。


「アールクヴィスト大公閣下、本日はお目通りをいただき感謝申し上げます」


「よく来てくれました、フレデリック・ケーニッツ領主代行殿……久しぶりですね、フレデリックさん」


 客人を迎え入れた応接室で、ノエインはまずは公的な立場から挨拶を返し、すぐに気心の知れた縁者として表情を崩す。それに対し、フレデリックも義兄としての顔になる。


「ああ、久しぶりだな。最近は互いに忙しくて、なかなか直接会うこともないからな」


 領地や国を抱える為政者ともなれば、馬車で半日の距離にいてもよほど重要な案件でなければ顔を合わせることは少ない。互いの妻と子は時おり顔を見せに行き来しているが、当主であるノエインとフレデリックが会うのは数か月ぶりだ。


「それにあなたも。会うのはベトゥミア戦争以来ですね、レーン殿」


「ご無沙汰しております、アールクヴィスト閣下」


 ノエインに顔を向けられ、フレデリックの隣で一礼したのは、ケーニッツ伯爵家に名誉従士として仕える火魔法使いのレーン。ノエインも何度か顔を合わせたことがあり、特に先のベトゥミア戦争では彼女も西部軍の一員として共に戦った。


 ベトゥミア戦争での彼女は、ノエインが最前列に出て守りが薄くなっていた本陣を警備し、ベトゥミア共和国軍の特殊部隊が本陣に入り込んだ際はその撃退のために尽力。西部軍において、かの戦争で英雄的な活躍を見せたうちの一人だ。


「先に伝えた通り、アールクヴィスト大公国軍によるワイバーン討伐に際して、我が領から彼女を援軍として送らせてほしい。彼女は本来なら王宮魔導士を務めていてもおかしくない手練れだ。必ず役に立つだろう。大公国への助力について、もちろん父の許しと国王陛下のご許可も確認済みだ」


 ノエインは外務長官バートを使い、大公国の北にワイバーンが出現したことを周辺地域に知らせた。可能性としてはあまり大きくないが、ワイバーンが現在の縄張りを外れて近くの貴族領に出没することも考えられるためだ。


 また、大公国はこのワイバーンの討伐に臨む意思があることも周囲に表明し、ロードベルク、ランセル両王家にも通達した。


 それを受けて、ケーニッツ伯爵家は隣人として、かつ親戚として、お抱えの魔法使いとその護衛を貸し出すというかたちで助力を申し出てくれたのだ。


「我が国には傀儡魔法使い以外で戦闘に従事できる魔法使いがいませんから、レーン殿の力を借りられるのはとても助かります……ですが、本当にいいのですか? 我が軍は出来る限りの準備をして臨むつもりですが、それでもワイバーン討伐は危険を伴います」


「ワイバーンによるアールクヴィスト大公国の危機は、隣り合う我がケーニッツ伯爵領の危機でもある。それに、義弟の危機は私の危機も同然だ。父も君の義父として同じように言うだろう」


 ノエインの問いかけにフレデリックは力強く答えた。が、そこにあるのはおそらくただの親切心だけではない。


 大きな戦力として魔法使いを貸し出せば、ワイバーン討伐に成功した際、ケーニッツ伯爵領軍も討伐への貢献者として語られる。この辺りでは数十年ぶりとなるワイバーン討伐の話に絡むことができ、伯爵家の名にも箔がつく。


 アールクヴィスト大公家としては、箔を分けてやるだけで大きな戦力を借りることができ、ワイバーン討伐の成功確率を高め、自国の軍の危険を減らせる。相手がケーニッツ家であれば、討伐の主力の座を奪おうと必要以上に出しゃばられる心配もない。


 これは両家の政治的な意図も絡んだ協力関係だ。ただし、ノエインもフレデリックもそのことを表には出さない。


「それに、レーンならワイバーン討伐の場でもそうそう死ぬようなことはないだろう。何せ我が家の先代当主の頃から名誉従士として仕えて、幾多の戦場を戦ってきた実力者だからな」


「ふふふ、坊ちゃまにそう評していただけるのは光栄ですね。坊ちゃまの代でもまだまだお抱え魔法使いとして働かせていただくつもりですから、死ぬつもりはありませんよ」


「おい、坊ちゃまはよしてくれと言ってるだろう」


 義兄がまるで子供のように扱われているのを見て、ノエインは小さく笑った。


「大公国軍としても、しっかりとレーン殿を守らせてもらいます。戦いの場なので絶対の約束はできませんが、彼女にできるだけ危険が及ばないよう配慮します」


「感謝する、ノエイン殿」


「ありがとうございます。ですが、私も自分の身を自分で守りながら多くの戦場で戦ってきましたので。ご安心ください」


 フレデリックは少し気まずそうに表情を整えて答え、レーンは長年生きてきたハーフエルフとしての自信を感じさせる表情で返した。


・・・・・


 ワイバーン目撃の第一報からおよそ二週間で、アールクヴィスト大公国軍は討伐作戦の準備を終えた。


 幸いにもこれまでの期間にワイバーンが人里まで降りてくることはなく、ノエインたちは万全の状態で出発に臨むことができている。


 兵力は巨大ゴーレムを操るノエインと、その護衛であるマチルダ。そしてペンスと、親衛隊から八人。


 主戦力であるクレイモアが、グスタフとアレインをはじめ十二人。さらに、ゴーレム操作中は無防備になる傀儡魔法使いたちを守り、それ以外にも哨戒や、場合によってはワイバーンの牽制を行うために、ラドレーの部隊とリックの狙撃部隊も一部が動員される。


 また、隊は二つに分けられることになるので、別隊の指揮官として軍務長官ユーリも出る。


 援軍のレーンと彼女の護衛のケーニッツ伯爵領軍兵士たちを含めると、討伐部隊の総勢は五十人以上。ワイバーン討伐の軍勢としては少ないが、ゴーレムの力を考えると数百人規模の兵力に相当する。勝ち目は十分にある。


 武門の臣下の中で、従士ダントだけは残留することになる。万が一ノエインたちが敗走したり、ワイバーンが人里の方に流れたりした場合に、居残りの部隊を指揮して対応するためだ。


 出陣の朝。ノエインは大公国軍本部に集結した人員を前に立つ。その後ろには、ノエインの威光を象徴する巨大ゴーレムが立っている。


「……もっと不安そうな顔が多いかと思ったけど、皆冷静だね」


「全員がベトゥミア戦争を乗り越えた猛者です。ワイバーンとはいえ、今さら魔物討伐で怖気づく者はいません」


 呟いたノエインに、傍らのユーリが答えた。それもそうか、とノエインは答え、全員に向かって口を開く。


「諸君、空を見てほしい。よく晴れていて気候も穏やか。絶好のトカゲ狩り日和だ」


 その言葉に討伐部隊の面々からは笑いが起こった。


「まあ、今のは冗談としても、天気はどうやら僕たちの味方だ。この二週間で可能な限りの準備をして、実戦を想定した訓練も済ませた。ケーニッツ伯爵領からは、心強い援軍も加わってくれた」


 ノエインが手で指し示すと、レーンが皆の視線を受けて一礼する。


「僕たちなら勝てる。もちろんワイバーンは強敵だ。油断してはいけない。しかし過度に恐れる必要もない。必ずワイバーンを倒し、この地の平和を、僕たちの家を、財産を、家族を、幸福を守ろう!」


「「「おおうっ!!」」」


 拳を握って高らかに声を張るノエインに、魔法使いと兵士たちが威勢よく応えた。


「グラナート準男爵。出陣だ」


「はっ……全員出陣! 士官は馬に、魔法使いと兵士は馬車に乗れ!」


 キルデ付近の山道からは徒歩移動になるが、見栄えとゴーレム輸送の問題があるため、公都ノエイナを出る際は馬と馬車での出陣になる。


 公都ノエイナの大通りで臣民たちの声援を受けながら、ノエインたちは出発した。

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